10・12反戦学習討論集会 基調講演 米日帝の中国侵略戦争阻止し帝国主義を打倒する革命を!

週刊『前進』04頁(3368号03面01)(2024/10/28)


10・12反戦学習討論集会 基調講演
 米日帝の中国侵略戦争阻止し帝国主義を打倒する革命を!

(写真 パレスチナ蜂起1年の10月7日、イスラエル大使館に怒りの実力行動を闘い、新宿で「虐殺やめろ!」と大反戦デモ)

 10月12日に東京都内で行われた「反戦学習討論集会」は、多くの新たな仲間を迎えてかちとられ、白熱した討論が行われた。飛び入りで参加した青年や学生の中から11・3集会への参加表明もあり、学習と交流の場としても大成功した。討論を通じて、戦時下の総選挙情勢と対決する道は「11・3日比谷」であることをはっきりさせた。集会で革共同東京都委員会の深田力同志が行った基調講演を紹介します。(編集局)

石破政権打倒掲げ闘った10・7蜂起1年の実力闘争

 10月7日のパレスチナ蜂起1年の闘争は、ガザ大虐殺に対して体を張って闘ったことと、もう一つは「石破打倒」を言い切ったことが決定的でした。この段階で、石破は中国侵略戦争をやろうとしていて、その意味で最も日本帝国主義の意思を体現して登場したやつだと見据えて闘いました。その闘いは海外にも発信されました。中国侵略戦争をやることを使命に登場している石破とどう対決するのか問われています。
 中国侵略戦争の切迫について、切り口は四つあります。一つ目が、沖縄―琉球弧がミサイル基地化されていること。まずここを徹底的に暴露することです。二つ目が、アメリカは「中国を打ち負かす」という国家戦略を持っているということです。中国の船が「尖閣諸島」に近づいたとか、そんなことが問題になっているのではない。三つ目に、なぜ戦争かというとアメリカ帝国主義自身が歴史的に大没落し、このまま行けば戦後の世界、圧倒的な軍事力・経済力・政治力で世界を支配してきた体制がもう立ち行かないからです。四つ目に何より重要なことは、中国侵略戦争に自衛隊が参加することです。この戦争に「日本は関係ありません」なんてことは帝国主義として成り立たない。だから絶対に、何百、何千という自衛隊員が死体袋に入って帰ってこようと、中国への侵略戦争に自衛隊は最先頭で参加していくことが焦点になります。
 生き方をかけて絶対にこの社会を変革してやるという者が少数であってもまず立ち上がって、百万、一千万の人民に対して「立ち上がろう。変えよう」と訴えることが時代をこじ開けます。

