8・6広島原爆ドーム前へ 被爆者の訴え 共に声あげ核戦争阻止を 婦人民主クラブ全国協議会福岡支部 土井玞美子(どい ふみこ)さん

週刊『前進』04頁(3355号02面01)(2024/07/29)


8・6広島原爆ドーム前へ
 被爆者の訴え
 共に声あげ核戦争阻止を
 婦人民主クラブ全国協議会福岡支部 土井玞美子(どい ふみこ)さん

(写真 5・15沖縄闘争に参加し、辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に座り込む土井玞美子さん【5月20日 名護市】)

 中国侵略戦争―核戦争絶対阻止の歴史的決戦となる8・6広島―8・9長崎闘争に向けて、長崎原爆被爆者の土井玞美子さんからアピールが寄せられました。被爆者の訴えに応え、共に闘おう。(編集局)

79年経ても忘れぬ長崎原爆の地獄絵

 広島・長崎への原爆投下から間もなく79年が経とうとしていますが、いま本当に再びの核戦争が起きるかもしれない状況です。絶対に核戦争を止めなければいけません。多くの人が全国から8・6ヒロシマ―8・9ナガサキに集まって、一緒に声を上げていただきたいです。
 私は残り少なくなった長崎の原爆被爆者です。今年6月で85歳になりましたが、よくぞこれまで生きてこられたものだと自分でも感心しています。
 1945年8月9日午前11時2分、私は母、妹と一緒に国鉄長与駅に停車した汽車の中にいました。なかなか動かない汽車の椅子に座っていると、「ピカッ」と、ものすごい光を背中から受けました。次の瞬間、ガラスが粉々に割れて体中に降り注ぎましたが、両脇に座っていた方がとっさに私の身体に覆いかぶさり、かばってくれました。
 同じ列車に乗っていた兵隊さんが「今のは新型爆弾だ!」「みんな隠れろ! 私は広島でも同じ光に当たった!」と言われたので、皆で防空壕(ごう)に逃げ込みました。混乱の中で、あるおばあさんは汽車の下に隠れましたが、車輪がガタンと外れ、その下敷きになって亡くなられました。一面が血の海となっていました。
 しばらくすると、線路伝いに、体中真っ黒で、髪はチリヂリに燃え、服もボロボロになった人たちがゾロゾロと歩いてきました。中には顔中にガラスの破片が突き刺さっている人もありました。皆、口々に「水、水、水をください」と言いました。消防団の人が「どうせ助からんのやけん飲ませろ」と言われ、母は田んぼの用水路から水をくんで飲ませました。その中にいた医大生だという人は腹から腸がはみ出ており、左右を抱えられながら「これから郷里の福岡に帰るんだ」と言って、ヨロヨロと歩いて行きました。皆「あれは助からんばい」と言っていました。

苦しみ続いた戦後家族の命も奪われ

 私は当時6歳でしたが、8月9日の光景は、今でもはっきりと覚えています。
 原爆投下から間もなくして戦争は終わり、翌年には小学校に入学しましたが、被爆の影響なのか身体は動かず、よく熱を出していました。夏は特にひどくて、家で一日中寝転がっていました。県庁に勤めていた父も、原爆投下直後から市内で遺体埋葬の作業にあたったことで髪の毛は抜け、嘔吐(おうと)を繰り返していました。当時は満足に薬もなく、柿の葉と桜の木の皮を煎じて飲んでいました。
 今、私は両ひざに人工関節が入り、腎臓は一つしか働いていません。夫も被爆者で、昨年がんで亡くなりました。多くの被爆者が、同じように戦争が終わってからも被爆に苦しめられてきました。でも、私が結婚して移り住んだ福岡では、被爆者団体の中でも「黙っていた方がよい」と言われ、被爆者は口をつぐんできました。
 私には4人の子どもがいますが、被爆の影響か、次男は右の耳が塞がっていて聞こえません。子どもの頃はそれでいじめられたと、大人になって話してくれました。今は夢をもって元気に歩んでいますが、当時はさぞ独りで悩み苦しんだのだろうと思います。
 また、長女は35歳の時、過剰な仕事に追われ、家に帰れずにホテルのお風呂で眠ってしまい、溺れて亡くなりました。管理職は会社の責任にしないでくれと迫ってきましたが、当時、私は労働組合が団結して闘うということを知らず、何もできませんでした。今思っても悔しくて涙が出ます。

闘いこそ生きる力核戦争を許さない

 ですが今、私は第二の青春を生きています。数年前に婦人民主クラブに加入しました。「戦争反対」のデモや集会に参加する中で、被爆の体験を話せるようになりました。労働組合の仲間の活動を知る中で、長女の過労死についても話すことができるようになりました。
 今年5月には沖縄を訪れ、全国から参加された人々と一緒に行動することができました。ご近所の方が「沖縄への観光、いいですね」と声をかけてこられましたが、「いえ、私は戦争と基地に反対するために沖縄に行くんです」とキッパリ告げました。
 7月にも佐賀空港へのオスプレイ配備に反対する行動に参加し、工事ゲートの前で座り込んでいます。こうした活動を通して今、私は元気が湧き上がり、趣味の活動や友達との旅行にも旺盛に出かけています。団結して闘うことは生きる力です。
 でも、これから日本とアメリカが中国への戦争を始めると、私たちの日常は吹っ飛んでしまいます。しかも、その戦争は核戦争になります。今の原子爆弾は長崎・広島の千倍とも言われる威力です。一つでも投下されたら日本は全滅です。そして地球そのものも全滅です。絶対に止めなければならないと強く、強く思います。
 核戦争を止めるため、今年も8月6日ヒロシマ―8月9日ナガサキの行動に参加します。原爆ドーム前や平和公園への規制を許さず、暴処法弾圧で捕らえられた若い人たちを取り戻すために、声を上げます。岸田首相や戦争を進める者たちを追い返します。
 皆さん、8月6日ヒロシマ―8月9日ナガサキにてお会いしましょう。
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