●特集 新ガイドライン・安保法制粉砕を Ⅱ 労働組合の破壊狙う改憲攻撃 「緊急事態条項」新設許すな 重大な「戦後70年」攻撃――戦争と改憲策動粉砕しよう

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月刊『国際労働運動』48頁(0465号03面02)(2015/06/01)


●特集 新ガイドライン・安保法制粉砕を Ⅱ
 労働組合の破壊狙う改憲攻撃 「緊急事態条項」新設許すな
 重大な「戦後70年」攻撃――戦争と改憲策動粉砕しよう

(1)侵略の歴史を居直り新たな戦争に踏み込む

 日米同盟を〝血の同盟〟へと転換した日米新ガイドラインの本質は、没落・衰退する米帝の巻き返しをかけた軍事戦略であり、とりわけ台頭する中国への軍事包囲網と朝鮮侵略戦争態勢の構築に向け、日帝を全面的に動員しようと狙うものだ。他方で日帝・安倍は、米帝との間に激しい矛盾と対立をはらみながらも、新ガイドラインに沿って「戦争する国」へと飛躍することを狙い、今国会での安保法制の強行成立から一気に改憲まで突き進もうとしている。大恐慌下の争闘戦から脱落し、株価バブル崩壊・国債大暴落が不可避となる中で、もはや日帝は戦争以外に延命の道を見いだせなくなったのだ。
 こうした中で、安倍の「戦後70年談話」と改憲策動は、日帝の敗戦帝国主義としての戦後的制約と無準備性を突破し、「戦争する国」へと絶望的に突き進むための決定的な環であり、労働者階級への重大な攻撃である。だが、これは戦後70年間、一貫して戦争に反対し、日米安保と闘い抜いてきた日本労働者階級の巨大な怒りを呼び起こさずにはおかない。
 「戦後70年談話」の狙い
 安倍「戦後70年談話」の狙いは第一に、かつて日帝がアジア諸国に対して行った植民地支配と侵略戦争敗北の歴史的事実を否定することである。戦争や「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省」と「お詫び」を明記した1995年村山談話、また旧日本軍軍隊「慰安婦」について「お詫びと反省」を明記した93年河野談話をそのままにしていては、新たな侵略戦争は戦えないからだ。だが、これは単に村山・河野談話の是非をめぐる問題ではなく、戦後の労働者階級人民が闘いの中で連綿と継承してきた「二度と戦争を許さない」という決意に対する、日帝権力中枢の許し難い挑戦であり、重大なイデオロギー攻撃である。
 第二に、対米戦争での敗北を否定し、自らを米帝と対等な帝国主義と宣言することである。「70年談話」を検討する安倍の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」の座長代行・北岡伸一は、「歴史問題の主戦場は欧米、特に米国である」とあけすけに語っている。だがそれは、米帝との対立を激化させる火種となり、日帝の危機と孤立を促進するものだ。
 第三に、そのキーワードが「積極的平和主義」である。集団的自衛権行使を容認した昨年7・1閣議決定は、「国の存立を全うする」ための武力行使は、国内外を問わずすべて「自衛の措置」として「憲法9条のもとで許容される」とした。この立場で「これまで以上に世界の平和と安定に貢献する」(2・12施政方針演説)、すなわち戦争に踏み出すというのが、安倍の言う「積極的平和主義」である。これは後述するように、戦後日本の安保・軍事政策の根本的な転換を意味する。
 第四に、したがって安倍の「戦後70年談話」は、日帝の〈戦争する帝国主義〉としての復活宣言、新たな戦争宣言である。それは超極右・安倍の個人的な見解ではなく、戦後体制の崩壊にあえぐ日帝ブルジョアジーの階級意思である。

