特集 新自由主義に反撃する中東の労働者 労働組合の国際連帯で中東侵略戦争を阻止しよう Ⅱ 第二革命に向かう展望示す――不屈に前進するエジプト労働者

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月刊『国際労働運動』48頁(0461号03面02)(2015/02/01)


特集 新自由主義に反撃する中東の労働者
 労働組合の国際連帯で中東侵略戦争を阻止しよう Ⅱ
 第二革命に向かう展望示す――不屈に前進するエジプト労働者



(写真 ストに突入したヘルワン鉄鋼工場の労働者たち【2014年11月))


 今日のエジプトでの労働者階級の闘いは、新自由主義と全面的に対決し、プロレタリア革命を実現する闘いとして発展している。軍部主導の現政権を打倒し、新自由主義政策を粉砕する以外に生きることさえできないことをエジプトの労働者階級は2011年2月革命以来の闘いのなかで確信するに至った。

新自由主義政策がもたらした現実

 プロレタリア革命を実現するまでやむことがないエジプト労働者階級の闘いがいよいよ本格化し始めている。
 エジプトは1985年に深刻な経済危機に陥るなかで、そこからの脱却のためとしてIMF(国際通貨基金)に経済援助を依頼した。IMFと世界銀行は構造調整政策を提示し、これを受け入れることを条件に経済援助を開始するとした。構造調整政策の内容は、貿易自由化、外資導入、民営化、財政赤字の削減などであった。エジプトは91年以降構造調整政策に本格的に着手し、これによってエジプトでは91年から2001年の間に民営化の対象とされた国営企業314企業のうち184の国営企業が民営化された。特に90年代後半以降には、米欧などの外資は一斉にエジプトに進出して国営企業を買収した。80年代中ごろまでは国営企業がエジプトの国内生産の90%を占めたが、この過程で生産の75%が民間企業で行われるようになるほど劇的な変化が起きた。
 これらの外資は、経営効率を高め利潤を増大するために、「非効率」「余剰労働力」とされた労働者を大量に解雇した。エジプトでは87年から98年の間に100万人以上の労働者が解雇された。また新規雇用が制限されたため、毎年100~150万人の学卒者が労働市場に流入するのに、これらの青年労働者は国内で雇用を確保することができず、失業者となっていった。こうして2010年には、青年労働者の失業率は政府のでたらめな統計では20%程度とされているが、統計専門家によれば、実際の青年の失業率は40%を超えていたといわれる。そして全失業者の74%が30歳以下の青年労働者であった。
 国営企業を買収して営業を開始した外国企業は、利益を本国に送金し、エジプト国内への再投資を最小限に抑えた。またこれらの企業では労働組合を認めず、労働者は非正規労働者として雇用され、低賃金と劣悪な労働条件を強制された。このため、エジプトの労働者人民は民営化によって恩恵を受けるどころか、失業と所得の減少、雇用の不安定化などに苦しめられた。同時に新自由主義政策の下で教育・医療・社会福祉などへの財政支出が削減され、これらの部門で働く労働者の賃金は大幅に低下し、労働条件も悪化した。唯一ムバラク一族などの汚職と腐敗にまみれた一部の支配階級のみが国家の財産を外資に売却する過程で莫大な資産を蓄積した。こうして新自由主義政策の導入で貧富の差は極端に拡大していった。
 他方で国内農業の崩壊でエジプトの食糧自給率は40~50%にまで低下し、食糧輸入量を増大させざるを得なくなった。これによって貿易赤字は年々増大した。エジプトは貿易赤字を補填するために、緊縮財政を強化する一方で、外国からの借金を増大させていった。2010年度には対外累積債務は300億㌦に達した。
 さらに08年以降の世界的な金融危機の拡大とそのエジプトへの波及によって、民営化や合理化は一層拍車をかけられ、労働者人民の生活状態は極限的に悪化した。

