特集 国鉄決戦で戦争・改憲阻止 集団的自衛権行使と労働規制撤廃の安倍=葛西を倒そう Ⅱ 集団的自衛権行使許すな――安倍記者会見と「報告書」弾劾

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月刊『国際労働運動』48頁(0455号03面02)(2014/07/01)


特集 国鉄決戦で戦争・改憲阻止
 集団的自衛権行使と労働規制撤廃の安倍=葛西を倒そう Ⅱ
 集団的自衛権行使許すな――安倍記者会見と「報告書」弾劾

 5月15日午後、安倍首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)が、「報告書」を安倍に提出した。詳しくは後述するが、その内容は、憲法第9条の解釈を根本的に変更して、集団的自衛権の行使を全面的に認めよと要求するとんでもないものである。
 安倍首相は、これを受ける形で同日の夕方に緊急の記者会見を行い、集団的自衛権の行使容認に向けた政府の「基本的方向性」を発表した。各テレビ局はこれを生中継した。
 この安倍5・15会見こそ、戦後史を根本からひっくり返す大反革命であり、5・15反革命というべきものだ。
 その後は、「基本的方向性」をめぐる与党間の協議が進行している。国会では集中審議(5月28~29日)が行われたが、「国民向け」に情緒的表現で展開された5・15記者会見とは違い、安倍の焦りや感情的な発言が目立ち始めた。
 集団的自衛権の行使容認=改憲・戦争に突き進む安倍政権。この日帝・安倍を打倒する力は労働者階級人民の怒りの爆発であり、団結した闘いである。まず、安倍の5・15会見=「基本的方向性」を怒りを込めて徹底批判・弾劾する。

⑴ 安倍の「国民の命と暮らしを守る」の大ウソ

(写真 「紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」などと、あからさまに情に訴えて国民の理解を得ようとした安倍の記者会見【5月15日】)

 「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、この点を含めて、改正すべき法制の基本的方向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定していく。......準備ができ次第、必要な法案を国会にお諮りしたい」
 安倍が「基本的方向性」で打ち出した結論はこれである。つまり、「国民の命と暮らしを守るため」には集団的自衛権の行使が必要だ、そのためには憲法解釈の変更と法整備が必要だと明言したのである。これは、憲法第9条を破壊して戦争をしていくことの宣言であり、絶対に認めるわけにはいかない。
 第一に、「国民の命と暮らしを守る」という言葉を、安倍は意図的にくり返し使っている。しかも、「紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と強調し、あからさまに情に訴えて国民の理解を得ようとした。
 戦前、日本は「満州国」を植民地とし、そこに貧しい農民を送り、現地の中国農民を追い出した。敗戦間際の8月9日、ソ連軍が侵攻した時、日本軍は数十万人の移民を置き去りにして我先に逃げた。軍隊は「国民の命と暮らし」を守らないのだ。
 沖縄戦で、上陸した米兵に追われ逃げ惑う県民を、日本軍は投降を許さず、他方で米軍に情報をもらすスパイの疑いをかけて殺した。「軍隊は住民を守らない」は沖縄戦の教訓である。
 第2次大戦で、日本兵は230万人が死んだとされるがその多くはマラリアと餓死であった。軍隊は兵士の命を守らないのだ。
 そして政府が国民の命と暮らしを守らないことを衝撃的に明らかにしたのが3・11東日本大震災と福島原発事故だった。大量の放射能が噴き出す大事故になった。この事故で多くの命が奪われ、家、農地、職場などが奪われ、14万人が避難を余儀なくされた。この空前の大事故に対する政府の対応は「国民の命を大切にする」とは正反対の、「放射能は安全だ」として無慈悲に切り捨てるものだった。
 甲状腺がんと診断された福島の子どもたちは90人(疑いを含む)になった(5月19日発表)。詳しい検査が必要とされた人も2070人に増えた。ところが県も政府もいまだに「原発事故が原因ではない」と言い続け、安倍は原発の再稼働に突き進んでいる。安倍が「国民の命を守る」だって? ウソに決まっている。
 安倍が言っている「国民」というところを、「財界」とか「資本家」に置き換えて聞けばいい。安倍の本心は「財界(資本家)の命と暮らしを守る」ことであり、そのために集団的自衛権の行使が必要だと言っているのだ。

