■特集 エジプト・中東情勢

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月刊『国際労働運動』48頁(0450号03面01)(2014/02/01)


■特集 エジプト・中東情勢
エジプト革命の新局面と米帝の中東支配の危機

(写真 スエズ鉄鋼ストを支持して独立労組連盟の労働者も集会に参加【2013年8月】)

はじめに

 2013年7月の軍部クーデター以後、エジプト労働者階級はブルジョア独裁体制の再建に向けた反革命的策動を跳ね返して不屈の闘いに突入している。エジプト労働者階級の闘いに触発されて、全中東に労働者革命の波が拡大するなかで、米帝の中東支配体制は総崩壊的危機に直面している。こうした情勢下で、米帝はシリア侵略戦争を始めとするさまざまな巻き返し策動を展開しているが、それらはことごとく破産している。
 第Ⅰ章では、ブルジョア独裁体制の再建をめざす軍部と労働者階級の激突の現状を明らかにした。
 第Ⅱ章では、軍部と暫定政権の反革命性と反動的諸政策の実態について明らかにした。
 第Ⅲ章では、エジプト革命後の米帝の対エジプト・中東政策が、米帝の軍事的・政治的支配力の衰退のもとでことごとく破産に直面している現状について分析した。

1 軍部と対決し不屈に決起――新たな試練に直面する労働者

 2013年7月3日の軍部によるクーデターでムスリム同胞団のムルシ政権が打倒され、軍部とムバラク派ブルジョアジーの共同支配体制が形成されて以降、エジプトの労働者階級は新たな試練に直面している。

激化する軍部の弾圧

 新たな試練の第一は、軍部がムスリム同胞団への暴力的弾圧を通じて、労働者階級に対する激しい恫喝を加え、軍部やブルジョアジーの支配の再建に反対する労働者階級の怒りの新たな爆発を阻止しようとしていることだ。
 軍部がムルシ政権を打倒したのは、イスラム主義者の同胞団系資本家の台頭と、エジプト経済のかなりの部分を支配する軍部の既得権の侵害を阻止するためだけではなかった。
 クーデター後、ムスリム同胞団は何度かにわたって数万から数十万人規模のクーデター反対・ムルシ釈放を求めるデモや集会を行った。軍部はこれに対して徹底した軍事弾圧で臨んだ。軍の弾圧で、7月8日のカイロでの51人虐殺を皮切りに、7月中旬までに100人以上のムスリム同胞団のメンバーが殺された。7月末以降は、文字通りの無差別的虐殺が、ムルシの釈放を要求するムスリム同胞団のデモ隊に襲いかかり、7月27日には120人が殺された。暫定政府はこの弾圧を契機に、兵士に市民を逮捕する権限を与え、28日に非常事態令を発布した。
 8月に入ると、無差別虐殺は一段と激しくなり、8月14日には、軍の弾圧でカイロなどの諸都市で578人(政府の公式発表、実際はもっと多い)のムスリム同胞団員が虐殺された。
 14日以後、18日までに、1000人以上のムスリム同胞団員が虐殺されるというすさまじい弾圧が行われた。同時に、ムスリム同胞団のほとんどの指導部が逮捕された。こうしてこの5日間の大弾圧で、ムスリム同胞団は街頭でのデモや集会を大規模に開催できなくなった。

第二革命阻止の恫喝

 このような軍による激しい弾圧は、ムスリム同胞団にだけ向けられたものではない。
 軍部は、軍部や暫定政権に反対する勢力はいかなる勢力であろうとも徹底して弾圧する姿勢を明らかにすることで、労働者階級を恫喝し、服従を要求したのだ。
 そもそも軍部がクーデターでムルシ政権を打倒したのも、2012年6月以来のムルシによる新自由主義政策の全面的展開と激しい労働運動弾圧に対する労働者人民の怒りの爆発を予防反革命的に押さえ込むためであった。
 ムルシ政権に対する労働者階級の怒りは、ムルシが統治した1年間に、第二革命を不可避とするまで高まっていた。この怒りが2011年の革命に続く第二の労働者革命として爆発すれば、ムルシ政権ばかりか、軍部や、残存する旧ムバラク体制のすべてが根底から打倒されかねないことに軍部は恐怖したのだ。
 強大な武力を有する軍部といえども、2年間の革命的激闘のなかで鍛えられた膨大な数の労働者階級の革命的決起と正面から激突して権力を維持する自信は持っていなかった。なぜならば、労働者階級は革命の当初から軍部の弾圧を受ければ受けるほどいっそう革命的に決起してきたからだ。また労働者階級の革命的決起に軍の下部兵士たちが強い影響を受けており、労働者階級の闘いを弾圧するために軍が出動すれば、軍内部からの革命的反乱が不可避であったからだ。

