団結ひろば 投稿コーナー
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侵略戦争阻止へ梅田でデモ
改憲・戦争阻止!大行進関西 片岡美紀
12月21日、雨が降りしきる寒い冬空の下、改憲・戦争阻止!大行進関西の梅田反戦デモが闘われ、60人が参加した。基調報告を大行進関西の赤田由行事務局長が行い、8・6広島暴処法弾圧の5人の仲間を奪還した勝利の報告に歓声がわいた。12月6日の300人の広島地裁抗議行動が、悪あがきを続ける裁判所にトドメを刺したのだ。
韓国の労働者はユンソンニョル政権打倒へ闘い、アメリカの労働者は「共和党も民主党もノー」を突きつけている。この内乱情勢の中で、日本の私たちは中国侵略戦争を止めるために全力で闘おうと、赤田事務局長は訴えた。
行動方針として12月26日の関西地区生コン支部と港合同昌一金属支部への攻撃を打ち破る裁判所包囲デモを提起した。これは連合傘下の既成の労働運動と対決し、闘うナショナルセンターを復権する闘いだ。
高槻医療福祉労組の村山裕子書記長は、暴処法弾圧の5人の奪還に職場の仲間は注目し歓待していると報告した。8・6ヒロシマ暴処法弾圧を許さない会事務局は、被害者とされる広島市職員が誰かも明らかにせず、証人にも出せない破綻したでっち上げ弾圧と徹底的に闘おうと訴えた。また、改悪入管法による難民の強制送還を絶対に許さない決意を表明した。
星野文昭さんをとり戻す関西連絡会の吾郷春代代表は、大坂正明さんへの懲役20年攻撃を粉砕するための1月19日の集会・デモへの結集を呼びかけた。
集会後、梅田に向かう迫力ある太鼓デモ。今回も青年の飛び入り参加があり、情勢が動き出していることを実感した。
陸自八尾駐屯地へ申し入れ
改憲・戦争阻止!大行進河内 八尾北医療センター労組副委員長 澤田祐一
12月15日、改憲・戦争阻止!大行進河内の主催でJR志紀駅前に結集して陸上自衛隊八尾駐屯地に対する申し入れ&デモを行いました。寒風吹き荒れる中、八尾北医療センター労組、全国水平同盟西郡支部をはじめ関西各地から30人が駆け付けました。
志紀駅前では最初に改憲・戦争阻止!大行進河内事務局の私・澤田祐一が発言し、暴処法弾圧の5人の仲間を奪還した勝利を報告しました。そして、「八尾空港を中国侵略戦争の出撃拠点にするな! 米軍機の使用反対! 住民監視や新格納庫の建設をするな! 夜間訓練を中止せよ! 共に戦争反対の闘いに立とうと自衛隊員に呼びかけよう!」と提起しました。改憲・戦争阻止!大行進京滋の魚谷貞雄さんが祝園基地闘争を訴え、日教組奈良市の増田順計さんが八尾空港についての調査結果を報告。八尾北労組の藤木好枝委員長が医療労働者は戦争動員を拒否すると宣言。全国水平同盟西郡支部の久原正子支部長が狭山闘争を訴えました。地域の仲間が声をかけた近隣の方も発言を聞きに来てくれました。
デモでは近所の小学生のグループも一緒に歩いてコールを上げました。事前のビラまきで「ヘリコプターの音でテレビが聞こえない」という住民の怒りの声を聞いていたので、ヘリの爆音が響く中、戦争反対のコールに力が入りました。
デモの後は自衛隊への申し入れ行動。改憲・戦争阻止!大行進河内の藤木好枝代表が申入文を読み上げ、小学生もシュプレヒコールを上げました。八尾空港を戦争に使わせない闘いを続けていきたいと思います。
「久留里線守れ」地元で行動
千葉 山中 久
JR東日本は久留里線を今年中にも廃線にしようと狙っています。戦時体制構築へ「労組なき社会」化を進めるJRとの闘いは、1047名解雇撤回闘争を巡っても、廃線を巡っても、今年は大きな決戦です。
JR東日本が久留里線廃線を表明した3日後の昨年11月30日、久留里線と地域を守る会は「海の幸・畑の幸即売会」を廃線の対象にされている上総亀山駅前で開催しました。駅に到着する列車から降りてきた人たちは、ハイキング姿の人も地元の人も、里山に林立する廃線反対ののぼりや特産品に注目しました。
