●特集 復帰42年の5・15沖縄闘争 解雇撤回と国際連帯で安保・沖縄闘争の新時代を Ⅱ 国際連帯闘争の深化を――戦後沖縄階級闘争の総括

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月刊『国際労働運動』48頁(0453号03面02)(2014/05/01)


●特集 復帰42年の5・15沖縄闘争
 解雇撤回と国際連帯で安保・沖縄闘争の新時代を Ⅱ
 国際連帯闘争の深化を――戦後沖縄階級闘争の総括

①国際連帯闘争の深化と発展を目指そう

 われわれは昨年の5・15闘争を、「『基地の島』から国際連帯の島へ!」「新自由主義と闘う労働者の国際連帯で安保・沖縄闘争の勝利へ!」というスローガンを掲げて闘った。
 階級的労働運動と国際連帯闘争で沖縄闘争=安保・沖縄闘争の新時代を切り開く挑戦の開始である。
 この昨年の闘いの地平から、さらに国際連帯闘争を深化させていく課題に今年2014年の5・15闘争は挑戦していきたい。
 それは何よりも新自由主義の時代に、「万国のプロレタリア、団結せよ!」の復権をかけた闘いであるということだ。階級的真理こそが光り輝く時代が到来した。だからマルクス主義を本当に復権していくということが一切の闘いの基礎をなす。
 それは生きたマルクス主義の復権ということであり、青年労働者と学生の存在と怒り、そして闘いの中にこそ、真のマルクス主義があるという立場である。つまり、われわれが「本当のマルクス主義者」に変革していくことがすべての闘いの基礎であり、実践的結論だ。
 その最大の武器はやはり革共同の50年史=『現代革命への挑戦』に尽きる。第4章から第6章、とりわけ第6章の内容でまずはわれわれが武装していこう。

②反スターリン主義・革命的共産主義運動の飛躍を

 戦後沖縄の労働運動と階級闘争を今日的にとらえ返した地平から浮かび上がることは、いわゆる「沖縄独立論」(反復帰論や自立論、構造的沖縄差別論も本質的には同じ)とは詰まるところスターリン主義の問題であるということだ。つまり、それはスターリン主義の帝国主義(米帝)に対する根底的な屈服から発生しているのである。
 それは路線的に言えば共産党(沖縄人民党も)の米軍に対する「解放軍規定」に鋭く示されていた。そしてそのもとで沖縄人民党(=瀬長亀次郎)は、人民党の活動は公然活動ということで役員名簿や活動報告を定期的に政府に提出していたという。つまり人民党は、米軍権力の「許容範囲内」で活動するとしていた。この公然主義とは、米軍権力への根底的屈服を意味していた。

(写真 朝鮮半島への爆撃の発進基地となった福岡の板付基地【50年8月】。沖縄からも飛び立った)


 戦後沖縄の闘いは、1952年のメーデーといわゆる「土建争議」をもって開始される。この闘いは50年以降の米軍基地の恒久化工事が本格化するにしたがって、本土から土建業者が沖縄に進出してきたのだが、土建業者は沖縄に労働者保護の法規がないことをよいことに非常な劣悪な労働条件で酷使していた。
 このような状況下で、奄美共産党(非合法)から沖縄に送り込まれた活動家が日本道路社や松村組のストライキを組織し(いわゆる土建争議・1952年)、この闘いの中から沖縄非合法共産党が結成された(メンバーは約100人)。元々瀬長は非合法共産党結成に反対していた。
 もちろん奄美共産党もわれわれからすればスターリン主義であると言えるのであるが、しかし、スターリン主義的な限界をはらみつつも、戦後沖縄の闘いが労働者階級の闘いから始まったことは紛れもない事実である。この土建争議の勝利を経て、いわゆる労働三法が53年に制定されることになる。
 しかしこれに対して米軍は「布令116号」をもって米軍基地で働く労働者には労働三法の適用を除外し、「民労働法」と「軍労働法」の「二本立て」法体制とした。さらに54年には先に述べた奄美大島出身の人民党員への退去(退島)命令を出し、瀬長人民党委員長らを逮捕するという弾圧を開始した(人民党事件)。そして翌55年には労働運動への弾圧として布令145号「労働組合の許可手続き」を公布したのである。
 これらの米軍政との闘いの中から50年代のいわゆる「島ぐるみ土地闘争」が準備されていった。そして労働組合の結成と労働争議が激しく闘われる中で、60年の復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)の結成へと闘いが前進していったのである。
 つまり独立論とその亜流(反復帰論や自立論、構造的沖縄差別論等々)とはその本質として帝国主義への屈服があるということだ。ここから血債主義や糾弾主義もまた、その本質として帝国主義とスターリン主義への屈服から発生したのだということだ。
 求められていることは、スターリン主義を根底から批判し打倒する、反スターリン主義を綱領的立脚点とする労働者党とその運動を、労働者階級自己解放をかけて労働者階級自身の闘いとして創りだしていくことだ。戦後沖縄の労働者階級の闘いの歴史とは、その根底において、反スターリン主義・革命的共産主義運動とその党の建設をめぐって闘われてきた歴史なのだ。

③米帝(米軍政)と日帝と闘ってきた、戦後沖縄の労働運動・階級闘争の歴史

(写真 ゼネストで教職員会などが抗議する中、嘉手納基地から発進するB52爆撃機【69年2月】)


