虐殺の歴史を繰り返すな 朝鮮人・中国人虐殺101年 9・1練馬、錦糸町デモへ 再びの中国―アジア侵略許すな

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週刊『前進』04頁(3359号03面01)(2024/08/26)


虐殺の歴史を繰り返すな
 朝鮮人・中国人虐殺101年
 9・1練馬、錦糸町デモへ
 再びの中国―アジア侵略許すな

(写真 練馬駐屯地での記念行事で装甲車に乗る小池【4月7日 東京都練馬区】)

(写真 自らが目撃した朝鮮人連行と虐殺を描いた日本画家・萱原白洞の「東都大震災過眼録」から【高麗博物館パンフレット】)


 1923年9月1日の関東大震災の発生と、そのもとで軍・警察が主導して引き起こした朝鮮人・中国人虐殺から101年。今年の9月1日、「首都防衛」を掲げる都知事・小池百合子は「都・板橋区総合防災訓練」を強行しようとしている。これは「防災」を口実に警察や自衛隊が自治体と一体となって首都・東京を制圧し、戦時体制にたたきこむ攻撃だ。米日帝国主義が一体化して中国侵略戦争への突入を狙う中で、あの虐殺をもたらした101年前と同じ状況がつくり出されようとしているのだ。「9・1」は闘いの日だ。中国侵略戦争阻止の国際連帯闘争として9・1練馬駐屯地デモ、錦糸町→亀戸反戦デモに駆けつけよう。

戦時体制の構築狙う小池

 東京都と板橋区が8月30日から9月1日にかけて行う訓練の目的は断じて「防災」ではない。これは住民や労働者、地域丸ごとの戦争動員を狙った治安出動訓練そのものだ。
 4月10日の日米首脳会談、7月28日の日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)を経て、米日帝国主義は中国侵略戦争同盟・核戦争同盟としての姿をむき出しにした。自衛隊は陸海空3自衛隊を一元的に指揮する現代の「大本営」=統合作戦司令部を今年度中に発足させ、これに対応して在日米軍司令部は陸海空軍と海兵隊への作戦指揮権を持つ「統合軍司令部」へと再編されようとしている。
 こうした動きと連動して、この間、地方自治体と警察、自衛隊が一体となって地域を制圧し、住民や自治体労働者、医療労働者などを動員する「国民保護訓練」「ミサイル避難訓練」が全国で繰り返されてきた。都内では迷彩服姿の自衛隊員が住宅地で行進を行い、複数の区役所に立ち入る事態まで起きている。9月末には改悪地方自治法が施行され「国民の安全に重大な影響を与える事態」に際して政府が自治体に指示=命令する権限が大幅に拡大されようとしている。
 今回の訓練では板橋区の都立公園や近隣の小中学校などが使用され、公園から約1㌔の場所にある陸上自衛隊練馬駐屯地の自衛隊員らが参加する予定だ。陸自第1師団の司令部が置かれる練馬駐屯地には、「首都治安維持部隊」として街頭で訓練を繰り返してきた第1普通科連隊も駐屯している。小池は今年4月の第1師団創立・練馬駐屯地創設記念式典で昨年に続いて装甲車に乗り、隊員が旭日旗を掲げる中で「巡閲」=閲兵を行った。「首都防衛」を掲げる小池の狙いは、軍都としての「帝都・東京」の復活にほかならない。

