■News & Review 韓国 公務員年金改悪阻止へ8万人集会 公務員労組が初の未許可道路占拠デモ
■News & Review 韓国
公務員年金改悪阻止へ8万人集会
公務員労組が初の未許可道路占拠デモ
民主労総の4・24ゼネストは目前に迫った。このゼネストは、①朴槿恵(パククネ)政権の「労働者を殺す」政策粉砕、②公務員年金制度改悪阻止、③最低賃金時給1万㌆獲得、④すべての労働者の労働基本権獲得、の4大要求を掲げて闘われようとしている。この中で3月28日午後2時、8万余人の公務員労働者がソウルの汝矣島(ヨイド)公園に結集して公務員年金改悪反対闘争を行った。昨年11月1日に続く2回目のソウル集中大規模集会だ。
総決起大会の主催は「公的年金強化のための共同闘争本部(共闘本)」だ。闘争本部には公務員労組と公労総、全教組、教総など50余の公務員団体が含まれている(公労総、教総は韓国労総傘下)。
国会大妥協機構が合意ないまま終結
共闘本参加団体のうち全教組を除いた残りの団体はこの間、国会内に設けられた「公務員年金改革のための大妥協機構」に、与野党議員と一緒に参加してきた。与党・セヌリ党が財源難による「年金崩壊の危機」をあおる中、政労交渉によってその「打開策」を見いだそうというものだ。だがこの「大妥協機構」はさしたる成果もなしに、3月28日に終了期限を迎えた。
その直前の3月25日、野党第一党の新政治民主連合が突然、独自の公務員年金改悪案を奇襲的に発表した。政府・与党の主張を受け入れ、年金支給額を引き下げる一方、労働者の支払う年金保険料は大幅に引き上げるという案だ。これに対し、セヌリ党案より公務員労働者に一層の苦痛を転嫁するものだと怒りの世論が沸き上がった。公務員労組は新政治民主連合代表室の占拠・籠城にまで突入した。
公務員労組はまた緊急中執を開き、4月6~7日にゼネスト投票を実施することとした。民主労総の4月24日ゼネストと連携した本格的な闘争の準備を整えるという意味だった。
しかし3月27日、大妥協機構に参加してきた公務員団体は、新たに与野党と実務機構を構成することにした。このままでは国会の特別委員会が年金改悪を密室で強行する可能性があるので、交渉を継続するというのがその理由だ。3月28日の集会はこの状況を受けて、闘い全体が新たな局面に入ったことを示すものとなった。
大妥協機構が成果なしに終了して、最後の局面で新政治民主連合の公務員年金改悪案発表で公務員団体と与野党の関係は色あせた。最初、この日の総決起大会では与野党代表3人の発言が準備されていた。国会の大妥協機構に参加している与野党議員が映像で連帯発言をするプログラムもあった。しかし党代表及び大妥協機構議員の発言はすべて取り消された。代わりにホンジョンハク新政治民主連合政策委員会首席副議長とシムサンジョン正義党代表が舞台に上がった。
図々しくもホンジョンハク副議長はこの場で、公務員団体と一層連帯をしなければならないと強調した。ホン副議長は「政府与党の片肺年金改悪案を撤回して、満足できる改革案を作らなければならない。稜線を越えて頂上に到達するためには、私たちと皆さんの連帯をしっかりとする必要がある」「この場が私たちの大韓民国が先進国型福祉国家に進むのにおいて、社会的大妥協の礎石を用意する歴史的場になるものと確信する」と述べた。
実務機構参加めぐる意見の違いが表面化
国会大妥協機構を構成した当時、全教組は初めから大妥協機構不参加と宣言した。公務員労組内部では参加するか否かををめぐって意見が分かれた。大妥協機構が成果なく終了して、実務機構への参加をめぐり意見の違いが再び表れた。イチュンジェ公務員労組委員長はこの日の発言で、「対話」と「闘争」を並行して進めるという意志を明らかにした。イ委員長は「闘争と交渉を並行する。闘争だけをしても、あるいは交渉だけをしたからと言って私たちの年金を守ることはできず、公的年金を強化させることができない」と声を高めた。
