10・8控訴審 市東孝雄さんの陳述(要旨) 天神峰で生涯を農民として生きる 裁判所は請求を棄却せよ
週刊『三里塚』02頁(0905号02面02)(2014/10/13)
10・8控訴審 市東孝雄さんの陳述(要旨)
天神峰で生涯を農民として生きる
裁判所は請求を棄却せよ
(写真 市東さんはスライドを使って消費者との絆の固さを訴えた【産地交流会】)
(1)はじめに
この裁判は、成田空港のために、農地を力で取り上げる、農民殺しの裁判だと私は思っています。小規模農家はつぶしてしまえという農政と、ウラオモテだとも感じています。
(この後、「(2)スライドによる営農と生活状況の説明」と題して、38枚もの写真を使い、営農のつぶさな状況、空港による生活破壊、消費者との交流などを本人が説明した。)
(3) 100年の月日を費やした有機の農地
農地は単なる土地ではありません。耕し続けてこそ農地です。この土は祖父の代に開墾し、父から私が引き継いで、一年に何センチもできない土作りを続けて、やっとここまできたのです。
完全無農薬栽培のために私は、乾燥鶏糞や蛎殻、糠などの有機の肥料を、毎年一反歩あたり2トンから4トン畑に入れます。ビロードのような土だと言われますが、数億の微生物が棲息し、作物がよく採れる本当にすばらしい農地なのです。
(4)廃業と移転を迫る一審判決は不当
私は、この農地で、死ぬまで人に役立つ農業を続けて行こうと決意しています。一審判決はこの私の決意を全面的に否定するものでした。
取り上げるのは、全耕作面積の7割を超え、作業場や農機具置き場、芽出しのためのハウス、離れ(別棟)、そして堆肥場など、農業を続けるために欠かせない設備の一切合財です。これは私に死ねというのと同じです。
小作耕作している父・東市の同意も無く農地を売買できますか? 農業者でもないのに、なぜ農地を所有し賃貸できるのでしょうか? その上、15年間も地代をだまし取ってきたのです。これは農地法を破り、信義に反するものです。
戦後の農地解放を闘って多くの人に信頼されてきた故三浦五郎さんは、天神峰に戻った私に「小作地は農地法で守られているから絶対に取られない」と話しました。農家なら誰一人として、空港会社のデタラメを許さないはずです。
裁判所を収用委員会の代わりに使って、命の土地を奪い取るやり方は、間違っていると思います。農地取り上げは、「賃貸借の終了」の形をとった強制収用です。廃業と移転を迫る一審判決はまったく不当です。
(5) 証拠が崩れた空港会社の請求は棄却すべきです
関連裁判で確定した文書提出命令について、裁判長は真剣に向き合い調べて欲しいと、私は心から訴えたいと思います。 土地明け渡し裁判だというのに、肝心要の場所が間違っています。私は農業委員会と農業会議で、この不可解な明け渡し請求を質(ただ)し、調べてくれと訴えました。ところが農業委員会は、頭から無視しました。山崎農業委員会事務局長は、「空港会社はフリーパス」だと法廷で証言しましたが、まさにそのような対応でした。
法廷では、畑の場所を特定した証拠として、父・東市の署名とされる文書(「同意書」など)が出されましたが、間違いは明らかでした。署名は父のものではなく、空港会社よる偽造でした。
私は声を大にして訴えたい。千葉県知事の決定は無効! 空港会社は、ただちに裁判を取り下げろ! 裁判所は、空港会社の請求をただちに棄却すべきです!
(6) 東峰地区や騒音下住民とともに
東峰地区では、夜中まで民家上空40㍍を航空機が飛びます。滑走路の南端から120㍍の所に神社があります。住民の命と暮らしなど、空港会社はなんとも思っていないのです。いや、「尊厳を傷つけてしまった」といって「謝罪」し「二度と過ちは繰り返さない」(黒野匡彦社長=2005年当時)と頭を下げておきながら、平気で住民を苦しめる、今の方がもっと悪いと思います。
「第3滑走路」などというとんでもない計画が浮上しました。新たに200戸を超える民家に移転を迫り、騒音・移転区域をさらに広げる計画に住民は悔しい思いをかみ殺して暮らしています。TPP推進と農地法改悪で、企業が農地までも所有できるようになれば、家族農業は無くなり農地は荒れ果てます。人が生きる上で最も大切な農地がつぶされ、家族や地域が支えてきた農業が失われるのです。私の農地の問題は、私だけの問題ではないのです。
「国策」の下、取り返しのつかない災禍をもたらした原発、これに負けない福島被災地、新基地建設と闘う沖縄の辺野古、高江、そして労働組合や市民の運動とともにがんばろうと思っています。改めて、畑の土を証拠として提出します。