沖縄を再び戦場にするな4・27渋谷デモ-5・15沖縄へ

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週刊『前進』04頁(3389号04面01)(2025/03/31)


沖縄を再び戦場にするな
4・27渋谷デモ-5・15沖縄へ

(写真 昨年5月20日、沖縄闘争に結集した労働者・学生は辺野古現地での座り込み闘争に決起し、資材搬入を阻止した)



(写真 公道を戦闘車が走ることに抗議する住民【2022年11月17日 沖縄県与那国島】)

(写真 日米共同で行われてきた強襲上陸演習=アイアン・フィスト【2023年3月 鹿児島県徳之島】)


 今、日本政府は連日「中国の脅威」をあおり、マスコミもそれに追随している。だが実際に起きていることは、もはや軍事力以外の「強み」を失ったアメリカが、「最大の競争相手」とみなす中国をたたきつぶす侵略戦争を進めているということである。この中国侵略戦争の最前線にされようとしているのが沖縄だ。再びの沖縄戦を、アジアへの侵略戦争を絶対に許してはならない。4・27渋谷デモ―5・15沖縄現地闘争に駆けつけよう。

中国を標的に日米共同作戦
南西諸島の「戦域化」を計画

 沖縄を含む南西諸島(九州南端から与那国島まで約1200㌔メートルにわたる島しょ群)は今、米日による中国侵略戦争の最前線の「戦域」とされようとしている。
 防衛省の防衛研究所は、中国との戦争を想定した「統合海洋縦深防衛戦略」を2021年に提言した。戦場となる地域として南西諸島を想定し、「半年から1年の長期戦に持ち込んで米軍や同盟軍の来援を待つ」というものだ。その発想は戦前の大日本帝国が「皇土防衛ノ為ノ縦深作戦遂行上......(敵が上陸した場合は)極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且(か)ツ敵航空基盤ノ造成ヲ妨害ス」(帝国陸海軍計画大綱)として沖縄を「捨て石」としたことと全く同じだ。今、米日が進めている対中国の軍事戦略は、文字通り「再びの沖縄戦」にほかならない。
 よく「中国が日本に攻めてくるのではないか」と言われるが、そもそも2010年代から軍事力のアジア・太平洋シフトを進め、中国本土への侵攻を可能とする作戦の考案を始めたのはアメリカである。その成果として17年に公表されたのが海兵隊の「遠征前進基地作戦(EABO)」だ。
 EABOは、空港や港湾などの重要インフラが整っている有人島を中心に、海兵隊が臨時の基地を南西諸島の島々に建設して移動を繰り返しながら中国軍とミサイルを撃ち合うという作戦だ。街や農地は中国軍の反撃だけでなく臨時基地の建設によっても破壊されることは必至だ。日本政府は先島諸島からの12万人の避難計画案を示しているが、ミサイルが飛び交う海上を逃げられるわけはなく、机上の空論でしかない。
 アメリカの有力シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)で「台湾有事」における米軍の作戦シミュレーションを行ったマーク・カンシアンは、「(民間人の)被害は想定していません」「(住民は)作戦が行われる場所から離れ、山にある小屋で2週間ほど耐えればよい」などと言っている。住民が暮らす島々を米軍の作戦遂行の足場とし、民間人を戦火に巻き込むことも辞さないということだ。そもそも「作戦が行われる場所」など住民にわかるはずなく、2週間もどうやって戦場で水や食料を確保しろというのか。
 日本も米軍の動きに呼応して2010年代から自衛隊の「南西シフト」を開始、16年の与那国島への陸上自衛隊部隊の配備を画期として、南西諸島のミサイル基地化・軍事拠点化を急ピッチで進めてきた。
 沖縄本島、石垣島、宮古島、奄美大島に陸上自衛隊のミサイル部隊を配備し、ミサイルの射程距離を伸ばし、米軍から大量の巡航ミサイルを購入して中国本土への攻撃手段の保有を図っている。与那国島にもミサイル部隊の配備が狙われ、3月24日には宮古島に電子作戦隊が発足した。宮古島などの現地住民の間でも「『力による現状変更』を進めているのは中国ではなく、米日のほうではないか」と抗議の声が噴出している。
 「日本版海兵隊」と言われる陸自「水陸機動団」が18年に発足して以降、大規模な日米合同軍事演習が南西諸島で行われるようになり、水陸機動団と米海兵隊の共同作戦訓練が積み重ねられている。これと一体で、空港・港湾や公道など民間のインフラに加え演習場になっていない山や森、農地などを実際に使用する訓練が増加し続けている。今や米軍・自衛隊は部隊増強や拠点の拡大・新設にとどまらず、すべての施設・土地を戦争のために利用しようとしているのだ。