エジプト革命圧殺狙う軍部

 2011年のエジプト革命はこのような新自由主義政策の矛盾の爆発のなかで、労働者人民が決起し、ムバラクの新自由主義政策を根本的に粉砕する革命として実現された。
 だが、その後の革命の成果を簒奪しようとした軍部による暫定統治期間を経て、2012年6月に成立したムスリム同胞団のムルシ政権は、新自由主義政策を転換するどころか、むしろムバラク政権以上に激しく新自由主義政策を強化した。エジプト革命の過程で低落した生産の回復のためという口実で労働者の正当な権利を要求するストライキや労働争議は、エジプトの経済発展を阻害する反革命行為としてムバラク時代以上に厳しく弾圧され、賃金の低下と労働条件の悪化は急速に進んだ。さらにその上にムルシ政権はIMFなどから融資を受けるための緊縮政策を打ち出し、食糧や燃料への補助金の削減、医療保険や社会保障の削減などを推進しようとした。
 労働者人民はこのようなムルシ政権に対し、ムバラクに対する以上の怒りをたたきつけ、2013年前半には巨大なストライキの嵐でムルシ政権打倒の闘いに決起した。
 労働者の力によるムルシ政権打倒が不可避となった情勢下で、ムルシ政権の成立と新自由主義政策の継続を歓迎してきた米帝は政権を軍に渡すことを決断した。米帝は軍部クーデターによるムルシ政権の打倒という形をとって、労働者革命によるムルシ政権打倒という事態を阻止し、エジプトにおける新自由主義政策の継続を図ろうと狙った。エジプト軍部は、米帝と協力して反ムルシの大衆運動「タマルド」を組織し、大衆の要求を軍部が実現するかのように演出しながら、2013年7月3日にクーデターに訴えてムルシ政権を打倒した。
 だがその結果はどうであったか。軍部主導の現政権は結局、ムルシ同様の新自由主義政策をさらに強力に推進し始めたのだ。しかも、軍部はクーデター後にムスリム同胞団の徹底した軍事的弾圧で1400人以上を虐殺した上に、数万人を投獄し、2014年12月までに1397人に死刑判決を下すことによって、新自由主義政策に対する労働者のいかなる抵抗闘争も許さず、暴力的に弾圧する決意を労働者階級に突きつけた。
 このような労働者階級に対する脅迫と、軍部クーデターを容認した「左翼」勢力の混迷、2011年のエジプト革命において重要な役割を果たした独立労組連盟の多数派による軍部支持政策と内部分裂などによって2013年7月から2014年2月までは労働者階級の闘いは沈滞局面に入った。
 しかし、軍部主導の現政府が財政危機と大恐慌下での緊縮政策をとり始めると、労働者階級は再び反撃の闘いに立ち上がった。

労働者階級の生きるための闘い

 エジプトでは、大恐慌下で輸入製品の価格が急騰した上に、食料品・燃料などの補助金の削減、インフレ高騰、医療、年金など基本的サービスの崩壊や、賃金の未払いなどが全面化するなかで労働者階級は生きるための闘いに猛然と決起し始めた。2014年2月には最低賃金制度(月に約75㌦)を公共部門だけでなく、民間部門にも適用することを要求して25万人の労働者がストライキに突入し、この闘いでベブラウィ首相は打倒された。2月の労働者の大規模ストライキ闘争は2013年7月に軍部がクーデターを起こして以来初めてのストライキ闘争であった。
 国営繊維会社でも2月には全国の4万5000人の繊維産業の労働者がかつてない規模で工場占拠や連帯ストライキ、抗議行動に立ち上がった。そしてこの大衆的で全国的に連携した闘いの中心には2011年のエジプト2月革命の原動力となったマハラの2万2000人の繊維労働者が屹立し、この歴史的な繊維労働者のストライキの口火を切った。マハラの労働者は再び革命の牽引車として登場したのだ。
 この闘いに呼応して全国の医師や看護師、薬剤師の組合員の半数が賃上げや労働条件の改善を要求してストライキに突入した。5万人の郵便労働者、公共交通、清掃部門の労働者もストライキに立ち上がった。
 1月にはわずか50件の争議が記録されているのみであったが、2月以降のストライキの爆発で、2014年第1四半期には1420件の争議が記録されている。この数字を見ても2月が労働者階級の闘いの決定的転機となったことがよくわかるであろう。

自主生産闘争の開始

 3月には民営化されたが、利益が上がらないとして資本家が生産を停止したり、経営を放棄したため労働者が賃金をもらえない状態になっていた元国営の中東製紙会社やタンタ亜麻油会社などで労働者による自主生産闘争が始まった。2011年以来、裁判所は植物油や繊維などの民営化された元国営企業の民営化無効の判決を次々と出して、これまでに七つの会社に関して労働者側の再国有化要求を認めたが、政府は再国有化をサボタージュし続けた。
 このため労働者は生きていくために、自分たちで生産計画をたて、在庫の原料を使って生産を開始した。だが、労働者による自主生産も政府は認めず、工場への電気の供給をカットしたり、警察部隊を派遣して工場を封鎖したりして妨害した。原料の在庫もあり、機械も正常に稼働しているので労働者が生活するためには十分な利益が上がるのに、再国営化を拒否して、労働者の生きるための闘いを妨害する政府と資本家に対して、民営化された元国営企業の労働者たちは激しい怒りを燃やしている。