クーデターの陰謀

 このため軍部は、ムバラク派ブルジョアジーと共謀してムルシとムスリム同胞団の統治に反対する「民主主義的運動」を組織し、この運動体の意思を汲んで軍が「民主的政府」樹立のために介入するという構想を立てた。
 その準備は4月から開始された。2013年4月末には「タマルド」(「反乱」)という組織が形成され、ムルシ大統領辞任を求める署名運動を開始した。この組織は軍と密議を重ねたムバラク派のブルジョアジーや退役した将軍などを軸として、前IAEA(国際原子力機関)事務局長エルバラダイなどのいわゆるリベラル勢力、労働組合、2011年の革命で一定の役割を果たした「4月6日青年運動」や「革命的社会党」というトロツキスト組織などの左翼勢力、さらにはムスリム同胞団系以外のイスラム政治勢力も取り込んだ広範な組織であった。テレビ局や新聞社を握る大富豪も、タマルドを支援する大キャンペーンを張った。
 ムルシ打倒の一点で一致して広範な統一戦線を形成したタマルドは、6月末までに2200万筆のムルシ辞任要求署名を集め、6月30日に全国で集会・デモを行うことを呼びかけた。
 ムルシ政権に対する激しい怒りに燃えていた労働者階級は、この呼びかけをムルシ政権打倒のチャンスととらえ、6月30日、全国でストライキに突入し、ムルシ打倒の1000万人デモを実現した。首都カイロでは、百数十万人が大統領宮殿前やタハリール広場を占拠した。
 この圧力を背景にしてタマルドは、「軍、警察、司法を含める全国家機関が民衆の側に立ち、政治的に中立なテクノクラートを軸とした暫定政権を樹立する」ことを訴えた。これに応える形をとって、軍は7月1日に48時間以内にムルシ政権と反政府派の和解と危機の収束という実現不可能な要求を突きつけた。同2日にムルシが政権をあくまで維持する声明を出すと、軍は3日夜クーデターを行い、ムルシを逮捕した。全権を掌握した軍部首脳のアブドル・ファタ・アル・シシ将軍は、憲法の即時停止とテクノクラート政府の形成を発表し、自らは政権を掌握しない立場を示し、2014年に選挙で新たな正式政府が樹立されるまでエジプトを統治する暫定政府の形成を発表した。だが、実質的には、軍部が暫定政権を背後からコントロールする体制を形成したのだ。
 その上で軍と暫定政権は、労働者階級との力関係を推し量りつつ、機を見て労働者による第二革命をたたきつぶすことを最大の課題として設定した。軍と暫定政府はムスリム同胞団を見せしめ的に弾圧することで労働者階級に対する軍事的重圧と恫喝を加えて労働者の闘いを抑制して力関係の転換を図り、機会を見て全面的弾圧に打って出ようとしているのだ。

