団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3351号04面02)(2024/07/01)


団結ひろば 投稿コーナー

飛び入りで反戦デモが倍増
 改憲・戦争阻止!大行進・奈良 木村 豊

 改憲・戦争阻止!大行進・奈良は6月23日、JR奈良駅前で「8月6日は広島へ行こう!反戦奈良集会・デモ」を行い、今こそ反戦の行動が求められていると肌で感じました。前日の22日には「8・6ヒロシマ暴処法弾圧粉砕関西集会」も感動的にかちとりました。 反戦奈良集会開始前の宣伝活動で「何かやらないといけないと思っていた!」と集会に参加してくれた方もいました。家族や知り合いの初参加や久々の参加もあり、集会は20人を超える結集で始まりました。
 主催者あいさつを大行進奈良代表の増田順計さんが行い、8・6弾圧や関西生コン支部・湯川裕司委員長への10年求刑、港合同昌一金属支部への組合つぶし攻撃を暴露し、これが戦争攻撃であることを鮮明にしました。
 その後、関西地区生コン支部・奈良ブロック、日教組奈良市、関西合同労組奈良支部、奈良新聞労組、奈良市従をよくしたい会、奈良星野文昭さんを取り戻す会が発言しました。
 集会を聞いた中国人親子のお母さんは「ものすごい危機感と不安を持って生活している」と話してくれました。フランスからの観光客は「10・7攻撃をしたハマスが悪い」と主張。議論となり、排外主義の恐ろしさを実感しました。
 日教組奈良市の有田雅行委員長のまとめと団結がんばろうの後、太鼓を鳴らして勢いあるデモ。20人近くが飛び入り参加し、参加者は倍増しました!
 この間、奈良では自衛隊祝園(ほうその)弾薬庫の拡張工事への住民の怒りが積もっています。ますます大行進奈良としての行動方針が求められています。大胆に闘っていきます!

連帯にかつてない力感じた
 中国人留学生 雨山

 革命は中国にとって切実でありながらも遠い現実だ。私たちには長い闘争の歴史があり、資本主義と帝国主義の侵略に対して無比の怒りを感じていた。しかし、この怒りはグローバルな資本化の進展とともに徐々に消え、あるいは抑圧された。何をしても資本主義の車輪を止めることはできないのだと人々はますます深く感じている。怒りが抑圧されたというより深い悲しみと無力感に変わったと言った方がいいだろう。
 広島でも東京でも沖縄でも、デモに参加する時、私は泣きながら皆と一緒に歩いていた。今まで私が感じていた違和感は、この世界が本来こうあるべきではないということなのだ。
 みんな抗争した後で何も得られないことを恐れている。中国では、この政治的な無力感をある学者が「後革命の幽霊」と呼んでいる。前世紀の左翼運動が失敗した後、この幽霊が世界中をうろついている。
 だから、みんなが一緒に「打倒!」や「連帯!」と叫んでいる時、私はかつてない力を感じた。この力が私たちを支え、困難を乗り越えて新しい世界へと導いてくれると信じている。

成田昭雄さんしのぶ会開催
 動労総連合・北海道 坂野陽平

動労千葉のDC会館で6月23日、動労総連合、神奈川労組交流センター、動労総連合・北海道が主催して動労総連合・北海道委員長代行の成田昭雄さんをしのぶ会が開催されました。
 成田さんは生粋の国鉄労働者だった。人好きで酒好きで見栄っ張り。自宅に人を呼ぶと必ず朝まで飲み明かし、電話は1時間を超えることがザラ。青年・学生をこよなく愛し、身を削って支援した。
 国鉄では保線部門一筋。北海道での、特に冬の保線作業は過酷だ。だからこそ自らの仕事に並々ならぬ誇りを持っていた。そんな誇り高き国鉄労働者にとって、国鉄分割・民営化が安全を崩壊させ、交通弱者を生み出し、地域を破壊し、国鉄労働者と家族の団結をバラバラにすることは火を見るよりも明らかだった。文字通り生涯をかけて分割・民営化と徹底的に闘い抜き、1047名解雇撤回闘争の先頭に立ち続けた。
 成田さんは本当に国労とその組合員・家族を心の底から愛していた。しかし、国労本部が解雇撤回を投げ捨て、あろうことか闘争団の組合員資格を奪うにまで至ったとき、断固として解雇撤回闘争の継続を決断。この闘いが全労働者階級の未来をかけた闘いだと深く確信していたからだった。そして2017年、北海道に帰還後、動労総連合・北海道を立ち上げた。弱気になることはあっても決して音を上げなかった。
 成田さんは集会で発言すると、沖縄・福島・星野文昭同志について必ず言及した。反戦政治闘争を労働運動の中心課題に据える戦後労働運動の最良の伝統を体現していた。今こそその継承と革命的発展をかちとらなければならない。
 成田さん、1047名解雇撤回闘争勝利、そして日本と世界の労働者階級の解放の日まで私たちを見守っていてください。

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