「戦争を内乱へ」掲げ革命の勝利へ進んだレーニン

 戦争はなぜ起きるのか。レーニンの『帝国主義論』を紹介したい。この内容が「侵略戦争を内乱へ」の理論的土台です。
 これが書かれたのは1916年。14年に第1次世界大戦が始まりましたが、12年の「バーゼル宣言」で戦争が始まったら資本主義を終わらせようと世界の社会主義者が集まって決めたのに、みんなこれを破った。「祖国防衛主義」「社会排外主義」(言葉では社会主義、行動では排外主義)と言いますが、昨日までは「戦争反対」と言っていた社会主義者が、自国の戦争は「防衛戦争」だとして戦争に賛成しました。これをレーニンは帝国主義の問題だと明らかにした。「帝国主義戦争を止めるためには帝国主義を打倒する以外ない」と訴え、1917年にロシア十月革命を勝利させた。その理論的基礎がこの『帝国主義論』だった。
 では「帝国主義」とは何か。レーニンは「帝国主義とは資本主義の独占的段階である」として五つの基本的標識を出してます。①独占をつくり出すほどに発達した生産と資本の集積、②銀行資本と産業資本の融合による金融資本を土台とする金融寡頭制の成立、③資本輸出が重要な意義を持っていること、④国際的な独占資本家団体が世界を分割していること、⑤資本主義強国による地球の領土的分割の完了です。巨大な独占体はすさまじい生産力の増大を伴い、それは国内に収まらないから海外に輸出するようになる。そして列強間の縄張り争いが起きる。
 歴史的に見ると、ドイツがイギリスと競争するために、金融資本の形成と一体で重化学工業を発展させ、イギリスを一気に追い抜いていく。だけど後発のドイツには植民地や勢力圏がない。生産力と勢力範囲が一致しない。『帝国主義論』には、「資本主義の基礎の上では、一方における生産力の発展および資本の集積と、他方における植民地および金融資本の勢力範囲の分割との間の不均衡を除去するのに、戦争以外にどのような手段がありうるだろうか」とある。つまり、帝国主義が帝国主義である限り戦争は絶対に避けられない。資本主義・帝国主義のもとでの平和は実現できないのです。
 帝国主義の基本矛盾は過剰資本・過剰生産力と不均等発展です。資本家はもうかるものをつくり、もうからないものはつくらない。必ずそれは無政府的な生産になって過剰資本状態になる。資本主義の自由主義段階では恐慌のたびに一定整理されるのですが、帝国主義段階では過剰になった資本を廃棄できない。トヨタみたいな大工場を、そこが過剰になったからといって簡単につぶせないでしょう。だから常に過剰資本・過剰生産力状態が生じ、資本の輸出が必要になる。
 また、帝国主義のもとでは国力は不均等に発展する。たとえば戦後に焼け野原だった日本と西ドイツが、25年くらいで一気にアメリカと肩を並べるくらいまで成長した。アメリカは戦争で破壊されていないから、何十年も前の工場を使っている。逆に日本と西ドイツは徹底的に破壊されて更地から始めたから、一番新しい生産設備を導入して、一気にアメリカに迫っていく。こうして不均等に発展し、国力・生産力と勢力圏が釣り合わなくなる。
 そのうえで、帝国主義戦争とは経済的要因だけで起きるわけではない。『帝国主義論』には、イギリスのセシル・ローズの有名な言葉が出てきます。「帝国とは胃の腑(ふ)の問題である。諸君が内乱を欲しないならば、諸君は帝国主義者にならなければならない」と。要するに国内で労働者が「食えない」とか言って暴動に決起し始めることを防ぐため、労働者を黙らせるために戦争をやる。今もそうです。アメリカでトランプ派が連邦議会議事堂を武装占拠するような分裂的事態に国内があるからこそ、民主党も共和党も中国侵略戦争をやることでは一致している。戦争をやって支配を貫徹しようとしている。だから帝国主義戦争には平和ではなく「侵略を内乱へ」を対置しない限り、反戦闘争すら闘えない。
 日本共産党員はもう誰も『帝国主義論』を読んでいない。中核派は、日本では21世紀現在にもレーニン帝国主義論は適用できると言っているただ一つの党派です。帝国主義戦争をなくすには革命をやり、帝国主義を打倒するしかないと言っている唯一の勢力だという自負があります。