朝鮮半島有事を想定し米軍艦船を守ると表明

 第二に、「日本人が乗っている米国の船を守ることができない」という具体例のウソとペテンである。
 想定は「朝鮮半島有事」であり、在韓日本人の避難のことを言っている。「米国の船」とは米軍の艦船、輸送船をさしている。
 こんな例はありえないとマスコミにも一笑されている。米軍艦船が戦時に民間人を輸送するなどありえない。軍隊は戦争の道具であり、国民を守るためにも存在しているわけではない。まして日本人を米艦船に乗せるわけがない。
 この例の狙いは、米艦船が攻撃された場合に、自衛隊が反撃できるようにしたいことだ。これは集団的自衛権の行使とされ認められていない。
 アメリカ政府は、北朝鮮という国家を転覆する「作戦計画5027」など、あらゆるパターンの侵略戦争計画を保持している。これに連動できるように、日米は新ガイドライン協定を結び(1997年9月)、日本政府は周辺事態法などの有事法制を整備してきた。そして北朝鮮に対しては、経済制裁のみならず米韓日で軍事重圧を加え、戦争を挑発してきた。北朝鮮も戦争の瀬戸際を進む絶望的な政策をとってきたが、北朝鮮に対する米日の戦争政策をエスカレートさせようということだ。

「駆け付け警護での武器使用」を容認

(写 真 現行のPKO協力法は、「参加5原則」の一つとして、「武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られる」とされているが、安 倍政権は、他国のPKO要員や日本のNGOなどが攻撃された場合を例に挙げ、「駆け付け警護」として武器使用を容認しようとしている)

 後者の、海外で「汗を流している若い皆さんを守ることができない」という例についても、自衛隊の海外派兵において「駆け付け警護での武器使用」を認めさせたいところから生まれた作り話である。
 自衛隊のカンボジア派兵から本格的に始まったPKO海外派兵。しかし憲法違反になる治安維持軍(PKF)には参加できず、自分の身を守る時以外は武器の使用もできない。イラク戦争時のサマワ派兵においても、「非戦闘地域」への派兵であって、武器使用基準は同等であった。こうした制約を取り払わなければ帝国主義の侵略軍隊にはならないと、イラク派兵以降に「駆け付け警護」の必要性が強調されてきた。つまり「駆け付け警護」は、殺りくのための武器使用の突破口にするものである。
 安倍は「海外で汗を流している若い皆さん」と言うが、海外派兵される自衛隊員こそその「若い皆さん」ではないのか? 彼らが武器を使って他国の人を殺傷すれば、それは自分が殺傷される運命にもなる。NHKの特番によれば、イラク派兵された自衛隊員のうち、すでに28人が自殺しているという。アフガニスタンとイラクから帰還した米兵も数千人が自殺し、戦闘中の犠牲者6460人を上回っているという統計が出ている。安倍の具体例がいかに欺瞞に満ちたものであるかを物語っている。

「抑止力」論のペテン

 第三に、「むしろ、あらゆる事態に対処できるからこそ、......抑止力が高まり、紛争が回避され、我が国が戦争に巻き込まれることがなくなる」という主張のペテン性である。
 現在、「あらゆる事態に対処できる」抑止力を持つ国とはどこであろうか。アメリカである。
 アメリカは、帝国主義の盟主として世界に君臨し、全世界で戦争を繰り返した。主なものだけでも朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争(イラク・中東侵略戦争)、ユーゴスラビア侵略戦争、アフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争がある。
 これが「あらゆる事態に対処できる」抑止力を持つ国の正体である。
 安倍の主張は、「戦争に巻き込まれないため」というペテンを使って、実はアメリカ並みに全世界で戦争をやろうとしているのだ。集団的自衛権の行使はその突破口なのだ。

「限定的」で「必要最小限度」はウソだ

 第四に、安倍は、安保法制懇「報告書」が提示した二つの考え方の一方を否定してみせることによって、政府が考えている集団的自衛権の行使は、「限定的」で「必要最小限度」の武力行使なのだと思い込ませようとしていることである。
 安倍は言う。「一つは、個別的か集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない。また、国連の集団安全保障措置への参加といった......活動には憲法の制約はない、とするものだ。しかしこれは、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。憲法がこうした活動のすべてを許しているとは考えない。したがって、この考え方は政府として採用できない」と否定してみせた。そして、それに続けて、「自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と。
 この発言は、明らかに公明党を意識したものではあるが、より根本的には労働者階級人民の戦争反対の意思が爆発するのを恐れているからである。
 この否定してみせた「個別的か集団的かを問わず、自衛のための武力行使は禁じられていない。また、国連の集団安全保障措置への参加といった活動には憲法の制約はない」という考え方は、まさに自民党の改憲案そのものである。
 自民党が打ち出した「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)は、その第9条の表題を「戦争の放棄」から「安全保障」に書き換え、第1項に「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」を加えた。そして第2項に「国防軍を保持する」と明記し、「国防軍の活動は、法律の定める活動を行うことができる」とした。これによって、武力行使の自由、国連軍や多国籍軍への参加の自由が圧倒的に確保される。安倍は本当は、こうありたいと思っているのだ。
 しかし、そこまでやるためには明文改憲がどうしても必要となる。安倍は当初は、憲法96条の改憲手続きの改悪から改憲に踏み込もうとしていたが、それも圧倒的な反対があり挫折した。
 そこで、この敗戦帝国主義の戦後的制約としてある憲法9条を決定的に突破しようというのが、5・15安倍会見である。
 だから安倍は、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」「そのための必要最小限度の武力の行使は許される」という考え方でやっていくと言っている。つまり、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす」場合で、「限定的に」「必要最小限度で」集団的自衛権を行使するから憲法上も問題はないんだ、としたいのである。この「限定的に」「必要最小限度で」というウソとペテンを絶対許さない。安倍政権を労働者人民の怒りでたたきのめさなければならない。

