団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3388号04面04)(2025/03/24)


団結ひろば 投稿コーナー

土浦で反戦・反核集会とデモ
 改憲・戦争阻止!大行進茨城 石井真一

 茨城県土浦市で3月1日、改憲・戦争阻止!大行進茨城の主催で中国侵略戦争阻止の反戦・反核茨城集会を開催し、多くの初参加を得て50人の結集で元気良くデモ行進を行いました。
 講演者として長崎の被爆者の高木美佐子さんを迎えました。高木さんは1945年8月9日に5歳で被爆し、周囲の人が一瞬に黒焦げになって亡くなる中、街をさまよい歩き、記憶も定かでないながらも生きてきたこと、母親が自分をかばって亡くなったことなど痛苦な経験を語りました。被爆者であることを隠しながら生きなければならず、知り合いの女性は被爆者であることがわかると結婚が破談になったり、子どもを産むのは女性であることから悪いのは女性のせいにされたことも話されました。
 50歳で鼻血が止まらなくなって医者に行った時、被爆したことがあると言っても取り合ってくれずきちんと向き合ってくれなかったこと、周囲の人たちが若くして亡くなるのを見て二度と核兵器や戦争を起こしてはならないという決意を強くしたことを述べられました。広島・長崎の原爆に続いて福島第一原発事故での放射能の危険性についても話されました。参加者は一言も漏らさない思いで聞き入りました。
 次に改憲・戦争阻止!大行進の全国ニュース編集局の川添順一さんが中国侵略戦争に向け8兆7千億円が計上されている防衛予算と日本全土の軍事基地化の現実について講演しました。
 集会後、デモで「中国侵略戦争阻止! 石破政権打倒」の声を響かせました。大行進運動を拡大し戦争が始まる前に止めましょう。

右翼をはね返し反原発デモ
 群馬 大塚正之

 3月9日、高崎城址公園で、第14回目となる「さよなら原発アクション」と高崎市内デモが500人の参加で大成功しました。
 主催は「原発とめよう群馬・高崎金曜行動」など3団体。アトラクション後の本集会では、井戸謙一弁護士(311子ども甲状腺がん裁判弁護団長)、いわき雑魚塾、福島から丹治杉江さんが「甲状腺がんを発症した400人の子どもたちがいます。被曝安全神話を打ち破り、原発をなくす運動に力を尽くそう」と力強く訴えました。
 右翼が発言者の後ろ10㍍にまで接近して妨害しようとしましたが、最後に高崎金曜行動が登壇。「原発は今ここにいる私たちが止めている。原発も戦争も私たちの力、内乱で止められる。絶対止めよう」と発言して右翼の騒音を圧倒し、参加者に闘う勇気と確信を与えました。大坂正明さんの即時解放を求める署名もたくさん集まりました。
 デモ行進では10台の右翼街宣車が何回もデモ車線に突入し、群馬合同労組の宣伝カーの破壊を試みましたが毅然(きぜん)とはね返し、若者がマイクを握る隊列を先頭に繁華街デモを元気よく貫徹しました。
 今回は事前に、「今の情勢のもとで集会とデモを続けるか?」と論議しました。「毎回右翼が関東一円から来て、『中核派の集会』『原発と反戦は関係ねえだろう』と襲撃を狙ってくる。しかし右翼の暴力と闘うことが原発をなくす闘いだと参加者は決意している。中国侵略戦争切迫の今だからこそ、断固として続けよう」と討論してきたことで集会の成功を勝ち取ることができたと思います。

品川で星野絵画展が大成功
 東京南部 河野良子

 2月26、27日にJR大井町駅前の「品川区民ギャラリー」で星野絵画展を行いました。延べ62人の来場がありました。会場はイトーヨーカ堂の8階で、そこまで上がって来てもらえるか心配でしたが、杞憂(きゆう)に終わり予想以上の来場でホッとしました。事前の街頭宣伝、会場前ビラまき、ポスティング、広報しながわへの掲載など、地区全体の団結の力が実った成果でした。
 会場内は、静かな中にも星野文昭さん、大坂正明さんへの権力の仕打ちへの怒りがあふれていました。
 この絵画展で大坂さんの闘いも展示し、「絵手紙を初体験し大坂さんへ絵手紙を送ろう」というコーナーをつくり、10人の方が絵手紙を初めて描いて大坂さんに出すことができました。大坂さんへの連帯が能動的にかちとられたのです。
 特筆すべきは3月1日の「琉球弧を戦場にするな」の上映会に、この絵画展から一般の方4人が参加したことです。上映後、その全員が発言してくれました。66歳の男性は叔父さんが16歳で志願して沖縄で戦死し「平和の礎(いしじ)」にその名前があること、数年前に辺野古へ行ったことがある79歳の方は現地には行けないが集会にはよく参加することなどを話されました。この方々に3月22日の品川での沖縄集会への参加をお願いしました。
 星野絵画展は、次につながる闘いになりました。絵画展は、このように力がある闘いです。本土においても沖縄への思いは消えていません。東京南部地区は、これを契機に本土の安保・沖縄闘争の巨大な爆発をつくりだすために今後も頑張ります。