「基軸帝国主義=米帝」の大没落が世界戦争の震源

 中核派はこの100年くらいを「段階・過渡・変容・再編・危機」という視点で見ています。
 資本主義は帝国主義「段階」に入った。そして決定的なことに、1917年にその一角をぶち破ってロシア革命が起きて社会主義への「過渡期」に入った。しかしスターリン主義が発生して、革命ロシアは反革命的に変質し、帝国主義打倒を放棄して平和共存しようとしているという形に「変容」した。そして延命した帝国主義の矛盾がスターリン主義をも巻き込んで第2次世界大戦として爆発し、戦後にアメリカ帝国主義基軸の戦後世界体制へと「再編」された。終戦の45年時点で、全世界の金の3分の2がアメリカにあった。それくらい圧倒的な経済力と核を含む軍事力でアメリカは戦後世界を支配した。それが70年代頃からどんどん掘り崩され、ベトナム戦争の敗北に象徴されるように、アメリカの国力は衰退していった。圧倒的な基軸が揺らぎ、帝国主義がむきだしの争闘戦・世界戦争へと突き進む「危機」に入っていったのです。
 74~75年恐慌以降、新自由主義政策によって、徹底的に労働組合と労働者の権利を破壊し、自己責任論・弱肉強食のイデオロギーを広げ、資本は労働者からの搾取を強めることで生き延びようとした。それにとどめを刺したのが2008年リーマン・ショックです。
 ここで重要なのは、アメリカや日本など全世界の帝国主義が中国の労働力に頼って延命したことです。全世界の帝国主義が特に08~09年に、中国スターリン主義に必死にすがりついて資本を輸出した。当然ながら中国の産業は一気に伸びる。そして、GDP世界第2位まで成長した中国という巨大なスターリン主義国家をつくり出してしまったことで、米中対立は抜き差しならない段階に入った。だから米大統領選挙でも、トランプもハリスも「中国打倒」については1ミリの違いもない。米帝が中国スターリン主義打倒の侵略戦争に踏み出していることが一切を規定している。
 レーニン帝国主義論の現在における実践的結論は、「戦後世界体制の最後的崩壊―帝国主義の中国侵略戦争突入を反帝・反スターリン主義世界革命へ転化せよ」ということです。「反帝」の人は世の中に多くいますが、中核派は反帝・反スターリン主義世界革命を訴えています。

「労働者階級の解放は労働者自身の事業である」

 この社会を根底的に変革するために、何が問題になっているか。結局はイデオロギー闘争です。本当に確信を持った活動家・革命家の存在が決定的になる。
 その鍵の一つ目はマルクス主義です。革共同は「労働者階級(プロレタリアート)の解放は、労働者自身の事業である。この解放は、資本主義社会の全面的な転覆によって達成される。労働者階級の階級的解放は同時に、あらゆる抑圧・差別からの人間的な解放、すなわち普遍的な人間解放である」(綱領草案)という立場です。労働者にこそ社会を変える力があることを確信することです。
 それは、基本的に資本家、帝国主義者がやっていることは全部悪だと見抜くことでもあります。ノーベル平和賞を被団協が受賞したことを日本政府が賞賛していますが、去年のサミットで「帝国主義の核は正義だ」と宣言したのはお前らだろうと。被爆者が人生をかけて「戦争を止め、核をなくす」と闘ってきたことに乗っかり、自分たちの正当性に利用しようとしている。帝国主義者がやる政治は全部悪だと見抜くことは、労働者と資本家は非和解であるという立場に立って初めてできるし、闘えるのです。
 二つ目は暴力の問題についてです。ブルジョアジーから共産党までが口をそろえて暴力反対を叫んでいる。彼らにはこう返すべきだと思うんです。「支配階級が独占する暴力をどう考えているんですか」と。最近やっと無罪をかちとった袴田事件を見てください。国家権力は何もしていない人を法の名のもとに半世紀も獄に閉じ込め、殺すこともできる。自衛隊やミサイル基地に賛成だと言うのなら中核派の暴力を云々する資格はない。結局、「暴力反対論」は国家暴力を問題にしないか、「国家暴力だからいい」という論理で、労働者人民を武装解除するイデオロギーなのです。
 暴力にも戦争にも階級性がある。ブルジョアジーが自らの階級支配を暴力的に貫いている以上、労働者人民が自らを解放するための暴力は正義であって、帝国主義支配を打倒するための戦争は正義です。中核派はこの意味で正義の戦争を断固支持します。朝鮮・中国―アジア人民の抗日武装闘争やパレスチナ人民の10・7蜂起を断固支持します。
 三つ目が中国脅威論についてです。まずはっきりさせるべきなのは、日本帝国主義は朝鮮・中国―アジアに侵略して2000万人を殺し、しかもそれを居直っていることです。「軍隊慰安婦も南京大虐殺もなかった」「アジアの人は日本に感謝してる」などと平気で言うやつがいる。
 そのうえで、アメリカと中国が対等な軍事力を持って対峙しているかのような話がそもそもおかしい。たとえば中国が、艦隊を率いてサンフランシスコ沖まで行って演習をやっているか、やれるわけがない。キーン・ソード25のような大演習を中国の目と鼻の先でやっているのは米日帝でしょう。中国の側から積極的に帝国主義支配に軍事力でけんかを売っていく動機はありません。米帝が、帝国主義支配のために邪魔になった中国スターリン主義体制を軍事力で解体しようとしていることに対して必死に防衛的・軍事的に対応しているにすぎない。
 圧倒的に戦争の原因は帝国主義にあります。「一つの中国」原則を日米が明示に拒否すれば、中国による先制的軍事侵攻もあると思います。しかしそれでも起きていることは帝国主義侵略戦争にほかなりません。

