●特集 米帝のイラク侵略再開を許さない Ⅱ 宗派対立で泥沼化する内戦――米帝のイラク侵略戦争の産物

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月刊『国際労働運動』48頁(0456号03面02)(2014/09/01)


●特集 米帝のイラク侵略再開を許さない Ⅱ
 宗派対立で泥沼化する内戦――米帝のイラク侵略戦争の産物

三分解するイラク国家

 6月10日のISIS(「イラクとシリアのイスラム国」)のイラク北部への侵攻とモスルの制圧をもって開始されたイラクの内戦はますます激化する様相を見せている。マリキ政権と政府軍の崩壊的危機によって、イラク政府はバグダッドを含むイラク南部を保持するのが精一杯で、ISISに対する本格的反撃を組織できていない。シーア派民兵組織の動員や、米帝の軍事顧問団やイランの革命防衛隊の軍事的支援によってかろうじてISISとの軍事的均衡を保っているのが現状だ。
 さらにマリキ政権自体が、宗派間、民族間の対立を激化させる政策をとって内戦の原因を作ったことを批判されて政権交代を迫られている。ところが議会は首相などの主要人事をめぐる諸政治勢力間の意見の相違が埋められず8月まで審議再開が延期され、新首相を選出する合意も形成されていない。内戦に対処する強力な国家指導体制など、現在のイラク政府には望むこともできない状態だ。


 他方、ISISは6月29日にシリア東部、イラク北部および中部の諸都市およびその周辺地域を領土とする「イスラム国」(IS)樹立を宣言した。最高指導者のアブバクル・バグダディをカリフ(預言者ムハマッドの代理人として国家を統治する最高指導者)とするISの支配する領域はイスラエルの領土面積を上回るものになった。ISはこの地域に厳格なイスラムの戒律を適用することで統治体制を確立しようとしている。
 だが、統治機関も行政機関もないISの支配領域では、住民の生活に必要なサービスも供給されないし、食料や水、電気、燃料などの安定的供給も保障されていない。また、ISによるシーア派住民への厳しい抑圧政策や、スンニ派住民へのイスラムの厳格な遵守の強制は、あまりに暴力的な手段によって遂行されている。女性には目以外を覆う黒布の着用を義務づけ、学校や病院、就労先なども男女別々にすることが強制される。飲酒、喫煙、音楽などは禁止され、違反すれば鞭打ち刑の対象となる。このため、イラク政府によるスンニ派抑圧政策に反発して、ISに協力的態度をとってきたこの地域の住民は、次第にISの統治方法に疑問を感じ始めている。ISが国家として存続できるかどうかはまったくの未知数だ。

クルド人独立国家樹立へ

 イラクの人口の15%を占めるクルド人もこの内戦の混乱のなかで、独立国家樹立に向かって突進し始めた。6月12日にクルド自治政府の治安部隊は、北部の油田都市キルクークを掌握した。クルド自治政府はこれまでもイラク中央政府の意向に反して、自治区産の石油をトルコ経由のパイプラインで輸出しているが、有数の油田のあるキルクークの掌握で新たに大量の石油を輸出できるようになった。
 キルクークは本来クルド人が多数を占める都市であったが、サダム・フセインの時代に強制移住政策がとられ、100万人のクルド人が移住させられた。03年フセイン政権崩壊後クルド人のキルクーク帰還政策がとられ、現在はクルド人が再び住民の多数派になっているが、石油収入の分配を中央政府が管理していたために、クルド人はあまりその恩恵を受けなかった。だがキルクークを掌握することで、クルド人は国家形成の経済的基盤を確立できるようになったのである。
 そのうえで、7月1日、クルド自治政府のバルザニ議長は、数カ月以内に独立の是非を問う住民投票を実施する考えを示した。バルザニ議長は、「ISISがイスラム国の独立を宣言したことでイラクは事実上分裂しており、クルド自治区で住民投票を実施するよいタイミングだ」と述べている。住民投票が実施されれば、クルド人が多数派なため、クルド人の独立国家の樹立はほぼ確実になる。そうなれば、シリア、イラン、トルコなどの周辺諸国のクルド人の独立運動が活発化するのは不可避だ。
 イラク中央政府はクルド人による油田の管理と独立国家の樹立を絶対許さない姿勢を示しているが、現在このようなクルド人独立国家の樹立を阻止する力を持っていない。
 以上みたように現段階ではイラクが三つに分裂し、それぞれの領土を支配する三勢力が入り乱れる内戦が今後激化することは必至だ。さらにこの内戦に国内のシーア・スンニ両派の部族集団や民兵組織、イランの革命防衛隊などがさまざまな形で巻き込まれ内戦の様相が複雑化する可能性もある。

