核ミサイル配備許すな 非核三原則解体へ「提言」 元統幕長ら日米高官石破を代弁
週刊『前進』04頁(3400号02面01)(2025/06/16)
核ミサイル配備許すな
非核三原則解体へ「提言」
元統幕長ら日米高官石破を代弁
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」のいわゆる「非核三原則」を見直し、「持ち込ませず」を「(敵から)撃ち込ませず」にするという、政府や自衛隊の元高官の「提言」が発表された。米日帝国主義の中国侵略戦争に向かって、中距離核ミサイルなどの米軍核戦力の日本への配備を一挙に進めようとするものであり、ヒロシマ、ナガサキの反戦反核の闘いを圧殺しようとする攻撃だ。徹底的に弾劾し、8・6広島—8・9長崎反戦反核闘争の爆発をかちとろう。
中国との核戦争を構える
笹川平和財団の「日米・安全保障研究ユニット/安全保障・日米グループ」が発表した「日米同盟における拡大抑止の実効性向上を目指して/『核の傘』を本物に」という小冊子によると、今年3月にホノルルで、日米の実務経験を持った有識者が会合を開き、提言をまとめ、6月2日に記者会見して「提言」を発表した。会合参加者は、元統合幕僚長の河野克俊、山崎幸二、元海上幕僚長の武居智久、元国家安全保障局次長の兼原信克ら、米側はデニス・ブレア元米国家情報長官・太平洋軍司令官ら。提言は、①日米同盟の強化、②自衛隊の態勢強化、③日本国内の備えと見直しなどの項目があり、「提言2」として「非核三原則第3項『持ち込ませず』の見直し」が出されている。
「提言2」は、①日本の非核三原則のうち、核搭載米艦船及び米航空機の、寄港及び領海・領空通過さえ認めないという従来の「持ち込ませず」の解釈は、将来の緊急事態の発生に際して時の政権の判断で非核三原則の例外を認める、という政府見解に従って、見直す必要がある。②非核三原則のうち第3項「持ち込ませず」を「撃ち込ませず」に変更するべきである。さもなければ、米国の戦術核の作戦上の選択肢に関して、日本政府として発言権を失う。③これに伴い、日本国内への米国の核持ち込みや日米間の核共有の取り組み等を検討すべきである、というものだ。
ここで言う「政府見解」とは、2010年民主党政権下の岡田克也外相の衆院外務委員会での答弁を指している。つまり、核の持ち込みを民主党政権も容認していたことを挙げ、「三原則」から「持ち込ませず」を排除せよというのだ。
「持ち込ませず」を「撃ち込ませず」に変更するというのは、「撃ち込ませないために」米軍の核ミサイルを日本に「持ち込ませる」ということであり、180度の転倒である。中国侵略戦争が核戦争になることを強烈に意識し、その中で日帝が米帝と共に核戦力の運用主体となり、日本全土を核兵器の貯蔵庫兼発射拠点とすることを提言しているものだ。
反戦反核闘争と激突必至
「非核三原則」とは、1967年12月の国会答弁で佐藤栄作首相(当時)が表明したものである。「持たず」と「作らず」は、そもそも敗戦帝国主義としての日帝は米帝との関係で核の保有も製造も当面は不可能な中で、「日本は独自の核大国、軍事大国にはなりません」ということをひとまず「宣言」したにすぎない。これに「持ち込ませず」がついたのは、佐藤政権が最大の課題としていた「日米安保堅持・米軍基地付きの沖縄返還」を進めるためには、沖縄に持ち込まれていた核兵器の撤去を約束せざるを得なかったからである(当時は自民党支持層にすら核付きの返還に対する反発があったと言われる)。その後、71年に沖縄返還協定が争われている時に、三原則は国会決議を経て「国是」と呼ばれるようになった。だが、その一方で佐藤は米海軍の原子力潜水艦、原子力空母の寄港を受け入れてきた。しかも沖縄返還交渉では「核抜き・本土なみ」の装いの裏で、核の有事持ち込みの密約を日米間で交わしていた。
今度の元高官らによる「非核三原則見直し提言」は、中国侵略戦争を前にして、日帝自身が「国是」としたものを覆そうとする石破政権の意思を代弁したものである。昨年9月の自民党総裁選の過程で、石破は米の核兵器を日本で運用する「核共有」を提唱した。同月下旬に米シンクタンクのホームページに掲載された石破の寄稿では、「アジア版の北大西洋条約機構(NATO)創設」や「核の共有や持ち込み」の検討を主張した。
「核共有」論は、元首相の安倍晋三がロシアのウクライナ侵攻に関連して2022年2月に「核共有」の議論を促したことを踏襲するものだ。石破はそれ以前にも、17年に北朝鮮が核実験した時に「日米同盟の抑止力向上のため、国内への核兵器配備の是非を議論すべきだ」と語っており、一貫した核武装論者である。
中国侵略戦争に突き進む日帝・石破は、沖縄の軍事要塞(ようさい)化を進めているが、核配備の問題を避けては通れない。労働者人民の反戦反核の意志と闘いとの激突点なのだ。今夏反戦反核闘争の爆発へ全力で闘おう。