団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3359号04面01)(2024/08/26)


団結ひろば 投稿コーナー

8・6ヒロシマを闘って

(写真 一糸乱れぬ団結で座り込む参加者に手を出せない機動隊)

被爆者の怒り体現した勝利
 広島県労組交流センター・自治体部会 福井利明

 本年8月6日の「平和宣言」で松井広島市長は次のように述べている。「平和記念公園は、(中略)広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています」
 原爆投下前は、平和公園のある場所は広島でも有数の繁華街であった。原爆投下後、被爆者がバラックを建て住んでいたが「平和公園建設のため」と立ち退かせてつくられたのが平和公園である。そうした歴史的経緯から、公園は何よりも被爆者をはじめとした広島市民全体のものと言わなければならない。にもかかわらず市長は本年5月7日に広島市ホームページで突然に規制拡大を発表し、事実上、反戦・反核運動あるいは宗派を超えた慰霊祭さえ例年どおりにはできないようにした。市長の「平和宣言」がいかに欺瞞(ぎまん)に満ちていることか。 何の法的根拠もなく反戦・反核集会を禁止しようとしたが、8・6ヒロシマ大行動を先頭に、被爆者はじめ全国の労働者人民の力で例年通り、いやそれ以上にやり抜いた。広島市緑政課を先頭に警察権力を使って「退去命令」を叫んでいたが、広島市役所のある課長は「さすがに教育勅語使用は問題だ」「『はだしのゲン』をもう一度読もうかな」と言っていた。公務員とりわけ広島市職員は、松井市長のもとでそのあり方が問われた。
 徹夜で原爆ドームを守ったことについて、ある被爆者は「よくやった」と言っていた。また、長年にわたり朝鮮人被爆者問題に取り組んでこられた被爆者が、平和公園での金属探知機検査に抗議して式典への出席を拒否したことが、地元の中国新聞に掲載されていた。抑え込まれていた被爆者の怒りを体現したのが、原爆ドーム前での勝利であった。広島市職員は「再び過ちを繰り返さない」先頭に立とう。

ドーム前を守りぬき感無量
 沖縄コールセンター労働組合書記長 梶原健太

 今回の8・6ヒロシマは、私にとって初めての本土へ出向いての闘いでした。5日に広島へ到着し、夜から座り込みを始めました。現場はとても落ち着つき静かな場所という印象だったのですが、6日の午前3時30分を回り始めた時に雰囲気が変わり、右翼・権力らが現れ、私たちを囲い込んできました。そして午前5時までには退去するようにと言ってきたのです。私は、なぜ平和にする気のない飾りの平和式典に、本当の平和を求めて抗議をするのがなぜいけないのかと思いました。同時に、この弾圧に負けてはならない、この場を守り抜くぞと決意して座りながらスクラムを組みました。集会が始まり、8時15分を過ぎ、全国の学生・労働者の団結の力で勝利をかちとり、感無量でした。改めて団結の素晴らしさと、同じ志を持った全国の仲間がいることをより強く感じました。
 そして昼の大行進のデモに参加すると、広島市民の方々、外国人の方々が私たちのデモを見て、温かい拍手などを送ってくれました。やはり、私たちが訴える大行進デモの平和の声や思いは、日本人や外国人の垣根なく広く伝わり、政府の弾圧がどんなに強かろうとも労働者の胸には響いているのだなと感動いたしました。今回の闘争で広島を訪れ、全国の労働者や学生の皆さまから多大な勇気をもらい、新たな学びがありました。
 この経験を労働運動の場で生かしていきたいと思います。

教職員組合として行動参加
 教育労働者 大原海渡

 今、連合や日教組が戦争翼賛に走っているなかで、我々の教職員組合としても「職場で倒れる事も戦場で殺し合わされる事も拒否する組合になろう」と訴えてきました。その上で今年も広島行動に参加しました。
 去年の8・6ヒロシマ大行動の6日朝の集会は、発言者が生き生きと話をしていて、聞いているだけで元気が出ました。しかし、その半年後に参加者の5人が暴処法違反容疑で逮捕されました。暴力など振るっていないし被害届も出ていないのに、完全なでっち上げの逮捕に怒りが込み上げてきました。そして今年の8・6は原爆ドーム前で持ち物検査をされるなど規制がかけられることを知り、さらに怒りが湧きました。しかし、実行委員会が規制に一歩も引かないことに勇気づけられました。
 5日の午後8時から原爆ドーム前に陣取り、長い座り込みが始まりました。午後10時からは集会を行い、皆で叫んだ大声の団結ガンバローで元気が出ました。朝4時前から機動隊、市職員、ガードマンとにらみ合い、予定通り朝の集会を勝ちとりました。この勝利の源は、8・6に参加した我々の団結ではないでしょうか。我々の取り組みは反戦、反核、反原発です。それを実現するために、この経験をこれからの組合活動に生かしていきましょう。

