十亀弘史の革命コラム-22- 裁判所は何をしてきたか

週刊『前進』04頁(3366号04面06)(2024/10/14)


十亀弘史の革命コラム-22-
 裁判所は何をしてきたか

 袴田巖さんの無罪が確定しました。その前、無罪判決を受けた9月26日の夜に、姉の秀子さんが巖さんにかけた言葉が報道されています。「あんたが勝った。あんたの言う通りになったの。裁判長さんが無罪だって。わかるでしょ。もう安心してね」。58年に及ぶ二人のすさまじい闘いの、勝利の言葉として、強く胸を打ちます。あらためて、心から敬意を表します。
 ここでは、とりわけ裁判所の犯罪性を明らかにします。1966年11月の初公判で、袴田さんが「私は全然やっていません」と訴えてからこの9月まで、裁判所は何をして来たのか。袴田さんは、80年12月の弁護人への手紙に、憤怒を込めて書いています。「事実誤認で人を殺してもよいというのか。国民にとって何のための法か、裁判か」。この言葉は法と裁判の本質を鋭くえぐり出しています。
 裁判官には良い人と悪い人がいて当たり外れがある、というのは一面を捉えただけの俗論です。裁判所の本質は、監獄や死刑台と直結した、階級支配の暴力装置の一つでしかありません。〈司法の独立〉や〈公正〉は、言葉だけのお飾りです。裁判所が正しい判断をするとすれば、それは、弾圧を受けたり冤罪(えんざい)で苦しむ人たちが、必死で闘って、その判断をもぎとったからに外なりません。
 法と裁判は、「事実誤認で人を殺し」さえする国家権力の構成要素の一つです。
 袴田さんたちの闘いは、警察・検察による「三つの証拠の捏造(ねつぞう)」を明らかにさせました。そのうち、「取り調べ調書の捏造」は、大坂正明さんへのでっち上げに使われた、少年(取り調べ当時)たちの供述にもそのまま当てはまります。袴田さんへの判決は、調書について、要旨「警察官と検察官の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べで作成され、実質的に捏造」と述べています。大坂さんへの判決も、まさにそのように捏造された少年たちの調書のみを根拠として「有罪」としています。裁判所は、それらの調書の実質的な捏造を知りながら、というより、知っていたからこそ、法廷内での全ての証言を無視して、有罪を宣告しました。裁判の原則や法を投げ捨て、革命党への弾圧意思だけを判決に満たしたのです。
 資本家階級の階級支配を覆す闘いは、法や裁判のあり方も根本から変革します。大坂さん、そして全ての獄中同志と共に、11・3の大いなる闘いへ!
(そがめ・ひろふみ)
2024.10.14

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