●特集 辺野古新基地絶対阻止、5・15~17沖縄へ Ⅲ 民主労総ゼネスト断固支持 沖縄全島ゼネストかちとれ 戦後70年攻撃と全面対決を――基地労働者の闘いが核心

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月刊『国際労働運動』48頁(0464号03面03)(2015/05/01)


●特集 辺野古新基地絶対阻止、5・15~17沖縄へ Ⅲ
 民主労総ゼネスト断固支持 沖縄全島ゼネストかちとれ
 戦後70年攻撃と全面対決を――基地労働者の闘いが核心

(写真 トゥジェン【闘争】を訴える民主労総の代表団【14年11月2日 日比谷野音】)

(写真 嘉手納基地第2ゲート前大通りを埋め尽くした全軍労牧港支部青年部【1971年3月】)

(写真 沖縄行動団を代表して発言する日本IBM・ビジネスサービス労働組合の仲宗根光洋書記長【14年11月2日 日比谷野音】)

(1)沖縄戦―「軍官民共生共死ノ一体化」

 「復帰」43年の今年は、戦後70年=沖縄戦終結から70年である。戦後沖縄の労働者階級の闘いの「原点」でもある沖縄戦とは何だったのか。改めてとらえ返してみたい。
 「ありったけの地獄を一カ所にまとめた」ような戦闘(米陸軍省『沖縄―日米最後の戦闘』)と言われた沖縄戦を、米帝は「アイスバーグ作戦」と呼んだ。1945年4月1日付『ニューヨークタイムス』に以下の記述がある。
 「沖縄を占領すれば、台湾、中国沿岸、日本本土のすべてが、B29はもちろんのこと、中距離及び重爆撃機の攻撃範囲に入り日本占領に王手がかかることになる。琉球は海に浮かぶ最後の砦なのだ」
 「沖縄奪取、基地としての整備、沖縄諸島における制空、制海権の確保」
 一方、45年1月20日の『帝国陸海軍作戦計画大綱』には以下の記述がある。
 「皇土特ニ帝国本土ノ確保」「南千島、小笠原諸島(硫黄島ヲ含ム)沖縄本島以南ノ南西諸島、台湾及上海付近」を、「皇土防衛ノ為、縦深作戦遂行上ノ前縁」と規定し、「右前縁地帯ノ一部ニ於テ状況真ニ止ムルヲ得ズ敵ノ上陸ヲ見ル場合ニ於テモ極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且敵航空基盤造成ヲ妨害ス」とした。縦深作戦というのは、前面の敵の攻撃に対して、中枢部を縦に深く守るために防衛線を第一線、第二線と布陣することである。
 沖縄や硫黄島は「本土」ではなく、本土(皇土)を防衛する前線であった。沖縄守備軍(第32軍)の任務は、沖縄を本土として守り抜くことではなく、出血作戦によって米軍を沖縄に釘付けにし、防波堤となることであった。
 大本営は、これによって本土決戦を準備し、沖縄は「国体護持」を前提とした終戦交渉の「時間稼ぎ」の持久戦の場とされた。「捨て石」作戦と言われるゆえんである。この方針を受けて、第32軍は県民に対して、「甚大ナル戦力消耗ヲ強要」「戦意ヲ挫折サセ」「一木一草ニ至ルマデ戦力化」「軍官民共生共死ノ一体化」を指示した。
 44年10月19日、陸軍防衛召集規則が改正され防衛召集の対象を17歳から45歳までの第二国民兵のすべてに適用することとし、この新しい規則によって、10月から12月にかけて防衛召集が行われる。続く45年の1月から3月にかけても、大々的な防衛召集が行われた。
 琉球政府救護課がまとめた「防衛召集概況」によると、3月6日付の防衛召集者だけでも1万4千人にのぼっている。この資料によると、44年10月以降の防衛召集者は2万5千人以上にのぼるものと考えられる。防衛隊の死者は1万3千人以上と言われている。防衛召集は、正規の手続きを経ることなく、現地部隊が恣意的に戦場動員している事例が多い。17歳から45歳までというのは、法の建前であって、戦場になってからは15歳以下の少年や60歳以上の高齢者まで根こそぎ戦場に動員された。
 1945年6月23日には「義勇兵役法」が公布されている。この法律によって、15歳から60歳までの男子、17歳から45歳までの女子は、すべて「国民義勇戦闘隊」に編成されることになっていた。本土決戦にあたっては産業報国会なども編成替えをして、2800万人の国民義勇戦闘隊が動員されることになっていた。
 戦時立法は、ついに女性に兵役義務を負わせるところまで行き着いたのである。これは沖縄戦における根こそぎ動員が先例となった。
 「軍官民共生共死ノ一体化」、これが沖縄戦であった。「軍隊は住民を守らない」という戦後沖縄の「原点」は、深く沖縄の労働者階級の魂に刻み込まれたのである。
 戦後の沖縄の労働者階級の闘いはここから開始された。それは必然的に日帝・安倍政権の「戦争の出来る国」=戦後70年攻撃との非和解的対決となる。沖縄の労働者階級の怒りはこれからますます巨大な決起となり、安倍を打倒するまでやまない激しいものとなるのだ。辺野古をめぐる攻防の根底にはこの怒りがあることを、安倍はまったく理解できないし、理解しようともしない。ここに安倍の本質的な脆弱性がある。