主体的危機に直面する革命

 エジプトの労働者階級が直面している新たな試練の第二は、エジプト革命を牽引する勢力の分裂と主体的危機という問題だ。
 2011年2月のエジプト革命は、ナイル・デルタ地域のマハラの繊維労働者や独立労組連盟に結集する労働者を最前衛とする労働者階級のストライキやデモを牽引車とし、4月6日青年運動などの青年組織や、未組織労働者、失業中の青年労働者が合流して闘うことでムバラク体制を打倒することができた。
 だが、2013年7月にムルシ政権を打倒したのは、そのような労働者階級の力を基盤とし、広範な反体制勢力を結集した闘いではなかった。労働者階級は6月30日のムルシ打倒の闘いに総決起したが、その力でムルシを打倒する前に、軍部が軍事クーデターで国家権力を簒奪してしまった。軍は周到な計画に基づいて、タマルドの立ち上げを支援し、そのムルシ打倒運動を利用しつつ独自の利害を貫徹するためにクーデターに訴えたのだ。
 ところが、タマルドや独立労組連盟の指導部の多数派は、軍のクーデターを「第二革命」と位置づけ、今日に至るも労働者革命の阻止という軍部の本当の目的を正しく認識していない。
 とりわけ重要なのは、2011年のエジプト革命の牽引車の役割を果たした独立労組連盟が、軍部のクーデターやムスリム同胞団の弾圧の評価をめぐって分裂し、軍部やムバラク派ブルジョアジーの支配の再建策動に対する有効な反撃を組織しえていないことである。
 独立労組連盟のアブ・エイタ元委員長は、暫定政権の労働大臣に指名されて、軍部やムバラク派の資本家に協力する立場に立ってしまった。エイタは労働大臣に就任後、暫定政権の統治期間には労働者は生産を阻害するストライキをやめようとさえ呼びかけ、暫定政権への協力を強要した。さらには首を切られた労働者たちが保障を求めて労働省に対する要請行動や抗議行動を行っても労働者に会おうともしないどころか、治安部隊に労働省前から労働者を強制排除させてもいる(10月3日)。アブ・エイタは、ムスリム同胞団に対する無差別虐殺を支持したばかりか、労働者の正当なストライキに対しても、ムスリム同胞団が挑発したストライキだとして労働者の要求を無視した。
 以上のようなアブ・エイタ元委員長の言動の評価をめぐって、独立労組連盟は混乱と分裂状態に陥ってしまった。独立労組連盟指導部の多数派は、アブ・エイタ支持の立場に立ち、軍部が組織したムスリム同砲団支持の「反テロリズム集会」などに組合として参加するなどの決議を行ったりしている。
 これに対して独立労組連盟内の少数派は、軍部やムバラク派ブルジョアジーの反革命的意図を見抜き、賃上げや労働条件の改善などを要求するストライキを支援し、これまでどおり労働者階級自己解放の立場に立った闘いを継続しようとしている。
 だが独立労組連盟内部にこのような分裂が起きたことで、225万人の組合員を有する戦闘的労組の活動は大きく停滞し始めている。
 このため労働者階級のストライキは2012年には3800件もあり、ムルシ政権の労働運動弾圧が激化した2013年には前半だけで5000件もあったが、2013年7月以降は急速に減少した。

裏切りを乗り越えて闘う労働者

 独立労組連盟が決定的な時点で分裂したのはなぜか。それはムバラク時代から米帝が独立労組連盟の取り込み策動を展開し、いざという時にエジプトの資本主義体制護持のために利用しようとしてさまざまな工作を行っていたからである。
 ムバラク時代にエジプト労働組合連盟(EFTU)という御用組合が労働者階級から見放され影響力を失うなかで、米帝やEU帝国主義は、米AFL―CIOやヨーロッパ労働組合連盟などを通じて、エジプト労働者階級への影響力を急速に強めていた独立労組連盟への財政支援や人的交流を活発に行った。米帝やEU帝は、ムバラク体制の崩壊が到来した際にエジプト労働組合連盟に代わって労働者階級を統制できる組織として独立労組連盟を確保しようと準備していたのだ。こうしてアブ・エイタ前委員長は2010年に独立労組連盟の結成に努力したとして、AFL―CIOから、ジョージ・ミーニー=レーン・カークランド人権賞を受賞して、AFL―CIOに取りこまれた。
 だが、米帝やAFL―CIOによって周到に工作されたアブ・エイタの裏切りは、独立労組連盟全体の屈服と反動化を直接に意味するものではない。労働者階級が独立労組連盟の下に団結してムバラクやムルシと断固として闘うなかで、このような一部指導部の米帝への屈服を乗り越える力が強固に形成されてきたことをわれわれは忘れてはならない。労働組合の下に団結して闘い続けてきた労働者階級は想像もつかない階級性・戦闘性をもって決起する存在なのだ。