宗派対立生み出したイラク侵略戦争

 現在のイラク内戦は宗派対立の激化によって泥沼化している。だが、2003年のイラク侵略戦争以前にはイラクは宗派対立が抑え込まれていた。宗派対立は米帝がサダム・フセイン政権を崩壊させた後、イラク人民の抵抗闘争と、石油労働者を中心として急速に力をつけた労働運動によって打撃を受け弱体化した占領統治を立て直す目的で宗派間の分断政策を採用したことから激化した。米帝はまずシーア派勢力を軍や警察に大量に編入し、スンニ派武装勢力や旧政権関係者の弾圧に動員した。このような弾圧とそれへの反撃としてスンニ派武装勢力によるシーア派居住地域での爆弾テロの激発が、イラク社会をかつてない宗派間対立にたたき込んだのだ。
 米帝は、スンニ派とシーア派が宗派の違いを超えて団結し、さらにそれに石油労組を軸とする労働組合の闘いが合流して米占領軍と闘うならば、その支配がたちまち総崩壊しかねないことを恐れて、このような分断政策をとった。
 このように米帝のイラク侵略戦争と占領統治こそがイラクでの宗派対立の激化を生み出したのだ。宗派対立の根底には米帝の侵略戦争と分断統治政策があるのだ。
 米帝は2003年のイラク侵略戦争でフセイン政権を解体した後、2011年まで占領を継続した。だが、分断統治にもかかわらず米軍の占領支配に対するイラクの労働者人民の抵抗闘争は激しく、占領支配を継続すれば米軍が総崩壊しかねない危機に直面するなかで2011年末に米軍は全面撤退せざるを得なくなった。

マリキ政権下での宗派対立の激化

 イラクから撤退するにあたって米帝はマリキを首相とする傀儡政権を残した。
 しかしマリキは2005年の首相就任以来、シーア派支配階級の利益を優先する一方で、スンニ派住民の権利を抑圧し、弾圧を強化してきた人物だ。このため、07年、08年にはスンニ派武装勢力によるシーア派住民への爆弾テロが頻発した。米帝はマリキがこういう人物であることを知りつつ米軍全面撤退後のイラクの統治を任せた。
 米帝はマリキがイランと緊密な関係を持っていることを知りつつ、当時激化していたスンニ派武装勢力の反乱を抑え込むために、やむを得ずイランとつながるシーア派勢力を動員せざるを得なくなってマリキを傀儡政権の首相に任命したのだ。
 また米帝がイラク撤退後もイラク侵略戦争によって拡大した石油利権を維持し、新油田の米帝資本による開発と民営化による独占支配を強化するためには、イランと密接な関係を持ちつつも、米帝の占領統治に積極的に協力したマリキがどうしても必要であった。だが、マリキがその後もスンニ派抑圧政策を継続したため、国内で宗派対立がさらに激化し、米軍が撤退した2011年以降頻繁にスンニ派系のアルカイダ系勢力によるシーア派住民への自爆テロが行われた。
 このように米帝が対イラン政策と石油利権確保の観点から宗派対立を激化させる可能性の高いマリキを首相として選択したことが今日の内戦の爆発の原因なのだ。