追悼文を拒否し歴史の抹殺狙う

 日帝の侵略戦争突入情勢下で、小池は朝鮮人・中国人虐殺の歴史を葬り去ることに全力を注いできた。就任2年目の2017年から一貫して、毎年9月1日に墨田区の都立横網町公園で行われる朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を拒否し続けてきた。朝鮮人虐殺についての認識を問われると「事実は歴史家がひもとくもの」などと述べ、卑劣にも、あたかも虐殺が不動の歴史的事実ではないかのように印象づけようとしてきたのだ。
 こうした姿勢こそが極右勢力のヘイト攻撃にお墨付きを与えた。極右団体「日本女性の会 そよ風」は毎年、横網町公園内で「集会」と称する襲撃的な妨害行為を行うようになった。
 今年の9月1日を、過去の虐殺を二度と繰り返さないことを誓うと同時に、この歴史を抹殺して再びの中国侵略と人民虐殺に突き進もうとする自国帝国主義を打倒する反戦闘争を巻き起こす闘いの日としなければならない。都内各地の改憲・戦争阻止!大行進運動が呼びかける9・1練馬駐屯地デモ、錦糸町反戦デモへの大結集をかちとろう。

背景に戦争と植民地支配

 1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とする大地震が発生した。都心は火の海となり、警視庁や内務省も焼失。午後1時10分には軍当局が非常警戒令を発動し、午後2時には警視総監・赤池濃、内務省警保局長・後藤文夫、内務大臣・水野錬太郎が戒厳令施行を提案する。この最中、午後3時ごろには「社会主義者及び鮮人の放火多し」との流言が流され、夜には墨田区旧四ツ木橋などで朝鮮人虐殺が始まった。2日、東京市及び隣接5郡に戒厳令が敷かれ、警視庁は全市に「朝鮮人襲来」の流言を大宣伝し、自警団結成がピークになる。3日に東京府全域と神奈川県、4日には千葉・埼玉両県へと戒厳令の対象が拡大する中、各地で公然と朝鮮人・中国人虐殺が強行された。
 日帝中枢が首都圏を戒厳令下にたたきこみ、軍と警察が一体となって流言を拡散した結果、真相は今なお明らかになっていないが、朝鮮人6千人超、中国人800人にも上る大虐殺が行われたのである。

「朝鮮征伐」と称して虐殺を強行

 「ちょうせんじんがにげたので みんなおとなのひとは てつのぼうをもって ちょうせんせいばつにいきました」「てつのぼうでころしたり ころしたちょうせんじんをかんごくのまえのうみにながしました」
 これは大震災後に横浜市内の小学5年生が書いた作文の一節だ。朝鮮人虐殺を「朝鮮征伐」という言葉で表現している。ここには朝鮮人虐殺への反省も謝罪もなく、教員をはじめ当時の人々の意識が色濃く反映されている。大地震で自ら生存の危機に直面しながら、なぜ集団的な朝鮮人虐殺に駆り立てられたのか。背景には、日帝の戦争と植民地支配の歴史がある。
 日帝は日清戦争で台湾を植民地とし、日露戦争から1910年韓国併合・朝鮮植民地支配へと進む。1894~95年の甲午農民戦争、そしてその後の韓国併合を前後して朝鮮全土に広がった反日義兵闘争に対して、日本軍は村落を焼き討ちし、大虐殺に及んだ。
 さらに第1次世界大戦に参戦した日帝は1915年に対華21カ条要求を中国に突きつけ、17年にロシア革命が起こると、18年にシベリアに出兵し干渉戦争を開始。25年の完全撤兵まで足かけ8年も居座り続けた。
 この時、朝鮮では総督府のもとでの苛烈(かれつ)な植民地支配への怒りが爆発、19年の3・1独立運動に発展する。日本軍はこれを徹底的に弾圧し、約7500人もの人々を虐殺した。20年には朝鮮族が多く居住していた中国東北部の間島を拠点とする抗日運動鎮圧のために出兵し、植民地支配に決死の覚悟で抵抗する朝鮮人を「不逞(ふてい)鮮人」と呼び「討伐」の名で大虐殺を行った。
 こうした中で迎えた1923年9月。「植民地の反乱と革命情勢という帝国主義の危機の前線にいた重要な連中はみんな震災時に日本に帰ってきて当局の要職に(就いた)」という姜徳相氏の言葉通り、戦争と植民地支配を指揮し、その責任を負うべき立場にいた水野や赤池、後藤らが軍と警察を動かし、植民地で行ってきたのと同じ徹底的な朝鮮人虐殺を命じたのだ。
 日本国内には、植民地での独立運動圧殺・朝鮮人虐殺に手を染めた元兵士らが多く存在していた。こうした在郷軍人が自警団を組織し「朝鮮人を殺せ」とあおって虐殺の先頭に立った。

連帯し、侵略を内乱へ!

