団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3341号04面05)(2024/04/22)


団結ひろば 投稿コーナー

呉基地の侵略拠点化に反対
 広島県呉市在住 T

 3月4日、防衛省は海上自衛隊呉基地に隣接する日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区跡地(約130㌶)を一括して購入し、「防衛力の抜本的強化のため」の「多機能な複合防衛拠点」として活用する構想を広島県と呉市に伝えました。
 具体的には、①装備品などの維持整備・製造基盤(民間の誘致を含む)、②防災拠点(ヘリポートや物資の集積場など)及び部隊の活動基盤(艦艇の配備、訓練場など)、③岸壁などを活用した港湾機能、の3つの機能を整備するというものです。
 跡地は海自呉基地に隣接し、陸自海田市駐屯地、海自と米軍が共同使用する岩国基地に近く、太平洋や南西諸島へのアクセスも良く、防衛上、地理的に「重要な場所」だと強調しています。
 来年3月には、沖縄・南西諸島などに戦車や弾薬を運ぶための陸海空3自衛隊を統合した「自衛隊海上輸送群」を新設し、その司令部を海自呉基地に置こうとしています。こうした動きと一体で、呉が中国侵略戦争のための軍事基地として拡大・強化されようとしているのです。
 呉市長を先頭に市議会、経済団体は「市の経済浮揚」を期待し、歓迎しています。一方で、市民の中には軍事拠点化、軍都復活につながるという危機感を表明する動きもあります。
 4月14日、呉と広島の闘う仲間10人が集まり、呉駅前で呉基地の強化・侵略拠点化に反対するビラまきと8・6暴処法弾圧粉砕を訴える街頭宣伝・署名集めを行いました。呉において、沖縄を始め全国での反戦反基地の実力行動、デモやストライキと団結する戦争絶対反対の運動をつくり出していく第一歩を踏み出しました。

大井町で戦争絶対反対のデモ
 改憲・戦争阻止!大行進東京中部・南部 大野八千代

 3月24日、「改憲・戦争阻止!大行進東京中部・南部」の主催で「ガザ大虐殺ゆるさない!戦争・改憲の岸田たおそう!大井町反戦デモ」が、右翼と警察権力の妨害をものともせず60人の大結集で行われました。
 SNSで見たと千葉から参加した女性も! 私たちが目指すのは、東京中部・南部で戦争絶対反対の総決起をつくること。渋谷・新宿・吉祥寺などの若者が多く集まる街や、絶対反戦を貫く洞口朋子議員がいる杉並区での反戦デモに負けない激しさが必要です。
 直前の集会では、大行進北部からの練馬駐屯地デモの報告や、国家主導で空港の軍事利用が進む情勢下で羽田都心低空飛行ルート撤回を求める「羽田新ルート絶対反対!大井町周辺住民の会」の発言があり、戦争動員と闘う重要性が示されました。戦争を止める力は「戦争する自国政府打倒!戦争進める岸田政権倒せ!」と立ち上がる労働者民衆の中にあることを訴えた大井町デモでした。
 次なる反戦デモの準備も進行中です。私たちは、「改憲・戦争阻止」の趣旨に賛同する方なら誰でも参加できる「スタッフ会議」を毎月開き、デモや集会を企画しています。職場や学校で戦争反対を言えない、労働現場に政治を持ち込むなと言われる社会を変えなければ戦争は止められません。社会を動かしているのは私たちです。奪われた政治と主権を労働者階級の総決起で取り戻し、岸田の戦争を止めましょう!

規制緩和が招いた紅麹被害
 東京 田宮龍一

 小林製薬の紅麹(べにこうじ)サプリによる健康被害事件が発覚した。腎疾患の発症などで死者5人、入院患者200人、医療機関受診者1100人に及ぶ。
 直接的には製薬会社の責任が、対応の遅れも含めて問われるのは当然だが、この許しがたい健康被害の根本原因は、安倍晋三による規制緩和だ。2013年6月の「成長戦略第3弾スピーチ」で、安倍は自信満々に述べた。「健康食品の機能性表示を解禁いたします。現在は、国から『トクホ(特定保健用食品)』の認定を受けなければ『強い骨をつくる』といった効果を商品に記載できません。お金も時間もかかります。とりわけ中小企業・小規模事業者には、チャンスが事実上閉ざされている。アメリカでは国の認定を受けていないことを明記すれば、商品に機能性表示を行うことができます。国へは事後に届け出をするだけでよいのです」
 まさに、この通りの制度として、2年後に導入されたのが「機能性表示食品」だ。今回の紅麹サプリのパッケージにも「悪玉コレステロールを下げる」「内臓脂肪を減らす」と効能が大書されている。実際に被害者の多くがこのサプリでのコレステロール値の劇的改善を実感し、飲み続けた。その結果がこれだ!
 現在、数千種のサプリが審査・規制を受けずに機能性表示食品として出回る。そして「紅麹」以外にも健康被害事件が多発している現状が、今やっと明るみに出ようとしているのだ。

成田昭雄さんを追悼する
 革共同北海道地方委員会

 2023年末、動労総連合北海道・成田昭雄委員長代行が私たちの元から旅立った。享年78。
 1945年稚内市に生まれ、64年に国鉄に入社。国鉄でもひときわ過酷な保線部門を担った。87年国鉄分割・民営化による解雇に対し、亡くなるまで解雇撤回の意志を貫いた。
 「走っている電車に乗るだけで線路の状態がわかるほど習熟した」「俺たちが線路を作って『冬でも雪でもこの線路は心配ない。脱線しない。故障しない』という自信があった......鉄道をちゃんと守っている人がいるから住民は安心して電車に乗れると言ってもらった」と、成田さんは自らの労働にとことん誇りを持っていた。
 「国鉄分割・民営化の攻撃が始まった頃、僕が考えたのは、仲間の泣く顔を見たくないということ。これが基本なんだ。子どもたちにつらい思いをさせたくない。交通弱者をつくりたくない」と語るように、仲間を大切にし、地域住民と心を通わせる関係をつくった。そして何より、青年労働者・学生を愛し、亡くなる直前まで家族ぐるみで付き合い、自分の身も顧みず惜しみなく支援を行った。
 17年に動労総連合北海道を結成し、副委員長に就任した。亡くなる直前まで「本籍は神奈川、現住所は北海道」と語り、全国、とりわけ闘争団として生活した神奈川の仲間の思いを双肩に担い闘い続けた。
 誇り高き国鉄労働者を足蹴にして成立し、崩壊の一途をたどるJR北海道。若年退職が最も多いのはまさに成田さんが働いた保線部門だ。この中で必ず成田さんのように不屈に闘う労働者が生まれてくると確信する。
 成田さん、1047名解雇撤回・革命勝利の日まで見守っていてください。

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