ISISの台頭

 イラクのアルカイダ系勢力(イラク・イスラム国/ISI)の本隊は、米軍が撤退する以前の段階で、米軍とシーア派がヘゲモニーを握った政府軍および一部のスンニ派部族の共同作戦によっていったんはイラクから駆逐され、シリアへの拠点移動を余儀なくされた。アルカイダ系組織は米帝によってテロ組織に指定されていたが、米帝は、アルカイダ組織のシリアへの流入を黙認し、アサド政権を打倒するために利用しようしたのだ。
 イラクからシリアに移動したISIは、米帝やアラブ反動諸国による自由シリア軍などの反政府勢力や、アルカイダなどのイスラム政治勢力への資金、武器の供与によって急速に勢力を拡大した。米帝がシリアに直接的軍事介入をすることができず、中東支配力を全面的に後退させていることに不安と焦燥感に駆られていたサウジアラビアや湾岸の反動王政諸国は、シリアにおけるアルカイダ系勢力の支援と育成に全力を注ぎ、大量の資金と武器の供給を急速に拡大した。これらの諸国は米帝に期待せずに独力でシリア情勢に介入しようとしたのだ。
 とりわけサウジアラビアと対立してきたシーア派主導のイランがシリアのアサド政権を全面支援し、中東各地に次第に影響力を拡大し始めたことが、サウジアラビアの危機感を増幅させた。
 現在シリアには27のシーア派の民兵組織が国外から派遣されて戦闘に参加しており、外国人兵士は80カ国から1万人以上が参加していると言われる。79年~92年のアフガニスタン戦争にはソ連軍と戦うために5000人の外国人兵士が参加していたが、その2倍以上がシリアに派遣されている。
 そのうちイスラエル軍などとの戦闘経験の豊富なレバノンのシーア派政治勢力ヒズボラ(5000人)などを除いた兵士は、イラン革命防衛隊とシリア軍によって訓練を受けている。反政府勢力との戦闘はイラン人将軍が統括し、シリア軍とイラン軍将校団とシリア政府軍情報部や作戦将校が所属する作戦本部によって指揮されている。この作戦本部の指揮下にはイラクのシーア派のサドル派に属する民兵部隊などのイラクからの民兵部隊も多数含まれている。イランは特殊部隊のアルコッズ部隊もシリアに派遣している。
 このようにシリア内戦に深く関与して各国のシーア派民兵組織との関係を強化しているイランの動きにサウジアラビアは激しい危機感を抱いて、対抗的にアルカイダなどのスンニ派武装組織の育成に力を注いだのだ。
 この結果、いったんはイラクから追放されたイラク・イスラム国(ISI)は、シリア内戦の過程で形成された別のアルカイダ系組織を糾合し、イラク・シリア・イスラム国(ISIS)を結成した。この組織はアルカイダ本流よりもさらに極端なイスラム政治主義を主張する勢力であり、極めて保守的なイスラムの戒律を住民に強制し、従がわない者に対しては女性や子どもも含めて残虐な処刑を行った。このため、アルカイダ本流からは批判され、2014年に入って分裂することになった。だが、サウジアラビアなどの支援を受けて強力な軍事力と資金力を維持できたために、シリア国内で次第に力を蓄え、シリアの反政府勢力である自由シリア軍やその他の反政府勢力を軍事的にも圧倒する一大勢力に成長した。ISISは2013年9月以降、自由シリア軍などがイスラムの戒律を重視しないと非難し、自由シリア軍傘下のイスラム政治勢力の諸部隊を吸収し、シリア自由軍に戦闘を仕掛けてきた。
 ISISはこのような力をシリア内戦の中で維持しつつ、イラクへの再侵攻の機会を着々と狙っていた。特にイラク北部から中部にかけて存在する、スンニ派居住地区における工作を強化し、かつイラク政府軍に対するゲリラ攻撃やシーア派住民に対する爆弾テロの強化によって政府軍の力を推し量り、かつ消耗させてきた。また、シーア派主導に対する不満を持つスンニ派系諸部族との関係も強化する工作を行ってきた。さらにサダム・フセイン派の旧軍人とも連絡を取り相互協力を確認した。
 イラクでは2011年末の米軍完全撤退以降、マリキ政権によるスンニ派抑圧が強化され、2013年には宗派間の衝突や爆弾テロなどで8000人が死亡した。ISISはこのような宗派対立の新たな激化という情勢を利用しつつイラクに侵攻しようとしたのだ。