安倍のペテン的言辞

 この間、安倍は4月29日の米上下院演説や4月22日のバンドン会議演説などで「歴代内閣の立場を全体として継承する」とくり返し、自らの「歴史修正主義者」というイメージを払拭しようとペテン的言辞を続けている。
 だが、もともと安倍は村山・河野談話を一貫して憎悪し、これらを政府見解から撤廃することを狙ってきた。2度目の首相就任前の12年8月には、産経新聞のインタビューで「河野談話、村山談話、すべての談話の見直しをする必要がある。新しい政府見解を出すべきだ」と公然と主張した。だが、その後、米紙『ニューヨークタイムズ』13年1・2付の社説が「(談話見直しは)安倍氏の恥ずべき衝動的行為」と批判したのを皮切りに、安倍の歴史修正主義は国際的な非難の的となった。日米対立の表面化と国際的孤立に焦った安倍は、以後「過去の談話を全体として継承する」というペテン的言辞をくり返し、4・29米上下院演説では「アジア諸国民に苦しみを与えた。その思いは歴代首相と変わらない」などとまったく心にもないことまで言わざるをえなくなった。
 他方、安倍がこの間くり返している「先の大戦への痛切な反省」という表現には、実は姑息なごまかしが含まれている。
 「大戦への反省」などというが、これはあたかも日帝が第2次大戦の「一参戦国」にすぎなかったかのような言い方である。だが日帝は、けっして第2次大戦の「一参戦国」などではなく、ナチス・ドイツと双璧をなす枢軸国の中心であり、アジア諸国に対する侵略者であり、最も凶暴な世界戦争の放火者であった。
 しかも日帝が行った戦争は第2次大戦だけではない。ナチス・ドイツのポーランド侵攻により大戦が勃発した39年当時、日帝による中国侵略戦争の戦火はすでに中国全土に拡大されていた。そもそも明治以来の日清戦争、日露戦争、第1次大戦、シベリア出兵、山東出兵、そして31年9・18柳条湖事件、37年7・7盧溝橋事件に始まる中国やアジア諸国への15年にもわたる侵略戦争について、安倍は片言隻句も語ることを避けている。
 そして、これらの戦争はすべて、明治以来の天皇を中心とした一握りの支配階級(大財閥や大銀行、大資本、地主など)が圧倒的多数の労働者や農民を極限的に搾取・抑圧してきた政治の継続であり、またそれと表裏一体でアジア諸国を植民地支配した政治の継続にほかならない。これこそ日帝が行った一連の戦争の階級的本質である。
 安倍が「先の大戦」などとあたかも自然災害のように主語不在で語るとき、実は戦争を引き起こした張本人、すなわち支配階級とその国家・政府の責任がまったくあいまいにされているのである。

「積極的平和主義」批判

 「戦後70年談話」と一体で、日帝・安倍の「戦争する国」への転換のキーワードをなしているのが「積極的平和主義」である。この言葉は、13年12月の国家安全保障会議(NSC)の発足と同時に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、日帝の安保・軍事政策を規定する政府見解として打ち出された。この文書は冒頭で、安全保障の基本理念として「国益を守り、国際社会においてわが国に見合った責任を果たすため、国際協調主義に基づく積極的平和主義をわが国の国家安全保障の基本理念とする」といった趣旨を述べている。
 すなわち安倍の「積極的平和主義」とは、単に「日本の平和・安全」だけでなく、「国益を守る」「国際社会で責任を果たす」ために、これまで以上に「積極的に」軍事・外交政策を展開するということだ。それは「自国の平和と安全を守る」という建前のもとで安保・軍事政策を展開してきた従来のあり方からの決定的な転換を意味する。「これからは『国益』のために、自衛隊を世界中に展開して積極的に武力行使を行うべきだ。武器輸出や軍事同盟政策も積極的に進めるべきだ」と安倍は言いたいのだ。
 さらに、この「積極的平和主義」という言葉を最初に使い出したのは、安倍のブレーンの1人でもある伊藤憲一・日本国際フォーラム理事長だと言われる。伊藤は産経新聞14年1月21日付の「正論」欄で、米国が「世界の警察官」役を降板した今、日本は「世界平和主義」の旗を揚げるべきだと主張し、安倍政権は歴代政権で初めてそこに踏み出したと絶賛した。
 つまり安倍の「積極的平和主義」とは、米帝の没落と世界支配の後退・衰退を見越した上で、日本の戦後安保政策を根本的に転換し、対米対抗的に戦争国家として台頭することを狙う宣言なのだ。
 そのことは、「国家安全保障戦略」の記述を見ても明らかだ。この文書では「わが国がとるべき国家安全保障上の戦略的アプローチ」として、「まずわが国自身の能力とそれを発揮し得る基盤を強化する」ことを挙げ、次に「日米同盟を基軸としつつ、各国との協力関係を拡大・深化させ……総合的な施策を推進する」と展開している。
 このように、日帝自身の軍事力強化を第一とし、日米同盟を「二の次」とした記述は、戦後日本の安保・防衛政策を規定する文書としては極めて異例だといってよい。
 だが、日帝のこうした戦略は巨大な矛盾をはらんだ絶望的策動以外の何ものでもない。何より米帝の没落・衰退は、それに寄りかかってきた日帝自身の危機であり、しかも米帝に代わって基軸国の役割を担える帝国主義は存在しない。その中で日帝は、一方では日米同盟の枠に縛られつつ、他方では対米対抗的な突出に自己の延命をかけるという、逃れようのないジレンマに陥っているのだ。

