団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3391号04面04)(2025/04/14)


団結ひろば 投稿コーナー

国家との対決訴え反戦デモ
 改憲・戦争阻止!にいがた大行進 佐伯敬

 新潟市内で3月22日、反戦集会と反戦デモをかちとりました。終わらないウクライナ戦争、イスラエルによるガザ虐殺の再開、さらに「台湾有事」をあおり中国侵略戦争に進む日本政府と日本のメディアを切り裂く行動として企画し、初参加の学生から80代まで幅広い参加者がありました。とめよう戦争への道!百万人署名運動が改憲・戦争阻止!大行進へ歴史的に合流する闘いでもありました。
 講師の森川文人弁護士は「人々の生活苦は限界に達し、社会や政治のことを考える余裕がない。一方で、トランプやプーチンなど一部の権力者が世界を動かしているかのような報道が続き、国家を主語とする思考に取り込まれている」と指摘。「自分の国が戦争を始めようとしている。『非国民』にならなければ戦争は止められない」「吹き荒れるナショナリズムにリベラル勢力では対決できない。革命をやろう」と真正面から訴えました。これに応えて、新潟の仲間が反戦闘争の課題などを訴えました。
 集会後、繁華街の万代シティに向かうデモで「戦争やめろ、改憲阻止」「トランプ、石破を倒せ」と元気よくコールを上げました。沿道の反応はよく、飛び入りする女性もいました。
 既成政党が愛国主義・祖国防衛主義・排外主義に屈し、自国の戦争に対決しない中、反戦闘争に参加したいと考えている人は確実に増えています。少数派であっても、私たちの行動が重要だと再確認しました。

5月沖縄闘争に向けて集会
 改憲・戦争阻止!大行進東京中部・南部 大野八千代

 改憲・戦争阻止!大行進東京中部・南部は3月22日、「反戦沖縄集会@大井町」を開催しました。米日帝国主義による中国侵略戦争の実態を明らかにして反戦決起を呼び起こし、5月沖縄闘争への総決起を勝ち取るための集会です。初参加4人を含む31人が結集しました。
 全学連の西村凌風書記次長が講演し、米日が軍事演習で中国に対してすさまじい戦争挑発をしていることや、中国侵略戦争の要は日本であることを喝破、沖縄の怒りと連帯して東京で巨大な反戦政治闘争をつくり出そうと訴えました。
 続いて、辺野古や横須賀反基地闘争、硫黄島遺骨収拾といった行動を続ける7人が次々と反戦闘争を訴えました。原発とめろ!新橋アクションも闘う決意を表明。集会初参加の男性は「妻、子どもがいる者は降りろ」と命令されて戦艦大和に乗らなかった叔父さんの話をしました。大和に乗った多くの若者が戦死したのに自分は生き残ってしまったと、生涯自らを責め続けたそうです。帰り際に4・27渋谷デモに参加すると表明しました。
 責められるべきは生き残った兵士ではなく、侵略戦争をする帝国主義国家です。戦争をあおっているのは米日帝の側であり、この戦争が資本主義を延命させるための戦争だということを暴露し、中国侵略戦争阻止闘争への結集を広範に呼びかけ、実力闘争で闘う陣形を広げていきます。

「前進チャンネル」広めよう
 群馬 白川はるな

 「前進チャンネル」第500回を目前にして、チャンネル登録者数1万5千人突破、総再生回数500万回突破おめでとうございます。私はこの動画を周りの人たちにすすめてきましたが、もっと多くの人に見てほしいです。面白くて、とても勉強になります。
 私のお気に入りは、昨年3月の「新入生諸君 全学連に入り戦争止めよう(新歓特別編)」と同年10月の「日本共産党員は中核派へ入り反戦闘争に共に立とう(特別編)」。3年前の「ウクライナ戦争とめよう(特別編)」は感動的でした。第371回「中国侵略戦争、核ミサイル配備、国葬とめよう!」(2022年9月)はとてもわかりやすかったです。第405回「G7は帰れ!広島現地で怒りのデモ」(23年5月)の作部羊平さんの獄中エピソードは爆笑ものでした。
 これからも発信し続けてください。みんなで前進チャンネルを広めましょう。

田口同志・大形同志を追悼
 東京 高田隆志

(写真 田口政之同志)

(写真 大形敏也同志)

 1960年代以来の革命戦士、前進経営局員の田口政之同志、革共同救対部員の大形敏也同志を偲(しの)ぶ会が4月6日、東京の前進社で開かれ、故人の旧知の同志たちを始め約50人が集った。
 田口同志は昨年12月23日、虚血性心不全で急逝した。82歳だった。前立腺がんとの闘病を続けてきた大形同志はその10日前の同月13日、逝去した。77歳。
 田口同志は高校卒業後、三菱日本重工に就職し横浜造船所に配属された。職場では人気があり、同僚から慕われていた。70年安保・沖縄闘争を闘う中で革共同に加盟した。大形同志は三重県出身で、日本鋼管鶴見造船所の子会社に就職、鶴見地区の反戦青年委員会で闘った。2人とも京浜工業地帯の大企業の労働者として反戦闘争に決起した。
 70年闘争を闘った革共同に向かって反革命カクマルが権力に呼応して武装襲撃を繰り返してきたことに対し、革共同は二重対峙・対カクマル戦に突入した。その中で両同志は革命的報復戦に立ち、横浜国立大学構内でカクマル学生を完全せん滅する74年1・24戦闘に決起した。両同志はこの戦闘で全国指名手配され、非公然活動に移行して闘い抜いた。26年の時効で指名手配攻撃に完勝して2000年、公然活動に復帰した。
 田口同志は、前進経営局に所属し、持病を持ちながら原則的、組織的に闘い抜いた。「前進」の全国発送作業を恒常的に担い、党の機関紙活動を根本で支えてきた。丁寧な仕事を頑固に貫く不屈の戦士だった。周囲に安心感を与える人格だった。最期の日まで現役で活動し抜いて亡くなった。
 大形同志は、星野再審闘争の先頭で闘い、星野文昭同志の獄死の後、東日本成人矯正医療センターと徳島刑務所の証拠保全を申し立てて保全をかちとるなど、国家賠償請求訴訟のための活動に尽力した。21年8月に前立腺がんの診断を受け、闘病生活に入った。最期まであきらめず病気と闘う、まっすぐな革命一筋の人生だった。
 偲ぶ会では、前進経営局と救対部の同志を中心に、いかに両同志が優れた、心優しい、力強い同志であったかを数々のエピソードを交えて語り合った。神奈川で70年闘争を共に闘った同志が両同志の素晴らしい人格をたたえた。
 革共同政治局を代表して水樹豊同志が追悼の言葉を述べ、「極めて重要な任務を最後まで担い抜いてくれた、かけがえのない革命戦士を追悼する」「2同志を失ったことは本当に残念だが、革命運動が不敗であることの根拠は、倒れた同志の闘いを次の世代が引き継いでいくことにある」とアピールした。2同志の遺志を引き継いで闘い抜くことを全体で確認しあった。

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