中国侵略戦争への天皇制攻撃粉砕を 矢嶋尋全学連委員長の「性差別と天皇制」講演録 「戦後80年」攻撃打ち破り反戦闘争に総決起しよう
中国侵略戦争への天皇制攻撃粉砕を
矢嶋尋全学連委員長の「性差別と天皇制」講演録
「戦後80年」攻撃打ち破り反戦闘争に総決起しよう

全学連と改憲・戦争阻止!大行進茨城は4月10日、新入生歓迎企画として「性差別と天皇制」と題する矢嶋尋全学連委員長の講演会をつくば市・春日交流センターで行った。矢嶋委員長は①日本資本主義と天皇制、②戦時下日本帝国主義の女性政策、③「男女共同参画社会」と天皇制、④リベラリズムと天皇制、の四つのテーマで講演し、日本における差別・抑圧や戦争の元凶が天皇制にあり、現在狙われている中国侵略戦争もまた天皇制による「国民統合」をもって推し進められていることを明らかにした。高校生や筑波大生などの参加もあり、集会後、参加者から「天皇制成立の経緯について知り、すぐに解体するべきだという思いが強まりました」「戦争肯定の論理に徹底的に反対したいと思いました」などの感想が語られた。矢嶋委員長の講演の要旨を紹介します。(見出しは編集局)
女性差別・抑圧の根源は何か
今、米大統領トランプは中国への威嚇を強め、第3次世界大戦・核戦争の危機が迫っています。石破政権は8・7兆円の大軍拡予算を成立させ、琉球弧の島々の軍事要塞(ようさい)化・ミサイル基地化を始め日本全土で自衛隊・米軍基地の強化を進めています。
これと一体で4月7日、天皇と皇后は硫黄島を訪問しました。戦後80年となる今年、反戦運動の拠点である沖縄、広島、長崎への天皇訪問も画策されています。このような情勢に向き合うために、改めて「天皇制」とは何かを捉え直すことが必要です。
フジテレビの組織的性暴力や、家庭内での父親から娘への性暴力事件の裁判などが大きな社会的焦点になっています。そもそも、法律上・制度上の「平等」がある程度達成されている現代においても、女性への差別・抑圧・暴力が、なぜ社会のあらゆる領域で世界的にも生み出され続けているのか。リベラル・フェミニズムは、個々人の「無知」や「無理解」、法律や制度上の欠陥が問題だと主張しますが、単なる啓蒙(けいもう)や法整備だけで性差別や性暴力をなくすことができるでしょうか。
答えは否です。女性に対する差別・抑圧は、私有財産制のもとでの家族制度を経済的・政治的基礎にして再生産されています。女性の真の解放は私有財産制度の廃止、階級社会の廃絶、全人間の解放と不可分一体のものとしてあります。
マルクスの唯物史観はそのことを徹底的に明らかにしました。階級のない原始共同体から階級社会への移行の過程で、生産手段を所有する夫が自分の血の入った男子へ財産を確実に相続させるために一夫一妻制家族が確立していきました。この家族制度は、実際には女性にのみ強制された「一夫一妻制」です。夫の買春や不倫は禁じられない一方で、妻の「姦通(かんつう)」は厳しく禁じられ、女性は「子産み道具(男性にとって自分の子孫を産ませるための道具)」「家内奴隷」にされてきました。ここに有史以来の女性差別の物質的・イデオロギー的基礎があります。
近代日本の性差別の特殊性は、天皇を家父長として臣民をその赤子(せきし)に見立てた「家族国家」としての支配構造を確立したことにあります。このことが特殊に強大な女性差別・抑圧をつくり出し、戦争の時代に女性に対する抑圧は「国力」のための出産の強制にまで行き着きました。明治政府は、民衆に天皇崇拝と皇国史観を植えつけ、軍隊や学校を始めあらゆる場面で暴力的な教化政策をとりました。天皇制国家への服従と侵略思想を全民衆にたたき込み、労働者・農民への過酷な搾取と収奪を貫き、近隣諸国への侵略と戦争を正当化し、全民衆をそこに動員したのです。
柳条湖事件(1931年9月)が起きると、日本帝国主義は「銃後」における女性の協力が必要不可欠であると考え、軍部主導のもとで「大日本国防婦人会」を32年10月に創設し、その後会員数2千万人超の巨大な団体となり、女性を「銃後の女」として侵略戦争に加担させていきました。
盧溝橋事件(37年7月)により日中戦争が全面化したことを受け、その困難の中で婦人参政権運動をけん引してきた「婦選獲得同盟」は七つの婦人団体とともに「日本婦人団体連盟」を創設し(37年9月)、戦争協力による女性の「政治参加」を勝ち取る路線にシフトしていきました。
