●特集 復帰42年の5・15沖縄闘争 解雇撤回と国際連帯で安保・沖縄闘争の新時代を Ⅲ 解雇撤回・非正規職撤廃――沖縄労働運動の新たな挑戦
●特集 復帰42年の5・15沖縄闘争
解雇撤回と国際連帯で安保・沖縄闘争の新時代を Ⅲ
解雇撤回・非正規職撤廃――沖縄労働運動の新たな挑戦
①労働者国際連帯の要をなす基地労働者の存在と闘い
▼基地労働者の存在
基地労働者という存在について考えてみたい。それは、戦後の沖縄の労働者階級の原点的な存在であると言える。例えば1952年頃、当時の沖縄の労働者約10万人の大部分、7割ほどは基地関係で働いていたという。1960年段階で常用雇用者15万人のうち3万人が軍雇用員だった。
つまり、戦後沖縄の労働者階級は基地とともに生まれ基地から生活の糧を得ながら、基地と闘い成長してきた。だから沖縄の労働者階級はその歴史的現実的存在として、基地とは切り離せない形で存在してきたと言える。
それは、現在の基地労働者は約9千人(ただし、政府雇用の労働者であり、基地関係の仕事に就く労働者はもっと多い)であったとしても、あるいは基地関連の収入が復帰時の15・6%から現在5%まで低下したといっても、その本質については何ら変わっていない。
沖縄の労働者階級は「基地の島」であるかぎり、その本質は基地労働者であり、あるいは基地労働者の存在と闘いに規定されるのである。
▼基地労働者こそが「日米安保同盟」の実態
基地労働者の働いている沖縄の米軍基地とは何か、どういう存在かはすでに述べた。
ならばその米軍基地で働く基地労働者こそが「日米安保同盟」の実態そのものだとも言える。この関係から、基地労働者はその存在そのものが国際プロレタリアートと一体であり、かつ帝国主義の国際プロレタリアートの支配を保障する米軍基地を日常的に維持・運営している主体でもあると言える。
労働者国際連帯の要の存在としての基地労働者、あるいは沖縄の労働者階級ということだ。
▼基地労働とは何か?
「労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程である」「この過程で人間は自分と自然とのあいだの物質代謝を自分自身の行為によって媒介し、規制し、制御する」(『資本論』)
人間と自然との関係、これが労働なのです。「人間は、自然素材に対して彼自身一つの自然力として相対する。彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用されうる形態で獲得するために、彼自身の肉体に備わる自然力、腕や脚、頭や手を動かす」(『資本論』)
「人間は、この運動によって自分の外の自然に働きかけてそれを変化させ、そうすることによって同時に自分自身の自然(天性)を変化させる。彼は、彼自身のうちに眠っている潜勢力」を労働をとおした自然に働きかける行為によって、人間自身の中に眠っていたいろんな可能性を引き出し、「その諸力の営みを彼自身の統制に従わせる」(『資本論』)
この労働というのは、「使用価値をつくるための合目的的活動」です。すなわち、ある使用価値をつくるための目的をもった活動なんです。(『ソリダリティー第6号』から)
こう考えると、基地労働の特殊性ということが浮かび上がってくる。基地労働が、いかなる使用価値を生み出すというのか? これは原発労働者とも重なる。
そのどちらも、帝国主義(とスターリン主義)の戦後世界体制の護持(国際プロレタリアートの支配)のためだけに生み出されてきた。その結果として、基地労働者も原発労働者もいわば「使い捨て」の存在として扱われてきた。「安全」など始めからまったく考慮されることのない職場だった。基地労働者と原発労働者は、基地や原発で働くことで生活の糧を得ている存在だが、しかしその基地や原発を廃絶することを通して労働者階級として解放される存在としてある。
この「矛盾」(例えば「解雇撤回・基地撤去」のスローガン)はプロレタリア世界革命の中でしか解決されないテーマとしてある。
「3・11」が浮かび上がらせたテーマとは、基地労働者と原発労働者の存在と闘いは、階級的労働運動路線でしか獲得できないし、それはまったく可能であるということを実践的に示していくことだ。
「被曝労働拒否」の動労水戸・国労郡山工場支部の闘いが切り開いている地平は巨大な意義がある。沖縄の基地労働者の闘いの歴史は、新自由主義と「3・11」の時代だからこそ改めてその意義が鮮明に突き出されていると言えるだろう。
帝国主義(とスターリン主義)の戦後世界体制の矛盾が最も集中しているからこそ、基地労働者(と原発労働者)の闘いは、労働者国際連帯の要をなしているのだ。
②「復帰」以降の新たな闘い=新自由主義との死闘の開始
