10・13三里塚全国集会へ 中国侵略戦争阻止の決戦場
10・13三里塚全国集会へ
中国侵略戦争阻止の決戦場
三里塚芝山連合空港反対同盟が主催する10・13全国総決起集会(要項1面)に全力で決起しよう。反対同盟は招請状で「軍事空港建設阻止を掲げ58年間闘い抜いてきた三里塚闘争は、今こそ反戦の砦(とりで)としての真価を発揮し、世界の民衆の最先頭で闘います」と宣言し、市東さんの農地死守、成田軍事空港粉砕を呼びかけている。中国侵略戦争阻止の決戦場こそ三里塚闘争だ。全国の「改憲・戦争阻止!大行進」ののぼりを林立させ、成田市赤坂公園に大結集しよう。
軍事空港阻止が最先端の闘いに
三里塚反対同盟農民は、農地を奪っての巨大空港=軍事空港建設という国策と実力で闘い抜いてきた。1966年の佐藤内閣による三里塚空港(新東京国際空港)設置の閣議決定から、岸田政権まで実に27代におよぶ政権の攻撃にもつぶされず、空港の完成を阻み続けてきた。
そしてジェット燃料貨車輸送阻止闘争を通じて動労千葉との強固な労農連帯を築き、全国の闘う労働組合や、沖縄・福島をはじめ住民運動、反基地闘争との共闘を実現してきた。
日本帝国主義が中国侵略戦争に突き進む中、三里塚闘争は大決戦に押し上がっている。
2022年12月、浜田靖一防衛大臣(当時)は「自衛隊が既存施設を平素から柔軟に利用できるよう関係省庁や関係団体に協力を要請している。滑走路が長い空港は部隊の運用上の有効性が高い」として、空港・港湾など公共インフラを平時から軍事利用する意図をあからさまにした。さらに「地元の反対で軍事利用が制限されている」と、成田と沖縄の下地島空港を名指しし、反対運動への敵意をむき出しにした。
岸田政権は8月26日、「特定利用空港・港湾」に全国12カ所を追加指定した(計28カ所)。戦闘機・輸送機の離着陸のための滑走路の延長、輸送艦・護衛艦の接岸のための護岸工事が進められようとしている。
成田空港の機能強化(B滑走路の北延伸、第3滑走路新設、夜間早朝の飛行時間延長)は、中国侵略戦争のための軍事利用に向けた全国の公共インフラ整備の最先頭に位置するものだ。国内最長の4千㍍滑走路に加え、大型爆撃機・輸送機の発着可能な3500㍍滑走路2本という日本最大の兵站(へいたん)・出撃拠点となろうとしている。
岸田は7月の関係閣僚会議で「国家プロジェクトとして成田空港の機能強化を加速させる」ことを要請。さらに8月26日、国家戦略特区諮問会議で「成田空港を国際航空物流拠点として整備を」とうそぶき、関係インフラの整備、特区制度を活用しての支援策を関係省庁に指示した。
まさに今「軍事空港阻止」という三里塚闘争の原点が、切迫した課題として突きつけられている。
労農学の連帯で南台農地守ろう
国・成田空港会社(NAA)は昨年2月15日、市東孝雄さんが丹精込めて耕してきた天神峰農地に対し、大量動員した機動隊の暴力をもって襲いかかり、強制執行を行った。71年の大木よねさんへの強制収用以来の直接の農地強奪についに手を染めたのだ。だが市東さんを先頭に反対同盟、現地闘争本部の同志たち、全学連を先頭に全国から駆けつけた仲間たちはこれを真っ向から迎え撃ち、12時間以上を酷寒の中で夜を徹して闘いぬき、三里塚実力闘争の真骨頂を示した。青年・学生は機動隊を素手で打ちのめし、国家暴力との内乱的激突に勝利できる確信をつかんだ。市東さんは「闘魂ますます盛んなり」と、闘争の継続を高らかに宣言し、日々の営農に打ち込んでいる。
そして農地死守決戦の焦点は南台農地へと移った。
9月30日の最終弁論をもって、南台農地をめぐる耕作権裁判が千葉地裁で結審を迎える。この裁判が18年間も続いてきたのは、市東さんに「不法耕作者」の汚名を着せて訴訟を起こしたNAAこそが、「証拠」偽造や文書隠しなど違法と不正の限りを尽くしてきたからだ。9月30日のデモと裁判傍聴に集まろう。再び機動隊暴力を打ち破る気概で裁判闘争に勝利しよう。
78年の開港以来激しい騒音に苦しめられてきた空港周辺住民が、「夜間早朝の飛行を止めろ」と集団訴訟を起こして闘っている。住民と連帯し、機能強化工事を実力で粉砕しよう。反対同盟が呼びかける「成田空港の拡張に反対する署名」を集めよう。
今の「米不足」が表すのは、主食の流通さえ十分確保できない日帝の支配の危機だ。労働者と農民の怒りを三里塚に結集しよう。
星野文昭同志、大坂正明同志もかつて全学連として三里塚の地で闘いぬいた。安保・沖縄闘争と一体で三里塚で勝利し、大坂同志を北総台地に取り戻そう。
労農学連帯の力で市東さんの南台農地を守り、社会を変える力がここにあることを10・13闘争で示そう。