■国際労働運動の暦/3月30日 ■1979年動労千葉分離・独立■
月刊『国際労働運動』48頁(0451号06面01)(2014/03/01)
■国際労働運動の暦/3月30日
■1979年動労千葉分離・独立■
動労カクマルと対決
千葉地本に対するテロと破壊攻撃打ち破って階級的労働組合が誕生
(写真 動労千葉地本臨時大会を新組合結成大会に切り換えた【1979年3月30日】)
今年は国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)の分離・独立から35年目にあたる。動労千葉はもともと国鉄動力車労働組合(動労)の一地本だった。動労がファシスト・カクマル(その頭目が松崎明)によって牛耳られ、闘いを抑圧してきたことに対する闘いの前史がある。
最初は青年部に対する攻撃から始まった。70年安保・沖縄闘争や、三里塚闘争に千葉県反戦青年委員会の中心として闘っていた動労千葉地本青年部は、中央の会議や集会に出席するたびにカクマルから集団リンチされるという許しがたいことが起こっていた。千葉地本青年部は「釈明と自己批判がない限り、一切の諸行動に参加しない」と態度表明してこれに反撃した。
また、72年3月に船橋事故が発生した際、動労千葉地本は「事故は運転士本人の責任ではない」と、これを反合理化・運転保安の闘いに転化した。
73年1月、会議をボイコットしていた千葉地本青年部の6人に、動労本部は無期限の権利停止処分を出した。千葉地本執行部はこれを「本部が決めたことだから」と受け入れた。だが地本臨時大会は圧倒的多数で青年部処分に反対し撤回要求決議を上げた。そして、執行部は総辞職、関川宰委員長・中野洋書記長の闘う新体制が誕生した。こうして青年部段階の問題から、千葉地本対動労本部の対決の構造に転換した。
70年代に動労本部の右傾化が進み、「順法闘争自粛」や「労使正常化」方針が顕著になった。
▼三里塚との連帯めぐり
三里塚闘争が重大な分岐点となった。成田空港開港のために不可欠のジェット燃料のパイプライン建設が沿線住民の反対で遅れている中で、国鉄当局はジェット燃料の貨車輸送を決定した。しかし、その運転を担う動労千葉地本がそれを拒否する闘いに突入した。
78年7月、動労津山大会で、本部は「三里塚反対同盟と一線を画す」と決定した。同時に「貨物安定宣言」を打ち出して反合理化闘争を放棄した。
対決が先鋭化する中で、ついに本部は関川委員長以下に対する査問委員会設置を行ってきた。動労千葉つぶしの攻撃は歴然としていた。ここで執行部を先頭に千葉地本の労働者全体が分離・独立を決断した。
79年3月30日、動労本部が103回中央委員会を開き、千葉地本委員長以下4人の除名処分、執行部全員の組合員権停止の処分を決定した。これを察知していた千葉地本は間髪入れず、地本臨時大会を新組合結成大会に切り換え、同じ役員を選出した。
動労千葉は、直ちに新組合結成の趣旨を全組合員に周知徹底させるために、①職場集会の開催②各支部大会の開催③団結署名の完遂に全力を挙げた。
これに対して、カクマルは、春闘そっちのけで「オルグ」と称する大規模な組織破壊攻撃を繰り返した。
▼カクマルの武装襲撃
4月17日、津田沼支部結成大会を翌日に控えて、150人のカクマル襲撃部隊が石、竹竿、バールなどで武装して津田沼の職場に襲撃をかけた。支部長が頭蓋骨骨折の重傷を負い、職場にいた支部役員全員が重軽傷を受けた。庁舎は破壊され、総武緩行線約100本が運休した。しかし国鉄当局と権力は何一つ問題にしようとはしなかった。
こうした攻撃が連続したが、動労千葉は不屈に闘い抜き、関川委員長のもとに1400人中1350人を超える組合員を結集する新組合として、その第一歩を力強く踏み出した。
その後の動労千葉の闘いと、動労本部カクマルの転落の歴史を見れば、分離・独立の決断とその貫徹がいかに巨大な意味を持っていたかが分かる。動労カクマルは、80年代の中曽根の国鉄分割・民営化攻撃に対して、進んでその軍門に下った。一方、動労千葉は、分割・民営化に対し、2波にわたるストライキを打ち抜いた。動労千葉は少数派だが、国鉄労働者の利害を代表する真に組合らしい組合として闘い続けている。
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●動労千葉の分離・独立前後
78年7月 動労34回定期全国大会(津山大会)、「三里塚反対同盟との一線を画す」「貨物安定宣言」「水本運動」11月 動労第101回臨時中央委。査問委員会設置。千葉地本抗議行動
79年3月 動労103回臨時中央委。千葉地本の関川委員長ら4人の除名、全執行委員の組合員権停止を決定。動労カクマルの千葉への破壊「オルグ」始まる
3月 国鉄千葉動力車労働組合結成
4月 津田沼事件。動労本部カクマル150人の動労千葉津田沼支部への武装襲撃を撃退
12月 動労千葉の春闘、ジェット闘争に対し106人に大量不当処分通告。中野洋書記長に公労法解雇