天皇の沖縄訪問許すな 天皇制こそ沖縄戦の元凶 「慰霊」の狙いは怒りの圧殺
天皇の沖縄訪問許すな
天皇制こそ沖縄戦の元凶
「慰霊」の狙いは怒りの圧殺

宮内庁は5月7日、天皇・皇后とその長女・愛子が「戦没者慰霊の一環」として6月4、5日に沖縄を訪問すると発表した。4日には糸満市の国立沖縄戦没者墓苑や平和祈念資料館を、5日には那覇市の対馬丸記念館などを(警察権力に厳重に警備されながら)訪れる予定だという。80年前の沖縄戦が、そしてそこに至るまでに日本帝国主義(旧大日本帝国)が行った数々の侵略戦争が、すべて天皇の名において、天皇の命令のもとに、天皇制国家の「護持」のために行われたという歴史の事実を徹底的に覆い隠した上で、「平和を祈る天皇」なる虚像を演出し、沖縄の反戦・反基地の怒りと闘いを抑え込み、天皇制国家のもとに融和・屈服させようとしているのだ。中国侵略戦争に向けた天皇の沖縄訪問を断じて許すことはできない。
消せない天皇の戦争犯罪
1868年明治維新から1945年の第2次大戦終結に至るまで、日帝の侵略戦争は、ただ一つの例外もなくすべて「天皇の軍隊」による「天皇の戦争」であり、天皇制国家のもとで全人民を「天皇の臣民」「天皇の赤子」として総動員することで初めてその遂行が可能となった。天皇制がなければ、あのような形で戦争を発動し継続することはできなかった。とりわけ31年9月に始まる中国東北部侵略戦争(「満州事変」)から中国全土への侵略戦争開戦(37年7月)、アジア・太平洋戦争開戦(41年12月)を経て、45年8月まで足掛け15年にわたって続いた戦争は、昭和天皇ヒロヒトが自ら決断し、指揮をとり、その遂行を全国民に命令した戦争にほかならない。しかもヒロヒトは、敗戦が必至となっても自らの延命のために降伏を拒否して戦争を継続し、それによって戦争の被害をとてつもなく拡大させたのである。
この天皇の重大極まる戦争責任・戦争犯罪が最もごまかしようのない形で明確になるのは、朝鮮をはじめとしたアジアの国々と並んで、まさに沖縄との関係においてである。1879年琉球処分以降、日帝は天皇制国家のもとへの現地住民の同化政策を進めてきたが、37年7月以来の中国侵略戦争の長期化のなかで、単なる同化を超えた皇民化政策を徹底させ、言語・文化・風習などへの取り締まりを強め、本土と同様に大政翼賛会や隣組制度のもとで「天皇と国に命を捧げることこそ名誉であり、国民の使命である」とする意識を徹底的にたたき込んだ。
こうした皇民化政策を前提として、天皇・軍部を頂点とする日帝支配階級は沖縄を「国体護持」(=天皇と天皇制の延命)のための「捨て石」とする作戦を立案し実行した。第2次大戦の最終年に入った45年1月20日、大本営が天皇に上奏し決定した「帝国陸海軍作戦計画大綱」で、沖縄本島以南を「皇土防衛ノ為縦深作戦遂行上ノ前縁」とし、敵が上陸した場合は「極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且(か)ツ敵航空基盤造成ヲ妨害ス」とされた。翌2月には、元首相・近衛文麿が天皇への上奏文で、敗戦はもはや必至であり「国体護持」のために戦争を早期に終結すべきと伝えるが、ヒロヒトは「もう一度戦果を挙げてからでないと、なかなか話は難しい」と答えてこれを一蹴した。天皇の悪あがきのために沖縄は「捨て石」とされ、県民の4人に1人が命を奪われる凄惨(せいさん)な地上戦が強行されたのである。東京はじめ全土への空襲、ソ連参戦、そして広島・長崎への原爆投下などもすべてこの期間に起こっているのだ。
沖縄戦の史実歪曲と一体
だが、ヒロヒトは戦後、マッカーサー率いる連合国軍総司令部(GHQ)にすがりつき、その対日占領政策に全面協力することで戦犯訴追を免れた。以後、ヒロヒト本人はもとより、平成天皇アキヒトも現天皇ナルヒトも、天皇の戦争責任をただの一度も認めたことはなく、戦争で命を奪われたアジアと日本の人民に対して謝罪したこともない。
そればかりではない。戦後、憲法9条施行=日本の非武装化に伴うアジアの帝国主義的軍事支配の空白化をいかに補うかと考えていたGHQに対し、ヒロヒトは47年9月の「天皇メッセージ」で「米国が25~50年ないしそれ以上の長期にわたり沖縄を占領し続けることを希望している」と伝え、沖縄を「基地の島」としてアメリカ帝国主義に売り渡した。天皇こそ、戦後沖縄の基地被害のすべてをもたらした張本人なのだ。
天皇による「平和への思いを示す慰霊の旅」なるものは、天皇・天皇制こそが戦争の元凶であったことを塗り隠し、その戦争犯罪を歴史の闇に葬り、戦没者を「国家のために命を捧げた英霊」へと祭り上げようとする政治的策動以外のなにものでもない。
今、米日帝国主義の中国侵略戦争への準備が、「再びの沖縄戦」を前提に着々と推し進められるなかで、防衛相・中谷元は旧日本軍(第32軍)司令官・牛島満の「辞世の句」を「平和を願う歌」などと賛美し、自民党参院議員・西田昌司は「ひめゆりの塔」(糸満市)の展示物は「歴史の書き換えだ」などと憎しみをあらわにして罵倒(ばとう)した。そして那覇駐屯地に主力を置く陸上自衛隊第15旅団は、今も牛島の「辞世の句」を公式サイトに掲載しているのだ。天皇の沖縄訪問は、沖縄戦の史実を歪曲(わいきょく)し、それを「天皇のために軍民挙げて命を捧げた聖戦」と美化しようとするこれらの動きと完全に一体であり、新たな戦争に向けて皇国史観=天皇制イデオロギーのもとに全人民をひれ伏させようとする策動だ。
実際、自衛隊は幹部や隊員、防衛大学校生らを靖国神社に参拝させ、「皇軍」=旧日本軍賛美のイデオロギーを全将兵にたたき込もうと必死だ。天皇制イデオロギーがどれほど荒唐無稽(こうとうむけい)で非合理的であろうと、日帝にはそれ以外にすがるものがないのだ。ここに、中国侵略戦争への突入を前にした日帝の最大の弱点がある。
4・28沖縄デー全国統一行動に続く5・15沖縄現地闘争の成功から、本土―沖縄が一体となった安保・沖縄闘争の本格的な爆発へ闘いを推し進め、それと一体で天皇の戦争犯罪を徹底的に暴露・断罪し、天皇の沖縄訪問(さらには広島・長崎訪問)に怒りの弾劾闘争をたたきつけよう。そして中国侵略戦争を阻む反戦闘争を闘い抜き、首都・東京を揺るがす6・14全国闘争をかちとろう!