「復帰」以降の沖縄の現実とは、新自由主義攻撃の先がけとしての意味を持っていた。72年のペテン的「返還」体制=5・15体制とは新自由主義体制そのものだった。その攻撃の核心は、米軍政による労働者支配を無力化させた、沖縄の労働運動の体制内化と破壊であった。
いわゆる「復帰合理化」という形でかけられた沖縄の労働運動への攻撃の数々だけではなく、「沖縄振興策」(72~81/第一次振興計画、82~91/第二次振興計画、92~01/第三次振興計画)もまた、そのような攻撃として系統的にかけられてきたのである。
その一方で、基地労働者は米軍の直接雇用から間接雇用に移行し、米軍は全軍労(78年からは全駐労)との団体交渉など一切受け付けなくなった。米軍は今日に至るも、全駐労という労働組合を一切認めてはいない。
だから、労働組合との団体交渉は雇用主の防衛省(現在)が行う一方で、基地の中は「復帰」以降も「治外法権」とされた。つまり、基地労働者が労働三権などのらち外に置かれるというあり方は基本的に継続されたのである。つまり、「復帰」以降もまた、米帝も日帝も基地労働者を先頭とする沖縄の労働者階級の闘いを圧殺することで米軍基地の「安定」を維持しようとしたことには何ら変化はなかったということだ。
そして80年代の中曽根政権の「戦後政治の総決算」攻撃として国鉄分割・民営化攻撃が開始される。沖縄においては、「日の丸・君が代」攻撃=沖教組・高教組解体攻撃として全面的に始まっていた。そして89年連合結成へと進んでいく。
沖縄においてもこれら一連の攻撃が推し進められ、沖縄の労働運動と階級闘争の後退が強いられた。「復帰」20年を迎えた92年前後は、沖縄闘争の路線と展望が問われていた。
われわれは90年決戦を打ち抜き、91年5月テーゼをもって新たな挑戦を開始していたが、それはまだまだ端緒的なものに過ぎなかった。日帝と米帝による沖縄の労働者支配=72年のペテン的「返還」は成功したかのように思われた。
しかし、沖縄の労働者階級の不屈の戦闘性は日米両帝国主義の階級支配にけっして屈することはなかった。そのことを両帝国主義に激烈な形で突きつけたのが95年10・21の10万人決起だった。72年のペテン的「返還」以来日帝が営々と築き上げてきた沖縄の労働者支配を一撃で吹き飛ばすような根底的な決起が開始されたのである。
③新自由主義=民営化・外注化、非正規職化と闘う労働運動を
95年の人民反乱を契機に、米帝と日帝による階級支配を打ち破り前進しようとする沖縄の労働運動に対してかけられた攻撃が、普天間基地の辺野古移設攻撃(SACO)であり、96年の「沖縄政策協議会」の設置による「雇用確保」という名目での新たな振興策の開始であり、いわゆる「特区」の設置であった。また同時に日帝は全駐労破壊をもくろみ、「沖駐労」という分裂組織の結成・育成に手を染めた。
これらはすべて一体の、沖縄の労働者階級と労働運動にかけられた究極の新自由主義攻撃であった。「沖縄政策協議会」による「雇用確保」の目玉として設置されたのが、NTTの情報案内(104センター)であった(96年10月)。
しかしこれは東京の情報案内部門の正規職労働者を他の部署に異動させて沖縄に持ってきたものであり、沖縄ではすべて非正規職とされた。98年以降の沖縄県による「マルチメディアアイランド構想」の下でコールセンターの進出が相次ぎ、2012年段階で1万7000人を超える労働者が雇用されている。
その実態は、「現代の『あぁ、野麦峠』」「現代版『女工哀史』」「現代版『蟹工船』」と評されているように、ほとんどが非正規職であり、3カ月雇用や半年雇用など極めて不安定な雇用条件を強いられている。残業をしても手当がつかないなど労働法違反も当たり前の職場だ。何よりもパソコンと一日中対面しながら、ブレストで電話の対応を行い、その対応は秒単位で管理される。そのため精神的に病んで職場を去らざるを得ない労働者が続出している。青年労働者の中には、コールセンターを渡り歩いている内に、年をとって雇用されなくなる例もある。
コールセンターというのは究極の労働者使い捨ての職場なのだ。なぜそうなるのか。それはコールセンターは、そのほとんどが外注化された職場だからだ。
こういう外注化された非正規職がほとんどという職場が次々と沖縄に進出すること自身が、沖縄の労働者階級全体に対する激しい攻撃としてあるということだ。
実際、沖縄の失業率は全国平均と比べれば高止まりで推移し、非正規化率は全国1位となり、その一方で労働組合の組織率は全国最下位という数値となっている。
