中国侵略戦争に加担する日本共産党を打倒しよう 反帝・反スターリン主義の革命党建設へ
週刊『前進』04頁(3375号04面01)(2024/12/16)
中国侵略戦争に加担する日本共産党を打倒しよう
反帝・反スターリン主義の革命党建設へ
日本共産党は10・27衆院選で歴史的大敗北を喫した。核心的には中国侵略戦争阻止闘争からの逃亡(=敵対)が理由だが、その基底にはスターリン主義反革命としてのマルクス主義・レーニン主義の理論的解体がついに「共産主義=自由」論というでたらめな〝新説〟にまで行きついたことがある。綱領的に破産し危機を深める日本共産党スターリン主義を打倒し、膨大な青年・学生を革命的共産主義運動に獲得しよう。
労働者階級の解放なき「自由」論
衆院選の大敗北は人民の怒りの反映
衆院選で共産党は8議席獲得(小選挙区1+比例代表7)に終わった。前回21年衆院選での10議席(1+9)からは2減、比例代表得票数は前回416万票から今回336万票と80万票も減らした。10年前の14年衆院選(606万票)、16年参院選(601万票)の「ピーク時」と比べて半分近くに減らしている。日本共産党は15年安保国会闘争の大衆的高揚を議会主義的にかすめ取ることと一体で「野党連合政権」を掲げ、この10年間、そこに党の全てを注ぎ込んできた。その過程で一方で立憲民主党にすり寄り、他方で「自衛隊活用論」を掲げて日本帝国主義の侵略戦争の先兵化を進めた。11・3労働者集会で高山俊吉弁護士が「共産党の凋落(ちょうらく)は戦争阻止を放棄した結果だ」と喝破したように、切迫する米日帝の中国侵略戦争の階級的性格を暴き自国政府打倒の反戦闘争を呼びかけるのでなく、逆に中国への排外主義と祖国防衛主義を振りまいて反戦闘争を放棄したことへの労働者人民の怒りの反映こそ今衆院選の結果なのだ。戦争翼賛の党=日本共産党の打倒は、中国侵略戦争阻止の反戦闘争の重要課題だ。
日本共産党が今衆院選で「共産主義=自由」論を掲げたのは「思いつき」ではなく、共産党(特に最大の反革命イデオローグとしての前議長・不破哲三)がマルクス主義思想を全面的に解体してきたことの「集大成」としてある。
日本共産党議長・志位和夫は7月、『Q&A 共産主義と自由 「資本論」を導きに』(新日本出版社、4月学生新歓講演の内容)を出版し、これを合図に衆院選へ党を挙げての「自由な時間」運動を猛然と展開した。現在の共産党の〝綱領〟そのものであるこの書籍を徹底批判したい。
革命否定する「共産主義=人間の自由」
一つに、社会主義・共産主義とは「人間の自由」である、と前面に押し出していることだ。「(マルクスとエンゲルスは)社会主義・共産主義社会の最大の特徴として、『人間の自由』という言葉を幾度となく繰り返し、それを可能にする社会のあり方を一貫して追求し続け、その実現のためにたたかい続けた」(はじめに)
「私たちは、今度の大会決議での未来社会の解明について、『21世紀の日本共産党の〝自由宣言〟』と呼んでいます。私たちのめざす社会主義・共産主義の社会というのは、『人間の自由』があらゆる意味で豊かに保障され、開花する社会になる。『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の目的であって、最大の特質だ」(41~42㌻、Q8)
「大会決議での未来社会の解明」とは、1月の第29回党大会での決議第4章を指すが、ここではマルクス主義国家論・革命論の核心問題である「資本主義・帝国主義の打倒」「労働者階級の権力奪取=プロレタリア革命」「ブルジョア国家(機構)の粉砕」などが捨象され、さらに「労働力商品化(=賃労働と資本の関係)の廃絶」「生産手段の私有化の廃止=資本家からの専制的収奪」という革命的政策にも一切触れられず、「労働者解放」「人間解放」という言葉もない。ただただ「人間の自由」を繰り返すのみだ。これは必然的に、革命(共産党は「革命」とは絶対に言わず「大変革」と表現)をそっちのけにしたブルジョア体制内的「自由」擁護運動に転落するものだ。
