革共同第9回全国大会を開催 第2報告 米日帝の中国侵略戦争と革命的共産主義者の任務
革共同第9回全国大会を開催
第2報告
米日帝の中国侵略戦争と革命的共産主義者の任務
2024年2月末、革命的共産主義者同盟全国委員会は、第9回全国大会を開催した。大会は、全国委員と地区党、産別委員会、学生戦線、諸戦線の指導部を中心とする同盟の基本組織から選出された代議員の参加のもとに成立した。大会は、ウクライナ戦争開戦直後に開かれた第8回大会から2年間の激闘の地平を総括し、今日激しく進行している世界戦争突入情勢と日帝の参戦国化と対決し、「連帯し、侵略を内乱へ」の総路線を貫徹する同盟のさらなる変革と飛躍をかちとる歴史的大会として戦取された。大会議案として、政治局から第1報告「時代認識と路線の確立としての総括」、第2報告「米日帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争と革命的共産主義者の任務」、第3報告「24年前半決戦の方針について」の三つの報告が提起された。これを受けて清水丈夫議長が冒頭発言、代議員から30本以上の積極的発言が行われ、全会一致で政治局報告を同盟の当面の基本的な時代認識と路線・方針の土台をなす大会決定として採択した。さらに、昨年末の大坂正明同志への懲役20年のでっち上げ極反動判決を弾劾し、大坂同志の無罪・奪還を絶対にかちとる特別決議を採択した。大会は次期大会までの全国委員の選出を行った。その場で第32回全国委員会総会が開催され、清水丈夫議長、秋月丈志書記長ら現政治局を再任した。9回大会の全内容は、ただちに「8・6暴処法弾圧」粉砕、3月反戦闘争・反戦春闘から4~6月決戦へ全党総決起の力を生み出している。とりわけ秋月書記長が提起した第2報告は、反帝・反スターリン主義の綱領的立場から現在の世界戦争情勢についての認識と基本任務を明らかにしたものとして重要である。以下、第2報告の全文を掲載する。なお大会報告・決定の全文は、来月上旬頃発行予定の『共産主義者』219号に掲載する。(編集局)
―Ⅰ―アメリカ帝国主義の大没落と中国侵略戦争―世界戦争
⑴今日の世界戦争の原因は何であるのか
⑴ 3年目に突入したウクライナ戦争、ガザ―パレスチナに対するイスラエル軍のジェノサイド的侵略と3万人に達する虐殺―ラファ大虐殺、中東全体への戦争拡大情勢、台湾、南中国海、さらに釣魚島(尖閣諸島)をめぐる米日帝国主義と中国スターリン主義の軍事的対決の激化、軍事費2倍の大軍拡に踏みだした日帝をはじめとする全世界での軍拡競争の過熱。第2次世界大戦終結から80年を前にして、第2次世界大戦に突入していった1930年代を超える激しさで、世界戦争の火の手が上がり、燃え広がっている最中にある。この開始されている世界戦争を止める反戦闘争を全世界で巻き起こすことこそ、世界プロレタリアート人民の喫緊の死活的課題である。
⑵ この反戦闘争への全階級的・全人民的総決起をかちとるためには、今日の世界戦争の原因は何であるかをはっきりとつかまなければならない。帝国主義支配階級は、自分たちを「自由と民主主義」「平和」を守る側として押し出し、今日の戦争の原因をロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮のキムジョンウン、イラン、そしてパレスチナのハマスなどに求め、これらの「侵略」「テロ」を撃退する戦争は自衛権の発動であり、侵略を抑止し自国を防衛するための軍事力の強化は正当であり、必要であると宣伝している。これを根本的に粉砕しなければ反戦闘争は成り立たない。
⑶ 結論的に言えば、今日の戦争の最大の原因は、圧倒的な軍事力・経済力をもって第2次世界大戦後の世界を支配し続けてきたアメリカ帝国主義の歴史的没落が決定的な段階まで行き着き、米帝がこの没落の危機からの脱出をかけて、中国スターリン主義に対する侵略戦争―世界戦争を開始しているということにある。
米帝の中国侵略戦争への踏み切りという巨大な衝撃こそが、ウクライナ、中東での戦争を現実化させ、激化・拡大させ続けている。そしてウクライナ、中東の戦争は、米帝の中国侵略戦争―世界戦争・核戦争の爆発を促進し、そこに収れんされようとしているのである。今、激しく進行している世界戦争情勢を米帝の中国侵略戦争―世界戦争への突入という核心においてつかみ、この世界戦争、人類破滅への道は、帝国主義打倒、スターリン主義打倒のプロレタリア世界革命によってのみ阻止することができるということを、徹底的に明らかにしなければならない。
