■News & Review 日本 4・5動労神奈川結成集会を開催 ストライキで組合員の雇い止めを撤回
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4・5動労神奈川結成集会を開催
ストライキで組合員の雇い止めを撤回
ストの威力は絶大
4月5日、横浜市内で、「生きるために団結しよう! 動労神奈川結成集会」が開催され、県内外の労働者ら172人が参加した。主催は、動労神奈川、神奈川労働組合交流センター、国鉄闘争全国運動・神奈川の3団体。参加者は動労神奈川の結成を心から祝福し、共に闘う決意を固め合った。
動労神奈川(国鉄神奈川動力車労働組合)は、2月22日、列車の清掃業務を請け負う東日本環境アクセスで働く青年労働者を中心に結成された。同労組は直ちに資本に対する雇い止めを許さない闘いに入り、2月末の解雇は阻止した。
しかし3月19日、東日本環境アクセス小田原事業所は、桑原組合員に対して、「雇い止め」を前提にした雇用契約書を提示してきた。これまで3カ月契約だったのを「1カ月契約」とし、「契約の更新はしない」と明記されている。署名・捺印すれば1カ月後の雇い止めに同意したことになる。だから、桑原組合員はこの契約書を突き返したのだ。
そして3月26~27日、雇い止め解雇阻止へ、24時間のストライキに立ち上がった。動労神奈川の組合員と動労西日本、神奈川労組交流センターなど、45人がJR小田原駅の職場門前に結集。午前8時30分、桑原組合員が「24時間ストライキに突入します」と宣言。意気高くストが闘い抜かれた。
このストの威力は絶大だった。3月30日、環境アクセス小田原事業所は桑原組合員に「雇い止めの同意を求める契約書」を撤回し、新たに「契約更新の契約書」を提示してきた。雇い止め解雇を打ち破った大勝利だ。職場と神奈川―全国のJRの青年労働者の怒りがこの勝利をかちとった原動力だ。そして、動労総連合の存在と路線がこの勝利を実現したのだ。動労千葉が生み出した反合・運転保安闘争路線のもとで闘われている解雇撤回・原職復帰の闘い、外注化阻止・非正規職撤廃の闘いがJR―環境アクセス当局を追いつめる力を発揮したのである。この勝利を武器に、JR職場で働くすべての労働者に、動労神奈川に加入することを訴えている。
感動的な結成集会
4・5結成集会は、感動的に闘い取られた。特に、当該を始めとする国鉄労働者の発言が圧巻だった。
動労神奈川から、国労に脱退届けを提出して委員長に就いた中村幸夫さんが「今の国労は本当に腐っている。私は、小田原の青年が雇い止めになることを聞き、何か助けることができないかと、一緒に闘うために委員長になった。若い労働者が本当に苦しんでいる。われわれは踏まれても踏まれても、なにくそと闘っていきたい」と語った。
桑原組合員は、「ストライキをやり、職場で、けっこうみんな声をかけてくれ、『動労神奈川ってどんな組合?』と聞いてくる。大勝利を収めたことで、うれしかった。組合員をどんどん増やしていきたい」と決意を表明した。
闘う国労原告団の成田昭雄さんが、「今日の集会には、若者が今に見ていろという根性が表れている。裁判で負けようが、共に勝つまで闘う」と渾身の訴えを行った。
全国の動労総連合から
動労総連合の各単組から青年労働者を中心に、「動労神奈川結成、おめでとう」という心を込めた発言が続いた。
動労千葉青年部の木科雄作さんは、「全国の仲間が頑張っているのを見て、自分もまた明日から頑張れる。さらに頑張れる理由が増えた。みんなに元気になってもらえる存在になりたい。4月1日に青年部の仲間が出向から本体に帰るか帰らないかをめぐってストライキを構えた。身一つで帰さないで職場ごと帰せという闘いをやり、動かせなかった。CTS(千葉鉄道サービス)では、超過勤務不払い問題で闘っている。組織拡大に向け頑張る」と報告した。
動労水戸の會澤憲一さんが「3月26日のストには参加できなかったので、何かできないかと、執行部に激布を取り組まないかと提案し、取り組んだ。何もないところから組合を立ち上げていくことは非常に力がいる。そんな中で決起した青年労働者はすごい」と発言。
