■国際労働運動の暦 2月26日■1968年三里塚闘争■ 初の実力闘争が爆発 「10・8羽田」の全学連が三里塚反対同盟農民との血盟を誓って登場
月刊『国際労働運動』48頁(0450号06面01)(2014/02/01)
■国際労働運動の暦 2月26日
■1968年三里塚闘争■
初の実力闘争が爆発
「10・8羽田」の全学連が三里塚反対同盟農民との血盟を誓って登場
(写真 角材を持った全学連の学生らが空港公団成田分室に肉迫【1968年2月26日】)
三里塚闘争のエポックをなす日付と言えば、さまざまな日が思い浮かぶ。1966年7月4日の新空港案の閣議決定、71年9・16の第2次代執行、77年5・6岩山鉄塔だまし討ち撤去、78年3・26開港阻止決戦、83年3・8分裂、85年10・20三里塚十字路戦闘などなど。今回、68年2・26を取り上げるのは、三里塚反対同盟と革命的左翼との絆を不動のものに固めた記念碑的闘争だったからである。
66年6月の佐藤首相・友納千葉県知事の会談で三里塚空港案が内定して以来、直ちに三里塚反対同盟が結成され、8月には三里塚芝山連合空港反対同盟(戸村一作委員長)が結成され、闘いが始まる。
一方で、全学連を先頭に革命的労働者学生は、67年の砂川基地拡張反対闘争から10・8佐藤訪ベトナム阻止闘争に向かって進撃していた。米軍基地拡張に対する不屈の闘いを50年代から貫いてきた砂川町基地拡張反対同盟が、闘いの中で信頼を強めた全学連を、三里塚と結びつける橋渡し役となった。他方で千葉県反戦青年委員会(中野洋議長)が労働者として三里塚との連帯行動を開始していた。
●闘争初期の党派選択
その年10月8日の羽田闘争は、国家権力との闘いに突入していた三里塚農民にも強い衝撃を与えた。その2日後の10日、空港公団は初めて三里塚現地で外郭測量を行った。当時の三里塚闘争には、社会党、日本共産党が組織的に参加していたが、この日、体を張って阻止する反対同盟に対し、日共は「道交法違反になるから座り込みを解きましょう」と、闘いを妨害した。11月3日に千葉県反戦青年委員会の主催で三里塚現地闘争が闘われ、労働者と学生が初めて大衆的に三里塚闘争に決起した。この時、日共の「反トロツキスト」キャンペーンはピークに達した。彼らの宣伝は戸村委員長に対するデマ宣伝にまで及び、ついに我慢の限度を超えた反対同盟は年末に、日共との絶縁宣言を発した。この闘争初期における反対同盟の鮮明な党派選択が、その後の三里塚闘争を決定づけた。半世紀近い三里塚闘争の継続・発展と勝利の基礎は、67年秋の過程で築かれたのだ。
●全学連現闘本部を結成
68年初め、全学連は現地に常駐して闘うことを決定、三里塚現地闘争本部を設置する。最初は7人の学生が常駐を開始した。そして2・26現地闘争が、三里塚反対同盟と砂川町反対同盟、秋山勝行全学連委員長の3者共催による全国総決起集会として設定された。成田駅近くの市営グランドを会場に全国から200
0の青年労働者学生が集まり、反対同盟1000人とともに歴史的な集会が始まった。この日、三里塚の地から離れた成田市街で集会を行ったのは、すぐ側の成田市役所に空港公団の成田分室が設けられ、悪らつな切り崩し攻撃をやっていることに対し、攻勢的に攻め込むためだった。角材を持った全学連の学生を先頭に成田分室に向かって果敢な闘いが展開された。三里塚農民は話に聞く全学連の勇姿を目の当たりにし、ともに戦闘的に闘った。
この過程で、機動隊にめった打ちにされている学生を救おうと割って入った戸村委員長が、機動隊の警棒で乱打され、頭を割られる重傷を負った。戸村さんは、この時の経験から一層不退転の決意を固めた。機動隊の凶暴な弾圧によって沖縄出身の早大生が重傷を負うなど、多数の重軽傷者が出たが、それは、反対同盟農民と成田市民の激しい怒りを生み、労農学の連帯を一層強めるものだった。
この後、3・10、3・31と公団成田分室に対する実力闘争が繰り返された。空港公団は、三里塚現地に入り込んで切り崩し・買収を展開する。その撃退闘争から、強制収用のための測量阻止闘争、そして71年の強制代執行阻止闘争へ、三里塚闘争は、世界に轟く実力闘争を展開した。
日共スターリン主義の追放、動労千葉との労農連帯、全学連の実力闘争と農民との固い絆の形成の重大さがそこに示されている。
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三里塚闘争初期の出来事
66. 6.22 佐藤・友納会談で三里塚案内定6.28 三里塚空港反対同盟結成
7. 4 佐藤内閣、空港建設閣議決定
8.22 三里塚芝山連合空港反対同盟結成
12.27 芝山町議会、反対決議を白紙撤回
67. 1.10 運輸省の公聴会阻止闘争
6.26 条件派との会談で現地入りの大橋運輸相を反対同盟が成田駅で阻止
8.15 千葉市で空港反対の集会
9. 1 全学連委員長が初めて三里塚訪問
10. 8 佐藤訪ベト阻止羽田闘争
10.10 外郭測量阻止闘争
11. 3 反戦青年委員会、全学連、反対同盟が現地集会
12.15 反対同盟総会で日共との絶縁決定
68. 2. 3 全学連、現地闘争本部開設
2.26 成田市役所・公団分室にデモ
3.10 再び成田市営グランドに大結集、激突
3.31 三里塚現地から公団分室までデモ