ISISのイラク侵攻

 こうした準備を行った後に、ISISは、2014年1月にファルージャとラマディを占領した。その上で6月10日、イラク北部のモスル(イラク第2の都市、人口200万人)に大規模侵攻し、四つの師団からなる政府軍を駆逐して占領した。モスルではイラク軍の武器庫から大量の武器・弾薬と装甲車、大砲、ロケット弾などの武器を奪取したうえ、モスルの中央銀行の占領によって行内にあった4億2500万㌦の多額の資金も獲得した。北部のバイジにあるイラク最大の製油所も一時占拠した。
 その後、シリア東部からも侵攻し、イラク西部から中部にかけても拠点をつくり、バグダッド北方にあるティクリートを占領し、バグダッド周辺50㌔地域にまで迫った。ISISは基本的にスンニ派住民の多い都市を占領し、シーア派主導のイラク政府のスンニ派抑圧政策に怒りを抱く住民や部族勢力を吸収してさらに勢力を拡大した。

危機に直面するマリキ政権

 これに対してマリキ政権は、6月11日に非常事態令を発令するように連邦議会に要請した。だが、北部・中部・西部での政府軍の敗勢を挽回することもできず、基本的には南部のシーア派の拠点であるナジャフやカルバラを防衛し、政府の統治機構を維持することが精一杯であった。米帝が200億㌦も投入して養成した25万の陸軍が壊走状態になるなかで、マリキ政権は、シーア派民兵の動員を呼びかけ、シーア派の聖職者も民兵に参加することを呼びかけた。これによって全面的な宗派間戦争が不可避となった。その上でマリキ政権は、イランや米帝に支援を要請した。
 だが、イランが直ちにイラク政府支援の立場をとり、革命防衛隊を派遣し、大量の武器を送ったのに対し、米帝の反応は鈍かった。オバマは地上軍の派遣を全面否定したうえに、空爆も実施することを回避した。オバマがとった対策は、アラビア海北部に展開中の米空母、ジョージ・H・W・ブッシュをペルシャ湾に移動するよう命令したことと、軍事顧問団を派遣することであった。同空母はISISを空爆できる艦載機が積載されているし、同行したミサイル巡洋艦フィリピン・シーとミサイル駆逐艦トラクスタは巡航ミサイル「トマホーク」を搭載できる。確かにいつでもイラクのISISを空爆できる態勢ができたが、オバマは8月までは空爆を実施しなかった。
 無人機もその基地がスンニ派が多数派のカタールやクウェート、アラブ首長国連邦にあるため、そこから同じスンニ派のISISを攻撃するために無人機を発進させればこれら諸国と米帝の関係が悪化するという理由で当面延期された。米軍は7月末段階で900人派遣されているが、うち600人は米大使館や空港などの警備部隊であり、軍事顧問団はわずか300人程度である。こんな数の軍事顧問団ではイラク政府軍の戦力を強化するには圧倒的に不十分だ。このような対策しか取れないことに、米帝の中東支配力の衰退が象徴的に現れている。

