星野国賠で一審勝利判決 獄死させた国の責任を認定

週刊『前進』04頁(3390号04面01)(2025/04/07)


星野国賠で一審勝利判決
 獄死させた国の責任を認定

(写真 判決後の報告集会。全員で勝利を喜び、弁護団と星野暁子さんに大きな拍手が送られた【3月24日 東京都千代田区】)

 1971年11・14沖縄返還協定批准阻止渋谷闘争を闘い、「殺人罪」をでっち上げられ、無期懲役で下獄中に獄死させられた星野文昭同志の国家賠償請求訴訟の判決が3月24日、東京地裁であった。民事第14部の村主(すぐり)隆行裁判長は、被告・国が適切な治療を怠ったことを認め、原告の星野暁子さんと兄弟2人に計約2200万円の損害賠償を命ずる判決を言い渡した。星野同志に肝臓がんの疑いがあることを知りながらそれを隠蔽(いんぺい)した徳島刑務所と、手術した後適切な術後ケアを怠った東京の東日本成人矯正医療センターによって星野同志の命が奪われたことを、裁判所が認めたのだ。5年間にわたる国家賠償請求訴訟の闘いは、原告と原告代理人の弁護団、支援の闘いで勝利を積み重ねてきたが、それが判決として確定した。画期的な勝利だ。
 70年安保・沖縄闘争以来闘いの先頭に立ってきたかけがえのない戦士である星野同志が、当然なすべき治療を受けていれば、命を失わずに済んだのだ。国家権力によって殺されたことに改めて怒りが込み上げる。

「止血措置していれば生存」と

 判決は、まず第一に星野同志の手術をした医療センターの責任を明らかにした。2019年5月28日に肝臓がん切除手術が行われ、その後同センター医療部長は、暁子さんに対して「手術は無事終了しました」と語った。ところが手術終了から2時間後の午後6時50分に、それまで120台を維持していた血圧が64に下がった。尿も出なくなった。医師は術後出血を疑い、検査をするなどの対応をする義務があった。
 ところが「スキルが高い」として外部から招かれた執刀医は手術終了直後に帰ってしまい、緊急時に呼び戻すオンコール体制も無かった。その上、手術の助手を務めた外科医も午後8時過ぎに帰ってしまった。このために、星野同志は30日に絶命した。これは国家による殺人だ。
 判決は「医療センター医師には止血措置等実施義務違反があった」「上記注意義務を尽くしていれば、30日時点で生存していた高度の蓋然(がいぜん)性があると認められる」と明確に断じている。
 第二に、徳島刑務所長の責任についても踏み込んで判断している。

徳島刑務所長の治療責任認めず

 星野同志は、前年の18年8月に激しい腹痛で倒れた。しかし刑務所の医師は1日病舎で休ませただけで刑務作業に復帰させた。その後も食欲不振と体重減少が続き、心配した家族や弁護団が繰り返し要求したのに徳島刑務所は精密検査を行わなかった。
 翌19年3月1日にようやく行ったエコー検査で肝臓に腫瘤(しゅりゅう)が見つかり、医師はカルテに「CT必須」と記入した。しかし、6日の「刑務官会議(幹部会議)」で所長は「背景が複雑な人だから慎重に対応するように」と指示した。要するに「何もするな」と命じたのだ。このため仮釈放審理を行っていた四国地方更生保護委員会に病状を通知しなかった。
 受刑30年を迎えた者は義務的に仮釈放審理を開始するという法務省通達に基づき、星野同志の仮釈放審理が始まっていた。「社会内処遇規則」第7条は心身の状況に変化があった時は同委員会に通知するよう刑務所長に求めている。しかし所長は通知しなかった。星野同志本人にも家族や弁護団にも伝えなかった。裁判所はその違法性を認めて賠償金支払いを命じたのだ。
 この2年前から星野同志の解放要求の闘いが全国的に巻き起こり、更生保護委員会が審理をしている最中だった。高松市で2度の大集会が開かれ、「星野さんをただちに解放しろ」という運動が続いていた。所長は重要な情報を隠蔽し、3月25日に更生保護委員会が「仮釈放は認めない」と判断したことを見届けてから、星野同志の医療センターへの移送の手続きを始めたのだ。
 このことについて判決は、星野同志の「仮釈放審理が適正に行われることへの期待権が侵害された」と認定した。これは不十分ながら徳島刑務所長の違法性が断罪されたものとして決定的な意味を持っている。
 しかしながら判決は、徳島刑務所が星野同志に対して十分な検査も治療もしなかった責任は認めなかった。18年秋に精密検査を行っていれば、およそ半分の体積で肝臓がんを発見できたのだ。もっと安全に手術を行うことが可能になり、星野同志は今もわれわれと共に闘っていたと言える。

勝利に沸く集会

 この日、星野全国再審連絡会議を始めとする支援の仲間が正午過ぎから法務省弾劾の包囲デモと東京地裁前街宣を闘った。傍聴席の倍の約百人が抽選に並んだ。原告席には星野暁子さんと星野同志の兄の治男さんが座った。裁判長から主文が読み上げられると、明確な勝利判決に拍手が起こった。国賠闘争の勝利を星野同志に届けられることに喜びの声が上がった。
 裁判後の記者会見と報告集会には、傍聴できなかった人も含め80人が集まって喜び合った。原告代理人の岩井信、土田元哉、藤田城治、和久田修の各弁護士が判決の意義について報告・解説した。暁子さんは「文昭の死の責任を取らせる判決だった。国の責任を認めて、止血をしていれば文昭は今ここにいることができたという判決。四国地方更生保護委員会に対する通知義務違反も認めた。本当にうれしい。控訴するかどうか検討して、最後まで闘いたい」と決意を述べた。
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