(2)改憲阻止決戦はプロレタリア革命のチャンス

「改憲スケジュール」粉砕

 安倍政権は2月以降、安保法制の与党協議と並行して、「16年夏の参院選後の改憲発議・国民投票」を視野に改憲への政治スケジュールを打ち出してきた。自民党憲法改正推進本部は「緊急事態条項」「財政規律条項」「環境権」の3項目の改憲を第1段階とし、2回目以降で9条を含む他の条項の改憲を狙う「2段階戦略」を取ることを鮮明にさせてきた。すでに同本部長の船田元はその線で安倍と合意したことを明かし、また同事務局長・礒崎陽輔は「来年中に国民投票までもっていきたい。遅くとも再来年の春には行いたい」と述べ、「改憲を国民に1回味わってもらう。『怖いものではない』となったら、2回目以降は難しいことをやっていこうと思う」とその狙いを語った。
 これに呼応して国鉄分割・民営化に伴う国家的不当労働行為の下手人・葛西敬之や「連合を分裂させろ」と絶叫する櫻井よしこらが中心となって「憲法改正1000万人署名運動」が始まっている。
 だが、こうした安倍・葛西らの策動は、これまで改憲の正面突破ができず、7・1閣議決定のようなクーデター的手段を続けてきたことへの焦りと苛立ちがにじみ出ている。それは何より、「国鉄分割・民営化で国労をつぶし、総評をつぶして立派な憲法を安置する」とうそぶいた中曽根以来の改憲スケジュールが、動労千葉を先頭とする国鉄闘争の不屈の継続によって根底的に粉砕されたことに規定されている。このことは、去る5月1日、新憲法制定議員同盟の会長としてあいさつした中曽根が「戦後、国会議員になったときから憲法改正を心がけてきた。長い間改正できずに日本の歴史に対して申し訳ない」などと敗北感を吐露したことにも明らかだ。追い詰められているのは敵の方だ。

「緊急事態条項」許すな

 日帝・安倍は、9条改憲への「前段」として「緊急事態条項」の導入を狙っている。
 自民党の「改憲草案」は、その第98条で「緊急事態」を「わが国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」と定義する。そして内閣が「緊急事態」を宣言すれば、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」(99条)とされ、「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、……国その他公の機関の指示に従わなければならない」(同)とされている。
 まさに戦時において、政府が憲法を停止し、労働者人民からあらゆる権利を奪い、戦争遂行がすべてに優先する体制を確立することが狙いであり、また国家権力の支配秩序を揺るがす内乱・革命を国家暴力で鎮圧するための条項である。
 現行憲法は、第9条で「戦争放棄」を規定していることと並んで、戦争と内乱に対処する戒厳令的規定が存在しないという、帝国主義国の憲法としては本来ありえない致命的な「弱点」を抱え込んでいる。安倍はなんとしてもこの点を突破しようと必死なのだ。
 したがって、これは9条改憲と完全に一体の攻撃である。日帝は「外に向かっての侵略戦争に再びうって出ることと、内乱鎮圧の体制を確立してプロレタリア革命を未然に圧殺することに、すべてをかけてきている」(『現代革命への挑戦』・上、68㌻)のだ。怒りの決起で粉砕しよう。
 このように戦争も内乱鎮圧も規定されていない現行憲法に対し、安倍は憎悪をむき出しにして「(現行憲法は)GHQの憲法も国際法もまったく素人の人たちがたった8日間でつくりあげた代物だ」「このような憲法の制定過程が問題だ」とくり返している(3月6日参院予算委での答弁など)。また、この間、自民党が作成した「改憲推進漫画」では、「日本国憲法の基をつくったのはアメリカ人」「敗戦した日本にGHQが与えた憲法のままでは、いつまで経っても日本は敗戦国のまま」などと登場人物に語らせ、米帝によって敗戦帝国主義としての地位を刻印されたことへの憎しみをあらわにしている。
 だが、安倍はそのような憲法制定過程こそが問題だと言いながら、実際にその過程を根底で規定した最大の要因、すなわち日本とアジアの労働者階級人民の巨大な戦後革命の闘いを見据えることができないのである。ここに日帝・安倍の根本的な脆弱さがあり、改憲攻撃との対決を労働者階級の怒りのゼネストへ転化する鍵がある。