婦人参政権運動の象徴的人物でもあった市川房枝は国防婦人会に参加する女性を見て、「かつて自分の時間を持ったことのない農村の大衆婦人が、半日家から解放されて講演を聞くことだけでも、これは婦人解放である」という感想を抱きました。無権利状態の中、社会からないがしろにされてきた女性が「国家に必要とされる」ことこそが女性の政治参加であり、女性解放だと考えたのです。その上で市川は大政翼賛会に「婦人部を設置せんことを要求」し、政府に対しては女性を積極的に戦時徴用するように提言しました。
もちろん、これは女性の解放にはつながりませんでした。翼賛体制の構築に積極的に参加することは女性の役割を固定化させ、性役割を強化するものでした。実際、戦時の女子教育は、女性に「母性」と「勤労」の両方を課すようになっていきました。また女性の戦時徴用は沖縄の「ひめゆり学徒隊」(44年)のような悲劇も生み出しました。
戦時下日帝の女性動員政策
戦時下の「産めよ殖(ふ)やせよ」政策は41年、近衛文麿内閣で閣議決定された「人口政策確立要綱」によって完全に国策となりました。日本帝国主義は「少子化」の進行を国策=戦争遂行上の重大な危機と捉え、その突破のために産児制限(避妊、中絶)の禁止という、国家による出産の強制にまで女性抑圧を強めました。
同時に押さえておくべき点として、この政策が単純な「出産奨励策」ではないということです。40年3月に厚生省(現厚労省)が立案した「国民優生法」では、出産の奨励においても「民族を浄化し、劣悪遺伝子を排除する」ことがうたわれ、障害者を始め「国家の役に立たない」とされた人々には断種や結婚・出産制限が強制されました。「日本は天皇を中心とする神の国」であるという選民思想のもとに、「劣等な民族」は滅んでもいい、むしろ滅びるべきだとして朝鮮民族などに対する民族抹殺政策とも一体でした。
また、中国侵略戦争の泥沼化と破産による体制の疲弊と危機が進む中、日本の労働者や学生を「最後の血の一滴まで」戦争に駆り立てるイデオロギー攻撃としても重要な役割を持ち、女性をその「旗振り役」に仕立てるものでした。
終戦直後、日本に強制連行されていた朝鮮人・中国人労働者がまず決起したのに続き、日本の労働者も45年秋から続々と労働組合を結成して立ち上がりました。戦時下で「銃後の生産」に大量に動員されていた女性労働者は、敗戦とともに真っ先に首を切られ、飢えた家族を抱えて職場で街頭で、青年労働者とともに続々と闘いに決起しました。当時の民衆を突き動かしたものは、すべての苦しみの元凶である帝国主義戦争と、そこに民衆を駆り立てた天皇と日帝支配階級に対する激しい怒りでした。
日本を占領したアメリカはこの闘争が革命に発展することに恐怖し、革命阻止のために必死に動きました。GHQ(連合国軍総司令部)が作成した憲法草案には、天皇大権の全面的な剝奪と、象徴天皇制への移行が盛り込まれていました。主権在民が宣言され、基本的人権の不可侵性と、議会制民主主義の全面導入がうたわれました。天皇制を支えた家父長的家族制度の解体=婚姻における男女の平等も入っていました。さらに戦争放棄の第9条が存在しました。「これは革命だ」「これでは国体は護持できない」。必死に抵抗する日本政府を、GHQは、天皇が戦争責任者として裁かれることを防ぐためにはこれしかないと説得しました。
このように新憲法の制定は、戦後革命の圧殺=敗北と引き換えに行われた、労働者階級への譲歩と妥協の産物でした。9条はまさに、天皇と日帝をぎりぎりのところで守るための「最後の避雷針」として制定されました。当時の労働者人民の闘いは、そこまで彼らを追いつめたのです。
戦後日本の婦人運動は、戦後革命の敗北によって排外主義イデオロギー、天皇制・家族イデオロギーとの対決を欠落させ混迷を深めていきました。
戦後革命に女性が続々決起
とりわけ日本共産党は、女性解放闘争の領域でも裏切りを繰り返しました。日本共産党はGHQ・占領軍を「解放軍」と規定し、婦人運動を米帝の占領政策としての「女性解放」に屈従させました。このことは第2次世界大戦をとおしての女性の支配・抑圧・差別に対して、戦争の原因である帝国主義を打倒するのではなく、戦争に対する怒りを「母親は平和を求める」という小ブル的な平和擁護運動にねじ曲げました。