「左派勢力」の混乱

 ここでもう一つ見ておかなければならない問題は、エジプトの革命勢力のなかで「左派」を自称する勢力が、米帝と軍部、ムバラク派ブルジョアジーが共謀して組織したタマルド運動に絡めとられて、労働者階級の革命的闘いに大きな混乱を持ち込んだという問題だ。
 イギリスの社会主義労働者党(SWP/トニー・クリフ派)というトロツキスト系党派の影響下にあるエジプトの革命的社会党(RS)や、2011年2月革命で青年をムバラク打倒運動に組織する重要な役割を果たした「4月6日青年運動」は、タマルドの反革命的策動を見抜くことができず、タマルドをムルシ政権打倒のエジプト第二革命のための広範な統一戦線と位置づけた。さらに軍部がタマルドと共謀しながらクーデターでムルシ政権を打倒すると、これを民衆の意思を軍部が汲み取った第二革命の実現であると評価した。ムバラクを打倒した2011年2月革命とその後の労働者革命を阻止するために、タハリール広場に集まった労働者人民を弾圧し、労働運動を弾圧した軍部が反革命勢力以外の何者でもないことが明らかであったにもかかわらずである。
 7月のクーデター後に、軍部がムスリム同胞団に対する大虐殺を開始するなかで、彼らはようやく軍部のクーデター支持の立場を転換した。ただし、自分たちの誤りを徹底的に総括し、路線の転換を鮮明に決断することなく、いわば乗り移り的に方針を転換したのである。このような路線上のジグザグは今回が初めてではない。彼らは2012年5~6月の大統領選挙の際にも、ムルシを「右派ではあるが革命勢力の一翼」であるとして支持し、ムルシへの投票を呼びかけた。そしてムルシとムスリム同胞団が大統領選後に新自由主義政策を全面的に展開し、労働運動の弾圧を強化し始めると、一転してムルシ打倒運動を呼びかけたのである。この時にも、ムルシを支持したという誤りを総括する作業は行われていない。
 彼らの最大の問題は、どの勢力と統一戦線を形成したら、自分たちの党やグループの勢力を拡大し、労働者階級に対する影響力を拡大できるかという観点から、あれこれの勢力との統一戦線を追求することを唯一の路線としているということである。だから独立した前衛党の下で労働者階級の階級的利害を断固貫く立場から原則的な階級闘争を展開する立場を放棄し、無原則的に統一戦線を組んでしまうのである。統一戦線の相手が、労働者階級の自己解放闘争を否定し、資本主義を肯定するムスリム同胞団であろうと、米帝と深いつながりを持ち、自らも資本家集団でもある軍部であろうとも、この統一戦線の内部で一定の活動の自由が確保され、労働者階級に対する影響力を拡大できればいいとするのである。
 だがそのような姿勢は、階級的で原則的な立場を薄め、放棄し、労働者階級を階級協調的な路線に引き込むものでしかない。プロレタリア革命に向かって確固たる路線を確立し、どんな困難があってもその路線の下に労働者階級の闘いを自らの力で組織することを放棄したからこそ、このような決定的誤りが生じたのだ。
 このような勢力の破産は不可避である。実際、ムスリム同胞団との統一戦線も、自由主義ブルジョアジーや軍部との統一戦線も破産し、これらの勢力は労働者階級から信頼されなくなっている。

ランク&ファイルの反撃

 独立労組連盟の一部指導部や「左派」勢力のこうした混乱や分裂状況にもかかわらず、独立労組連盟やその他の戦闘的な労働組合のランク・アンド・ファイルの労働者は、依然として戦闘的精神を維持し、ストライキ闘争に決起している。
 クーデター後に軍によって任命された暫定政権は、ムルシ政権以上に反労働者的政権であり、労働争議に対して頻繁に軍隊を動員して暴力的弾圧を行っている。ムルシ政権時代には軍部は、ムルシ政権を弱体化させるために、敢えて労働者のストライキを軍隊で弾圧することはあまりしなかった。労働者階級の一部の間に存在する軍に対する幻想を維持するために、ムルシ政権による軍隊の出動要請も拒否する場合もしばしばあった。だが、クーデター後にムスリム同胞団の弾圧が一段落すると、軍部は労働者たちの職場での闘いを軍事力を動員して弾圧し始めた。

(写真 スエズ鉄鋼会社のスト弾圧に出動した軍隊【2013年8月12日】)