 沖縄の労働者階級の闘いは、「基地の島」の労働者として、その始まりから国際連帯を求めて闘われた。先に述べた土建争議もまた、朝鮮戦争下での闘いとして闘われた。
 「あの日本道路ストライキというのはそもそも、朝鮮への爆撃をどうストップさせるかというのが最終の、あのストライキの目標というのはこうだったんだから。飛行機をもう飛ばさんようにたたき落としてよ、しようというのが、その目的で闘いをしてきたのが日本道路ストライキだからね。
 自然発生的だとかね、経済的な要求だけじゃないんですよ。最終の目的は朝鮮戦争で、朝鮮をバーっと全部、毎日やっていて、沖縄でも必死ですよ。あの朝鮮戦争の爆撃を停止させるためにどうすると。どっかで原寸(釘)を打とうかと、細胞はその方針を持っているんだからね」(奄美から送り込まれた林義巳の後日談から)
 「復帰」運動もベトナム戦争の激化の中で闘われた。全軍労の闘いは全世界で闘われたベトナム反戦闘争の先頭で、米帝と闘うベトナム人民との連帯の闘いとして闘われた。土建争議は、米軍基地を「人質」にとって闘われた全軍労闘争につながる闘いとして、戦後沖縄の闘いの切っ先として闘われたとも言える。「基地の島」の労働者階級の闘いの歴史は、国際連帯の闘いとして戦後連綿として闘われてきた。
 それは米帝を基軸とした戦後世界体制との闘いであり、日米安保体制との闘いであった。米帝を基軸とした戦後世界体制と日米安保同盟が、帝国主義(とスターリン主義)の世界支配体制としてある。これが革共同の戦後世界体制論の主柱をなす。
 とりわけ東アジアの戦後世界体制を考えてみたとき、ベトナムの南北分断体制(17度線)、朝鮮半島の南北分断体制(38度線)と、沖縄と本土の分断体制(27度線)は、東アジアの革命情勢(戦後革命)の圧殺の上に構築された。
 この巨大な分断体制と闘い、団結を甦らせる闘いが戦後の沖縄と日本、そしてアジアの労働者階級の歴史であり階級闘争の歴史だった。そしてこの分断体制の「要石」として建設されたのが沖縄の米軍基地であったのだ。日米安保同盟なしに帝国主義は一日たりとて世界支配(国際プロレタリアートの支配)を貫徹できない。
 そしてこの日米安保同盟は、沖縄の米軍基地の存在なくして一日たりとて成り立たない。沖縄の米軍基地とは、帝国主義にとっては国際プロレタリアートの支配の問題と表裏一体の存在としてある。米軍基地との闘いは、沖縄の労働者階級が国際プロレタリアートの一員として闘うことが求められるし、それ以外の何ものでもないということだ。
 そしてだからこそ、沖縄の労働者階級の階級支配こそが米帝(と日帝)にとって、国際プロレタリアートの支配の核心をなしたのである。
 ここから、沖縄の労働者階級の闘いは、必然的に米帝(米軍政)との闘いであると同時に、日帝との闘いとして闘われてきたということだ。それは帝国主義(米帝および日帝)からすれば、どんなことがあっても沖縄の労働者階級の闘いを認めるわけにはいかないということである。沖縄の労働者階級の支配こそが、沖縄の米軍基地の安定使用(供給)を保障する。
 ましてや、米軍基地の中に労働組合があるなどということは、断じて認めるわけにはいかないということだ。だから米軍は必死になって沖縄の労働組合・労働運動を抑え込もうとしてきた。
 しかし沖縄の労働者階級はついに基地労働者の闘いを生み出した。69年に「銃剣スト」と呼ばれた全軍労初の実力闘争を皮切りに、全軍労を先頭とする沖縄の労働者階級は、米軍の度重なる大量解雇攻撃との激しい闘いを繰り広げた。

(写真 全軍労2万人が全面24時間ストに突入、各ゲートで銃剣を構える米兵とピケット隊が激突した=「銃剣スト」【69年6月5日】)
(写真 嘉手納基地第2ゲート前大通りを埋めた全軍労牧港支部青年部【71年3月】)


 これは米帝(米軍政)による沖縄の労働者階級の階級支配の崩壊を意味していた。そこから米帝と日帝は、「祖国復帰」という沖縄の労働者階級の「悲願」を利用し、「施政権返還」の下で、沖縄の労働者支配の新たな形態へと移行させたのである。
 だからいわゆる1972年の「復帰」とは、帝国主義(米帝と日帝)による新たな沖縄の労働者への階級支配の開始を意味した。沖縄の労働者階級を主語にして言うなら、米軍政を打ち破った先に、新たな支配者として日帝が姿を現したということだ。
 戦後沖縄の労働者階級は、米帝と日帝という二つの帝国主義との闘いを繰り広げてきた。そしてその闘いは帝国主義による東アジアを先頭とする巨大な分断支配を打ち破る闘いとしても闘われてきた。新自由主義の崩壊の時代に、沖縄の労働者階級がプロレタリア国際主義を掲げて闘いを開始し、「現代革命への挑戦」をどこまでも貫くことが求められている。