羽田国際線が1・5倍に 成田、地盤沈下で拡張に走る
週刊『三里塚』02頁(0893号02面02)(2014/04/14)
羽田国際線が1・5倍に
成田、地盤沈下で拡張に走る
(写真 3月30日に国際線が1・5倍になった羽田空港)
3月30日から羽田空港の国際線発着回数が年間6万回から9万回と1・5倍になった。2010年10月に4本目の滑走路が完成し、段階的に発着枠を増やして、今回、国際線を1日55往復から80往復に増やす。就航先も17都市から23都市に広がり、7月には25都市に広がるという。
何より、従来は深夜早朝に限られていた欧州や東南アジア向けの中長距離路線が昼間も運航する。成田空港の国際線は一日約200便なので、羽田は成田の半分近くの国際線を受け入れることになる。
羽田の競争力は成田の比ではない。都心からのアクセスの良さに加え、日本各地の50都市と結ぶ国内路線網を持っている(成田は17路線)。羽田経由で国際線に乗り換える乗り継ぎ需要が大きい。
このため成田から羽田へのシフトが進み、全日空が羽田―ロンドン便を新設する代わりに成田発を運休するなど、成田の国際線は週63便も削り取られた。
成田空港会社の夏目誠社長は4月2日の入社式で「激変、激動期にあり、激しさを増す国際的な空港間競争のまっただ中に置かれている」と危機感をあらわにした。だが、成田から羽田への流れは止まらない。
48年前、都心から70㌔も離れた内陸地に、農民の反対を圧殺して強引に造った〝成田の原罪〟に苦しめられているのだ。
民営化で金もうけ主義の権化になった成田空港は、手をこまねいているわけにもいかず、LCC(格安航空会社)の誘致に活路を見いだすしかないが、それも頭打ちであるばかりか、それは住民を無視したさらなる24時間化や、無理な運航による空港労働者の労働強化・安全無視につながるもので破綻が見えている。
だが、これで成田の位置が自然に低くなり、極小化へ向かうのかと言えば否だ。そこには日帝・安倍政権の危機的な空港政策があるからだ。
日帝・安倍政権は、第1次政権時に提唱したアジアゲートウェイ構想と同様に、航空分野における成長戦略の大前提として、首都圏空港(羽田、成田)の発着枠増加に躍起となっている。その理由は、アジア全体で最低の位置に後退した日本の戦略的国際空港の位置を何としても盛り返して、空港間競争で挽回しなければという激しい危機感だ。
首都圏の国際空港は、日帝は成田と羽田を足しても年間3千3百万人。対して、仁川空港は3千8百万人、シンガポール4千9百万人、香港空港は5千5百万人。アジアで最低の位置だ。
空港間競争での挽回は、戦争と改憲攻撃を推し進めるために、アジア勢力圏化のインフラとして戦略的国際空港を整備する重要性と一体だ。だから今年度中に成田を年間30万回化して、首都圏空港全体で75万回の発着枠をもくろんでいる。
空港間競争し烈
それでも、韓国・仁川空港は2017年までに発着枠を2倍近くに拡張するといわれ、羽田、成田あわせてもやはりアジアのハブ空港たりえない。そのために国土交通省は、昨秋、首都圏空港機能強化技術検討小委員会を立ち上げ、羽田・成田の容量拡大、とくに3本目の滑走路増設を含む成田での発着枠のさらなる拡大を焦っている。東京オリンピックを最大限利用した拡張キャンペーンはこれに呼応するものだ。空港周辺住民の怒りの決起は不可避である。
成田空港は、現実に羽田に国際線を奪われながら、羽田と一体で国際競争に打ち勝とうという危機と矛盾の中にある。日帝の新自由主義政策破たんの象徴ではないか。三里塚48年の闘いが日帝を追いつめた結果であり、市東さんの闘い、裁判闘争はまさしく安倍政権との鋭い激突点にある。ここで勝利しよう。