ゼネストで改憲粉砕を

 日本の労働者階級は敗戦直後、全国のあらゆる職場で「雨後のたけのこ」のように続々と労働組合を立ち上げ、1945年から47年にかけて支配体制の根底的転覆をめざす巨大な闘いに立ち上がった。この闘いは、当時の組織労働者の99%を結集した600万人の大ゼネストによって、天皇と日帝支配階級を完全打倒する寸前まで追いつめ、中国革命やアジア諸国の民族解放の闘いとともに米帝のアジア支配を激しく揺るがした。
 現行憲法は、この不発に終わった2・1ゼネストを前後して公布・施行された。すなわち米帝・GHQと日帝支配階級は、この革命をなんとしても体制の枠内に抑え込むために、憲法9条を含む「左に舵を切った憲法」(GHQ民政局長・ホイットニー)の策定を余儀なくされたのである。まさに「戦後の日本国憲法は、戦後革命期の労働者階級の闘いが、革命には敗北したものの支配階級に強制した『譲歩と妥協』の産物」(『現代革命への挑戦』上、68~69㌻)であり、「戦後憲法にたいする日帝ブルジョアジーの激しい敵意と憎悪は、この憲法が、戦後革命の敗北とひきかえに彼ら支配階級に強制された、革命の副産物であったからにほかならない」(『現代革命への挑戦』下、9㌻)ということだ。
 安倍の改憲攻撃との対決の中で、戦後革命期の労働者階級の闘いをとらえ返し、今度こそ日帝打倒のゼネストと革命で決着をつけよう。

(3)改憲めぐる壮絶な階級決戦に勝利しよう

 「改憲攻撃の開始という情勢の到来は、日本の階級闘争において大きな質的転換が到来することを意味する。戦争のできる国家への転換と、労働者階級の戦争動員を可能とする階級的力関係の強制が不可避となるからだ。そもそも戦争とは、完全に行きづまった帝国主義支配階級が自国の労働者に国内階級戦争を挑むとともに、国際的に労働者同士を殺し合わせることでプロレタリア革命への道を阻み、みずからの延命を狙うものである」「だが、労働者階級の怒りはその過程で必ず爆発する。改憲・戦争攻撃こそプロレタリア革命情勢を一挙に成熟させる。闘いは、改憲攻撃の階級的性格を全人民に余すところなく暴露するところから始まる」(『現代革命への挑戦』上、68㌻)
 「改憲攻撃との闘いは、最後は〈どの階級が政治権力を握るのか〉という革命の問題に必ず行きつく。改憲阻止の勝敗は、階級的労働運動と革命運動の前進にかかっている」(同、69㌻)
 今、日帝が大恐慌下での生き残りをかけて改憲・戦争へと突き進もうとする中で、まさに労働者階級に求められているのは、国鉄闘争を先頭とする階級的労働運動の推進と国際連帯闘争の発展でプロレタリア革命の勝利へ邁進することである。この階級的な立脚点を絶えず鮮明にさせながら、壮大な階級決戦を切り開いていこう。