(2)辺野古への新基地建設と米軍再編攻撃

 辺野古への新基地建設は、06年5月1日に合意された米軍再編の要をなす。
 この米軍再編の狙いは、米軍と自衛隊による北朝鮮・中国への侵略戦争シフトだ。そして今日の東アジア情勢は、米帝と日帝をますます辺野古への新基地建設強行へと駆り立てるものとなっている。日帝・安倍政権が言う「普天間基地の危険性の除去」など、居直り強盗の開き直りとペテンだ。
 この米軍再編では、キャンプ・コートニーの海兵隊第三海兵遠征軍司令部、第三海兵師団司令部とキャンプ瑞慶覧(=キャンプ・フォスター・宜野湾市、北谷町、北中城村)の第一海兵航空団司令部がグアムに移転される。司令部機能をグアムに移転するということの意味は何か? それは中国スターリン主義による第一撃的なミサイル攻撃の射程からはずすということだ。それは対北朝鮮侵略戦争を想定して、在韓米軍を38度線から南に下げるということと同じ意味を持つ。これを「戦略的縦深性」を確保すると言う。この考え方は、先に述べた『帝国陸海軍作戦計画大綱』とまったく同じだ。戦略的縦深性を確保するということは、「その地を戦場にする」という意味だ。
 同時に米軍が具体的に戦争に突入する時は、同時に基地で働く労働者の大量首切りとなる。基地機能の戦時体制化にともなう合理化攻撃=労働者の首切り攻撃が襲いかかることになる。
 ①まず、米軍再編では「嘉手納以南の返還」ということが言われているが、その地域で働く約3千人~4千人の基地労働者の解雇が不可避になる。辺野古への新基地建設攻撃もまた、現在の半世紀以上も経過した老朽化した基地ではなく、最新鋭のハイテク基地となり、それが意味することは基地労働者の解雇だ。
 ②「司令部移転」も労働者の首切りだけを意味する。なぜならば、実戦部隊のように戦争が終わったら帰ってくるということがないからだ。したがって司令部で働いている労働者は解雇となる。しかし、司令部が移転したとしても基地そのもの(キャンプ・コートニー)は返還されることはない。結局、労働者のクビは切られるが基地は居座り続けるということになる。
 ③米軍基地の自衛隊との共同使用の問題について、「在日米軍基地の75%が沖縄に置かれている」という数値を下げるというペテンだけではない(これ自身も許し難いが)。基地の自衛隊との共同使用、あるいは自衛隊管理となると、これも基地労働者の解雇を意味する。なせならば、自衛隊は基本的に自己完結の組織であり、米軍のように大量の労働者を雇う必要がないからだ。この間、辺野古新基地を自衛隊と共同使用するという報道がなされているが、その狙いはここにある。
 つまり、辺野古への新基地建設=米軍再編の核心的な狙いは、基地労働者の解雇=基地で働く労働者の労働組合である全駐労(全駐留軍労働組合)を解体するか、軍隊のような組織に変質させるということにある。
 戦後沖縄の労働者階級の存在と闘い、その矛盾を最も体現してきた基地労働者の闘いを解体するということは、沖縄の労働運動そのものの壊滅を狙った攻撃だ。2月22日の弾圧は、この核心問題を米帝と米軍の側から突き出した。
 われわれは、辺野古への新基地建設攻撃とは沖縄の労働者階級の闘い、労働運動・労働組合運動を巡る闘いなのだということを徹底的にはっきりさせなければならない。沖縄戦70年の労働者階級にとっての総括とは、労働運動と労働組合を甦らせることを通して、辺野古への新基地建設を阻止して、帝国主義による侵略戦争と沖縄の戦場化を阻止するのだということである。それは沖縄の労働者階級が、安倍の「戦争の出来る国」への道=安保法制粉砕の最先頭で総決起していくということだ。