中東全域に波及するイラク内戦の影響

 イラクの内戦は、周辺諸国に重大な影響を与えている。
 イラクの内戦の激化は、シリア内戦をさらに激化させる。6月24日、アサド政権は、空軍力の不足するイラク政府支援のためにイラク北西部のシリア国境地帯のカイムでISISの拠点を空爆した。このようなシリア空軍によるイラク内戦への介入が、シリア国内でのシリア政府とISISとの敵対関係をエスカレートさせ、シリア内戦を激化させることは確実だ。
 イラク側の国境地帯を支配下に置くISと国境を挟んで対峙しているヨルダンは、イラク内戦の波及と大量の難民の流入を防止するために、国境地帯に戦車やミサイルを配備した軍隊を派遣している。
 ヨルダンはすでに60万人以上のシリアからの難民を抱えており、イラクからも大量の難民が流入すれば、ヨルダン経済は崩壊状態になる。すでにヨルダンの失業率は25%に達しており、これ以上貧困層が増大すれば、国内にいるイスラム政治勢力の影響を受けて反政府運動も活発化しかねない。現在シリアの反政府派の支援のために派遣されている外国人兵士約1万1000人のうち、ヨルダン出身者は2000~2500人を占めており、しかもその8割がアルカイダ系のヌスラ戦線という組織の成員だ。ヌスラ戦線は最近ISとも協力関係を強めており、ISのヨルダン進出の橋頭堡ともなりかねない。
 イラクと国境を接しているサウジアラビアもすでにイラクとの国境地帯に3万人の軍隊を派遣している。前述したようにサウジアラビアはイランの革命防衛隊がイラクに進出し、イラク南部のシーア派民兵組織などの訓練を行っていることに危機感を感じている。サウジアラビアの主な油田地帯には多数のシーア派住民が居住しており、常に反動王政に対する反乱の拠点となってきたが、その地域にイランの革命防衛隊の影響力が拡大し、反乱が起きれば、サウジアラビアも内戦の渦中に引き込まれることをサウジアラビアは恐れているのだ。
 トルコはイラクのクルド自治政府を支援し、密接な経済的関係を持ってきたが、内戦の渦中でイラクのクルド人が独立国家を樹立すれば、その影響を受けてトルコ国内のクルド人の独立運動が再び活性化する可能性がある。すでにシリアの反政府勢力に援助を与え出撃拠点を提供してきたトルコでは、シリア内戦の影響を受けて宗派対立が激化し始めているが、これに加えてイラクの内戦やクルド人独立問題が複雑に絡み合えば、トルコ自身も両国の内戦にさらに深々と引き込まれていかざるを得ない。
 他方、イスラエルは、シリア内戦でレバノンのヒズボラがイラン革命防衛隊とともにシリア政府を支援していることに強い警戒感をむき出しにし、シリアとの国境地帯に軍隊を集結させている。さらにイラク内戦にもイランが深く関与し、イラン、シリア、イランの各国政府の連携態勢を作ろうとしていることに激しい危機感を抱き、これら諸国の領内への空爆を狙っている。イスラエルが今後も自国の安全を確保するという口実で、両国の内戦に介入し、それに巻き込まれていくことは確実である。
 こうした情勢下で追い詰められたイスラエルは、7月17日ガザ地区への地上侵攻を開始し、8月初旬の段階で1800人を超えるパレスチナ人を虐殺している。周辺諸国への内戦の波及によって自国の安全保障がかつてなく脅かされていると感じているイスラエルは、ガザ封鎖によって生存の危機に直面しているパレスチナ人の怒りが爆発し、今後ますます緊迫する情勢下で急遽パレスチナ問題に対応せざるを得なくなる前にガザに先制攻撃を仕掛けたのだ。地上軍によるエジプトとの国境地帯にあるトンネルの破壊は、食料や医薬品の流入を遮断し、ガザの住民の生活を徹底的に破壊するためのものだ。イスラエルはこれによってガザから住民を一人残らず追放することで、イスラエルの安全を確保し、来るべき大動乱に備えようとしているのだ。

イラク空爆弾劾

 他方、8月8日、ペルシャ湾に展開中の米空母から発進した2機のFA18戦闘攻撃機が、イラク北部のクルド人自治区の中心都市アルビル付近で、同地に滞在する米国人保護や宗教的少数派の保護を口実にして、「イスラム国」の移動砲台を空爆した。
 オバマ政権は、米帝の中東における軍事的支配力の衰退のなかで、不信を募らせるイラクやイスラエル、サウジアラビアなどの米帝への信頼回復を図るために、ついにISに対する空爆を実施せざるを得なくなった。それはクルド自治区に進出している米系石油企業の石油利権を守るための軍事的措置でもある。だが、いったんこのような空爆による軍事的介入が開始されれば、それは必ずエスカレートせざるを得ない。再び米帝がイラクに軍事的に引き込まれ、侵略戦争を泥沼化させかねない段階に突入したのだ。
 このようにイラクの内戦は、中東全域の内戦や戦争の危機を極度に高める決定的引き金となった。米帝が中東制圧力を失ったことに危機感を抱くさまざまな政治勢力や国家が独自の利害を追求して激突するなかで、中東全域が戦争化し大動乱過程に突入したのだ。
 この大動乱を革命的に終息させることができるのは唯一労働者階級である。宗派間・民族間の対立と内戦の影に隠されているが、エジプト、チュニジア、イラク、トルコを始めとして中東の各国で労働者階級の闘いは確実に前進している。中東における労働者革命こそが帝国主義の分断政策を真に克服し、宗派間・民族間の対立を乗り越えた新たな社会を建設する唯一の道だ。