戦争の切迫下で基地被害が拡大
米兵の女性暴行、政府が隠蔽

(写真 米兵による少女暴行事件を弾劾して10万人が結集した1995年10・21沖縄県民総決起大会)

 在日米軍専用施設の7割が集中し、事故・騒音・化学物質の流出による環境汚染などの深刻な被害を負わされてきた沖縄で、近年急増しているのが米兵による度重なる女性暴行などの凶悪犯罪だ。
 2024年6月25日、在沖米空軍兵長が前年12月に少女を暴行し、3月に起訴されていたにもかかわらず、米軍と日本政府がこれを半年以上にわたり隠蔽(いんぺい)していたことが発覚。さらに同様の事件が相次いで判明した。在日米軍は10月に「再発防止策」と称して深夜の基地外での飲酒制限を開始するが、その矢先の11月、またも海兵隊員が沖縄本島で女性に性的暴行を加えていたことが今年1月に発覚した。日本政府はこれらの事件を知りながら、いずれも数カ月にわたり隠蔽した。沖縄県議選(昨年6月)などへの影響、さらには1995年9月の米兵3人による少女暴行事件に猛然と抗議して10万人が決起した10・21県民大会のような事態に発展することを恐れたのだ。
 米軍関係者による凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、性的暴行)は、米軍占領下の1945~72年に旧琉球政府が記録しただけで900件を超え、本土「復帰」から2022年までの50年間には584件が摘発された。これらは「氷山の一角」にすぎず、刑事事件として扱われずに闇に葬られた被害の数は計り知れない。そして今、米兵の凶悪犯罪は米日帝国主義が中国侵略戦争に突き進む中で急増しており、米軍や日本政府による事件の隠蔽がそれに拍車をかけているのだ。
 米軍嘉手納基地第18航空団司令官のニコラス・エバンス准将は、米軍関係者の性暴力は「地域との関係の小さな一側面」にすぎないと述べ、取るに足らないものとみなして居直った。2月には石破首相が、「米軍が駐留することによって犯罪が起こっているという因果関係を存じ上げない」と言い放った。だが、米国防総省の調査でも、米軍内の性暴力は申告されただけで1年間に8千件以上に達し、実数では3万件近くに上るという。4人に1人の女性兵士が性被害を経験したとする調査もある。これこそが帝国主義侵略軍隊の正体だ。米軍基地がある限り、米兵の性暴力は絶対になくならないことは明白である。米軍基地の存続を容認することは、戦時下でますます激発する性暴力の容認にほかならない。
 沖縄では、訓練や演習の激化に伴う米軍関連の事故も多発している。中でも22年9月までの10年間で972件の事故を起こしてきたパラシュート降下訓練は、県や周辺自治体による中止要求を無視して住民の生活圏で強行されている。
 航空機の部品落下や騒音なども深刻だ。米軍機の飛行差し止め・損害賠償を求める爆音訴訟は嘉手納基地に対して訴訟団計4万人、普天間基地に対して5800人以上が提訴し、「米軍機を飛ばすな!」と声を上げ続けている。

なぜ沖縄に基地があるのか

 現在、米軍用地として使用されている沖縄の土地のうち、住民の意思を尊重した正当な手続きによって取得された土地など一坪たりとも存在しない。それらの土地はすべて、戦争と軍事占領を通じて住民から暴力的に強奪したものである。
 第2次大戦末期の沖縄戦(1945年3~9月)で、ほとんどの住民は戦火に追われて家や畑を離れた。生き残った人々の多くは米軍施設に収容されたが、戦後に収容所を出て故郷に帰るとすでに家はなく、農地や宅地は米軍に占拠されていた。さらに50年の朝鮮戦争勃発後、「銃剣とブルドーザー」による暴力的な土地収用と基地建設が進められた。
 そして52年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治が終了し、日本は独立するが、沖縄は同条約第3条に基づき日本から分離されて米軍の占領下に取り残された。戦後27年にわたり、憲法すら適用されない過酷な米軍支配のもと、軍用機の墜落事故や米兵の凶悪犯罪などに苦しめられた沖縄の人々は、4月28日を「屈辱の日」と呼び、本土復帰を要求する「4・28沖縄デー闘争」を闘うようになった。
 高まる本土復帰の要求に対し日本政府は「沖縄返還」を約束するが、69年11月の日米首脳会談で合意されたその内容は、米軍基地を残したままで施政権だけを日本に返す「ペテン的返還」にすぎなかった。ベトナム戦争下で激増する基地被害への怒りとあいまって、基地撤去を求める沖縄の闘いは本土の安保粉砕闘争と結合して爆発し、沖縄返還協定の白紙撤回を要求する全島ゼネストにまで発展。だが日本政府はこれを踏みにじり、72年5月15日、基地付き返還を強行した。以後「5・15」は全国から労働組合などが現地に駆けつけて反基地闘争を闘う日となった。