星野・大坂勝利へ裁判所行動
 大坂正明さん救援会事務局長 小泉義秀

 3月6日、星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議と大坂正明さん救援会は霞が関で対裁判所行動を一体となって闘った。星野・大坂闘争の勝利へ、多くの仲間が集まり、裁判所に怒りの声をたたきつけた。
 3月24日は星野国賠の判決日。5年にわたる闘いで獄中医療のでたらめを暴き、国家権力による星野さん虐殺の事実を明らかにしてきた。しかし判決は予断を許さない。
 大坂さんの控訴審闘争は2月28日に検察の答弁書が出され、第1回公判が迫ってきた。権力は即日結審、控訴棄却を画策している。一審判決を粉砕し事実調べを開始させるために、裁判所を民衆の怒りで包囲し、実力で勝利の扉をこじ開けよう。
 米日による中国侵略戦争が一気に加速している。3月24日には、陸海空3自衛隊を一元的に指揮する統合作戦司令部が発足する。琉球弧を丸ごと軍事拠点にし、戦場にたたき込みながら、中国へのミサイル攻撃を展開し、中国本土へ大部隊で攻め込むための作戦司令部だ。
 大坂さんが獄中アピールで述べているように、「今日の沖縄闘争の勝利が、私の裁判闘争の勝利を切り開く」。大坂さんへの一審懲役20年判決は、中国侵略戦争に向けた戦時弾圧だ。星野さんの遺志を引き継ぎ、今こそ星野・大坂の力を一つにして、不屈に闘い抜く大坂さんの無罪奪還へ全力で決起しよう。中国侵略戦争を阻止しよう。次は4月17日、東京高裁への連続行動で闘いの発展をかちとろう。
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3・11~12福島行動に参加して

故郷を奪われた人々の怒り
 信州大学 大門 岳

 3・11反原発福島行動に全学連の仲間と共に参加しました。郡山市内でもたれた集会では、第7次エネルギー基本計画を決定して原発再稼働・核武装に突き進む日本帝国主義・石破政権が徹底的に弾劾され、とりわけ14年間原発事故に苦しんできた福島の発言者が皆、反戦・反核・反原発で闘う決意を熱く述べていたことが印象的でした。
 その後のデモも圧倒的に打ち抜かれ、日帝・石破の被災地圧殺攻撃に対する福島の怒りと完全に結合し、高揚感に包まれながらその日の行動を貫徹しました。
 全学連の有志は次の日に行われた福島フィールドワークにも参加し、いまだに大震災・原発事故の爪痕が色濃く残る飯舘村、浪江町、双葉町などの様子を直接見て回りました。道路脇の至る所に立っている「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板や、長期の避難によって「ゴーストタウン」化した街の様子に非常に心が痛みました。集会の発言者でもある吉沢正巳さんが営む「希望の牧場よしざわ」に立ち寄ってお話を聞く中で、政府・東京電力に故郷を奪われた町民の怒りをひしひしと感じました。
 事故から14年が経ち、当時のことを覚えていない世代も増えてきました。かくいう私もその一人ですが、日帝の原発再稼働・核武装の攻撃が強まる今こそ、反戦・反核・反原発闘争を闘う時です。福島の怒りと結び付き、全ての原発を今すぐ廃炉に追い込もう!

福島の現実を知り決意新た
 首都圏学生 C

 以前から福島に対しては「原発事故が起きた場所」という印象しか持っていませんでした。核武装のために地域が切り捨てられ住民の安全が犠牲にされることに怒りを感じていました。しかし今回初めて福島行動に参加し、福島の人々が経験してきた苦しみや悲しみ、そして何よりも百折不撓(ふとう)の闘いを目の当たりにして、自分が福島の現実をどれほど知らなかったのかを痛感しました。
 福島県内では、意図的に激しい分断や差別が持ち込まれていたことに気付かされました。福島の青年労働者が「原発をなかったことにしたい」と思った自身の過去を振り返り、自己批判を行いながら闘う決意を固める姿を見たとき、私自身も深く胸を締め付けられる思いがしました。
 フィールドワークでは、浪江町の「希望の牧場」の吉沢さんが牛飼いとしての使命感や原発に対する怒りを語ってくれました。牛飼いに牛の殺処分を強制することは、まるで死刑を言い渡すのと変わらないと強く感じました。
 国策のもとでどれほど多くの人々が「死刑」を宣告され、戦争へと動員され、さらには他国の労働者の虐殺を強いられようとしているのか。それを絶対に阻止しなければならないと強く思いました。アジア人民2千万人を虐殺した侵略戦争を繰り返してはならない。帝国主義のもとに生きる私だからこそ、闘うすべての人々と連帯し、自国の帝国主義を打倒する決意を固めました。

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