「静かさ」の強制は戦争動員
 学生 広田 聡

 初めての8・6ヒロシマ闘争への参加でした。特に今年の8・6は、去年の「広島市職員への暴行」を口実に集会そのものを法的根拠もなく封鎖し、反戦反核の声を禁圧しようとする広島市・岸田政権との闘いでありました。
 その中で一番目立ったのは、「静かな慰霊」を掲げた政権の先兵=日本会議の人々。「不道徳」・「非常識」・「静かに」と書かれたプラカードを手に持った彼らが並ぶ風景を見ながら、私はむしろ8・6はもっとうるさくなるべきだと思いました。
 岸田政権とその先兵である松井市長が、「ガザに広島や長崎のように原爆を投下すべき」と言ったアメリカと、今もガザ地区で凄惨(せいさん)な虐殺を続けるイスラエルを招待した事実だけでも、彼らが言う「平和」がどんなものかは明らかです。核を使ってでも侵略戦争をするということにほかなりません。「静かな慰霊」を口実に、反戦反核を訴える口を封じようとする岸田政権の行為が「不道徳」であり、「非常識」ではないでしょうか。
 資本家=権力の望む「平和」と労働者民衆の「平和」は決して両立できません。「静かさ」を強いて労働者民衆の反戦反核の声を圧殺し、侵略戦争に労働者民衆を動員しようとする政権に対し、私たちは8・6ヒロシマをもっと「うるさい」日にするべきです。帝国主義の侵略戦争を繰り返させず、真の平和へたどり着くために。もう闘いは始まりました。労働者民衆の平和をかちとるために、共に闘いましょう!

世界の人々の団結のために
 中国人留学生 遅 広黙

 被爆79周年を迎え、全国各地から労働者と学生が広島に集結し、反戦・反核の大行動を行った。行動の意義を十分に理解した上で私も広島に行き、参加することを決意した。
 5日の午後4時から6日の午後6時まで共に行動し、26時間不眠不休で過ごした。長時間の闘争は確かに疲れるものだったが、反動的な松井市長や日米同盟に支配された広島平和記念式典に対して、最も力強い反戦・反核の怒りの声を届けるためには気力を振り絞るべきだ。広島市当局は、平和式典を帝国主義の秩序を誓う場にするために原爆ドーム周辺まで封鎖すると決めた。イスラエルを招待したことは平和への裏切りであり、パレスチナ、さらには全世界の人民に対する侮辱だ。
 中国人留学生として、私は現在の中国人が原爆投下に対して深い誤解を抱いているとわかる。原子爆弾の投下が戦争を終結させた正義の行為だという考え方を持つ中国人は少なくない。このような誤解を解消し、世界の人々の団結を促進するために、自らの声を世界に伝えることは日本の左翼や在日外国人の責任だ。まさにそのために、この8・6ヒロシマ大行動は私にとって特別な意味を持った。
 最終的に、機動隊と右翼の封鎖を6日の午前8時15分まで耐え抜き、黙禱を捧げた。しかし、帝国主義が戦争を推進する歩みはまだ止められていない。これからの日々、日本の皆と共に何度も行動を続けていきたいと思う。

広島市と警察を逆包囲した
 東京青年労働者交流集会実行委員会 大橋 良

 勝った! 岸田―松井の反戦運動潰し策動を完全に墓穴に転じ、本当に裁かれるべきは誰なのかをはっきりさせました。
 昨年の8・6で集会を最先頭で防衛した仲間への無理やりの起訴、さらには広島市当局による鉄柵での規制。正直なところ今年の8・6集会ができるのか、強制排除され刑事弾圧もあるのではないか、と思いました。だが、ここで引けばウクライナ戦争、ガザ侵攻を許し、中国侵略戦争を指をくわえて見ることになる。朝鮮戦争下での実力の集会貫徹、71年の佐藤首相来広弾劾闘争といった実力闘争の歴史を見れば、平和公園での実力集会ははるかに穏健です。ここで日和っては何もなし得ないし、負けるわけにはいきません。
 原爆ドーム前で座り込んでいると、朝3時、機動隊バスが多数襲来し、緊迫の対峙(たいじ)が始まりました。市当局・警察の行動はしだいにエスカレート、ついに警察から「警告」が発せられ、機動隊が強制排除を準備した時には「月末まで留置場か...」と正直思いました。しかし夜が明けて、最前列のスクラムからは様子を凝視している市民や公園に入れなかった集会参加者の仲間が警察権力の後ろに多数集まっている様子が見えました。広島市当局、警察権力こそが逆包囲されている!
 暑い中、皆で助け合いデモまで貫徹しました。国家権力は決して万能ではないと思いました。この闘いが改めて式典の政治性、そしてG7の凶悪な殺人鬼としての本性を暴き、岸田を打倒したと確信しています。日本労働者階級に求められている闘いを前進させるような8・6闘争となりました。この意義、展望を語り、仲間を増やしていきたい。

