■国際労働運動の暦 1915年9月5日 ■ツィンメルワルト会議■ 第1次大戦下の闘い 「帝国主義戦争を内乱へ」を掲げて 社会排外主義者と闘ったレーニン

月刊『国際労働運動』48頁(0456号07面01)(2014/09/01)


■国際労働運動の暦 1915年9月5日
 ■ツィンメルワルト会議■
 第1次大戦下の闘い
 「帝国主義戦争を内乱へ」を掲げて
 社会排外主義者と闘ったレーニン


 ツィンメルワルト会議とは、第1次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)に対して、第2インターナショナルがそれまでの戦争反対の姿勢を崩し、帝国主義の戦争翼賛に転落した中で、スイス社会党のグリムらによって1915年9月に招集された国際社会主義者会議である。会議自体は不十分なものに終わったが、レーニンを始め左派(ツィンメルワルト左派という)の結束がつくられ、ロシア革命後の第3インターナショナル結成(19年)への礎(いしずえ)になったと言える会議である。

▼第2インターの崩壊

 帝国主義の強盗戦争としての第1次世界大戦の勃発は、第2インターナショナルに結集するすべての国の社会主義政党をふるいにかけるものだった。それまで言っていた「戦争反対」が本物であるかどうかが試された。最大の党だったドイツ社会民主党は、戦争勃発直後の国会で戦時予算に賛成して戦争協力者に転落した。社民党は、12年の帝国議会選挙で35%・110議席を獲得し、第1党になった。それだけの力を持つ党が、戦争が始まると一挙に戦争翼賛勢力に転落したのだ。一方、ロシアでは社会民主労働党の5人の国会議員は戦争予算に反対して裁判にかけられシベリアに流刑(るけい)された。
 第2インターナショナルは、07年のシュトゥットガルト大会でも、10年のコペンハーゲン大会でも「戦争勃発を阻止することに全力を尽くす」と確認していた。12年のバーゼル大会の宣言も、反戦闘争、反帝国主義闘争、自国政府との闘いを呼び掛けていた(レーニンは「第2インターの主要人物たちはこの中に用心深く触れないようにしている個所がある」と言っている。それは「来たるべき戦争こそがプロレタリア革命と結びついているのだ」ということを克明かつ直截に述べた個所である、と)。
 だが、バーゼル大会に参加した第2インターナショナルの主要な政党が実際に戦争が始まると次々と祖国擁護を唱えて戦争協力に転落した。レーニンは、「第2インターナショナルの崩壊」と断じて、これとの全力を挙げた闘いに突入した。そして15年9月に、スイスのツィンメルワルトで開かれた国際社会主義者会議に参加して国際主義者の結集と新たなインターナショナルの結成を呼びかけた。この会議にはドイツ、スイス、イタリア、フランスなどヨーロッパ10カ国から38人の代表が参加した。
 この会議でレーニンは帝国主義戦争に対する革命的労働者の立場を鮮明に提起した『社会主義と戦争』を配布した。レーニンはこの戦争が「賃金奴隷制を永久化するための奴隷所有者たちの戦争」であり、どちらの側からも「祖国擁護」をうんぬんするものは人民に対するブルジョアジーの欺瞞(ぎまん)であると断定し、自国の敗北、プロレタリア革命を訴えた。
 しかし、革命的祖国敗北主義と「帝国主義戦争を内乱への転化」のスローガンを強調するレーニンら左派の決議草案は12対19で否決された。レーニンらは、採択された宣言は「不徹底さと臆病さという欠陥がある」と指摘し、社会排外主義、カウツキー主義、日和見主義の潮流と和解することはできないと断言した。

▼勝利の総括

 レーニンは、この会議で多数派になることはできなかったが、この会議で「自分の方針が成功したことで力づけられている」と勝利の総括をした。
 何よりもレーニンはロシアの労働者階級の圧倒的多数に支持されていると強調した。「プロレタリア・インタナショナルのますます広範な、そして優秀な部分がわれわれの基本的思想に同調している」とも力説した。
 国際社会主義者会議は、16年4月キンタールで、17年9月スウェーデンのストックホルムで開かれ、次第にツィンメルワルト左派は力を伸ばした。「帝国主義戦争を内乱へ」のスローガンは、ロシアで17年10月革命として実現され、文字通り世界革命を切り開くものとなった。

(写真 第1次大戦における西部戦線で機関銃を構えるイギリス軍)



第1次大戦と第2インターナショナル
1907年 8月 第7回シュトゥットガルト大会、戦争反対決議
1910年 8月 コペンハーゲン大会でも戦争反対確認
1912年 1月 ドイツ社民党が帝国議会選挙で35%の得票、第1党に
      ボルシェビキがプラハ協議会
   10月 バーゼル大会宣言
1914年 7月 第1次世界大戦勃発
    8月 ドイツ社民党が国会で戦時予算賛成投票
      ロシア国会でボルシェビキ議員らが戦争反対声明を発し逮捕・シベリア流刑
1915年 9月 ツィンメルワルト会議
1916年 4月 キンタール会議(スイス)
1917年 2月 ロシア2月革命
    4月 レーニン、4月テーゼ
    9月 ストックホルム会議(第3ツィンメルワルト会議)
   10月 ロシア革命
1919年 3月 第3インターナショナル結成