(3)東アジアの国際連帯闘争の要=沖縄

 沖縄米軍基地と朝鮮・中国・アジアの労働者階級人民の歴史は一体で形成されてきた。すでに述べたように、米帝・米軍に沖縄に恒久的な基地の建設を決断させたのは、中国革命(1949年)と朝鮮戦争であった。沖縄の米軍基地は朝鮮戦争(1950~53)、ベトナム戦争(1960~75)、イラク・中東侵略戦争(1991)、アフガニスタン侵略戦争(2001~)、イラク侵略戦争(2003~)における第2次世界大戦後の米帝による侵略戦争の出撃基地であった。
 2004年に沖縄国際大に墜落した米軍ヘリも、当時米軍と激しい戦闘が繰り広げられていたイラク・ファルージャへ派兵されようとしていた海兵隊部隊の所属だった。
 帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制と、その崩壊に対する米帝の侵略戦争は沖縄の米軍基地の存在なしには成り立たなかった。
 その中で戦後沖縄の労働者階級の闘いは、その出発点から国際連帯闘争として開始された。戦後沖縄の最初の労働争議と言われる土建争議から、基地労働者の闘いを先頭とする「復帰」闘争も、そして「復帰」以降も連綿と闘われてきた沖縄闘争は、「基地の島」の現実と米軍の侵略戦争と対峙して闘われる「生々しい」国際連帯の闘いの歴史だった。
 それは沖縄の米軍基地の形成に関わる問題としてだけではなく、沖縄戦という歴史的体験と重なる具体的な米帝の侵略戦争が、この沖縄を出撃拠点として行われているということへの労働者階級としての、心の底からの怒りと屈辱であった。
 だから国際連帯闘争とは、沖縄戦と戦後沖縄を闘い生き抜いてきた沖縄の労働者階級のいわば原点であり魂だ。そして米帝・日帝と直接対峙する沖縄の労働者階級の闘いは、東アジアの労働者階級の国際連帯の要をなしている。
 世界大恐慌が「恐慌の中の恐慌」に突入し、戦争か革命かの時代が到来した。それは、新自由主義的帝国主義に対して、国際労働者階級が同じ時代認識と路線を共有して全面的に対決し勝利を切り開いていく時代の到来でもある。それはこれまでのどの時代に比べても、国際連帯闘争が一気に前進し花開く時代の到来だ。
 95年沖縄の10・21、10万人決起は、国際階級闘争の新たな時代の到来を告げ知らせた。95年とは民主労総がついに結成された年であり、日本においては動労千葉が呼びかけた11月労働者集会が始まった年であり、階級的労働運動派が労働運動の新たな潮流として名乗りをあげた年である。
 沖縄と日本、韓国と東アジアの激動期が開始された。明らかに沖縄の労働者階級はこの闘いを国際連帯闘争の中に位置づけ、そして勝利の路線を模索していた。そして沖縄の労働者階級が国鉄闘争を自らの闘いとして闘う中から新自由主義と闘う沖縄の労働運動の新たな挑戦が開始され、真の国際連帯闘争の第一歩が職場生産点からの闘いとして開始されたのである。
 2015年の沖縄闘争は国際連帯闘争の新たな飛躍をかちとる重大な決戦となった。それは何よりも、韓国の労働者階級の新たな闘いの開始である。民主労総は4月24日からゼネスト闘争に突入しようとしている。韓国は革命情勢に完全に突入した。一昨年の韓国鉄道労組のゼネストは決定的な闘いだった。そして非正規職撤廃で不屈に闘われてきた闘いがそれに結びついた。それは同時に、東アジアの激動情勢がつくり出した情勢でもある。
 しかしもっと主体的にとらえるならば、動労千葉を先頭とする階級的労働運動の新たな挑戦、とりわけ国鉄決戦の不屈の前進が韓国の労働者階級の闘いと相呼応してたぐり寄せた情勢であり、それは同時に沖縄の労働者階級の闘いと一体で生み出された情勢でもある。民主労総のゼネスト闘争は、沖縄の労働者階級自身の闘いでもある。そしてだからこそ、沖縄の労働者階級の闘いの路線と方針も鋭く問われることになるのだ。
 それは「基地の島」「非正規職の島」=新自由主義と階級的に全面的根底的に対決する路線であり方針である。それは「保革を超えた」「オール沖縄」で「翁長沖縄県知事を支える」「島ぐるみ闘争」では断じてなく、沖縄の労働者階級が労働組合のもとに団結して、全沖縄140万県民を牽引する全島ゼネストだけである。全島ゼネストとは単なる戦術ではなくて、沖縄の労働者階級が国際連帯を貫く思想であり路線だ。