「資本主義の下での自由の国」論の虚構
二つに、「自由な時間」論と一体で「搾取されているのは(実はモノ・カネ以上に)時間」論が出され、革命なき体制内的「労働時間短縮運動」に全てを流し込んでいることだ。「労働者に支払うべき賃金が支払われてないわけですから、おカネが奪われている。……同時に奪われているのはそれだけではない、『自由な時間』が奪われている、ここに大きな問題があるとマルクスは考えた。……奪われているものが『カネ』や『モノ』だったら、後で取り戻すことができます。しかし時間はそのとき1回きりしかないものです。だから時間ばかりは、いったん奪われたら取り戻しがきかない……ここに一番の大きな問題がある」(89~90㌻、Q21)
これを踏まえ、共産党は衆院選を控えた9月に「自由時間拡大推進法」なるものを提唱した。だが、それは労働者が資本家と闘って労働時間の短縮をかちとるものではなく、ただただ政府の「お情け」にすがって要求するものでしかない。
そして許しがたいことに『資本論』第3巻第7篇第48章「三位一体的定式」でのマルクスの「真の自由の国」の提起を、体制内的「労働時間短縮運動」の指針としている。プロレタリア革命を通じて共産主義社会を実現し、そのもとで必要労働時間の短縮によって実現される「真の自由の国」が、単なる改良運動にねじ曲げられている。
「『真の自由の国』は……資本主義のもとではそれが得られないかといったら、そんなことはありません。たたかいによって広げていくことができます。私たちはいま、『8時間働けばふつうに暮らせる社会』を合言葉にして、労働時間短縮を求めるたたかいを進めていますが、これも『真の自由の国』を広げるたたかいです」(103㌻、Q25)
帝国主義を打倒する革命に絶対反対
三つに、帝国主義打倒の革命を絶対に呼びかけないことだ。「私たちがいま直面している変革の課題は、国民多数の合意で、『アメリカ言いなり』『財界中心』という異常なゆがみをただして、『国民が主人公』の民主主義日本をつくるということにあります」(130㌻、Q33)「現在、日本社会が必要としている変革は社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破……を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革である」(共産党綱領〔12〕)
このように共産党は、対米独立の「資本主義国家・日本」を熱望し、今まさに革命を望む労働者人民の闘いに敵対している。
四つに、帝国主義戦争―中国侵略戦争に絶対に触れないことだ。「いま、資本主義というシステムのもとで『人間の自由』を阻むいろいろな害悪が生まれ、拡大しつつある……貧困と格差の拡大、深刻化の一途をたどる気候危機——二つの大問題」(前掲書26㌻、Q3)と、帝国主義下の矛盾の一切を貧困と気候に収れんする。帝国主義の侵略・戦争の政治への総屈服だ。
総じて共産党は2004年と20年の綱領改定をもって必然的に「社会主義・共産主義=人間の自由」論を生み出し、ブルジョア擁護の反革命として純化した。それは①中国侵略戦争との闘いからの全面的逃亡であり、②体制内改良党派への転落であり、③帝国主義打倒を求めて決起する労働者階級への全面的敵対だ。
ロシア革命、『国家と革命』に敵対