日本共産党と対決

 ここで重要なのは、闘いの階級的発展に敵対する一切の体制内勢力との党派闘争に勝ち抜くことである。とりわけ日本共産党スターリン主義との対決である。
 日共は機関紙『赤旗』5・4付で、NHK憲法特集番組における党委員長・志位和夫と自民党副総裁・高村正彦とのやりとりを紹介しているが、そこで志位は安保法制に対する日共なりの「反対論」を次のように述べた。
 「第一は、アメリカが、世界のどこであれ戦争に乗り出したさいに、自衛隊が『戦闘地域』で軍事支援を行うことになる」「第二に、戦乱がまだ続いている地域で自衛隊が治安維持活動を行うことになる」「第三に、日本がどこからも攻撃されていないのに、集団的自衛権を発動して、米国と一緒に海外で戦争をすることになる」
 そして、特に志位はホルムズ海峡での機雷掃海をめぐる議論の中で「(ホルムズ海峡の封鎖は)日本に対する武力攻撃があっての事態じゃないんです。そこを高村さんはごまかしている。そういう事態(日本に対する武力攻撃の事態)とはきちんと切り分けないといけない」と高村を「批判」した。
 要するに志位は、一見、戦争に反対しているように見せながら、「日本に対する武力攻撃」があった場合とは分けて考えるべきだ、その場合は日本も自衛のために武力行使=戦争することも必要だと主張しているのだ。
 志位はこの討論番組の中で、一貫して戦争の発動主体をアメリカに限定した上で、「アメリカの先制攻撃は国際法違反」「そういう無法な戦争の場合でも一緒に戦争をする……そういう無法国家への道を(日本は)歩むべきではない」と、アメリカの「先制攻撃=国際法違反」だけが問題であるかのように主張している。先制攻撃でなければ、あるいは国連決議があれば、日共はいつでもアメリカの戦争に賛成するとしているのだ。
 なぜこんなことを言うのか。04年1月17日の第23回党大会で改定された日共の綱領は次のように言う。
 「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破―日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革である」
 日共は、今なお対米従属論に立っている。対米従属論の核心は、日本が帝国主義であることを否定し、日本革命の基本的性格を日本帝国主義打倒のプロレタリア革命ではなく、民主主義革命であると規定していることだ。労働者階級を日本革命の主体として否定していることだ。
 本当の敵はアメリカであり日本政府はそれに従属しているだけであり、日本の労働者階級人民は日本のブルジョアジーと連合してアメリカと闘えということになる。これでは、労働者階級が日帝・安倍政権と闘う姿勢が出てくるわけがない。
 日共は、日帝・安倍がかけてきている日米新ガイドラインや安保法制の攻撃を、労働者階級人民にとって死活的な、生きるか、死ぬかをかけた階級決戦であることを完全に否定し敵対している。
 そもそも戦争の本質はけっして「どちらが先に攻撃したか」にあるのでも、「国際法に合致しているか」にあるのでもない。戦争とは政治の継続であり、どの階級のどんな政治がその戦争を引き起こしたのかを明らかにすることが、マルクス主義というものだ。
 今日の戦争は、世界大恐慌のもとでの帝国主義間・大国間の生き残りをかけた市場・資源・勢力圏の奪い合いが、戦争にまで発展したものである。この戦争で利益を得るのは一握りの大銀行・大資本とそれに結びついた支配者たちであり、命と生活と人間的自由のすべてを破壊されるのは圧倒的多数の労働者人民である。だからこそ、「この戦禍を終わらせ、未来を切り開くことができるのは唯一、労働者階級のゼネストとプロレタリア革命である」(『前進』春季特別号論文)
 日共のように「どちらが先に攻撃したか」を持ち出すことは、労働者階級の階級意識を曇らせ、結局は「自衛」の名による戦争の泥沼へと労働者人民を引きずり込むものでしかない。

「テロと戦え」と日共

 日共は昨年の臨時国会で、戦時下の治安弾圧法である「テロ資金凍結法」に党を挙げて賛成し、今年に入ってからは「イスラム国」による日本人人質事件などをめぐって「テロと戦え」の大合唱に加わっている。さらに「現代の赤紙」=裁判員制度の破綻に対し、あくまで制度を維持するよう自民党に要求している。戦争国家体制づくりの政治を安倍とともに推進しているのだ。
 こうした日共の敵対を打ち破り、動労総連合の全国的建設を軸に階級的労働運動の拠点建設を強力に推進しよう。6・7国鉄闘争全国集会から、安倍倒せ!7・5大集会へ、あらゆる怒りの声を大結集し、日帝打倒のゼネストを切り開こう。