■国際労働運動の暦/1月22日■1905年「血の日曜日」■請願行進への大虐殺請願行進への大虐殺労働組合の爆発的結成とソビエト創成、第1次ロシア革命の発端に

月刊『国際労働運動』48頁(0449号07面01)(2014/01/01)


■国際労働運動の暦/1月22日
■1905年「血の日曜日」■
請願行進への大虐殺請願行進への大虐殺
労働組合の爆発的結成とソビエト創成、第1次ロシア革命の発端に

(写真 冬宮前に集まった労働者に向けて発砲する軍隊【1905年1月22日】)

 血の日曜日とは、1905年1月22日(旧暦1月9日)、ロシアの首都ペテルブルク(注)での労働者の大規模請願デモとそれに対する軍隊の無差別発砲、大虐殺事件のことである。これに端を発して闘いが全土に燃え広がり、1905年ロシア第1次革命となった。
 労働者たちは、ツァーリ(皇帝)ニコライ2世に対する嘆願書を出そうと、冬宮(宮殿)に向かってデモに立ち上がった。この時、これを率いたのが司祭ガポンであった。

 ●ストから請願行動へ

 ガポンは、1904年2月に官許の合法組織「ペテルブルク市ロシア人工場労働者の集い」という組織をつくっていた。ガポン組合と呼ばれる。04年12月にプチロフ工場での4人の組合員解雇事件に対する陳情が認められなかったことから、05年1月16日、同工場のストが闘われた。ストは次第に全市に広がった。その数は、20日に382工場10万人に達した。解雇撤回だけでなく、8時間労働日、超過勤務の廃止などの要求が積み上げられ、22日には、皇帝への直接請願行動が呼びかけられた。ガポン自身は警察とも関係を持ち、反マルクス主義の立場で、闘いの革命的発展を押しとどめようとしていたことは明白である。しかし、労働者階級の怒りと闘いの意欲は日々高まっていき、支配階級との激突は非和解的になっていった。
 ガポン執筆の請願書の書き出しはこうである。
 「陛下! わたしたちペテルブルク市の労働者および種々の身分に属する住民は、わたしたちの妻や子、よるべなき年老いた親たちともどもプラウダ(正義)と助けを求めて、陛下の御許へやってきました。......しかし、わたしたちは、ますます貧乏、無権利状態、無教育のどん底に押しやられるばかりで、専制政治と横暴にのどもとをしめつけられ、窒息しそうです。陛下、もう力が尽きました」
 その日は午後2時に冬宮前に集まることになっていた。工場街にある組合各支部では大群衆が冬宮を目指して朝から行進を始めた。ガポンはナルワ支部の先頭に立った。参加者の総数は10万人近かった。ツァーリ政府の許すはずがない行動であり、市内要所要所に軍隊が配置され、阻止線が張られていた。行進が阻止線に来ると騎兵に蹴散らされ、なおも進もうとすると一斉射撃が浴びせられた。非武装の労働者は次々と銃弾に倒れた。死者千人、負傷者4千人と言われる。
 それは、階級激突が極限的に行き着くところに行ったことを鮮明に示した。皇帝への幻想も打ち砕かれた。ガボンの意思がどうあろうとも、それはプロレタリア革命の火ぶたを切る偉大な役割を果たしたのだ。

 ●「偉大な歴史的事件」

 レーニンは、この事態に直ちに態度表明を行った。
 「きわめて偉大な歴史的事件がロシアにおこっている。プロレタリアートはツァーリズムに反対して立ちあがった。プロレタリアートは政府によって蜂起に駆りたてられたのだ。政府が事態を軍事力の使用にまでもっていこうと思って、わざと比較的妨害を加えずにストライキ運動が発展するままにまかせ、また広範なデモンストレーションが始まるままにまかせたということは、いまではほとんど疑う余地がない。そして、政府は事実そこまで事をもっていったのだ! 何千もの死者と負傷者――これがペテルブルグにおける一月九日の血の日曜日の総決算である」(レーニン「ロシアにおける革命の始まり」レーニン全集第8巻)
 翌23日からストライキは全国に広がり、1月だけでもスト参加者は44万人に達した(それまでの10年間で43万人)。ペテルブルク、モスクワを始め、初めての労働者ソビエト(革命の機関)がつくられていった。12月モスクワ蜂起が武力で鎮圧されるまで革命の波は続いた。それは17年ロシア革命に引き継がれた。

(注)ペテルブルクは14年第1次世界大戦開始後ペトログラードと改称、レーニン死後レニングラードに、ソ連崩壊でサンクトペテルブルクに。
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 1905年ロシア革命

1.16 ペテルブルクのプチロフ工場でスト
1.22 血の日曜日事件
4.25 ボルシェビキが社会民主労働党第3回大会(ロンドン)
5.25 イワノボ・ボズネセンスクで77日間スト開始
5.27 バルト海艦隊が対馬沖海戦で壊滅
6.27 戦艦ポチョムキン号の反乱
9. 5 ポーツマス条約締結(日露戦争終結)
10.19 モスクワ・カザン鉄道労働者のスト始まる。全国的ストに発展
10.26 ペテルブルクにソビエト成立
10.30 ニコライ2世、立法権もつ議会召集を宣言
11. 8 クロンシタット海兵の武装蜂起
11.21 レーニン帰国
12. 5 モスクワに労働者ソビエト成立
12.23~30 モスクワ蜂起、市街戦で軍隊に鎮圧される