(4)階級的労働運動と国際連帯闘争で、安保・ 沖縄闘争に勝利しよう!

 国際連帯を貫く階級的労働運動派はいかにして全島ゼネストを実現するのか?

国鉄決戦を基軸に

 新自由主義と闘う労働者階級の国際連帯闘争は、国鉄決戦の前進が切り開いてきた。だから国鉄決戦のさらなる前進が、国際連帯闘争を発展させ沖縄の労働運動を発展させていく一切の基礎をなす。
 動労千葉の反合・運転保安闘争路線の勝利性は、民営化・外注化と非正規職化を打ち破る階級的労働運動の新たな発展を切り開いている。そして動労水戸の被曝労働拒否の闘いは、帝国主義の「核」による階級支配を打ち破るまったく新たな労働運動として発展している。
 何よりも、新自由主義的帝国主義の危機と破綻と崩壊の中で、鉄道をめぐる争闘戦に対して、動労総連合建設を前進させ、JR体制を打倒する国鉄決戦に勝利することは、新自由主義を打倒する闘いそのものだ。
 沖縄闘争=安保・沖縄闘争のこの間の前進は、国鉄決戦の前進と沖縄の労働者階級の国鉄決戦への主体的な決起の中で実現されてきた。
 われわれは国鉄決戦を闘う中で、沖縄の労働運動の階級的な再生を、青年労働者とともに切り開いてきた。同時に沖縄の労働運動の階級的な再生にとって、国際連帯闘争の持つ意味を実践の中からとらえ返してきた。そして国際連帯闘争が沖縄の労働者階級の存在と闘いの根本に関わる問題であることを鮮明にした。
 そしてその中から、「基地の島」=「非正規職の島」の現実を根底から変革する主体としての非正規職の青年労働者の闘いと基地労働者の闘いを一体のものとして措定し新たな闘いを開始したのである。

基地労働者の存在と闘い

 基地労働者の存在と闘いこそ、沖縄闘争=安保・沖縄闘争の基軸をなす。「基地を建設し維持するのが労働者」ならば、「基地をなくすことが出来るのも労働者」なのだ。それは原発をなくすことが出来るのが原発労働者の団結した闘いであるということと同義だ。
 沖縄の労働者、とりわけ基地労働者こそが日米安保同盟の実体であり、日米安保同盟を粉砕することが出来るのは基地労働者を軸とした労働者階級の団結した闘いだけなのである。
 だから実は米帝と日帝は一貫して基地労働者の団結を突き崩そうとしてきた。全軍労―全駐労と基地労働者の団結形態をめぐって、激しい闘いが繰り広げられてきた。とりわけ「復帰」過程での大量解雇攻撃は、活動家をパージして全軍労の破壊を狙う大攻撃だった。
 それに対して無期限ストを構えた全軍労の指導部は35日目にして敵前逃亡した。牧港支部青年部を先頭とする青年労働者はストを2日間延長して闘い抜き、さらには「基地内決起」へと闘いを前進させることで、全軍労―全駐労を守り抜いたのである。
 この基地労働者を軸とする沖縄の労働者階級の闘いは、『現代革命への挑戦』の下巻で鮮やかに甦らされているが、この闘いから70年代以降の長期にわたる反動・反革命との闘い(新自由主義との闘い)に勝利してきたことが今日の闘いの基礎となっている。そして今日、われわれは体制内指導部との闘いに打って出ているが、勝利の核心はこの長期にわたる闘いに勝利してきたということにある。それは同時に、「オール沖縄」と闘い勝利する道も指し示している。
 辺野古への新基地建設強行は、先に述べたように、米軍再編=基地労働者の大量解雇攻撃そのものだ。「解雇撤回・基地撤去」の新たな闘いを国際連帯闘争の発展の中で創造的に復権していこう。