続発する大規模スト

 2014年の労働者階級の闘いの第2波は10月から11月にかけての繊維労働者と鉄鋼労働者の大規模ストライキとして爆発した。
 アレキサンドリア繊維会社の数百人の労働者たちは9月から3週間にわたって、賃金とボーナスの未払いに抗議する闘いに入った。経営側は2カ月間にわたって労働者に賃金を渡さず、事前に約束されていたボーナスの支払いも拒否したため、労働者は家賃も食費も支払うことができなくなった。この不当な行為に抗議するために、9月14日労働者たちは街頭デモに打って出た。これに対し警察は「住民に対するテロ行為」だとして、数百人のデモ隊に対して、催涙ガス弾だけでなく、散弾銃や小銃の実弾でデモ隊を襲撃した。この弾圧で6人の労働者が散弾で負傷し、7人が小銃弾で負傷した。また14人の労働者が逮捕された。
 このような激しい弾圧にもかかわらず、労働者たちは屈服せず、その後も闘い続けている。9月末からは、労働者たちは賃金が支払われるまで生産物を工場から搬出するのを阻止する行動を開始した。これに驚いた経営側がとりあえず8・9月分の賃金の支払いを提案したが、労働者たちは未払い賃金の全額プラスボーナスの支給を断固として要求して会社側の提案を拒否した。10月1日にも労働者たちは街頭デモを計画した。経営側は再び治安部隊の出動を要請し、工場を包囲させて労働者のデモをかろうじて阻止した。
 10月にはエル・ナス・コークス・化学薬品会社の労働者6000人がストライキに突入した。このストはこの業種のストとしては最大規模のものとなった。
 11月には22日からエジプト最大のヘルワン国営エジプト鉄鋼会社の労働者1万2000人がストライキに入った。要求項目は利益配分ボーナスの支給と会社の社長の解任であった。会社側は、経営が赤字であるとして、その責任を労働者に転嫁した。だが、経営者の経営の失敗や無能と燃料不足による稼働率の低下が赤字の原因であり、経営者の主張するような労働者の争議行為が原因ではない。経営者は争議を指導しているのがムスリム同胞団のメンバーだというデマを流し、警察の介入を引き出そうとさえした。
 これに対し工場労働者のリーダーたちや活動家は、14年初めから大規模ストライキを組織する活動を展開した。この工場が国営工場であるため、御用組合エジプト労働組合連合(ETUF)の傘下にあり、労働組合の指導部は体制内派であった。このため、この工場の労働者たちは組合幹部ではなく、自分たちで指導者を選び、独自にビラを作って配布し、各部署にオルグに入ってストライキを組織した。会社側との交渉も組合幹部ではなく、労働者たち自身が行ってきた。こうして万端の準備を整えた上で、11月22日に強力なストライキに打って出たのだ。
 エジプトの国営鉄鋼企業13社は、持ち株会社エジプト金属産業ホールディングの管理下にあるが、ヘルワン鉄鋼会社の労働者は13の企業の労働者にもともにストライキに入ることを呼びかけて闘った。こうして労働者たちは生産を完全にストップさせただけでなく、生産された鉄鋼の運び出しも阻止した。
 ストライキは会社側との交渉のため11月末から12月5日まで中断されたが、12月6日には再開された。労働者のリーダーたちは、「生産阻害行動を行い、国家経済に打撃を与えている」として逮捕され、軍事法廷に送られる可能性が高いにもかかわらず、政府や会社側からの恫喝に屈せず闘いをさらに強固に組織しようとしている。

第二革命の展望を示す闘い

 このように現在のエジプト労働者階級の闘いは、大恐慌と軍部による民営化政策の破産という情勢下で、労働者自身が生きていけないという現実を突破するために文字通り底辺から激しい勢いで立ち上がる段階に入った。
 マハラの繊維労働者やその他の国営工場の労働者の闘いを軸にしながら、最近では民間の労働者階級の決起が次第に目立つようになっている。民間の労働者は国営工場の労働者の闘いに刺激され、学びならが急速に戦闘力を高めてきている。
 2011年2月のエジプト革命以来、これらの労働者階級の闘いは、国家警察や軍部と真っ向から対決しながら、その組織と指導部をしっかりと守り抜き、これまで一度も壊滅的打撃を受けずに連綿とした闘いの伝統を維持している。現在の軍部でさえも、この労働者階級の団結を突き崩すことができていない。軍部支配の下で多数の労働運動の指導部が逮捕され、拷問され、投獄されているが、エジプトの労働者階級はそれに負けない強さを発揮して闘い続けている。また独立労組連盟というエジプト革命で重要な役割を果たした労働組合が体制内派によって侵食されているにもかかわらず、その傘下の労働組合は依然として戦闘的な闘いを継続している。
 われわれはこのような労働者階級の闘いの発展のなかにこそ、第二のエジプト革命の展望を見てとることができるのである。