⑵ 憲法解釈変更のための 安保法制懇の「報告書」

 続いて、安保法制懇の「報告書」の問題を取り上げる。この「報告書」は、A4で40㌻におよぶ長大な文書となっているが、その目的は、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を論理づけるためである。それは安倍の会見内容を裏打ちするものであり、徹底的に批判・粉砕しなければならない。
 第一の特徴は、憲法第9条をめぐる解釈は戦後一貫していなかった、だから今回もあるべき解釈を提示すればそれでいいんだとしていることである。
 第二は、集団的自衛権行使容認に導くために、「憲法の根本原則」なるものを得手勝手に打ち出していることである。
 第三は、「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」なるものを、憲法解釈を変更すべき唯一の理由にしていることである。
 第四は、検討すべき「具体的行動の事例」として「4類例」+「6事例」を挙げ、それらに対応するような内容で、「あるべき憲法解釈」の論点を打ち出していることである。
 第五は、解釈改憲にとどまらず、法律名をあげて、集団的自衛権を行使するための国内法制について提言していることである。
 ここでは、第一と第二と第三の点について、批判・弾劾を加えたい。

憲法9条解体の宣言

 第一の点について。「政府は、......1954年以来、国家・国民を守るために必要最小限度の自衛力の保持は主権国家の固有の権利であるという解釈を打ち出した。しかし、その後の国会答弁において、政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている」
 そして、「安全保障環境の大きな変化にかかわらず」「国権の行使を行う政府の憲法解釈が、国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない」と言う。〝現行憲法下では、国民の安全が脅かされる〟から9条を解体するとの宣言である。

平和的生存権を「守る」ために戦争を肯定

 第二の点では、憲法前文と13条は、国民の平和的生存権と生命・自由・幸福追求権が示されているが、「報告書」は、「これらを守るためには、我が国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠である」とし、さらに、「国民主権原理の実現には、主権者たる国民の生存の確保が前提である」「主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れるような憲法解釈であってはならない」と叫んでいる。
 このままでは国がつぶれる、だから憲法解釈を変えろと騒ぎ立てている。断固粉砕しよう。

「安全保障環境の変化があるから集団的自衛権が必要だ」

 第三の「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」について、6点を挙げている。
 第一は、北朝鮮の弾道ミサイルと核兵器の脅威。
 第二に、国家間のパワーバランスの変化、特に中国の影響力の増大。
 第三に、日米関係の変化。より公平な負担を実現する。
 第四に、地域における多国間安全保障協力。
 第五に、国連PKOの役割の増大。
 第六に、自衛隊の国際活動の役割の増大。
 こうした国際情勢の激動化に対して、報告書は、従来の憲法解釈では日帝は生きていけない、憲法解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにしたい、戦争できるようにしたいと絶叫している。
 現情勢はどうか。ウクライナ情勢が東アジアに飛び火している。争闘戦の軍事化・戦争化が始まっている。北朝鮮は、軍事境界線・北方限界線(NLL)近くで韓国軍と海上砲撃をやりあった。南中国海では西沙諸島初頭の海域で中国とベトナムの衝突が続いている。東中国海の公海上で、中国戦闘機と自衛隊機が30㍍近くまで異常接近する事態が起きた。一触即発の事態が起きている。
 米帝は、世界戦略をアジア重視の「リバランス(再均衡)」戦略に転換し、QDR(4年毎の戦力見直し)を実行しようとしている。それは沖縄などの「第一列島線」からの攻撃態勢をとって、中国に激しい重圧を加えている。中国はこの米帝の戦争重圧と国内危機を排外主義的に乗り切るためにも、日清・日露戦争で日帝が略奪した領土・釣魚台(尖閣列島)問題を激しく押し出している。
 ここから日帝・安倍の戦後体制打破を狙う反動的突出が起きている。国家主義・排外主義を全面化させ、米帝との激突を辞さず、領土問題と靖国問題に突進している。
 だがこの争闘戦の軍事化で最も「無準備性」を突きつけられているのも日帝・安倍である。米帝との激突ぬきに、「戦後レジーム」からの脱却や「敗戦帝国主義」からの脱却ができない。尖閣諸島をめぐって全面戦争に突入しようとしても、全面的に米帝に依拠することもできない。
 日帝・安倍は、結局は対米対抗的な力がなければ帝国主義として生き残れないという矛盾と危機にのたうち回り、絶望的に集団的自衛権・改憲に突進している。
 大きくは第3次世界大戦に向かう情勢にある。
 第1次世界大戦を前にしてレーニンは次のように述べている。
 社会主義者は、この戦争が三重の意味で賃金奴隷制強化のための奴隷主(資本家)のための戦争であるという真実を、人民に語らなければならない。
 第一は、植民地の奴隷制を強化するための戦争である。
 第二に、「大」国自身内の他の民族に対する抑圧を強化するための戦争である。
 第三に、これは賃金奴隷制を強化するための戦争である。
 そして戦争の危機を利用して資本家階級を打倒して革命に勝利しようと訴えた。
 現在の大恐慌と3・11が示すことは新自由主義が破綻し、資本主義の命脈が完全に尽きていることだ。ブルジョアジーにとっては、戦争、世界戦争に突入する以外にない情勢に入ったのだ。
 そしてこの腐りきった資本主義社会を社会の真の主人公であるプロレタリアートが革命によって転覆し、新しい人間の共同社会を建設していく時が来たのだ。
 日帝・安倍の戦争に対して、労働者は断固革命を提起していくのだ。そして労働者階級には、安倍=葛西打倒の勝利の展望がある。それが国鉄決戦である。