先述のように、共産党は04年の第23回党大会で綱領を全面改定したが、それは資本家階級をも味方に含む「国民の党」「愛国の党」への大転向であり、ブルジョア救済のために帝国主義戦争と労働者支配の先兵となる宣言だった。核心的には、共産主義論の一切を「生産手段の社会化」の一語に解消し、〝プロレタリア革命なき共産主義社会〟なるものがブルジョア選挙・議会で実現可能であるかのように描いた(プロレタリアートの独裁、暴力革命の否定)。現在の「共産主義=自由」論の「源流」は、不破を先頭にマルクスの『ゴータ綱領批判』(1875年)、レーニンの『国家と革命』(1917年)およびロシア革命を歪曲(わいきょく)・否定し尽くしたことにある。具体的には、一方での暴力革命論(共産党いわく「強力革命必然論」)の否定であり、他方でのプロレタリアート独裁(同「議会否定論」)の否定だ。不破は『レーニンと「資本論」⑤』(2000年)の「まえがき」で、「レーニンが『国家と革命』でおこなったマルクス主義国家論の歴史的、理論的な整理とは、……マルクス、エンゲルスの立場にそむく、多くの誤りをふくむものでした」(6㌻)と、『国家と革命』を真っ向から否定した。それを受けて当時委員長だった志位も一昨年9月に、「不破さんは、レーニンの『国家と革命』に再び立ち戻って全面的な批判的検討をくわえ、この著作が……〝議会の多数を得ての革命〟という展望をまったく欠く、国家論・革命論にかかわる重大な理論的な誤りを犯していることを綿密に検証しました」(講演『日本共産党100年の歴史と綱領を語る』)と語り、党として『国家と革命』を抹殺する反革命的意志を鮮明にさせた。
不破はその著書で、マルクス主義国家論の核心である「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」(『フランスにおける内乱』)の有名な一節を取り上げて、「労働者階級はできあいの国家機構をそのままでは使えない、これを労働者階級の利益のために行使できるようにするには、必要な『変革』あるいは『改造』の措置をくわえなければならない」(前掲書267㌻)ととんでもない曲解を行う。階級支配のためのブルジョア国家機構(=官僚的・軍事的機構)をプロレタリア革命で破壊・解体し、コミューン型=ソビエト型の新しいプロレタリア国家をつくり出すという考え方を真っ向から否定するのである。そして『国家と革命』および暴力革命論は「マルクス、エンゲルスがその生涯を通じてその可能性を追求し、豊かな肉づけを与えてきた『議会の多数をえての革命』という展望をまったく欠いたもの」(346㌻)だ、「『議会の多数をえての革命』——マルクスの革命論の太い流れがここにあった」(416㌻)とでたらめな解釈を並べ立てる。
『ゴータ綱領批判』は、マルクスが当時のドイツ労働者党指導部の日和見主義を批判し、「資本主義社会と共産主義社会の間には、前者から後者への革命的転化の時期がある。……この時期の国家はプロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」(前進社刊マルクス主義基本文献学習シリーズ①『ゴータ綱領批判』198㌻)という重要テーゼの上に、社会主義・共産主義社会建設の展望を明らかにした。この地平を全面的に引き継ぎ、レーニンはロシア革命(=武装蜂起)を目前にした状況下で『国家と革命』を執筆し、国家の本質は「階級支配の道具=暴力装置」であり、労働者階級は革命でブルジョア国家機構を破壊・解体しなければならないこと、人類最初のプロレタリア革命だった1871年パリ・コミューンにならったプロレタリア独裁国家を建設すべきこと、階級支配がなくなれば国家は不要になり眠り込むように死滅するとした。①プロレタリア革命(暴力革命)によるブルジョア国家の粉砕、②プロレタリアートの独裁国家——『ゴータ綱領批判』『国家と革命』の否定を通して、日本共産党はこの2点に全面的に反対している。
それは一つに、「階級対立の非和解性の産物としての国家」(『国家と革命』第1章)の本質をあいまいにし、ブルジョア選挙で共産党が多数になれば「生産手段の社会化」と共産主義社会がスムーズに実現できるかのように描き、暴力革命としてのプロレタリア革命の本質を否定している。
二つに、階級支配を終わらせるプロレタリア革命の根底性=暴力性におびえ、彼らの「革命」の具体的中身を明らかにしない。資本家が私有する生産手段をどう収奪して「社会化」するのか? 反革命勢力の抵抗をどう撃破するのか?——しかも「労働者階級の武装」には絶対に触れない。これが共産党の〝プロレタリア革命なき共産主義社会〟論であり、実質的にブルジョア支配への屈服だ。