日帝と米帝は、基地労働者を「労働法制」の対象外とすることで、本質的には沖縄の労働者階級総体を労働法制の対象外として支配することを執拗に追求してきた。さらに外注職場の典型であるコールセンターを次々と導入し、沖縄の労働運動総体への解体攻撃を繰り広げてきた。
沖縄の労働者は団結を奪われ、どの職場も労働法などあってなきがごとき状況にたたき込まれてきた。コールセンターには外資系の、特に保険関係の企業が次々と進出してきている。これらの職場は派遣も請負もごっちゃになっており、それ自身が違法だと言えるのだが、現実には「おとがめなし」とされているのだ。
つまり、沖縄にコールセンターが大挙して進出しているということもまた、米帝と日帝による沖縄の労働者階級への支配という問題であり、沖縄の米軍基地の安定的護持という重要な役割を担っているということなのだ。
「民営化・外注化、非正規職化」との闘いは、「基地の島」の護持か変革かをかけた闘いであり、それは米帝と日帝との非和解的な激突として闘われるのである。
われわれは、基地労働者の闘いを戦略的基軸に据えながら、コールセンターを軸とする外注化された職場での「外注化阻止、非正規職撤廃!」の闘いをも、「基地の島」の根底的変革をかけた闘いとしてこれまで以上に重視して闘わなければならない。外注化された職場での闘いは、「基地の島」の根底的変革をかけた闘いであり、それは国際連帯闘争の基礎を形成するのである。その核心は、米帝と日帝による沖縄の労働者階級への階級支配を、労働者階級の団結した闘いで打ち破っていくということである。
④「解雇撤回、非正規職撤廃!」――沖縄の労働運動の新たな挑戦が始まった
3月31日、4月1日、沖縄県うるま市のコールセンターの職場の門前で、日本IBM・ビジネスサービス労働組合の書記長に対する不当な雇い止め=解雇撤回を求める闘いが全国の闘う仲間とともに闘われた(28㌻参照)。
99%が非正規職でこれまでも多くの労働者が「自主退職」という形で職場から追われ、あるいは病で辞めざるを得ないという典型的な「ブラック企業」の中から、ついに青年労働者の怒りの反撃が開始された。
2014年1~3月に開始した「現代革命への挑戦」が2010年代中期階級決戦をたぐり寄せている。この闘いの先頭に立つ青年労働者の不屈の決起が生み出され、無数の青年労働者の指導部が日本階級闘争に登場を開始している。この闘いに追いつめられた日帝・安倍政権による解雇や雇い止め攻撃が開始されている。しかしこの攻撃は、絶対反対で闘い階級的団結を拡大していく絶好のチャンスでもある。
この攻撃は、すでに述べた「基地の島」の労働者階級の闘いを圧殺しようという階級的労働運動派への大攻撃であり、安倍政権の「戦略特区攻撃」そのものであり、TPP攻撃の先取りでもある。われわれが挑戦を開始した「党と労働組合の一体的建設」の闘いと、何よりも拠点職場・拠点労組建設との非和解的激突そのものだ。
したがって、勝利の路線も鮮明である。何よりも絶対反対で闘い、階級的団結をどこまでも拡大強化していくことである。とりわけ、拠点建設で勝負する、つまり労働組合の組織拡大と職場細胞建設を総括軸として闘うことだ。そしてまさにこういう闘い方は、われわれが言っている動労千葉労働運動そのものだ、ということである。したがってこの闘いは、国鉄決戦の勝利=JR体制打倒の闘いと一体の闘いであるということだ。
何よりもこの闘いが、階級的労働運動と国際連帯闘争の具体的実践的闘いであるということだ。まさに米帝と日帝による沖縄の労働者への階級支配の根幹を打ち砕き、プロレタリア世界革命を戦略的に準備したぐり寄せる闘いが青年労働者を先頭に開始された。日本IBM・ビジネスサービス労働組合の闘いは必然的に、日帝・安倍政権の「戦争・改憲攻撃」とその下での辺野古新基地建設攻撃の開始に対して、それと階級的に根底的に対決する闘いへと発展していくのである。
だからこの闘いを、階級的労働運動派の新たな闘いの創造的展開として闘い、沖縄の労働運動と階級闘争を塗り替えていくのである。一人の青年労働者の解雇撤回の闘いは全世界を獲得する。プロレタリア国際主義はここから開始される。
昨年の5・15沖縄闘争で発した、「新自由主義と闘う労働者の国際連帯で、安保・沖縄闘争に勝利しよう!」という呼びかけが具体的な闘いとして開始された。
「復帰」42年目の5・15を前にして、ついにわれわれは沖縄の青年労働者とともに戦後沖縄の労働者階級の闘いの継承と発展をかけて、新自由主義の歴史的崩壊を迎え撃ち、世界戦争の危機をプロレタリア世界革命に転化していくさきがけをなす沖縄の労働者階級の新たな闘いを開始したのである。
「復帰」42年の5・15沖縄闘争を階級的労働運動と国際連帯闘争の新時代を切り開く挑戦として、ともに闘い勝利しよう!