⑶ 政府が提示した15事例は何を示しているか

政府が提示した安全保障法制の課題の15事例

 次に、政府が示した「15事例」について検証したい。
 安倍政権は5月27日、「安全保障政策の見直し」に向けて「対応が必要」とする15事例を与党に示した。3分類し、①集団的自衛権の行使に関わる事例を八つ、②PKOなど国際協力活動に関する事例を四つ、③いわゆる「グレーゾーン事態」への対処についての事例を三つ挙げた。
 これらの事例が意味するものは何か、事例を示す狙いは何か。

米艦護衛の非現実性

 一つは、米軍の艦船を防衛するという事例が意図的に増やされていることである。「公明党に一つでも集団的自衛権を使う事例を認めさせれば、憲法の解釈を変える閣議決定ができる」(政府関係者)ことが増やした狙いなのだろうが、逆に非現実的な事例であることも浮き彫りになりつつある。とくにミサイル発射への迎撃や米艦護衛は軍事的に見てもほとんどありえない。
 むしろ朝鮮有事の際の日米(韓)共同作戦を想定すれば、自衛隊に要求される海外軍事行動は、①武器・弾薬・燃料等の輸送・補給(当然ながら戦闘地域を含む)、②海上封鎖・臨検、③対潜哨戒、④航空機の護衛、などの役割分担である。本当なら政府は、こういう対米協力がしたい、そのための集団的自衛権の行使容認なのだと提案しなければならないはずである。
 すでに航空自衛隊のF15戦闘機の編隊が米アラスカ州の多国間軍事演習で、核攻撃も行う米軍のB52戦略爆撃機を援護する攻勢対航空訓練に参加している(『飛行と安全』2012年7月号に体験談が掲載)。この攻勢対航空訓練とは、爆撃機の先陣を切って敵国領土上空に侵入し、相手航空戦力を撃滅する訓練である。

自衛隊の海外展開と武器使用の拡大

 もう一つは、自衛隊の海外展開と武器使用が広がっていることである。「侵略行為に対抗する国際協力支援」や「(海外派兵時の)任務遂行のための武器使用」、「自衛隊による邦人救出」など、現実的に戦闘に関わり、武器を積極的に使わせようとしている。
 6月3日、政府は与党に対し、自衛隊が多国籍軍に対して、戦闘地域でも後方支援をする案を提示した。従来は自衛隊の活動範囲が「非戦闘地域」に限定されていたが、①支援する部隊が戦闘行為をしていない、②提供する物品が他国の戦闘行為に直接用いられない、③自衛隊の活動場所が他国の戦闘行為の現場そのものではない、④後方支援が戦闘行為と密接には関係しない――の四つすべてに該当すれば、戦闘中の外国部隊に武器弾薬を直接渡す以外の活動ができるようになる。このような制限は、最初の取り決めだけで、現実的にはすぐに破られてしまう。
   ◇    ◇
 総じて集団的自衛権の行使とは、日帝が自らの意志で戦争にうって出ることにほかならない。その意味でも「戦後レジームからの脱却」そのものである。
 だがそれを労働者人民は絶対に許さない。
 集団的自衛権・改憲をめぐる階級激突は、日帝打倒まで突き進む歴史的決戦だ。勇躍総決起しよう。