「駅からハイキング」を宣伝するだけでパンフレットも置かないJRに代わり、守る会の会員が亀山現地の案内も行いました。会員自身の生産物をはじめ、勝浦から直送された海産品も飛ぶように売れました。
JR東日本は久留里線沿線地域交通検討会議の報告書にも明記された「鉄道を残すべきだ」という多くの住民の声を黙殺しています。国鉄分割・民営化は破産し、ローカル線廃止問題は階級攻防の焦点になっています。今年も地元から廃線化阻止へ闘います。
『沖縄民権』第5号を薦める
沖縄民権の会事務局 K
沖縄民権の会(座覇光子代表)は『沖縄民権』第5号を発行した。メインの企画は4月に川崎市教育文化会館で行われた同会の学習集会の報告。沖縄から山里節子さん(いのちと暮らしを守るオバーたちの会世話人・石垣島在住)、長野から高橋喜和さん(ハテルマシキナ朗読会・石垣島出身)がオンラインで参加したパネルディスカッションと報告は、激しく進む琉球弧のミサイル基地化を考える視点から、沖縄戦での「八重山の戦争(戦争マラリア)」に焦点を当てている。沖縄戦というと凄惨(せいさん)な地上戦が戦われた沖縄本島がまず思い浮かぶが、米軍が上陸しなかった八重山諸島では、日本軍による住民の強制避難によって「戦争マラリア」と呼ばれる悲惨極まる地獄図が繰り広げられた。「本土決戦」のための時間稼ぎの持久戦を構えていた軍は、マラリア有病地であることを承知の上で、「米軍が上陸したらスパイになる」「戦闘の足手まといになる」として住民を指定した地域に追い払ったのだ。
パネリストの山里さんはマラリアで母と祖父を亡くしている。高橋さんは全住民約1500人が西表島に追いやられ99%が罹患(りかん)し3分の1が落命した波照間島の出来事を、朗読で伝え続けている。
黒島善輝さん(石垣島出身)の報告は「石垣・宮古の全住民避難は(中国侵略戦争の)全面戦闘開始の合図」だと断言している。
全港湾沖縄の石垣港スト支援行動の報告(改憲・戦争阻止!大行進神奈川)、佐喜眞美術館訪問記、熱い沖縄の風をヤマトと世界に吹かそうという座覇光子さんの詩など、今号も充実した内容。A4判32ページ、頒価500円。お求めは沖縄民権の会 yutaka.krk@gmail.com(上田)まで。
三宅忠雄同志を追悼する
東京 高田隆志
1960年代から革共同の先頭に立って闘い、90年代後半から悪性リウマチとの闘病生活を送りつつ、最期まで革命家として生き抜いた三宅忠雄同志が昨年8月21日に逝去した。80歳だった。彼の不屈の闘いから学び、その遺志を継いで革命勝利まで闘うことを誓いたい。
三宅同志は44年4月に生まれ、茨城県の水戸第一高校から63年埼玉大学入学、カクマルとの分裂下で中核派を選択し、マル学同に加盟、65年に機関誌「中核」編集長。67年10・8羽田闘争被告。71年11・14渋谷暴動闘争を頂点とする70年安保・沖縄闘争を中央学生組織委員会(SOB)議長として指導し、その後の二重対峙・対カクマル戦争から80年代、90年代を政治局員として、前進社事務局長、革共同東京西部地区委員長、同東京都委員長などの重責を担った。筆名は、学生時代の武部達郎のほか、篠田史郎、杉山信など。
悪性リウマチを発症してからも党学校校長を3期にわたって務め、基本文献シリーズ「ドイツ・イデオロギー」発刊に尽力した。昨年2月の革共同第9回大会報告を読み「断固支持する」と表明した。
三宅同志を偲(しの)ぶ会が昨年12月23日に開かれ、旧知の同志たちが集った。闘病の最後の過程が詳しく報告された後、彼とともに闘い、あるいはその指導を受けて闘った同志たちがその思い出を語り、遺志を継いで闘う決意を固めあった。「どんな困難にも微動だにせず、節を曲げず闘った」「革共同の歴史を体現した人」などの言葉が続いた。清水丈夫議長は「党を今日あらしめる上で大きな役割を果たした」と同志の功績をたたえ、「革命に勝利するためにぎりぎりまで闘い抜く」と決意表明した。広島暴処法弾圧の5同志奪還を受けて、25年決戦勝利へ意志を固めて昨年を締めくくる会となった。