併せて彼は3月26日の公務員労組緊急中執で決定された4月6~7日ゼネスト投票をやり抜くことを訴えもした。そしてさらに、「われわれは4月24日に公務員労組非常総会を組織して、25日ソウル市庁広場に10万の歓声を確認するだろう」と明らかにした。
イチュンジェ委員長の発言が始まると、公務員労組及び全教組所属組合員たちが舞台の前に出てきてプラカードを掲げ、「実務機構参加反対」を要求するピケッティングを行った。
一方、全教組は実務機構不参加を強力に要求した。ホンジョンハク副議長の発言を「詐欺劇」だと批判もした。ピョンソンホ全教組委員長は発言で「今日、新政治民主連合のある議員が、われわれ教師、公務員が犠牲と苦痛に耐えてくれることに感謝すると言った。今や、政府とセヌリ党に続いて新政治民主連合さえも詐欺劇をやっている」と声を高めた。
そして「訴えたい。実務機構は、公務員年金を改悪した後に公務員、教師と国民に非難を受けるだろうと恐れて、それを避けるための手口だ」「政治上の小細工である実務機構に入るのではなく、われわれの正当な闘争でわれわれの権利、国民の老後を守り抜こう」と強調した。
現在、全教組の場合、民主労総4・24ゼネストに年休闘争形式で結合するという方針を決定した状態だ。公務員労組は4月6~7日組合員投票を行うことを決定したが、民主労総4・24ゼネストと結合するかどうかは未知数だ。公務員労組は内部的に24日全国支部別非常総会及び25日ソウル都心集会などの事業計画を提出している。
ゼネストを訴えた民主労総委員長
3月28日の総決起大会でハンサンギュン民主労総委員長は、結集した8万の公務員労働者を前に、「通常の闘争では勝つことができないから民主労総は4月ゼネストを宣言した」「年金改悪を阻止するには、玉虫色の交渉で突破することはできない。政府の側も死活をかけて襲いかかっている以上、それ以上に激しい自らの生き死にをかけた労働者の怒りの爆発をもって闘い抜くしかない」と渾身の訴えを行った。
共闘本は集会の後、汝矣島公園から国会議事堂方向に向かって許可されたデモ行進を行った。さらに、公務員労組と全教組をはじめ、民主労総指導部、保健医療労組、公共運輸労組など3千人の民主労総所属組合員たちは、汝矣島公園前の8車線道路を占拠してデモ行進及び集会を行った。公務員労組が未許可の道路占拠デモを行ったのは史上初めてのことだ。
民主労総のゼネストと連帯し、闘おう。
(大森民雄)
--------------------------------------------------
●翻訳資料
移住労働者にも労働組合を
[寄稿]移住労組合法化大法院判決を要求して
チョンヨンソプ(移住労働者運動後援会事務局長)
2015年4月5日『チャムセサン』
移住労組10年、抑圧と闘争の歴史
2005年4月24日、「ソウル京畿仁川(キョンギインチョン)移住労働者労働組合(移住労組、MTU)」が当時の民主労総講堂で創立総会を開いた。講堂いっぱいに集まった100余名の移住労働者たちは2003~2004年に明洞(ミョンドン)聖堂で380余日の籠城(ろうじょう)闘争に参加した人たちだった。当時、奴隷研修制と呼ばれていた産業研修生制度の代わりに盧武鉉政府は移住労働者を労働者と認定する雇用許可制を導入して、未登録労働者たちを追い出そうと過酷な強制取締追放を実施した。これに抗して平等労組移住支部とネパール闘争団、インドネシア、バングラデシュ、フィリピンなど多くの移住労働者たちが2003年11月から2004年12月まで明洞聖堂入り口に籠城テントを張って寝食をしながら闘争した。籠城過程で移住労働者たち多数が活動家に成長し韓国労働運動と進歩運動の連帯を引き出して運動の一つの軸としての位置を占めるようになった。このような成果を引き継いで移住労組を建設した。移住労組は次のように宣言した。