革命を投げ捨て共産主義をねじ曲げる日本共産党

 最後に、日本共産党スターリン主義の問題についてです。共産党で活動している人がみんなスターリン主義者ではないと思います。共産党のもとにいる人たちを膨大に、一緒に闘う仲間として獲得していきたい。
 スターリン主義とは「一国社会主義」です。世界革命を投げ捨てて一国だけで社会主義をつくりましょうという思想です。そもそも社会主義は原理的に一国でつくることは不可能です。だから実践的には、ソ連が典型的なように全世界の労働者の闘いを圧殺して帝国主義と取引したり、帝国主義よりも多くの核を持つことが共産主義の勝利だ、みたいなおかしな話になっていく。スターリン主義の本質は帝国主義打倒を投げ捨てていること、はなから革命をやる気なんかないということにあります。
 帝国主義論との関連で言えば、共産党は綱領で、今は帝国主義の時代ではないと言っています。中国、ロシアの脅威があるからすぐに自衛隊はなくしません、と聞かれてもいないのに言います。自分たちが政権に入ったら自衛隊を活用する、日米安保はそのまま適用しますと言っているわけです。
 いま共産党の多くの人が『Q&A 共産主義と自由——「資本論」を導きに』(志位和夫著)を読んでいます。これはとんでもない内容で、資本主義のもとでも自由な生き方ができるんだとねじ曲げています。もう一つ悪質なのは、「自由と時間とお金があればもっと自分らしい生き方を選べた」と書いてあり、要するに今の資本主義の問題は自由な時間がないことなんだとしている。共産党の機関紙「赤旗」は9月20日付声明で「労働時間の短縮」を訴えていて、選挙ではこれで勝負するとしている。
 共産党の綱領では革命という言葉は消えている。唯一出てくるのは、「日本がアメリカの属国から脱出する民主主義革命」だけで、社会主義については「大変革」だと。それは全部選挙でやる、暴力は一切放棄しますと言っている。今の社会の矛盾は「貧困、ジェンダー、気候危機」、最後に「平和外交」をとってつけている。帝国主義支配と一体となった家父長制や恒常的な過剰資本・過剰生産力の矛盾、そして切迫する中国侵略戦争・世界戦争こそが貧困やジェンダー、気候危機の根源なのに、それらと戦争は切り離され、問題とされないのです。
 共産党の影響下にある人が、本来は五百人、千人と11月労働者集会に来るべきだと思います。だけどそれは僕ら自身にかかっています。闘おうと呼びかけることは、相手の人生に踏み込むことです。生半可にはいかない。だけど人生をかけて戦争を止める、差別・抑圧のない社会をつくる闘争と革命にこそ、人生をかける価値があると考えます。人生をかけて日帝打倒に立ち上がることが、中東・ガザで命をかけて戦っている青年と最も連帯する道です。
 全学連の若い同志や青年労働者が先頭で闘えば、情勢を塗り替えられる。職場、キャンパス、街頭で全力で訴えて、絶対に新たな仲間を連れて11・3日比谷に結集しましょう。
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