団結ひろば 投稿コーナー

発行日:

週刊『前進』04頁(3348号04面04)(2024/06/10)


団結ひろば 投稿コーナー

自治法改悪の戦争国会粉砕
 東京西部労組交流センター 齊藤生太

 地方自治法改悪案が5月30日、衆院本会議で与党などの賛成多数で可決された。「国民の生命等の保護のために特に必要な場合」は個別法の規定がなくても必要な指示を出せる、とするもので絶対に許せない。「国会に事後報告の義務付け」など何の規制にもならない。戦争体制づくりである本質を全政党が触れない翼賛国会は粉砕以外にない。
 これに先立つ5月23日、衆院委員会採決を許すなと訴える労組交流センター自治体労働者部会と改憲・戦争阻止!大行進の国会闘争に参加した。5・15沖縄闘争の高揚を引き継ぐ労働者・学生の熱気で国会を弾劾した。青年労働者は「沖縄闘争でわかったことは、国は住民を犠牲にして戦争するということ。国の自治体に対する指示権には絶対反対。労働者の力で戦争を止めよう」と訴え、全学連の仲間は「50人の学生をはじめ400人以上の座りこみで辺野古の土砂搬入を阻止した。闘えば戦争は止められる。地方自治法改悪は中国侵略戦争のためだ。6・9デモで先頭に立つ」と発言。埼玉の自治体労働者は「許せないのは自治労本部が法案作りに協力し、まともに反対していないことだ。現場労働者の力で法案を葬ろう」と体制内勢力の屈服を弾劾し、東交労働者は「国の指示権とは自治体労働者を先兵にさせ住民を戦争に動員するものだ。実力闘争で岸田を倒そう」と訴えた。
 6・9反戦デモを巨大な闘いとして爆発させ、戦争国会を粉砕しよう。

奈良市従除名撤回裁判開く
 奈良労組交流センター 若林洋介

 5月16日、奈良地裁で、奈良市従除名撤回裁判の第2回公判が行われました。地方自治法改悪が国会審議入りし、8・6広島弾圧で自治体攻防が決戦になっている中で、中国侵略戦争を阻止し、自治労をストライキで闘う労働組合によみがえらせていく闘いです。公判後、意気高く総括集会をかちとりました。
 4人の仲間が組合から除名処分されたのは、Aさんのセクハラ・パワハラ解雇に反対したことへの報復です。書記の吉谷宏子さんの懲戒解雇に対しては2023年の最高裁判決で原職復帰したのだから、市従本部はセクハラ・パワハラ事件の隠蔽(いんぺい)・報復を謝罪し、ただちに除名も撤回するべきです! この処分は大会決議も経ておらず、組合規約違反であり無効です。市従本部は加害者のX組合員を擁護するための裁判費用30万円を支出し、セクハラ・パワハラ解雇の事実を告発すること自体が「誹謗(ひぼう)中傷、情報漏洩(ろうえい)、信用失墜行為であり、除名処分は当然」と開き直っているのです。
 組合員が差別事件を引き起こした時、どうするか。非正規職差別、女性差別、障がい者差別、部落差別、民族差別といった差別・分断攻撃を打ち破り、全ての人が人間らしく働けるようにするのが労働組合です。戦時下の今、差別・分断と闘わず団結が破壊された労働組合は戦争に反対できなくなります。階級性を奪われ労働者同士が殺しあいをさせられる帝国主義の戦争動員に抵抗できなくなるのです。今こそ労働組合の闘いが歴史を左右する時です! 除名撤回闘争は自治労全体を揺るがす問題です。全国の仲間は団結して中国侵略戦争を阻止しましょう! 8・6広島弾圧を粉砕し5人の仲間を奪還しましょう!

