■News & Review インドネシア 日帝の鉄道―インフラ輸出と実力対決 地下鉄建設強行に、生きるために闘う
■News & Review インドネシア
日帝の鉄道―インフラ輸出と実力対決
地下鉄建設強行に、生きるために闘う
4月10日、JR東日本、東海、西日本、九州の4社は新幹線の海外輸出をめざす団体「国際高速鉄道協会」(IHRA〔アイラ〕)を設立した。欧州、中国に対抗し、高速鉄道計画を進めている11カ国に売り込むためだ。その一つがインドネシアだ。
インドネシアのジャワ島を横断する高速鉄道計画が明らかになったのは09年。昨年12月には、JR東日本など10社が出資する日本コンサルタンツを中心とする日本の企業連合が、その調査を受注した。
4月からは首都ジャカルタで、大林組などが受注した、同国初の地下鉄建設工事が始まった。そのために住民や商店に対する大規模な立ち退きが強行され、各所で実力闘争が展開されてきた。
就任したてのインフラ推進の州知事が前面に
駅周辺での立ち退きが始まったのは、12年11月から。国鉄の複線化も理由にだ。10月に日本とインドネシア両政府がジャカルタの都市開発計画を発表した直後のことだ。このとき両政府は、鉄道や道路、港湾、発電所の建設など20年までの完工を目指す45件の優先事業と、13年末までの着工を目指す18件の早期実施事業を選定(事業総額約3・4兆円)。ここから日帝は本格的にインフラ輸出に乗り出した。その柱は鉄道で、狙いはジャカルタの地下鉄建設、そしてジャワ高速鉄道だ。
同じ10月、ジャカルタ州知事にジョコ・ウイドド(通称ジョコウィ)が就任した。ジョコウィは中部ジャワ州のソロ市長時代にインフラ整備を推進。立ち退きの〝手腕〟を買われて51歳で首都の知事になった人物だ。
駅周辺は駐車場を含め移動式屋台などで商売を営む露天商が生活の糧を得る場だ。国鉄の各駅にも小さな商店がひさしを並べている。低所得者や学生にとっては、こうした店舗は必要不可欠な存在だ。露天商らは生きるために必死の実力抵抗に立った。学生もともに闘った。
駅周辺3千超の大規模な店舗立ち退きと対決
12年暮れ、ジャカルタのビジネス街通りの市場の閉鎖に対して、数百人が横断幕を広げて抗議の声を上げた。西ジャワ州デポックの駅で露天商の屋台数百が解体されたが、抵抗は続いた。
年明けの1月には、プラカードを持った商人たちが大統領官邸前で撤去反対を訴えた。デポックのチナ駅では、立ち退きに反対する学生を含む数百人が線路上を占拠して闘った。
貯水池周辺に住む低所得者層への立ち退きも強行された。移転先の住宅も完備しないままのだまし討ちの強制移転への怒りは激しく、ここでも抵抗闘争が闘われた。
5月、西ジャカルタ・タンボラのドゥリ駅では、警備員と警察に海兵隊まで加わった弾圧体制のもとで闘いが爆発した。地元の国立大生を含む約200人が早朝から駅前に集結し、店舗の取り壊しに抗議。学生の一人は「いままで商売を続けてきた人を追い出すのか」と怒りをぶちまけた。催涙弾による弾圧に対して線路上を占拠。商店176軒の破壊を弾劾した。
東南アジア最大級の衣料市場の中央ジャカルタ・タナアバンは、首都最大級の露天商街でもあった。ここをジョコウィは通告から2カ月で撤去を強行しテナントに押し込んだ。それは断食月に入った瞬間、ほとんどの労働者が帰省していたスキを狙ったものだった。しかし、露天商らは、しぶとく路上に戻っては商売に打ち込んでいる。
「合理化」と「安全破壊」の鉄道輸出を許すな
インドネシア、とりわけジャカルタをはじめ首都圏の労働者人民は、日帝の鉄道輸出が自分たちの生活と生命を脅かし奪うものであることを肌で感じつかみとっている。
3月には、JR東とインドネシア鉄道会社、ジャカルタ首都圏鉄道会社3社が、鉄道運営などの相互協力を目的とした覚え書きに調印した。鉄道のオペレーションやメンテナンス、マネジメントなどの分野における相互協力が目的というが、徹底した合理化・外注化をやらせることが目的だ。
5月8日にはJR東が横浜線で使用した170車両を有償で譲渡すると発表した。昨年9月の埼京線180両に続く措置で、譲渡先はジャボタベック社。ジャカルタの都市鉄道を運営している鉄道会社だ。支援を口実にすでに技術者を送っている。「パッケージ型インフラ輸出」に向けた踏み込みといえる。それは、インドネシアの鉄道労働者、乗客である労働者人民を危険にさらすものだ。断じて許してはならない。
JR体制の打倒は国際連帯のかかった闘い
昨年12月9日午前11時過ぎ、南ジャカルタの踏切で電車がタンクローリーに衝突、ローリーとともに炎上し90人以上の死傷者を出す大事故が発生した。線路は踏切の手前40㍍で急カーブしており、前方の視界が利かず急停車できなかった。
