団結ひろば 投稿コーナー
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松山反戦デモに若者が呼応
改憲・戦争阻止!大行進えひめ 岡本啓三
1月12日、改憲・戦争阻止!大行進えひめが主催して松山反戦デモを行いました。当日に向けて街頭や愛媛県庁前でビラを配り、愛媛大学前街宣では「全学連新年座談会」が掲載された「前進」とビラを一緒に配って学生のみなさんに反戦行動を訴えました。
12日当日は、この間の行動で出会った外国人や労働者、学生など初参加の3人を含めて二十数人が集まりました。百貨店前で行ったデモ前の集会には、部活帰りの高校生たちがスタンディングに途中から加わり、彼らの「戦争反対!」のコールに参加者全員が一緒に声を上げ、一体となった雰囲気がつくりだされました。
リレートークでは、「米軍と共に中国侵略戦争に突き進む石破を倒そう」「自治体労働者は住民を戦争に動員させる役割を担わされる。そうならないように戦争阻止の行動を起こそう」「松山でデモに参加するのは初めて。一緒に闘いましょう」など、参加者が次々とアピール。
集会後はアーケード商店街を元気よくデモ行進しました。「戦争やめろ」「石破をたおせ」「ガザへの虐殺やめろ」「世界の仲間と戦争とめよう」と沿道の人たちに訴えかけました。この日、松山では「はたちの集い」があり、スーツや振り袖を着た若者が多く、デモコールに合わせてこぶしを挙げてくれたり、大きな注目を浴びました。
大行進えひめは2025年決戦を全力で闘います。反戦デモを通じて仲間を組織し、11月労働者集会6千人結集に向けて進んでいきましょう。
陸自南海レスキューに抗議
改憲・戦争阻止!大行進徳島 T
改憲・戦争阻止!大行進徳島は1月14日、陸上自衛隊の「南海レスキュー訓練2024」に対する抗議行動を行いました。21㍍の津波予想が示されている徳島県南部の海陽町、高知県東洋町が訓練の主な区域です。「能登半島地震での孤立集落の救助」を口実に、事実上の沖縄離島上陸演習をやることが狙いです。中国侵略戦争で、琉球弧の島々を次々に移りながらミサイル攻撃をする遠征前進基地作戦(EABO)そのものです。
「レスキュー訓練」とは名ばかりで、水際地雷敷設機まで動員しています。
海自の大型輸送艦が沖合に到着するや、搭載されていた陸自の水陸両用車やホバークラフトが、大里海岸に向け、次々と強襲上陸をしていく。「患者搬送」と称して、爆音を響かせる陸自ヘリが海岸線に着陸し、地上部隊と連携する訓練です。
穏やかな漁師町の町道を自衛隊の迷彩色の装甲車や軍用トラックが列をなして通りました。県立海部高校の最寄り駅の海南駅では、これ見よがしに装甲車とDMV(線路も走ることができるバス)が並走する。保育園児がヘルメットをかぶり、装甲車に体験乗車する場面もありました。異様な戦時下の風景です。
南海トラフ地震では町民8千人中2800人の犠牲者を想定しています。津波は21㍍。地震への不安に付け込み、町を政府・自衛隊が中国侵略戦争の実戦演習場とする。こんなことは断じて許されません。「連帯し、侵略戦争を内乱へ」を掲げて闘っていきます。
戦争止め社会変える運動を
香川連帯ユニオン書記長 吉田康彦
昨年、私たちは仲間を信頼し具体的な闘争を準備し実践し常に総括することで次の闘争につなげていくことを課題にした。総括は単なるゴールではなく、次へのスタート地点なのだ。
私たちは反戦闘争を自らの義務として闘い、中国侵略戦争下という情勢を主体化してきた。戦争を止め社会を変えるには労働者階級が社会を建設する以外にない! 労働組合こそ反戦闘争の先頭に立ち、自らの力で実践と総括を積み重ねて情勢を変える。それが「主体の情勢化」である。11・3集会の全世界の労働者の団結はその結晶である。
25年決戦は年頭から闘いを開始した。地元郵便局での元旦ビラまきに始まり、5日の市内街宣では広島暴処法弾圧被告の松木誉明さんも参加した。仕事始めの6日は高松駅前ビラ配りと裁判所、香川県当局(高松港軍港化阻止)、県警(不当捜査弾劾)、県人事委、県教委に対する抗議行動(教員の解雇撤回)を1日行動として闘い抜いた。
10~13日には高松市内で星野絵画展。並行して広島の暴処法初公判闘争にも参加した。12日には「中国侵略戦争阻止! 高松港軍港化阻止!」を掲げて成人式の会場を直撃する反戦デモをやり抜いた。デモには松木さんも参加し最先頭を担った。闘いを共に実践すると、熱い団結がさらにさらに強くなる。この熱い団結をさらに強く広くつくり上げていきたい。
次は25春闘! 戦争を止め、社会を変えられる組織と運動を何としても建設していく決意である。
阪神大震災から30年に思う
関西合同労組阪神支部 山本美知子
1995年1月17日の阪神大震災から30年。自宅前に自衛隊車両がずらっと並んだ時は内乱鎮圧軍だと心底思った。がれきに人が埋もれているのに自衛隊は何もしなかった。災害救助が本来任務のように言われるが、自衛隊の任務は人殺しの侵略と内乱鎮圧である。
石破が創設する防災省も防災の名で人々を軍事訓練に動員していくのだ。あの時から「共助」「自助」が強調された。70年代、神戸市の大開発から須磨・長田は取り残された。消防車が入れない狭い路地、消火栓も水が出ない。震災時は大火災で焼け野原となり、階級格差を露呈した。行政改革による職員削減で助かる命も助からなかった。まさに「人災」。この本質が隠されたが故に、その後の災害でも被害が深刻化した。
道路復旧が優先され暮らしの復興は後に回された。神戸空港建設が雇用創出として連合によって推進され、闘いが最も必要な時に「春闘自粛」までされた。資本と行政は震災をショックドクトリン(惨事便乗型政策)として利用した。
しかし労働者・住民はその最悪の状況から立ち上がった。港合同、動労千葉、関西生コン支部の3労組が被災支援連を立ち上げ、階級的労働運動の力で社会を変える一歩を踏み出した。生存をかけた住宅闘争や、雇用保険を奪い返す闘いが激しく闘われた。関西合同労組もその中から生まれた。その後、3労組共闘は11月労働者集会や国際連帯の固い団結の核となった。
今、「革命」を切り開いている韓国の仲間たちに続く闘いが求められている。