沖縄と連帯し戦争とめる

発行日:

週刊『前進』04頁(3346号04面01)(2024/05/27)


沖縄と連帯し戦争とめる

(写真 青年労働者・学生を先頭に5・19国際通りデモ【那覇市】)

辺野古でのアピール

存在かけて闘う沖縄に応えたい
 首都圏学生 福田 薫

 沖縄には何度か来ていますが、平和祈念資料館やガマに何度行っても、沖縄戦のむごさに慣れることはありません。
 沖縄は戦争が始まる以前から、国家権力によってすさまじい抑圧のもとに置かれてきました。日本が植民地とした朝鮮で行った創氏改名と同じように、琉球の名前を大和名に改めさせる。それを報じた新聞は「珍奇な名前は改めろ」という暴言を吐き、沖縄の文化・アイデンティティーを破壊していった。その先に沖縄戦があったわけです。
 いま再び沖縄戦が繰り返されようとしている。パレスチナ・ガザでは4万人を超える人が、アメリカを後ろ盾とするイスラエルの手によって虐殺されました。
 さらにウクライナでも、アメリカやEU、そして日本の武器を若者が持たされて、望んでもいない殺し合いを今日も続けさせられている。そうやって一握りの「先進資本主義国」と呼ばれる国々が私たちと利害を同じくする若者を殺している。絶対に許せません。
 しかし私が沖縄で、平和資料館やガマ、ここ辺野古で学んでいることは、「沖縄戦はひどかった」「アメリカ・日本はひどい」だけではありません。私たち民衆にこそ戦争を止める力がある。それを沖縄の歴史が、この闘いの現場が示していると思います。
 私は平和資料館で沖縄の人の証言を聞いて涙を流しました。次に見た沖縄の闘いの歴史にもまた感動して涙を流しました。沖縄戦の前、最中、戦後にわたってずたずたに踏みにじられてきた沖縄の人々が、「二度と沖縄戦を繰り返さない」「すべての基地をなくせ」と訴えて、自らの存在をかけて闘いに立ち上がってきた。それに本土に住む学生として本当に応えなければならないと思っています。

私たちの闘いに限界なんてない
 京都大学 三沢明日香

 全学連で戦争反対で闘っている学生です。まず1月に行われた代執行と大浦湾への土砂投入の強行を徹底的に弾劾します。
 私は辺野古で代執行にも嫌がらせにも負けずに、不屈に闘っている人たちがいることにすごく希望を感じています。この辺野古の怒りと徹底的に連帯して闘っていきたいと思います。
 私は2年前に初めて辺野古に来ました。その時は200人くらいいましたが、機動隊が来て、ダンプカーが入っていくのを見ることしかできなかったことがすごく悔しい記憶として私の中に残っています。何もできないんじゃないかと思ったし、「これがあなたたちの限界なんだ」と国家権力に言われたと思いました。
 しかし辺野古で不屈に闘っている人たちがいること、全国の学生が戦争絶対反対・安保粉砕・全基地撤去を訴え固くスクラムを組み、どんな機動隊の規制も突破する闘いをやっていることに、社会を変える力があると思っています。
 どんな妨害も弾圧も粉砕して、戦争を止める闘いをつくれる、そういう現実が目の前まで来ていると思います。私たちの闘いに、労働者階級の闘いに限界なんてありません。私たちが団結して闘えば絶対に工事を止められるし、戦争も止められる、社会を変えられる。そう思って私は活動を続けています。
 この沖縄の怒りに徹底的に連帯して、私たちも戦争絶対反対の実力の闘いを繰り広げていきたいと思います。今日の工事も止めて、私たちの力に限界なんてないということを証明してやりましょう。

初参加者の感想

辺野古に初参加 土砂阻止できた
 沖縄 仲村 智

 国際通りで赤嶺知晃さんに誘われて、ガザの反戦デモに参加してからいっしょに活動するようになりました。うるま市石川の自衛隊訓練場建設の断念を求める集会にも参加して、そのかいあって断念させることができてとてもうれしかったです。今回初めて辺野古に行って、土砂搬入を阻止してとてもうれしいです。
 資本家が敵だとは思うけども、私は琉球独立派で、沖縄のことはウチナンチュが決めるべきだと思っています。米軍基地も自衛隊基地もなくすことができたらいいなと思います。