踏切の作業はすべて手動。踏切番は、電車が最寄り駅を出発した時点で駅職員から電話連絡を受け、詰め所内のスイッチを押して遮断機を下ろす。この後、遮断機横の警報機を鳴らし、マイクを使って、警報機に取り付けてあるスピーカーを通じて電車が来ることを伝えている。
しかし、遮断機が下りてから電車が通過するまで10~15分かかることもしばしば。周辺は商店街もあり交通量が多く、踏切に入ったオートバイなどが電車に引きずられる人身事故が続発してきた。
非番の踏切番の労働者は「踏切内で何かあっても、通過する電車の運転士に直接連絡する方法はない」と語る。現場の労働者は、安全対策がとられていないことに危機感をもちながら業務に就かざるを得ない状態を強いられているのだ。
しかし、首都圏の路線を運営する国鉄子会社は、事故当時列車は時速70㌔で走行していたため、急ブレーキをかけると脱線する可能性があったと説明。遮断機の操作や踏切設備の保守に問題はなかったと責任逃れしている。
さらに、現場を視察した州知事ジョコウィは立体交差化を進めると表明した。駅周辺の整備と称して大規模な立ち退きを強行してきた知事は、今回の事故を資本の利益のために使おうとしている。ジョコウィは州財政を惜しげもなくつぎ込んで地下鉄工事に踏み切り、「鉄道輸出」を呼び込もうとしている。州バスの24時間運行にも踏み切った。職場で団結して合理化と闘わなければ、労働者自身の命はもちろん、乗客、周辺住民の命も守れない。
すでに安全が崩壊したJRによる鉄道輸出は「事故の輸出」にほかならない。インドネシア労働者人民との国際連帯をかけて、JR体制打倒に立ち上がろう。
(今井一実)
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▼インドネシアの鉄道は1864年、当時の宗主国オランダがジャワ島で建設したのが始まり。1942年に日本軍が侵攻、植民地支配下でレールの間隔を統一した。45年の独立で国内の鉄道は全て国有化、91年に国鉄は公社に移行。99年に政府が100%株式を持つインドネシア鉄道会社へ移管された。上下分離方式で、軌道などの部分は政府が、車両や駅設備は鉄道会社が保有し保守整備を行う。
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■石炭火力発電輸出が破綻へ
官民一体のパッケージ型インフラ輸出のモデルケースと位置付けた「中部ジャワ発電所計画」を、地元住民が破綻寸前に追い込んでいる。
この計画は、中部ジャワ州バタン県の計226㌶の用地に出力100万㌔ワットの発電所2基を建設するもの。完成すればアジアで最大級の石炭火力発電所となる。11年6月、Jパワー、伊藤忠商事、地元企業の連合が落札。3社が出資した現地法人がインドネシア国営電力会社と25年間の電力売買契約を結んだ。
事業総額は40億㌦(約4千億円)。資金の調達は国際協力銀行を中心に日本の銀行団が行う。
12年10月には着工し、1号機の運転を16年10月に、2号機を17年4月に開始する予定だった。
建設予定地はジャワ海に面した田園地帯。周辺の農地は年3回、コメを収穫できる豊かな土壌だ。近くには漁場があり、反対運動には汚染を心配する漁民らも加わった。
予定地のカラングヌン村は第2次大戦中、日本軍が侵攻した。反対派住民代表は「日本は昔は武力で、今度はカネで土地を奪おうとしている」と弾劾、「このまま子孫に残す。絶対売らない」と語る。
事業資金の融資調達の契約期限は12年10月6日だったが、政府が1年間延長せざるをえない状況に追い込んだ。
安倍政権と直接対決
13年6月、現地攻防で住民に負傷者が出た。国家人権委員会が地元警察や国軍を用地買収交渉から撤退させるよう勧告。2週間後、内閣府副大臣の西村康稔がインドネシアに飛び、テコ入れした。
その1週間後、予定地や周辺5村の住民らが投資撤回を求めてジャカルタの日本大使館前でデモを敢行。安倍晋三宛ての抗議文を突きつけた。
この事業は3・11後、日帝が初めて受注したもの。「失敗すれば他のアジアでの民間主導の大型インフラ計画にも波及する」(政府担当者)。 少なくとも2年は工事着工が遅れ、そのための工費の膨らみは概算で数億㌦にもなるという。すでに契約で売電価格が定まっているため、完工後に発電を始めても採算割れに陥る可能性大だ。にもかかわらず、13年9月、12月の首脳会談で安倍が直接ユドヨノ大統領に協力を要請したことで引き返せなくなった。
建設用地のうち2割、約40㌶(日比谷公園のおよそ25倍)が未買収という。住民たちは建設計画撤回へ徹底抗戦の構えを崩していない。