被曝労働拒否の闘い

 この基地労働者を先頭とした沖縄の労働者階級の闘いは、福島の怒りと一体だ。何よりも動労水戸の被曝労働拒否の闘いと一体の闘いだ。原発労働者が階級的労働運動派として団結して闘いを開始している。
 「原発労働者こそ、日本で最も誇り高き労働者です。原発の中に被曝労働絶対反対でたたかう労働組合を組織することが求められています。国鉄労働者と原発労働者がストライキで立ち上がったとき、『命よりカネ』の社会を根本的に変革することはできます」(被曝労働拒否をたたかう動労水戸支援共闘結成宣言から)。動労水戸支援共闘を、とりわけ基地労働者の中に広めていこう。
 ついに帝国主義とスターリン主義による戦後世界体制=核による国際プロレタリアートの分断支配を打ち破る闘いが開始された。「核」と「基地」による国際プロレタリアートの分断支配は原発労働者と基地労働者の団結した闘いで打ち破ることができることを、国鉄決戦の前進と動労千葉労働運動の実践の中からつかみ取った。原発労働者と基地労働者が職場で団結して闘うことそれ自身が国際連帯闘争でありその最先頭の闘いなのである。

非正規職の青年労働者の闘い

 同時にわれわれは、非正規職の青年労働者の新たな闘いを試行錯誤を経ながら積み重ねてきた。NTTにおける非正規職の労働組合の結成から始まり、主要産別での非正規職の青年労働者との合流と、そのなかでついに日本IBM・ビジネスサービス労働組合の結成を実現した。
 そしてこの闘いの中で、基地労働者とともに、非正規職の青年労働者が職場で団結して闘う労働組合を結成することが「基地の島」=「非正規職の島」の現実を根底から覆していく闘いであることを確信を持ってつかみ取った。
 非正規職撤廃の闘いそれ自身が辺野古への新基地建設を阻止し、沖縄の米軍基地を撤去していく沖縄の青年労働者の膨大な決起を切り開いていく唯一の道である。新自由主義=民営化・外注化、非正規職化と闘う労働組合だけが沖縄の現状変革の主体たり得るのである。

国際連帯闘争の新時代を

 沖縄の労働者階級の闘いは、この新自由主義の破綻と崩壊の時代に、東アジアと全世界の労働者階級の時代認識と路線を共有することを通して、国際連帯闘争の新時代を切り開いている。世界大恐慌と戦争の時代の到来は、この時代認識と路線の共有という現実を一気に推し進めるということを意味する。もはや国境も宗教も民族も超えた「労働者階級」という一つの軍勢が歴史の主人公として登場する時代が到来しているのである。
 基地労働者を軸に、基地労働者と青年労働者の階級的団結の力で、「基地の島」「非正規職の島」を国際連帯の島に変革しよう! 辺野古への新基地建設を絶対阻止し、すべての沖縄米軍基地の撤去へ! 日本IBM・ビジネスサービス労働組合の解雇撤回闘争をさらに発展させていこう! そして動労千葉・動労水戸とともに動労総連合を全国へ! 星野文昭さんの奪還へ、星野絵画展を水路に今年の5・15闘争で140万県民の総決起を実現しよう! 市東さんの農地を守り抜き、「農地死守・実力闘争」「一切の話し合い拒否」で闘う三里塚反対同盟と連帯し三里塚闘争に絶対に勝利しよう! 全国農民会議を沖縄に建設していこう! 
 2010年代中期階級決戦と2015年決戦は、沖縄全島ゼネストへの沖縄の労働者階級の新たな挑戦の第一年である。これこそが、「復帰」43年=沖縄戦70年の実践的総括でなければならない。
 青年労働者と学生を先頭に、2015年の4・28から5・15辺野古現地全国集会
5・16那覇国際通りデモ
5・17県民総決起大会
5・18IJBS門前闘争
の沖縄闘争に全国で総決起しよう! 沖縄の青年労働者と学生の新しい労働者の党として、革共同沖縄県委員会を建設していこう。