照沼靖功さんは、「東労組にいる頃は、職場で闘うことは許されない、闘う人間は変わり者だと言われた。そしたら、動労水戸の人間は全員変わり者だ。労働組合として闘うのは少し変わっているくらいがちょうどいいのかなと思う。桑原君に対し、組合をつくったことに対する報復の解雇は絶対に許されない。それをスト一発やったら解雇撤回。われわれは闘わなかったら生きられないということを示している。組織拡大が一番の力だ。共に闘って組織拡大し、力を付けて資本に勝利する。それこそが労働組合の一番の力だ」と訴えた。
動労西日本の山田和広書記長は、「3月26日のストは感動的だった。一緒に組織拡大し、共に闘っていきたい。動労西日本も、中西副委員長の職場復帰妨害という攻撃があったが、4月2日付で職場復帰をかちとった。2月、3月の2波のストと裁判闘争をやり切った結果かちとった勝利だ。尼崎事故の責任をJRに取らせるために、4月25日に集会・デモをやる」と述べた。
動労連帯高崎からは、「ダイ改で、清掃は今までの2倍、3倍の過重労働になっている。労働強化で奴隷みたいなやり方は絶対許せない。籠原と小田原はどちらも始発。両方でストに入ったらどうなりますか?」と訴えた。
動労総連合本部を代表して川崎昌浩書記長(動労千葉執行委員)が、「動労総連合は、1986年11月30日に結成された。来年には30年の節目の年を迎える。動労が変質して、分割・民営化を認めていく。それに対して、動労千葉、動労水戸、動労連帯高崎が動労総連合を結成した(後に動労西日本が加わる)。動労の大改革、そして中曽根が掲げた労働組合破壊攻撃に対して小なりといえども動労の名前を守って闘う決意をした。『動労総連合を全国に』のスローガンの下に職場・地域における組織化を全力で進めていただきたい」と一層の奮起を促した。
動労水戸・辻川初代委員長が記念講演
記念講演を動労水戸初代委員長(現副委員長)、全国労働組合交流センター共同代表の辻川慎一さんが行った。
辻川さんはまず、「掃除の仕事は非常に重要だが、わずかな対価で『お前たちは掃除ぐらいしかできないのだから、掃除をやれ』と言われた時に、その人たちは掃除が嫌いになる。本当は働くことが喜びなのに、それが生きていく力にならない。自分が働くことがまったく社会から評価されない。JRはダイ改で、コンピュータでシミュレーションしたと言うが、労働者が仕事をしていることが抜けている」と、人間労働の重要性から話を始めた。そして、自身の生い立ちを語り、「貧しい中で育って、マルクス主義に出会い、世の中は階級対立の社会なんだ、労働者階級が社会の主人公になることによって社会の問題は解決されるんだということを知り、三里塚に行って、動労千葉の隊列を見て、衝撃を受けた。自分も国鉄労働運動をやる、動労千葉に続く組合をつくる、それが自分の苦悩に対する回答だった」と、国鉄に就職し、動労水戸を結成して闘った経過を語った。
辻川さんは、臨時雇用員として便所掃除などをやり、最初にもらった給料の少なさに涙したこと、組合は当初は国労で、車掌になるはずが、動労に移るために運転士になったこと、動労では直ちに青年部大会の代議員になり、動労本部カクマルと闘い、分割・民営化の直前の86年11月に、誰もが「全員がクビになる」と言われながら、動労水戸を結成し、全員がJRに採用され、不当な配属差別を受けながらも、今日まで団結を維持し、運転職場に戻って闘い抜いていること、そして、3・11東日本大震災と福島原発事故を経て、被曝労働拒否の闘いを始め、青年を組織してきたことなどを縦横に語った。
そして、「人生の転換点でどういう選択をするのか、どういう決断をするのかが非常に大事な時が来る」と、動労神奈川結成の決断の意義を明らかにし、「世の中を変えるような、すべての労働者の自信と誇りを奪還するような闘いを共に進めたい」と結んだ。
そうだ! この道をまっしぐらに突き進もう。
(大沢 康)