逮捕もいとわぬ闘いに勇気
 自治体労働者 奥村海馬

 広島原爆ドーム前での座り込みやデモを無事に終えることができて本当に良かったです。座り込みを行う前、逮捕されてしまう可能性があると聞いた時は正直怖かったのですが、周りに逮捕されることもいとわない姿勢の方が大勢いて、少し勇気をもらいました。ただ戦争反対を訴えているだけにもかかわらず、逮捕される可能性があること自体おかしいですよね。今の日本は言論統制が始まっていると言わざるを得ません。
 広島平和記念式典に毎年参加している広島に住む知人が、「平和というものを感じる」とSNSに投稿しているのを目にしました。私の知り合いだけでなく、今の日本にはこのように感じている人は多いのだろうと思います。今の日本が平和であるのなら、なぜ都庁前の配給に何百人も並ぶのですか。なぜ若者の自殺者が増加しているのですか。日本人は何でも美談にする傾向があると聞いたことがありますが、絶対に美談として終わらせてはならないものもあります。平和に感謝する気持ちは大切だと思います。けれども、平和に感謝するだけの真夏の風物詩として式典を続けてしまうと本来の意味を見失いかねません。国民全員が「戦争反対」を当たり前に言える国への初めの一歩となる極めて重大な役割を、今回の8・6ヒロシマ大行動が担ったのではないかと感じています。

人生初の実力闘争貫徹した
 奈良 紙山 諭

 8月5日、8・6ヒロシマ闘争での原爆ドーム前徹夜座り込み行動に参加した。セミの鳴き声が響く夏の暑い夜だったが、公園に植えられた木々のおかげで多少はましだった。公園には、全国の労働組合・労組交流センター・全学連・大行進の仲間が暑い夜の中、原爆ドーム前で座り込んでスクラムを組んでいた。
 夜中には右翼が現れて我々の仲間に襲いかかり、そこに警察権力が突入してくるなど妨害があったが、我々は座り込みを貫徹した。3時頃から原爆ドーム周辺の道路を機動隊のバスが何台も威圧目的で通り、警察権力も公然とやって来て公園の中に入り、規制のための柵の準備を始めた。「権力帰れ!」という声を上げスクラムを組んで応戦した。反戦のヘルメットや中核のヘルメットをかぶった仲間、女子学生、年配の方、自治体労働者や青年労働者など多種多様な仲間がスクラムを組んだ。学歴・「障害」・性別・年齢・職種・国籍などを越えた実力闘争が権力を圧倒した。
 私もスクラムに一時加わったが、団結の持つ力が規制を打ち破り、反戦反核集会を実力で貫徹できた感動をいまだに忘れられない。私にとって人生初の実力闘争だった。この実力闘争=暴力が全ての労働者が人間らしさを取り戻すものだと確信した。この実力闘争の地平で今秋の11月労働者集会へ飛躍していこう。

戦後民主主義超え反戦貫く
 京都 中山俊光

 8・6ヒロシマにおいて原爆ドーム前を死守したこと、これは単に例年通りの状態を維持したということではない。8・6ヒロシマは、「9条守れ、平和を守れ」という言葉に表れる戦後民主主義を超えて、反戦へと質的に転換したということである。平和記念式典に虐殺を続ける核武装国家イスラエルを招待し、式典中の平和公園を封鎖することは、右からの戦後民主主義の一掃攻撃と戦争国家化セレモニーとしてあった。
 これを受けて立つには、左翼も変革の立場に立ち切ることが求められた。結局、あらゆる困難を乗り越えて原爆ドーム前に座り込んで闘い抜いたのは我々のみであった。こののるかそるかの勝負を、日本だけでなく世界中の人民が目撃した。誰が連帯するにふさわしい相手かはっきりしたに違いない。8・6を機に、体制内左翼は左翼の体すら維持できなくなり、民族社会主義へ純化し権力の手先になるだろう。
 日本政府以外のG7の帝国主義国は、8・9長崎平和祈念式典への大使の出席を拒否した。世界の対立構造は誰の目にも明らかだ。我々とパレスチナ人民の闘いが、一切の曖昧(あいまい)さを許さず敵を追い詰めている。地底から発せられる原爆犠牲者の怨嗟(えんさ)の声は、「静かな慰霊」ではなく核兵器を世界から無くすことを求めている。これは世界革命と一体の課題である。戦後民主主義の制動が打ち破られた今、この任務を果たさなければならない。