〈移住労組創立宣言から〉
われわれは次のように闘争を展開していくだろう。
・労働者の基本権を保障されるために、事業場移動の自由が保障され、未登録移住労働者が全面合法化される労働許可制をかちとる闘争を展開するだろう。
・勤労基準法さえ死文化している現場で労働基本権を保障され、劣悪な労働条件を改善するための闘争を展開するだろう。
・法でさえ認定されている労働3権をかちとるために人間らしく生きるための労働者たちの組織、労働組合を死守して強化することができるように闘争を展開するだろう。
・全国の40万移住労働者たちをひとつの労働組合に組織して、韓国の労働者たちとひとつになり肩を組んで闘争していくだろう。
しかし移住労組は結成時期から試練を経た。初代委員長に選出されたアヌワル・フセイン委員長は5月14日深夜1時頃、トゥクソム駅出入り口で出入国取締班に暴力的に連行され全州(チョンジュ)外国人保護所に閉じ込められた。彼は1年余の期間拘禁されて健康悪化(憂鬱症、記憶障害、食事障害等)、国家に対する損害賠償裁判等を理由に一時保護解除され、再び労組委員長活動をしていたが、2007年8月にバングラデシュに帰った。
2007年11月27日にはカジマン・カプン委員長、ラジュ・クルン副委員長、モニルジャマン・マスム事務局長が同時に他の場所で標的取締を受けて12月13日に出国させられた。移住労組は即刻籠城に突入して99日間闘争した。2008年4月に選出されたトルノ・リンブ委員長とアプトス・ソブル副委員長は5月2日に再び標的取締を受けて5月15日に出国させられた。2009年7月に移住労組総会で初めて雇用許可制地位を持つミシェル・カトリア氏が委員長になったが、政府は彼に対しても黙っておかなかった。労組活動を目的に「虚偽就業」したとして出入国管理局が2011年にビザを剥奪したのだ。これも委員長ということを理由にした標的弾圧だった。労組で闘争をして訴訟を起こし、行政法院一審では勝訴したが、高等法院と大法院では敗訴した。このような指導部標的弾圧以外にも幹部、組合員たちに対しても持続的に取締と追放が行われた。
このような激しい「根絶やし」弾圧があったが移住労組は未登録移住労働者取締追放に対する反対闘争、麗水保護所火災惨事糾弾闘争、出入国管理法改悪阻止闘争、磨石大規模取締事態対応闘争、G20首脳会議を口実とした移住民弾圧に対する籠城闘争など、政府の野蛮な移住労働者政策を糾弾して移住労働者の権利を援護する活動を持続的にしてきた。最近も事業場変更指針改悪撤回闘争、退職金制度改悪撤回闘争などにおいても他の団体らとともに最先頭で活動している。
設立申告さえ拒否した政府、8年たっても判決を避ける大法院
2005年5月3日に移住労組は記者会見を開催して移住労組の設立を知らしめ、合法的な労組として労働部に設立申告書を提出した。しかし、5月9日にソウル労働庁は申告書の補完を要求したのだが、一般的に労組設立申告に含まれない事項だった。すべての組合員と所属事業場の名簿を出せというものだった。当然に労組はこれを拒否して、労働部は6月3日に「不法就業外国人は労働3権行使の主体と見ることはできない」として設立申告書を突き返した。移住労組が補完資料を提出せず、労組加入資格がない不法就業外国人を主たる構成員にしているというものだった。これに対して移住労組は設立申告受付拒否取消訴訟を提起して2006年2月、一審判決では敗訴、2007年2月、高等法院では勝訴した。「不法滞留外国人も労働組合結成、加入が許容される勤労者に該当する」と判決したものだ。実際、この問題はとても単純で、国際法的にも国内法的にも当然に保障されている。すなわちいかに未登録労働者であっても勤労を提供してその勤労に対する賃金収入で生きていく労働者であるから、彼が帰国したり追放されるまでは労組を作ったり加入することができるのだ。勤労基準法が適用され、労働災害も申請することができ、遅配賃金に対して陳情もすることができるなど、一般労働者とまったく同じ立場であるので労組結成の如何だけを例外に置く理由がない。だからILO(国際労働機構)、国連などでさえ持続的に政府に勧告しているのではないか。
