■国際労働運動の暦 1月17日 ■1968年佐世保エンプラ闘争■

月刊『国際労働運動』48頁(0460号06面01)(2015/01/01)


■国際労働運動の暦 1月17日
 ■1968年佐世保エンプラ闘争■

(写真 機動隊と角材で闘う全学連【1968年1月21日】)

原子力空母寄港許さず 10・8羽田闘争引き継ぎ労働者の決起とともに闘った10日間の闘い


 1968年1月の米海軍原子力空母エンタープライズの佐世保寄港に対する闘いは、70年安保闘争の中で重要な位置を持った闘いだった。前年の佐藤首相南ベトナム訪問に対する10・8羽田闘争は、山崎博昭さんの死を賭して闘われた。
 政府権力の事後弾圧、マスコミから日本共産党に至る非難の嵐が集中したが、労働者人民にもたらした衝撃は未曽有のものだった。
 10・8から1カ月後の11月12日、今度は佐藤の訪米に対する「第2の羽田闘争」が激しく闘われた。
 11月、政府は原子力空母エンタープライズが長崎県佐世保基地に寄港することを承認した。ベトナム参戦国化・核武装の攻撃である。ベトナム戦争の渦中に、こともあろうに被爆県長崎に核空母が寄港するとは! 多くの労働者人民の怒りの声が沸き上がった。全学連は直ちに佐世保現地闘争を決定し、正月返上で闘争態勢を組んだ。「佐世保を第3の羽田に」を合言葉に闘いが組織された。
▼急行「西海・雲仙」
 東京では法政大学に泊まり込んだ首都圏の学生が1月15日朝、隊列を組んで法大を出発したが、飯田橋駅手前で機動隊が阻止線を張り、「全員逮捕」を号令して襲いかかってきた。逮捕者135人。それを突破した学生は、ばらばらに東京駅に向かい、午前10時30分発の急行「西海・雲仙」号に乗り込んだ。静岡、京都、大阪、広島など途中駅から地方の学生が次々乗り込んで合流した。さながら全学連列車と化した。
 当時は急行で東京―博多間が20時間以上かかった。博多到着が16日午前6時45分。この駅構内でも機動隊と衝突となった。部隊はデモで九州大学教養学部に向かった。九大当局は学生の要求を入れて開門した。以後ここが連日の佐世保闘争の出撃拠点となった。
 17日早朝、全学連は再び「西海・雲仙」で佐世保に向かった。佐世保駅に到着すると、部隊は直ちに平瀬橋方向に進撃、平瀬橋で阻止線を張る機動隊と激突した。機動隊は、催涙弾で攻撃、それにひるまず進む学生に警棒の乱打が加えられた。「核空母入港阻止」の反戦の意志をたぎらせた学生の不屈の進撃に佐世保市民は一挙に味方になった。学生は終始戦闘的に闘い抜いて博多に戻った。
 18日、19日と連日博多から佐世保に登場して、機動隊との激戦が闘われた。
 そして21日、この日は全国実行委(社会党系)・中央実行委(日共系)合同の2万人集会が行われた。日本共産党は、会場の松浦公園入り口にスクラムで阻止線を張って、全学連の入場を拒もうとした。連日の全学連の姿を見てきた多くの労働者市民は大反発、逆に日共の部隊をごぼう抜き排除する闘いとなった。
 全学連はこの日も佐世保橋上で果敢に闘い、その日夕方の干潮時に佐世保川を渡って、対岸の米軍基地に至り、2学生が塀を乗り越えて基地に突入した。
▼日放労長崎の労働者も
 当時の長崎は、NHKの労働組合・日放労や長船(ながせん)社研(長崎造船社会主義研究会)の労働者など、革命的左翼の労働者が闘いの先頭に立っていた。
 日放労長崎分会(鈴木達夫委員長)は、10・8羽田の衝撃を受けて論議を深め、10・21反戦闘争を闘う中でNHK長崎反戦青年委員会を結成、翌68年は元日からエンプラ阻止のデモを敢行した。「取材に行くべきか、デモに行くべきか」を真剣に議論した。完全に体制の武器になってしまっているNHKの中で、多くの労働者が、その報道の一歯車に動員されるのではなく、それを拒否して一労働者として立つことを選択した。
 こうして、休暇闘争をフルに使い、佐世保闘争中に延べ60~70人が佐世保闘争に参加した。こうした闘いに対する攻撃として、その年8月に鈴木分会長らに対する強制配転攻撃が起こり、それに対する100日を超える長期配転阻止闘争が爆発するに至る。
 佐世保闘争は、その後の反戦青年委員会の戦闘的発展にとって、決定的な位置を持っている。
-----------------------------
1968年1月の佐世保エンプラ闘争

1. 6 全学連主流派、全国一斉総決起集会
1.15 飯田橋事件。全学連大量逮捕される。急行「西海・雲仙」で博多に向かう
1.16 博多駅に到着。博多駅事件。全学連、九州大学に入る
1.17 佐世保に登場、平瀬橋上で機動隊と激突。佐世保の労働者・市民が全学連に加勢
   九大教養の学生1000人が福岡市内デモ
1.18 佐世保市営球場でエンプラ阻止5万人集会。全学連、佐世保橋上で労働者とともに闘う
1.19 エンプラ入港。全国反戦、地区労など座り込み
1.20 東京反戦青年委5000人が首相官邸、米大使館にデモ
1.21 2万人集会。全学連排除を試みた日共を労働者が武装解除。全学連、基地突入
1.23 エンプラ出港
1.24 全学連、東京駅着。八重洲口で2000人の歓迎都民集会
1.31 佐世保闘争報告日比谷集会に6000人