国際労働運動の暦 7月26日 ■1945年ポツダム宣言■ 米英が対日最後通告 帝国主義とスターリン主義の戦後 世界体制の原点をなす政治的文書
月刊『国際労働運動』48頁(0466号06面01)(2015/07/01)
国際労働運動の暦 7月26日
■1945年ポツダム宣言■
米英が対日最後通告
帝国主義とスターリン主義の戦後
世界体制の原点をなす政治的文書
(写真 左からチャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連共産党書記長【1945年7月 ポツダム】)
安保国会の議論の中で、首相の安倍が「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と答弁したことが大きな波紋を呼んでいる。ポツダム宣言とは、戦後体制の原点を作ったとも言うべき文書であり、安倍が「戦後レジームからの脱却」と言うのはつまるところ、このポツダム宣言でつくられた戦後体制を総否定するというものであるから、「読んでいない」はずはない。ポツダム宣言を否定する意思を別の言葉で言ったにすぎない。それは戦争国家への転換ということである。
▼原爆を手中に対日恫喝
ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日、ドイツのベルリン郊外ポツダムに、米・トルーマン、英・チャーチル、ソ連・スターリンの3首脳が集まった。トルーマンは、すでに原爆実験成功の報を受けていた。日本の敗北がほぼ確定している中で、会談の議題は第2次世界大戦の戦後処理に絞られた。
この会談の期間中の7月26日、米、英首脳と中華民国・蒋介石国民政府主席の共同声明としてポツダム宣言が発表された。
宣言は全13項からなり、第6項以下が日本への降伏条件となっている。第5項まで、「日本国の抵抗が止まるまで」日本と日本軍を完全に壊滅する戦争を続けることを宣言している。日本の無条件降伏を求める最後通告の宣言であった。
2日後の7月28日、鈴木貫太郎内閣は宣言を黙殺し、「戦争完遂まで邁進する」と記者会見した。それは米帝にとっては織り込み済みだった。8月に入り、日本壊滅のための超ど級の攻撃、広島・長崎への原爆投下が加えられた。8日にソ連が対日参戦し、同時にポツダム宣言に参加した。
8月14日、日本政府は宣言の受諾を連合国側に通告、国民向けには翌15日に昭和天皇のラジオ放送として発表された。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で降伏文書調印が行われた。
▼この戦争の階級的性格
1931年以来の日帝の中国侵略戦争、その拡大としての対米英の太平洋戦争が、日帝の強盗的帝国主義戦争であることは言うまでもないが、同時に第2次世界大戦が双方の側からの帝国主義戦争であったことも明白である。戦後体制の前提とされている「民主主義対ファシズムの戦争」という規定は、スターリン主義による米英帝国主義擁護の規定であり、そのスターリン主義に支えられた米英帝の歴史認識になっている。
帝国主義同士の領土・勢力圏分割戦争として1914年爆発した第1次世界大戦に対して、労働者階級が蜂起し権力を握ったのがロシア革命である。労働者階級の自己解放と大量殺戮戦争の歴史に終止符を打つことが一つのことであることが鮮明に照らし出された。
ところがレーニンの死後、一国社会主義論によって世界革命を裏切ったスターリンは、国際共産主義運動をソ連擁護の運動に従属させた。
帝国主義は、1929年大恐慌による大破綻から立ち直るために、帝国主義間争闘戦を激化させ、戦争を不可避とした。これに対し、スターリン主義は帝国主義の一方の陣営に加担し、国際階級闘争に壊滅的な打撃を与えた。
ポツダム宣言は、米英帝国主義が戦後の帝国主義的世界秩序をつくり出すために発したものであり、二度と再び自分たちに牙を剥くことがないまでに日帝を弱体化させ、労働者階級の戦後革命を押さえ込もうとするものであった。階級的観点から戦争を必然とする帝国主義を根底的に弾劾しなければならない。ポツダム宣言は、日本共産党が美化するようなものではなく、帝国主義の大虐殺戦争そのものである3・10の東京大空襲や沖縄戦、原爆投下などを居直り、謳歌するものなのだ。
もとより安倍が、日帝の侵略と戦争の歴史を美化し合理化するためにポツダム宣言を否定しようとすることは、盗人猛々しいというものである。それが「戦争のできる国」をつくるための反動的な論理であることは見え透いている。
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日本の敗戦に至る経過(1945年)
2. 4 米英ソ、ヤルタ会談(~2.11)
2.14 近衛文麿、敗戦の必至と共産革命の脅威を単独上奏
3. 9 B29爆撃機、東京大空襲(~10)
4. 1 米軍、沖縄本島上陸
5. 7 ナチス・ドイツが降伏
6.23 沖縄戦での日本軍の組織的抵抗終わる
7.16 米、初の原爆実験
7.17 ポツダム会談始まる(~8.2)
7.26 米英中によるポツダム宣言発表
7.28 鈴木内閣、ポツダム宣言黙殺・戦争邁進の談話発表
8. 6 米軍、広島に原爆投下
8. 8 ソ連軍が対日参戦
8. 9 米軍、長崎に原爆投下
8.14 日本がポツダム宣言受諾決定
8.15 昭和天皇が「終戦の詔勅」放送
8.30 連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木に到着
9. 2 戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印