坂本千秋同志を追悼する 革命家、前進編集長として重責担い抜いた不屈の生涯 革命的共産主義者同盟全国委員会

週刊『前進』04頁(3345号04面03)(2024/05/20)


坂本千秋同志を追悼する
 革命家、前進編集長として重責担い抜いた不屈の生涯
 革命的共産主義者同盟全国委員会


 前進編集長として奮闘してきた坂本千秋(須賀陽子)同志が4月16日、逝去した。米日帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争に対する「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いが本格的に爆発しようとする中での急逝であり、痛恨の極みである。
 1946年東京に生まれた坂本同志は、小学生の時、勤評闘争で担任の教師がストライキに立つ姿に感銘を受け、体制に対する批判的視点を養った。法政大学入学後、マルクス主義学生同盟中核派に結集し、67年10・8羽田闘争以来の日本共産党スターリン主義による「反トロツキスト」宣伝・襲撃と真っ向から対決。特に68年夏の日本共産党・民主青年同盟(民青)による法大への武装襲撃に際しては、仲間と共に体を張ってこれを迎え撃ち、法大を革命的学生運動の一大拠点=「安保粉砕・日帝打倒の砦(とりで)」として守り抜いた。情熱的なアジテーションで全学生を鼓舞する女性革命家・坂本同志の姿は、敵・味方双方に鮮烈な印象を与えた。
 その後、東京西部で電機産業の労働者として70年闘争を闘い、77年に前進編集局に着任。狭山闘争、沖縄闘争、天皇制打倒論、反核闘争などあらゆる分野の記事や論文を執筆した。2006年の「党の革命」に際しては、関西の労働者同志の決起をただちに断固として支持し、これに敵対した血債主義派と闘い抜き、この過程で政治局員に選出された。「階級的労働運動路線のもと7・7思想の革命的再確立を」と題する政治局の「07年7月テーゼ」執筆の中心となり、労働者階級自己解放の思想を改めて原則的に明確にした。09年に作られた革共同の綱領草案や、13〜14年に発行された「現代革命の挑戦/革命的共産主義運動の50年」の執筆でも中心的役割を果たした。16年以降、闘病生活に入った城戸通隆(山本卓雄)同志に代わって前進編集長を担った。革命的女性解放闘争において一貫して指導性を発揮し、また国際部の一員として韓国・民主労総との連帯闘争でも重要な役割を果たした。
 さらに特筆すべきことは、爆取弾圧当該の家族としての闘いである。

爆取弾圧と対決し

 1986年10月、法大学生時代からの同志であり夫である須賀武敏同志が岩手爆取弾圧で逮捕されると、ただちに救援運動の先頭に立ち、キリスト者や学者も含む広範な人々を組織した。翌87年10月に武敏同志が十亀弘史同志、板垣宏同志と共に迎賓館・横田ロケット弾事件の犯人にでっち上げられ逮捕・起訴された後は、その救援と裁判闘争の中心を担った。86年東京サミットと米軍横田基地を直撃したロケット弾に対して、日帝国家権力が国家の威信をかけて「革共同絶滅宣言」を発した上での弾圧であり、これとの対決は党の存亡をかけた闘いだった。坂本同志は、党としても、爆取当該の家族としても、文字通り仁王立ちして立ち向かったのである。
 岩手爆取被告団事務局の交流誌の「寒梅」、それに続く「迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会」会報の「無罪!」で繰り返しアピールを発した。なかでも「松川被告団と家族の闘いに身を重ね合わせて思うこと」という「寒梅」での9年間に及ぶ連載記事は、でっち上げ弾圧に対する勝利の教訓を全部くみ尽くそうという執念の力作だった。2016年の上告棄却ででっち上げ有罪判決が確定した後は、腰椎(ようつい)変性すべり症を抱える武敏同志への医療放棄を許さず、収監条件を少しでも良くしようと、仲間とともに横浜刑務所への治療要求の申し入れ行動を繰り返した。
 最愛のパートナーの訃報に獄中で接した武敏同志の驚きと衝撃と悲嘆は想像に難くない。だが武敏同志は、「革共同9回大会路線のもと、最後まで共に闘い抜こう」という坂本同志の渾身(こんしん)の訴えに応え、悲しみを乗り越え不屈に立って闘う決意を獄中から寄せている。われわれは武敏同志への正当な医療を要求し、残刑2年の闘いを支え抜き、必ず奪還することを改めてここに誓うものである。

革命の勝利を確信

 坂本同志は、腰椎症で苦しみ、階段の上り下りも困難なほどだったが、歯を食いしばって頑張り抜き、武敏同志を支えることを優先するため編集局を退任することとなった。編集局の会議で退任のあいさつをした2日後に体調を崩し緊急入院。検査の結果、腎臓がんの末期であることが判明し、懸命の治療が行われたが、重体となり16日逝去した。死期を悟ってからは、後を託したい同志を指名して面会し、最後の力を振り絞ってそれぞれに言い残したいことを語り、「後は任せる」と伝えた。まさに責任感の塊のような人だった。末期がんの苦しみの中でもその表情は晴れやかで、プロレタリア革命の勝利への確信に満ちていた。こうして坂本同志は最期まで革命家として人生を全うした。
 4月20日、都内の斎場でお別れ会が行われ、遺族5人と130人以上の同志、友人が坂本同志の棺(ひつぎ)に手を合わせた。革命的パトスにあふれ、勤勉で誠実で一途に闘う同志をしのび、冥福を祈った。
 革共同は、不屈の革命家・坂本同志が残した足跡から学び尽くし、そのすべてを引き継いで革命勝利まで闘い抜くことを宣言する。
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