スエズ鉄鋼のストライキ

 スエズ鉄鋼会社の2100人の労働者は、一部の組合指導部からの圧力を跳ね返して、未払い賃金の支払いを求めて7月23日からストライキに入っていた。これに対して8月12日、軍は多数の治安部隊を出動させ、工場を包囲し3人の労働者を逮捕した。8月17日にはシミタール石油会社のストライキを軍隊によって暴力的に弾圧している。さらに軍は、8月26日には未払い賃金の支払いを求めてストに入ったマハラのミスル繊維工場の数千人の労働者を弾圧するために出動した。これらの弾圧はいずれも、争議の背後にストライキで国民経済を破壊するテロリスト集団・ムスリム同胞団がいるという口実で行われた。これらの弾圧は、ムバラク時代の暴力的弾圧政策が復活したことを示すものであった。
 だが労働者階級はこのようなデマに屈服しなかった。スエズ鉄鋼の労働者は、軍の弾圧にもかかわらず、闘争を継続し、ついに8月22日、3人の逮捕された労働者を奪還し、首を切られた15人の労働者の職場復帰をかちとり、仕事を再開した。
 このように2万3000人の労働者を擁する中東最大の繊維工場であるマハラのミスル繊維工場の労働者は軍の弾圧に屈しない闘いを継続している。彼らは、政府によるストライキ中止命令を拒否して10月9日から4日間のストライキを打ち抜き、4000人の労働者が工場前に座り込んで泊まり込み闘争を貫徹した。そしてついに10月13日、遅延していた給料とストライキ期間中の賃金の支払いをかちとり、職場に復帰した。きわめて困難な状況下での偉大な勝利だ。
 これらの闘争はいずれも2011年の革命後もエジプト労働組合連盟の支配下に置かれていた国営工場での闘いであった。独立労組連盟は国営工場では組合を組織することができないことが法律で規定されているからである。にもかかわらず、独立労組連盟の多くの労働者がこれらの闘争の支援に駆けつけ、労働者階級全体の利害がかかった闘いとしてともに勝利をかちとった。
 独立労組連盟の一部の指導者が変質しても、ランク・アアンド・ファイルの労働者はエジプト労働組合連合の支配下にある労働組合の労働者と団結して勝利をかちとっているのだ。とりわけ、2011年のエジプト革命の主力部隊として登場したマハラの繊維労働者の闘いは健在だ。
 われわれはここに大きな展望を見出すことができる。軍部がムバラク時代以上に暴力的な軍を動員した弾圧を行っても、職場で労働者が団結して闘えば、それをはね返すことができること、また、独立労組連盟内の革命的勢力が、マハラの労働者と連携して闘う勢力として健在であることをマハラの労働者たちは全エジプトの労働者に具体的に示すことができたからだ。

(写真 ストライキで要求をかちとったエジプト鉄鋼会社の労働者【2013年12月14日】)

新たな闘いの発展

 この一連の闘いに勝利の確信を持った労働者たちは、その後もエジプト労働組合連盟と独立労組連盟の二つのナショナルセンターの指導部の制動を排して、新たな闘いに決起しつつある。
 11月10日には、ムスリム社会では休日である土曜日の出勤強制に反対して500以上の郵便局で全国一斉ストライキが行われた。
 同10日にはシュブラ市の都市交通の1000人の検査・修理部門の労働者が、金・土曜日の休日と週35時間労働の実施を要求してストライキに突入した。
 またナイルデルタのガルビア県の工場の数百人の労働者は、10月末から11月17日にかけて、支払いが遅延していた9月分の賃金の即時給付を要求して3週間にわたってタンタ市とマンスーラ市を結ぶ線路上に座り込み、泊まりこんで闘った。17日には警察の弾圧で28人の労働者が逮捕されたが、労働者たちはこの弾圧に屈せず闘争を継続している。
 11月25日には、南カイロのヘルワンの国有鉄鋼会社の労働者5000人が、未払い賃金の支払いと社長の辞任を求めてストライキに入った。このストライキは、12月14日まで19日間にわたって激しく闘われ、ついに政府に全要求を認めさせて終了した。
 労働者階級の不屈の闘いが再び活発化するなかで、独立労組連盟の内部でも軍部および暫定政権と対決する勢力が次第に力を持ち始めている。
 今後軍部と暫定政権、そして2014年に樹立される正式政権の下で、労働者階級に対する新自由主義攻撃と弾圧が激化するなかで、2011年以来の激闘で鍛えられた労働者階級は必ずや新たな闘いに決起するであろう。
 確かに現在は、労働者階級の間に軍部への幻想が残存し、軍部のクーデターを第二革命と見るか、新たな反革命勢力の再編的登場と見るかをめぐってさまざまな分裂が生じている。それに応じて労働運動の一定の後退が生じてもいる。だが、労働者階級の革命を求める闘いはクーデターによって決定的な打撃を受けたわけではない。軍部による労働者階級への新たな攻撃が激化すれば、それと対決する独立労組連盟内の左翼的勢力やマハラの労働者階級の闘いを軸にして、新たな革命的高揚局面を労働者階級自身の力で必ず切り開くことができるであろう。
 エジプトの労働者階級にとって今問われているのは、階級的労働運動の立場から軍部やムバラク派ブルジョアジーの共同支配体制を打倒する労働運動の再建強化と、それと一体で労働者階級の真の前衛党を建設することであろう。それは困難で紆余曲折を経るものであろうが、エジプト労働者階級はこの闘いに必ずや勝利し、エジプト第二革命を実現するであろう。