三里塚耕作権裁判 今後も農業を続ける 市東孝雄さんが証言台で決意

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週刊『前進』04頁(3338号04面02)(2024/04/01)


三里塚耕作権裁判
 今後も農業を続ける
 市東孝雄さんが証言台で決意

(写真 三里塚耕作権裁判開廷を前に「農地死守、戦争反対」を訴えて千葉市内をデモする三里塚反対同盟と支援【3月18日 千葉市】)

 市東孝雄さんの南台農地をめぐる耕作権裁判が3月18日、千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で開かれた。裁判の最初に、支援として三里塚現地で活動してきた岸本豊和さんの証人尋問が行われた。岸本さんは孝雄さんの父・東市さんの人柄について「俺の鍬(くわ)を持った右腕は、日本帝国主義打倒の右腕だ」と常々発言していた記憶などを語った。

農地は私の命だ

 続いて孝雄さんが証言台に立ち、市東家の歴史などから語り始めた。祖父・市太郎さんの代から市東家は100年にわたり天神峰で農業を続けている。東市さんは1999年に亡くなったが、孝雄さんに宛てた遺言は、「土地建物や小作権は絶対に空港公団に売ってはならない」と厳命するものだった。
 孝雄さんは99年に父の跡を継ぎ農業に取り組んだ。営農がようやく軌道に乗ってきた矢先の2003年12月、孝雄さんは自分の耕作地を地主・藤﨑政吉が空港に売却していたことを新聞記事で知り驚く。その数日前には藤﨑に地代を払いに訪れたが、その時は何食わぬ顔で受け取っただけだった! 地主は1988年に空港公団に売却し、15年の間そのことを隠し、だまし続けていた。2006年6月に成田空港会社(NAA)が市東さんとの賃貸借契約の解除許可を申請したことが新聞報道された。ところが成田市農業委員会に出された申請書では、石橋政次元反対同盟副委員長が借りていた土地までが市東家の賃借地とされていた。この明らかな誤りを孝雄さんが指摘しても農業委員会はまったく取り合わず、また千葉県農業会議も「離作補償の額は近傍農家150年分の収入だから十分」と居直るばかり。9月に千葉県知事が賃貸借契約解除に許可決定を下した。そしてNAAは間違った図面をもとに「賃借地」以外の土地を「不法耕作だ」として明け渡しを求める本件訴訟を起こした。
 「NAAは最近になって、東市さんが裁判対策のために、賃借地の場所についてうそを言って混乱させようとしているなどと主張するが、どう思うか」との質問に孝雄さんは語気を強めた。「ひどい名誉棄損。頑固に空港反対を貫いてきた人だ。30年後に裁判になることを考えてうそを言うなど絶対にありえない」
 昨年2月の強制執行で天神峰耕作地を破壊・強奪されたことに対しては、怒りをにじませながら、「今後も農業を続ける」と意欲を表した。
 市東さんは最後に裁判長を見据えて述べた。「農地は私にとって命そのもの、NAAが言うような単なる土地ではない。小作人に同意もなく底地を売買し、15年も隠し続け、位置特定も間違い。そしてあるはずの書類を出さないという不誠実極まる態度。前回の法理哲二証人(元空港公団用地部職員)の証言でも、『上司から報告書を書くように厳しく指導されていた。書かれた書類は永久保存』と証言していたというのに。こんな不誠実きわまりないNAAに私の農地を奪われるわけにはいかない。明け渡し請求を棄却するよう強く求める」
 裁判後の報告集会で萩原富夫さんが、「市東さんの農地を守り抜くために、空港機能強化・拡張政策攻撃について、住民の追い出し、農業と自然環境の破壊、戦争準備であることを全面的にあばき、住民とともに空港反対の声を高めよう。3・31芝山現地闘争に結集を!」と呼びかけた。
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