人民の暴力で正義の回復を
 関西学生・リバタリアン 友花優香

 リバタリアンは反戦反核を貫き、国家を廃絶する。私は国家に抗(あらが)うために8・6ヒロシマ大行動に結集した。
 原爆投下国のアメリカをはじめ、平和記念式典に諸国家を呼ぶことは許されない。国家は課税によって搾取し、戦争によって人民を殺す犯罪者集団であり、平和とは程遠い集団だ。まして、犯罪者集団たる諸国家を弾劾するデモを弾圧するとは何事か。広島市の「法的根拠」なき強制力は、その犯罪性の証明である。このような集団に対して、反戦反核の声を上げるのは当然のことである。
 イスラエルとパレスチナの戦い、いや戦いとは名ばかりのイスラエルによる一方的な虐殺が続いている。虐殺の実行者・推進者が「平和」を祈るとはいったい何の冗談だろうか。そのような集団を式典に招待するという政治性を強く認識しなければならない。
 原爆投下はアメリカ人兵士の犠牲を最小にするために仕方がなかったと、アメリカでは強く信じられてきた。しかし、アメリカ・リバタリアン党も言及しているように、それは不正であり、糾弾すべきことである。国家は、戦闘員の犠牲を避けるために敵方の非戦闘員を一方的に虐殺するという「倫理」をこじ付け的に「正当化」する。経済的・政治的利害は当然として、倫理観がまるで異なるため和解は不可能だ。我々にできることは、国家の強制力に対して人民の暴力によって正義を回復するのみである。団結!

団結の現場に身を置き勝利
 香川 吉冨キティ

 8・6ヒロシマ大行動に参加しました。 前夜からの原爆ドーム前座り込みに最初から参加しようと思っていましたが身体能力から断念、朝4時半過ぎに合流することに。「機動隊が集まっとる」と知らせてくれた仲間の声や「チームで行動するように」との注意に、改めて引き締まる思いで出発し、原爆ドームに近づくと参加者の力強い声が聞こえてきました。
 座り込みに加わって、アピールに「そうだ!」と呼応して拍手しているとなんだか腹が据わってくる心持ちでした。警察が排除をちらつかせて退去を迫りますがスクラムで防衛する仲間が抗議し、中央からは更に大きな熱量の怒りのアピールの声が続いて押し返している。排除や逮捕も想定して参加しましたが、それ以外の展開もあり得るのだ、と座り込む中で思えてきたのです。
 そして、すっかり明るくなって市電が動いているのが見えた時、はっきりと勝利が見えた気がしました。機動隊の包囲の外側からも反戦・反虐殺のプラカードが上がっているのが見えました。一方、権力側は疲労困憊(こんぱい)の様子でした。
 予定通り集会がかちとられ、デモに出発する前の黙禱(もくとう)の中で思ったのは、 弾圧などはね返して勝利できるという気持ちになれたのは団結の現場に身を置いて一緒に声を上げたからだ、ということです。今回の行動を呼びかけてくれた人たちの展望と確信がすごいなと思いました。これからも頑張っていきたいです。

デモ沿道ビラに圧倒的共感
 東京 東田 進

 8・6の早朝、座り込みを貫徹して権力に勝ち抜く中で、ピケの外に出てビラ配りを開始した。検問所に並ぶ人々にもどんどんビラが受け取られていく。英語ビラの威力も絶大で、外国の人々も食い入るように読んでいる。原水協のワッペンをつけた労働者が「集会やってるの! すごいですね」と言ってくれたように、声をかけてくる人も多い。
 集会をやり抜き、勝利感いっぱいでデモに出る。ビラを受け取った高齢の女性に「原爆ドーム前が封鎖されて集会が禁止されたんですが、若い人を先頭に昨夜から座り込んで、去年より大きな集会ができたんですよ」と言うと、「えーよかったわねえー、ほんとに」と大きな声で応える。次の女性は「できたの! 今度は私も行くからね」と。次に無表情でビラを受け取った男性も話を聞くと破顔一笑、「そうかそうか」とうなずく。アーケードの店頭販売の男女にも伝えると笑顔に変わる。こうした反応が5人や6人ではなかった。「がんばって」の声も多い。
 岸田や広島市長・松井が弾圧と封鎖で抑え込もうとし、日本共産党などが一緒になって封じ込めようとしていたヒロシマの深く激しい怒りは脈々と生きていて、実力闘争が規制を打ち破ったことに圧倒的共感を寄せてくれるのだ。小西のぶ子さんや被爆者青年同盟の闘いを引き継いだ広島の仲間の奮闘、青年・学生の体を張った闘い、そして全国からの圧倒的結集が一つになって弾圧は打ち破られ、逆のものに転化した。「侵略を内乱へ」の反戦闘争の決定的跳躍だ。

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