ILO理事会が移住労組に関して韓国政府に出した勧告
323次ILO理事会(2015年3月12~27日、ジュネーブ)が採択した374次結社の自由委員会報告書から
(a)移住労組設立申告に関して移住労組に有利に下されたソウル高等法院の判決に対して政府が提起した上告が8年間係留されているという点を糾弾し、委員会は再度移住労組の地位に関する大法院の判決が、移住労組設立申告受付拒否は移住労組幹部及び組合員に対する標的取締を同伴してきたという点を充分に考慮して、これ以上遅滞なく下されることを望む。この間、委員会は政府が委員会の結論、特に移住労働者たちの結社の自由についての権利に関する部分を大法院が検討することができるように大法院に提出し、大法院判決が出されたら判決文写本を委員会に提供することを促す。
(b)委員会は再度政府がこの結論に照らして移住労組設立申告のため遅滞なくすべての努力を傾けることを望みこれに対する細部事項を提供することを要求する。
(c)移住労働者たちが団結権を実質的に否定されている深刻な状況で委員会は政府がこのような状態に関する深い検討を関連労使団体と協議して実施し、これをとおしてすべての移住労働者たちが自身の滞留資格に関係なく結社の自由原則に合わせて結社の自由についての権利と団体交渉権を全的に保障されるようにして、移住労働者たちが受けている問題に関して交渉を土台にした回答を求めることができる手段として関連労使団体と対話を優先視することを再度促す。委員会は再度これに関する進捗状況を知らせてくれることを要請する。
このような状況でも政府は上告を撤回せずにおり、大法院は8年が過ぎても判決を出さずにいる。2005年労組結成の時にも「時期尚早」だと政府と主流マスコミは口をそろえて反対したのだが、10年がたった今、その時期はいったいいつになるのか聞いてみたい。
合法化判決を促す
政府が続けてきた戦略は、移住労組を法的に認定せず判決をずるずる引っ張って、その間に移住労組を枯れ死させる卑劣で野蛮なものだった。しかし移住労組はあちこちに生き残り粘り強く活動をして、移住労働者の権利改善の先頭に立っている。
これ以上、社会の雰囲気、時期尚早を云々して合法化判決を遅らせてはならない。政府はいわゆる多文化社会を言い、移住民と内国人の調和した共存を言うが、むしろこの十余年間移住労働者を抑圧し、内国人と分離・分別してきたのは政府だった。労働力だけ干し柿のように食い尽くそうとして無権利状態に放置して、ずっと移住労働者を社会の最下層に固定させて差別を受ける集団にしてきたのは政府なのだ。けれど、むしろ政府が言う社会統合や多文化共存を成し遂げるためにも、移住労働者たちが集団化、組織化されて自らの権利と社会的地位を向上させる活動を行うことが最も重要だ。だからこそ韓国社会が健康に影響を受け、与えながら変化・発展をすることができるのだ。それが民主主義の進展でもある。そうでなく一方で同情と恩恵授与、一方では搾取と排除にのみ一貫するならば、葛藤はより一層大きくなるだろう。10年後のことを考えて見ても、国際結婚家庭の二世たちが成人になった時、依然として貧困と社会的差別に苦しむ状況であったらどんなことが発生するか予想さえつかない。
今年の年末になったら滞留移住民が200万人になると言う。政府は観光客と投資者、専門職だけを好むが、移住民の大多数は労働者と結婚移住民、中国同胞たちだ。政府の望みとは異なりこれらの人たちの数が増えていく可能性が高い。移住労組合法化をとおして移住民たちの平等な権利を保障することが、この「移住の時代」により多くの肯定的可能性を開いてくれるのだ。