何もできないということはない
 奈良 夏城ひとみ

 今回初めて沖縄闘争に参加させていただきました。
 周りに関心のある人たちはいたので、辺野古にも行ったことは何回かあったんですが、見て帰るだけだったんです。でも今日は座り込むことができて、とても良かったです。
 今一番感じているのは、何もできないということはない、ということ。今回、人数がいたので工事のトラックは来ませんでした。多くの人は言っても変わらないと思っていますし、言う前にやめてしまう人もたくさんいます。だけど自信を持って動けば変わると実感できたので、それが一番ありがたいことでした。

初の沖縄闘争で団結の力感じた
 京都・自治体労働者 草木 薫

 初めて沖縄闘争に参加しました。若狭の原発が近くにあるので、普段は反原発の活動をやっています。原発と戦争は、両方とも住民と労働者の犠牲で成り立っているので、これは労働者住民の生き残りをかけた闘いだと思っています。今回の辺野古ゲート前の座り込みでは、最初は機動隊の弾圧で引っこ抜かれないよう構えていたけれど、向こうは数の力の前に手も足も出なかった。初めて団結の力を実感しました。

大坂街宣で沖縄出身者と出会い
 首都圏学生 C

 私が沖縄現地闘争に決起したきっかけは4月9日、渋谷での大坂正明さんの無実を訴える街宣で沖縄県出身の人が話を真剣に聞いてくれて、誠実に対応してくれたことがうれしかったからです。その人の反基地・反戦への執念を理解するためにも、沖縄に行かなければならないと思いました。
 沖縄で一番印象的なのが辺野古での座り込み闘争でした。土砂搬入のゲートは元の場所から800㍍離れた場所に移動されました。これは座り込みテントから離れるためだけに行った運動妨害にほかなりません。本当に許しがたい政治弾圧だと思いました。しかし、これもまさに現在の日帝がどれほど追い込まれているかを証明するものだと思います。これからも、このような政治弾圧を一切粉砕し、最後まで闘うことを決心しました。
 また星野文昭さんの描いた絵を使用した横断幕と大坂さんの沖縄集会メッセージからすごく勇気をもらいました。この勇気をもって、本土から沖縄と連帯して闘い抜き、大勝利を勝ち取ることができました。この意気込みで、6・9全国集会も闘い抜きます。

全国から現地に集い完全に勝利
 大阪学生 S

 今回私は初めて沖縄闘争に参加しました。人民と自然が美しく輝く沖縄、そして日帝・米帝による軍事要塞(ようさい)化が進む沖縄。二つの現実の沖縄を目の当たりにしました。
 現地で特に感じたのはインターネットの画面越しではなかなか感じることのできない、戦前から抑圧されてきた沖縄人民の心から湧き上がる怒りの声です。
 5月19日の国際通りデモでは右翼の妨害に惑わされることなく老若男女、大勢の人がデモに飛び入り参加し、プラカードを掲げ戦争反対を訴えてくれたことに私は強く感動しました。
 沖縄闘争で私は、全国の労働者・学生が団結し現地に集うことで勝利を勝ち取ることができると確信することができました。20日の辺野古ゲート前座り込みでの勝利は偶然ではなく、沖縄人民、そして全国から結集した労働者・学生による絶対的な勝利であります。
 沖縄では今も現地住民が抑圧に抵抗し闘い続けています。彼らの声を、この沖縄の燃え上がる怒りの声を、本土に余すことなく持ち帰り闘争を爆発させたいと心に刻みました。

デモへの共鳴に沖縄の怒り実感
 首都圏学生 A

 18日に訪れた普天間基地にはオスプレイが何機も配備されていました。2017年にヘリの部品が緑ケ丘保育園に落下したり、04年に沖縄国際大学にヘリが墜落したことなどを見て思ったことは、沖縄の人々は日々抑圧されて生きているんだということです。
 特に印象に残っているのは、18日にうるま市でデモをしている時、車の中から泣きながら手を振ってくれる女性がいたことです。「僕の声は届いていたんだ」と初めて実感できました。「来てよかった」と本気で思えたんです。19日の国際通りデモも手を振る人や飛び入り参加する人がたくさんいて、沖縄の怒りはここまで爆発しているんだと強く思いました。
 つい最近読んだマルクス『共産党宣言』には「労働者の闘争の本当の成果は......労働者の団結がますます広がっていくことにあるのだ」とありました。
 3日間を通して沖縄で感じた僕の怒りを忘れずに東京に持ち帰って、6・9集会や8・6広島に向けて学生・労働者をもっと団結させていくことを目標に頑張っていきたいと思います。

このエントリーをはてなブックマークに追加