自民・西田のデマ暴言弾劾 沖縄戦体験者への冒瀆を許すな
週刊『前進』04頁(3395号04面01)(2025/05/12)
自民・西田のデマ暴言弾劾
沖縄戦体験者への冒瀆を許すな
自民党参院議員の西田昌司が、5月3日に那覇市内で開かれた「憲法シンポジウム」で、沖縄戦の際に看護要員として沖縄陸軍病院に動員された沖縄師範学校などの女子生徒・教職員ら(「ひめゆり学徒隊」)を記憶するために建てられた「ひめゆりの塔」(糸満市)の展示内容について、「歴史の書き換えだ」などと非難したことが判明した。絶対に許すことのできない暴言だ。事態の核心は、アメリカ帝国主義と一体で中国侵略戦争に突入するために、80年が経ってなお天皇制を柱とする日本帝国主義の犯罪性を告発し続ける沖縄戦の歴史を、日帝自らがまさに「書き換え」ようとしているということだ。沖縄戦を二度と繰り返してはならないと声を上げてきた戦争体験者に対する、これ以上の冒瀆(ぼうとく)はない。沖縄の怒りと共に粉砕し尽くそう。
「国のため死んだ」と描くことが目的
西田は、数十年前に訪れた際に説明文を読んだとし「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている」「ひどい」と非難し、「亡くなった方々は救われない」などと述べた。さらに、「歴史を書き換えられるとこういうことになる」として「地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」と主張。「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」と述べた。そもそも塔やひめゆり平和祈念資料館にそのような記述はないが、西田は沖縄戦の実相を誤解、あるいは無視しているわけではない。日帝支配階級は新たな侵略戦争への突入を前に、沖縄戦で日本軍が学生を含めた住民たちを動員し命を奪ったという事実を180度ねじ曲げ、少女たちが国のために尊い命を捧げたという「殉国美談」に仕立て上げようとしているのだ。
事実はどうか。ひめゆり学徒隊をはじめ、女子生徒らは各病院に配属され、日本軍と行動を共にしながら負傷兵の看護や死体の埋葬をさせられた。戦闘に復帰できない負傷兵に毒入りのミルクや手りゅう弾を配るなどの「処理」もさせられていた。そして1945年6月18日に日本軍が解散命令を出すと砲弾の飛び交う戦場に放り出され、多くが命を落とした。ひめゆり学徒隊では戦没者の約8割が解散命令後に亡くなり、海岸で「集団自決」に追い込まれた生徒たちもいた。
そして戦後、生存者の多くがトラウマに苦しみながらも、絶対に戦争を繰り返させてはならないという思いで証言を語り、次世代に記憶をつないできたのだ。
歴史修正の狙いは改憲と戦時体制化
露骨な歴史修正の狙いは改憲と戦時体制構築だ。西田は「国民保護できるための法律の整備」のために「間違ってきた戦後の教育とか、でたらめなこと」をやめるべきだと主張し、ひめゆりの塔に言及した。このシンポは神道政治連盟沖縄県本部と沖縄県神社庁、日本会議沖縄県本部が実行委員会をつくり、自民党県連が共催。第1部では元首相・安倍晋三の「顕彰祭」が行われた。改憲と戦争国家化を急いだ安倍の遺志を引き継ぎ、中国侵略戦争に向けて「沖縄の怒り」をたたきつぶす意図で開催されたことは明らかだ。防衛相・中谷元が日本軍司令官の牛島満を美化したように、日帝にとって沖縄戦とは「二度と繰り返してはならない」ものではなく、再び沖縄県民に強制しようとしているものなのだ。
しかし、これは追いつめられた日帝の姿にほかならない。沖縄の怒りは戦後80年が経っても決して消えないどころか、まさに今、全島で進む軍事要塞(ようさい)化に対する実力闘争が激しく闘い抜かれている。
人生をかけて沖縄戦の実相を告発し、証言し続けてきた戦争体験者の思いをわがものとし、日帝打倒・中国侵略戦争阻止へ、安保・沖縄闘争を爆発させよう。