三つに、ブルジョア民主主義を手放しで賛美し、「議会の多数をえての革命」の名で、社会の主人公である労働者階級の主体性を奪い去っている(労働者は「選挙の一票」でしかない!)。こうして「労働者階級の解放は、労働者自身の手で闘いとられなければならない」(国際労働者協会規約、1864年)というマルクス主義の革命的精神を破壊した上に「共産主義=自由」論をうち出したが、直ちに大破産して大混乱・大混迷しているのが、現在の共産党中央だ。
共産党と決別し中核派に結集を
革共同は、日本共産党員およびその影響下で活動する青年・学生の皆さんに訴える。革命を裏切った共産党ときっぱり決別しよう。革命的共産主義者同盟、マルクス主義青年労働者同盟、マルクス主義学生同盟中核派に結集し、世界革命勝利と共産主義社会実現へともに闘おう。中国侵略戦争阻止闘争を放棄し、帝国主義の手先=ウクライナ・ゼレンスキー政権を賛美し、パレスチナの民族解放・革命戦争を否定する共産党、日帝打倒の闘いから逃亡する共産党、労働者階級の自己解放能力に背を向け議会至上主義に転落する共産党、1917年ロシア革命の意義を抹殺する共産党、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想と闘いを歪曲する共産党、総じてプロレタリア世界革命に敵対するスターリン主義反革命としての共産党——こんなものに希望も展望もない。いま青年・学生が望むものは、帝国主義戦争に対して「自国政府打倒」を掲げる実力的決起であり、戦争・差別・抑圧の元凶である資本主義・帝国主義の支配を革命で終わらせることであり、全世界のきょうだいたちとの国境を越えた国際的団結であり、直ちに共産主義社会の建設にとりかかることだ。
一国社会主義論を掲げた武装反革命
スターリン主義は日和見主義や改良主義ではない。共産主義革命の圧殺を自己目的化した(武装)反革命だ。プロレタリア世界革命は、スターリン主義の完全打倒で初めて実現される。1924年のレーニン死後、ロシア共産党の実権を奪ったスターリンがロシア革命の地平を歪曲し反動的に固定化するところからスターリン主義が発生した。スターリンは一国社会主義論を展開し、トロツキーら左翼反対派=世界革命派を強権的に一掃し、全世界の革命運動をスターリン主義的に変質させることで自らの支配を貫徹していった。スターリン主義は帝国主義との「共存」の中に自己の延命を求め、帝国主義者と一体でプロレタリア革命の圧殺に全体重をかけてくる。「共産主義」の仮面をつけた反革命だ。
日本共産党と決別して誕生した革共同はその反革命的本質を1966年の第3回大会で次のようにつかんだ。
「スターリン主義とは、世界革命の時代が始まり、世界資本主義が部分的には転覆されたが基本的には転覆されていない段階、すなわち資本主義から社会主義への過渡期が始まったという段階において発生・成立した国際共産主義運動(この『運動』というのは非常に広い意味である)の疎外態にほかならない。一国における社会主義革命と社会主義的建設を一国社会主義論をてこにして世界革命の完遂という実践的展望からきり離して絶対化し自己目的化するという点にスターリン主義の本質的内容があり、その現実化されたものがスターリニスト・レジームと規定される政治・経済的体制であり、その擁護のための手段へと転落・変質させられたものが『国際共産主義運動』にほかならない」(大会第2報告)
革命的共産主義運動は、スターリン主義の反革命性をこのように原点的につかみ、「反帝国主義・反スターリン主義世界革命」の路線をうち立てるところから出発した。
日本共産党スターリン主義の政治的・理論的・組織的・運動的打倒、共産党の影響下にある膨大な労働者人民(特に青年・学生・女性)を丸ごと革命的共産主義運動の陣営に獲得する中に、日本革命―世界革命の展望がある。
〔鹿野二郎〕