小松島の航空隊に申し入れ
 改憲・戦争阻止!大行進・徳島 米津健司

 5月13日、改憲・戦争阻止!大行進・徳島は、徳島県知事と海上自衛隊小松島基地の第24航空隊司令に申し入れを行いました。墜落した対潜水艦ヘリSH60の戦争訓練再開中止を求める行動です。
 4月20日、夜間に接近警報装置をオフにさせての対潜哨戒・攻撃訓練をやっていたこと自体、中国に向けた侵略戦争そのものです。
 隊員1人が死亡、7人が行方不明のままです。地元には、戦争反対の気持ち、いつ墜落するかわからない危険、行方不明の隊員と家族への沈痛さ、その重い空気が漂っています。その中で、防衛大臣が5月3日には訓練再開を指示しました。「行方不明のまま、事故原因も不明のまま、再発防止策もないまま」という、戦後の自衛隊の一線を越えた踏み込みです。
 重大事故を発生させた責任者が、居丈高に「四の五の言うな」と威圧。海将OBらが、口をそろえて「事故原因は技量の問題。技量を磨け」と「訓練時間確保のための海自の人員要求」を唱えています。
 今この時に「静かに」「祈る」だけが支配しては戦争翼賛への道だ。仲間と話し合い、請願行動を行うことにしました。広島の獄中で暴処法弾圧と闘っている5人の仲間とともに、これからも戦争反対を行動として取り組みます。

沖縄で日本兵が何をしたか
 首都圏学生 藤木凪紗

 今回の陸上自衛隊勝連分屯地への申し入れの際に、自衛隊が学生・労働者に銃を向けてきたことはとても許しがたいと思いました。自衛隊員が「沖縄を再び戦場にさせない」という思いに賛同し、人民に対してではなく戦争を推進する権力にその銃を向けて共に闘うまで、決して諦めてはいけないと強く思います。
 平和祈念資料館では、住民がまともに食料も食べられず死体が浮かぶ池で水を飲むほどに追い詰められる中で、日本兵が住民のわずかな食糧を奪ったりした資料から「軍隊は住民を守らない」と改めて教えてもらいました。沖縄での戦争を繰り返さないため、住民を殺させないために日本軍の行ってきた歴史をもっと多くの人に知ってもらう必要があると思います。米兵を目撃した父親が、妻や子どもたち3人ののどを切った後に自分の首を切ったという体験談が忘れられません。ブルジョワ階級のエゴで家族をバラバラにし子どもを一生苦しめることを絶対に許してはいけません。
 無理やり日本の住民とした沖縄の人々の名前を差別し方言を改めさせた後、戦争に動員した歴史を本土の人々にも知ってもらい、大切な人、愛する人のためにも絶対に戦争や侵略は繰り返してはならない、共に侵略戦争、日米安保粉砕のために闘おうと強く訴えたいです。
 辺野古新基地建設反対の座り込みでは、土砂搬入を阻止して勝利し、学生や労働者人民が団結したら権力にも勝てる力を持っているんだと体感できました。
 今回の沖縄闘争を通じて、戦争で何千何万人の人民を傷つけ、家族や大切な人たちを死なせないためにも、断固として戦争のための基地建設に反対し、住民を犠牲にする戦争を絶対に繰り返してはならないと強く思いました。

「沖縄戦の図」40年に思う
 鎌田雅志

 情勢の激しさに突き動かされて沖縄闘争に参加した。開館30年を迎えた佐喜眞美術館(宜野湾市)を訪問し、丸木位里・俊の「沖縄戦の図」と再会した。
 ほとんど壁一面を埋めて描かれる、地上戦の地獄。日本軍による住民虐殺、集団自決。ただ立ち尽くし、見入る。凄惨(せいさん)な光景なのだが、心は深く引き込まれていく。闘う(生きる)勇気を与える力がこの絵にはある。
 この大作は1984年に制作された。この年の9月19日、中核派革命軍は、自民党本部を急襲し炎上させた。この戦闘について、成田空港2期工事着工攻撃と闘う空港反対同盟・市東東市さんらとともに丸木位里さんも「前進」にメッセージを寄せた(84年12月3日付第1213号)。「世の中は激動した方が本当のことが見えてくる」「『前進』を出している人たちこそ本当にいい形でたたかっている」、そして「私は絵でたたかう」という決意を記している。
 「原爆の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」などの作品群を生み出してきた丸木夫妻は、「沖縄戦を描かなければ戦争を描いたことにならない」と、1983年から87年にかけて「沖縄戦」14部作を制作した。
 今や戦時下の沖縄に、丸木さんの思いに応える全学連と青年労働者が力強く登場した。首都東京で巨大な革命的反戦闘争を爆発させよう。この絵を若い活動家諸君にこそ見てほしい。

このエントリーをはてなブックマークに追加