旭支会の勝利に学ぶ 労組破壊の分断攻撃と対決し組合員の団結守り抜いた9年

週刊『前進』04頁(3363号02面04)(2024/09/23)


旭支会の勝利に学ぶ
 労組破壊の分断攻撃と対決し組合員の団結守り抜いた9年

(写真 7・11判決後、AGCは「7月15日に出勤しなければ無断欠勤とみなす」と脅したが、自ら決めた8月1日に出勤する旭支会組合員【クミ市】)

 日帝企業AGCを相手に解雇撤回・正規職雇用を実現した韓国・民主労総金属労組旭硝子支会の勝利は、米日帝の中国侵略戦争情勢下、階級的労働運動の力を示した歴史的勝利だ。旭支会は7月11日に韓国の大法院(最高裁)で解雇撤回・正規職雇用の勝利判決をかちとり、8月1日に職場復帰した。
 旭非正規職支会(争議勝利で旭硝子支会と改名)との連帯は、集団解雇直後の2015年7月、東京・丸の内にあるAGC本社に対する旭支会の日本遠征闘争を動労千葉が受け入れたことで始まり、第2次遠征闘争後の18年5月、旭非正規職支会支援共闘会議を結成し、今日の勝利まで共に歩んできた。この9年の闘いは、階級的労働運動の復権を目指す日本の闘いへの援助であり、巨大な財産だ。

労組結成1カ月で178人集団解雇

 2015年5月29日に旭硝子ファインテクノ韓国(AFK)の下請け企業GTSで働く非正規職労働者が労働組合を結成。2週間で組合員は138人に拡大した。「20分で昼食を食べなければならなかった食堂であり休憩室、働くわれわれを監視し、いじめたGTSの管理者たちがいる事務所のすぐ横で、われわれはこれ見よがしに集まってスローガンを叫んだ。『民主労組を死守して人間らしく暮らそう!』。会社が一方的に行っていた朝会を拒否してわれわれだけの話を共有する朝会を始めた。奴隷のように働いていた工場が『現場』に変わった。われわれは工場で初めて解放感を感じた」(旭支会編『野の花、——工団に咲く』)
 その1カ月後の6月30日、GTSで働く労働者178人全員に解雇メールが届き、工場への出入りが禁止された。ロッカーの荷物も取りに行けなかった。
 旭硝子(現AGC)がクミ(亀尾)工業団地で操業を始めたのは2005年。土地40万平方㍍を50年間無償賃貸、法人税など国税は5年間全額免除、地方税も15年間減免という破格の特恵待遇だった。不当解雇撤回を訴える署名は人口40万人のクミ市で3万4千筆集まった。この署名を、特恵を与えて誘致したクミ市に突きつけたが無視され、旭支会は市庁前で籠城(ろうじょう)闘争に入った。
 翌16年3月、中央労働委員会が不当労働行為を認定し、元請けのAFKに救済命令を出すが、AFKは労組破壊に乗り出し、4月にはクミ市が籠城場を破壊する暴挙に及んだ。組合員4人が連行され、4人が負傷した。この過程で多くの組合員は切り崩されたが、22人の組合員が団結を固め、ついにAGCに敗北を強制したのだ。

不屈の実力闘争で解雇撤回へ道開く

 この9年は実力闘争に次ぐ実力闘争の連続だった。
 中労委の是正命令にAFKは従わず行政訴訟を起こす。不法派遣について2千㌻に及ぶ証拠を提出しても動かないテグ検察庁に対しては庁舎前で籠城したが、全員連行された。しかし、この実力闘争が、AFKと元社長・原納猛などの不法派遣での起訴、懲役6カ月の一審有罪判決へと道を開いた(二審の逆転無罪判決は大法院で差し戻しに)。
 パククネ大統領退陣を求めたロウソク革命では他の労組と共同闘争を構えて先頭に立ったが、パククネ罷免(ひめん)後も非正規職問題が置き去りになる中、2017年4月にソウル光化門で行った高空断食籠城には、オスイル首席副支会長が5人の労働者と共に決起し、塩と水だけで27日にわたって整理解雇撤廃、非正規職撤廃を訴えた。
 21年2月、AGCが初めて労使協議に出た。労組の訴訟取り下げを条件に新規採用形態での復職、慰労金支給を提示し、「ただしチャホノ支会長の復職は難しい」というものだった。この提案を旭支会は全員一致で拒否! チャホノ支会長は「これは大したことではない。資本側は労働組合を分裂させようとしたが、私たちが労働組合として団結すれば功を奏しない」と断言した。

民主労組の建設へ新たな闘いを開始

 8月1日に職場復帰し現場を舞台に闘いの「第2幕」がスタートした。工場内でスマホ撮影ができなくなるアプリを入れろ、社内規則を守れ、書面に署名しろなどという会社の命令を支会は拒否している。社員食堂で数百人の労働者が見ている前で工場長をつかまえ「責任を取れ」と一喝。これらの行動は、生産現場を握っているのは労働者であり、労働組合に入って闘えば現場を変えることができることを労働者たちに示すためだ。旭支会組合員は毎日会議を行い、その日の闘いを総括し、次の方針を決めているという。旭支会の民主労組建設とは、階級的労働運動そのものだ。
 韓国での非正規職撤廃闘争を牽引(けんいん)すると共に、闘争支援を連帯で返すとして闘う旭支会。チャホノ支会長は、「日本の同志たちに会えなかったら、単に日本は悪い国だ、日本人は悪い人たちだと考えたことでしょう。日本の同志たちが戦争反対を重要な課題として考え、闘うのを見て驚いた。資本家階級に立ち向かい、全世界の労働者階級が共に闘わなければならないということを直接経験できた」とし、「サード配備反対闘争を通して戦争反対闘争がどれほど重要なのか、より深く経験した」と語っている。
 8・30旭闘争勝利集会のために来日したチャホノ支会長は「国家権力との闘いは労働運動より大変な闘いだ」と三里塚を訪問し反対同盟と交流した。
 11・3労働者集会を国際連帯の一大反戦闘争としてかちとろう。6千人の大結集で中国侵略戦争―世界戦争を阻止しよう。
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