 前述のように、関東大震災前夜のアジアは、1917年ロシア革命の勝利がもたらした階級闘争・革命運動の高揚と、革命の拡大を阻止しようとする帝国主義の反動との激しいせめぎ合いのただ中にあった。日本では18年、シベリア出兵を契機とする米騒動の爆発が内閣を打倒。19年の3・1独立運動に際しては、東京で学んでいた朝鮮人留学生たちが大きな役割を果たした。労働運動においても、日帝・資本による差別・分断攻撃を打ち破り日朝労働者の団結を築こうとする努力が続けられていた。「植民地朝鮮の解放」が、その共通のスローガンとして掲げられようとしていた。
 22年にロシアで開かれた極東勤労者大会(コミンテルン主催)には日朝中をはじめとするアジア各地の労働者や共産主義者らが集まり、宣言文には「日本の労働者階級は極東人民の解放のための全体的な革命団結のうちに、その正しい場を占める。日本帝国主義の剣は、日本プロレタリアートの手の中で折れるだろう」との文言が盛り込まれた。
 日帝支配階級は、宗主国と植民地、抑圧と被抑圧の側に分断された労働者人民が一つに団結し、戦争と民族抑圧の元凶である日帝を打倒するために立ち上がることを何よりも恐れ、分断のくさびを打ち込むために関東大震災を利用した。
 この時に求められていたのは、あらゆる分断を実力で打ち破る労働組合の闘いと、その闘いを指導し、日帝打倒・朝鮮―アジア解放の実現に向けた巨大な闘いをつくり出す革命党の強固な意識性だった。しかし当時、22年に非合法で結成されていた日本共産党は23年6月の一斉検挙、そして関東大震災後の朝鮮人・中国人虐殺、その後に権力が日本の労組活動家らを虐殺した亀戸事件、甘粕事件などの大反動に屈して自ら解散したのだ。今こそ、この歴史を乗り越える時だ。

差別と戦争生み出す日帝打倒を

 日帝はこの間、戦争と植民地化、そのもとでの強制連行などを記憶するためにつくられた建造物の一切を目の敵にし、右翼の介入を口実に強制撤去・破壊して歴史そのものを抹消しようとしてきた。今年1~2月には群馬県知事が命じて、高崎市の県立公園「群馬の森」に設置されていた朝鮮人労働者追悼碑を重機で粉々に破壊し更地化した。墨田区の朝鮮人犠牲者追悼碑も標的とされている。
 歴史の隠ぺいと虐殺の再来を許さず、在日朝鮮人・中国人、アジアの労働者人民との連帯にかけ、差別と戦争の根源である日帝を打倒する闘いを爆発させることこそが、日本労働者階級の最大の任務だ。日帝打倒のプロレタリア革命と民族解放闘争との結合をかちとり、侵略を内乱に転化する闘いを実現しよう。

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「都・板橋区総合防災訓練」=戦争・治安出動演習反対
9・1練馬駐屯地デモ
 9月1日(日)午後1時集合→2時デモ出発
 徳丸第二公園(板橋区徳丸2―8―5)
 主催 改憲・戦争阻止!大行進東京北部、改憲・戦争阻止!大行進東京

関東大震災朝鮮人・中国人虐殺101年
9・1錦糸町→亀戸反戦デモ
 9月1日(日)
 午後5時 錦糸町駅北口でリレーアピール
 午後6時 錦糸公園からデモ出発
 主催 改憲・戦争阻止!大行進東京東部、改憲・戦争阻止!大行進東京

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