その根本原因は、スターリン主義が、本質的に不可分一体であるプロレタリア革命と女性解放闘争とを切断し、マルクス主義を根本から歪曲していたことにあります。また、マルクス主義の核心である労働者階級自己解放の思想を破壊し、女性を「階級意識の低い、遅れた」存在、階級闘争の「足を引っ張る」存在と蔑視し、女性をプロレタリア革命の主体と認めなかったのです。闘いの中での女性の役割は、男性活動家を陰で支えるものとしか位置づけられなかったのです。
日本共産党のこうした制動を打ち破り、70年安保・沖縄決戦には数多くの女性が決起しました。女性が自らの手に政治と暴力を奪還して資本家階級とその国家に対する絶対非和解の闘いに立ち上がったことは、あらゆる差別・抑圧を空中に吹き飛ばすものとなりました。それは全社会に巨大な価値観の転換をもたらしました。女性のみに強制されていたブルジョア的な性道徳は完全に粉砕されて崩壊し、婚姻形態の多様化が一気に進んだのでした。
74~75年恐慌の乗り切りをかけて強行された新自由主義は、徹底的な労働組合つぶしと同時に、全世界的に爆発した女性の決起を体制の内側に思い切ってとり込む攻撃を進めました。
それを日本において最も典型的に示したのが、国鉄分割・民営化(87年)、労働者派遣法(85年)とセットで仕掛けられた「男女雇用機会均等法」制定(85年)の攻撃でした。均等法は膨大な女性を「子どもを持つ女性が働きやすい」といううたい文句で不安定・低賃金のパート労働や派遣労働に追い込み、変形労働時間制の導入=8時間労働制の解体を強行し、女子保護規定(時間外・休日労働の制限、深夜労働や危険有害業務の禁止など)を次々と撤廃しました。その結果として女性労働者が得た「自由と権利」とは、超長時間労働や深夜労働で体がボロボロになるまでこき使われる「自由」であり、正社員の半分以下の低賃金で正社員と同じように多重業務や重労働、残業まで課せられる「権利」でした。
「男女共同参画社会」の推進は、日本帝国主義としてぎりぎりの「飛躍」があり、きわめて危機的な構造をはらんでいました。日本政府は、戦後も一貫して家族制度・家族イデオロギーを国家支配の根幹に据え続けてきました。この基礎が揺らぐことは、天皇制それ自体の動揺と崩壊=日本帝国主義自身の崩壊に直結するほどの重さをもっているのであり、そのことは今日でもなんら変わるものではありません。日帝が今日、伝統的政策とは相いれない「男女共同参画社会」を推進するのは、ひとえに、それをもテコとして戦後的諸制度の解体を推し進めるという一点にあります。
この天皇制・天皇制イデオロギーと新自由主義政策の矛盾は今日、支配階級の内部に激しい動揺をもたらしています。そして現在の戦争情勢下、日本帝国主義が「民主主義対専制主義」の「民主主義陣営」「G7の一員」として「多様性」や「平等」の旗を掲げざるをえないことは、さらに激しい分裂を日帝支配階級、自民党、資本家階級内部にもたらしています。
階級支配維持のための装置
戦争情勢下、労働者の動員のために支配階級の側から「多様性」や「ジェンダー平等」が叫ばれ、アキヒトやナルヒトが「リベラル」面をして登場し担ぎ上げられ、日本共産党を始めとした野党勢力も天皇制を存続させるために躍起になっています。戦争情勢が激化する今、このような立場にのみ込まれれば、戦前の婦人運動が戦争協力の道を歩んだのと同じ轍(てつ)を踏むことになります。
改めて、私たち労働者階級の立場をはっきりさせることが必要です。天皇制は差別主義、権威主義、排外主義の頂点にあり、資本主義国家の階級支配を支える装置です。そして日帝が中国侵略戦争に突き進み、階級支配の危機を深める中では、天皇制は最大限、戦争翼賛のイデオロギーに利用されていくのです。
天皇制は差別主義の極みであると同時に、戦争の元凶でもあります。日帝の侵略戦争は天皇のもとに中国・アジア人民2千万人を虐殺し、日本人民310万人の死をもたらしました。この歴史に対する反省を忘れてはなりません。戦後80年の今年、天皇の沖縄、広島、長崎への訪問が画策されています。反戦・反核闘争を圧殺し、中国侵略戦争への国民動員を狙う攻撃です。沖縄、広島、長崎の人びとの怒りと一体となり、これを許さない闘いを全学連を先頭に闘いましょう。