沖縄戦から80年
「軍隊は住民を守らない」
県民の4人に1人が犠牲に

(写真 沖縄戦で墓を隠れ家とした日本兵に火炎放射を浴びせる米兵【1945年5月 沖縄県公文書館所蔵】)

 「あの沖縄戦を二度と繰り返すな!」----沖縄の多くの人々が今、こう叫んでいる。80年前の沖縄戦は、米軍の艦砲射撃や空爆・地上戦に加え、住民をスパイと見なした日本軍による虐殺や強制集団死によって県民の4人に1人にあたる12万人以上(住民約9万4千人、「軍人・軍属」として召集された人々約2万8千人)が命を落とした。「軍隊は住民を守らない」----これが血で刻まれた沖縄戦の教訓だ。
 沖縄戦でこれほど多くの住民が犠牲となったのは、日本帝国主義の「国体護持」=天皇制の延命を目的とした「本土防衛」のために、米軍を沖縄に引きとめて時間を稼ぐことを狙ったからだ。昭和天皇ヒロヒトは敗戦が確実であるにもかかわらず、降伏を拒否して「戦果」を求め、多くの人々の命を奪った。沖縄は天皇の延命のための「捨て石」とされたのだ。

要塞化と根こそぎ動員

 太平洋戦争において日本軍はミッドウェー海戦やガダルカナル戦で米軍に惨敗し、劣勢に追い込まれていた。1944年3月、「本土決戦」までの時間稼ぎのため、大本営は沖縄を戦場とすることを前提に南西諸島を管轄する第32軍を創設し、沖縄の「不沈空母化」を打ち出した。これ以降、住民を総動員して飛行場建設や陣地構築が開始され、全島の軍事要塞(ようさい)化が急ピッチで進められた。
 さらに、兵力不足を補うために「防衛隊」「義勇隊」の名で住民が根こそぎ動員された。多くの学校に学徒隊が編成され、男子は「鉄血勤皇隊」や通信隊、女子は傷病兵の看護要員として各部隊に配属され、戦場に駆り出された。

「官民軍共生共死」掲げ

 44年7月にサイパンが陥落すると、米軍の沖縄上陸を必至とみた第32軍司令官・牛島満は「官民軍共生共死の一体化」を掲げ、住民に日本軍と運命を共にすることを強要した。同年10月10日の「10・10空襲」では那覇市の約9割が焼失し、ついに45年3月26日には米軍が沖縄本島南西部の慶良間諸島に、4月1日には中部の西海岸に上陸。日本軍の南部撤退に伴い戦線が南下する中、避難民を含めた住民が戦火にたたき込まれた。
 日本軍は住民から食料やガマ(自然洞窟)などの隠れ場所を奪っただけでなく、軍事機密が米軍にもれることを恐れて捕虜になることを禁じ、いわゆる「集団自決」=強制集団死に追い込んだ。座間味村、渡嘉敷村の犠牲者は600人余、さらに読谷村のチビチリガマをはじめ各地で「集団自決」があったが、この痛ましい犠牲は日本軍による強制・関与・誘導によって強いられたものであることが体験者の証言や沖縄戦研究によって明らかになっている。
 また、足手まといとなる住民を排除するための「疎開」=強制移住が行われ、八重山諸島では3千人以上がマラリアで亡くなった。
 米軍に追いつめられた牛島は6月23日に自殺したが、部下らには降伏を認めず、天皇のために最後の一兵まで戦えと徹底抗戦を命令したため、9月7日の降伏まで犠牲者は増え続けた。
 見逃してはならないのは日帝のアジア侵略の延長線上に沖縄戦の地獄があったことだ。牛島は37年末の南京大虐殺に手を染め、32軍の参謀長だった長勇は、日本軍慰安所を沖縄に持ち込んだ人物だ。

あの戦争をくり返すな

 現在、沖縄への自衛隊配備と一体で沖縄戦の歴史を抹殺する動きが進んでいる。2007年には教科書検定で日本軍の自決強制・関与に関する記述が削除され、県民の抗議行動が巻き起こった。また今年1月1日には、沖縄を管轄する陸上自衛隊第15旅団のホームページに「秋待たで枯れ行く島の青草は皇国の春に甦(よみがえ)らなむ」という牛島の「辞世の句」が再掲載された。昨年、抗議によって削除された句であり、中国侵略戦争に突き進む日帝が再び沖縄を戦場にするという宣言だ。
 沖縄には今も2千㌧の不発弾が埋まり、数千人の遺骨が眠ったままだ。防衛省はあろうことか、遺骨が混じった本島南部の土を辺野古の埋め立て工事に使うことを計画している。何重にも許すことのできない暴挙だ。沖縄戦の再来を絶対に許さず、日米帝による中国侵略戦争を阻止しよう。

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