⑷ 第2次世界大戦は、1917年ロシア革命をもって開始された〈帝国主義から社会主義・共産主義への世界史的過渡期〉と国際共産主義運動を一国社会主義論をもって変質させたスターリン主義が、世界革命を裏切り、国際階級闘争を敗北させ、その結果として延命した帝国主義がその基本矛盾を再び爆発させたものだった。それは29年大恐慌による体制崩壊的な危機から最も絶望的に凶暴化し、侵略戦争・世界戦争に突進したドイツ帝国主義、日本帝国主義と、これを「餌食」にして世界戦争に参戦し世界支配を確立しようとした米帝との激突を基本として、そこにソ連スターリン主義も巻き込み、第1次大戦をはるかに超える規模の世界戦争として爆発した。この世界戦争の結果、帝国主義はアメリカを除いては総崩壊的な危機に陥った。欧日の帝国主義各国では労働者人民の憤激が戦後革命的情勢をつくりだし、帝国主義の支配下にあった植民地体制諸国では、民族解放を求める闘いのうねりが中国革命を先頭に民族解放・革命戦争となって爆発していった。これらの帝国主義国のプロレタリア革命と植民地体制諸国における民族解放・革命戦争は、帝国主義の世界支配を覆す一つのプロレタリア世界革命として結合し、勝利をかちとるべきものだった。しかしスターリン主義は帝国主義との世界分割=「平和共存」を求め、戦後革命情勢を終息させていった。そしてこのスターリン主義の裏切りに決定的に助けられながら、第2次大戦をへて圧倒的な軍事力(広島・長崎で実際に使用した核兵器を含む)と経済力を持つに至った米帝は、自らを基軸とする帝国主義の世界支配を再建していったのである。
⑸ 以上のように戦後の帝国主義の世界支配は、米帝の圧倒的な軍事的・経済的力と共に、世界革命を裏切ったスターリン主義によって再確立された。だが米帝・帝国主義にとってスターリン主義とはあくまでも「プロレタリア革命の変質物」であり、帝国主義とは相いれない対立物であり、解体すべき存在だった。しかし同時に帝国主義は、スターリン主義が世界革命を放棄した共産主義でも何でもない存在であることを熟知した上で、その反人民的な体制の「おぞましさ」を徹底的に宣伝し利用することで、国内階級闘争の圧殺、朝鮮・ベトナム・中東・中南米・アフリカなどにおける民族解放闘争圧殺の侵略戦争、核軍事力の拡大を正当化することができた。一方、スターリン主義の側も、この米帝・帝国主義に核軍拡で対抗し、帝国主義との軍事的な対決と不断の戦争的緊張状態をつくりだすことで、労働者人民に対する強権的・官僚制的な支配を正当化し強化した。
おおよそ以上のような構図において、戦後の帝国主義による世界支配は〈帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制〉として、〈帝国主義とスターリン主義の相互対立=相互依存〉という特異な関係のもとに成立し、かくして〈帝国主義から社会主義・共産主義への世界史的過渡期〉は〈帝国主義とスターリン主義の世界分割体制〉へと反動的に固定化され変容したのである。
帝国主義とスターリン主義の基本的な規定について
ここで帝国主義とその基本矛盾について、そしてスターリン主義の基本的な規定について、あらためて確認しておきたい。
⑴帝国主義とは何か
レーニンは帝国主義論で主要に以下のことを確認した。
⒜ 資本主義は、20世紀を前後して、その自由主義の段階から独占の段階、「最高(最後)の発展段階」としての帝国主義段階に移行した。
⒝ 帝国主義の主要な経済的特徴は以下の通りである。①生産と資本の高度な集中により成立した独占が経済において決定的役割を果たす。②少数の巨大銀行(金融独占体)と産業界の独占団体の資本が融合した金融資本が支配的な資本となり、金融資本と国家が融合し一国の政治・経済を支配する金融寡頭制(金融資本と結びつく極少数者による支配)が成立する。③商品輸出よりも資本輸出が極めて重要な意義を持つ。④資本家の国際独占団体による世界分割(市場分割)が行われる。⑤先進資本主義諸国(列強)による地球上の全領土の分割が完了している。
⒞ 帝国主義の世界支配と民族・植民地問題。世界は金融資本を成立させた少数の先進資本主義諸国=帝国主義国により支配され、諸民族と諸国家・地域は、抑圧民族と被抑圧民族、帝国主義国と植民地・半植民地・従属国に分裂したということ。
⒟ 帝国主義の寄生性と労働者階級の上層部の買収、排外主義と反動の強まり。帝国主義は、市場の独占と植民地・勢力圏への資本輸出によって獲得する超過利潤により寄生性を強め、労働者階級の上層部(「労働代官」「労働貴族」としての大労組幹部)を買収し、労働運動を帝国主義の利益と和解できるものにつくりかえ、排外主義・国益主義・祖国防衛主義に労働者人民を思想的、政治的に動員しようとする。同時に、帝国主義に対してあくまでも階級的に闘いぬこうとする革命的な労働者階級人民の運動に対しては、凶暴な治安弾圧をもってそれを絶滅しようとする。この寄生性と反動性において、帝国主義が「没落期の資本主義」であり、「死滅しつつある資本主義」であり、「プロレタリア革命の前夜」であることが示される。
⒠ 帝国主義の基本矛盾の爆発。世界戦争の必然性。帝国主義は、独占が生み出す膨大な過剰資本・過剰生産力を抱え込み、そのはけ口を求めてより安価な資源・労働力の確保、市場・植民地・勢力圏の「再分割」をめぐる帝国主義間の争闘を激化させる。そこから帝国主義の侵略戦争と民族抑圧、帝国主義国家間の政治的・軍事的対立と争闘戦の激化が引き起こされる。帝国主義は争闘戦に勝ちぬき、被抑圧民族人民の抵抗と解放闘争を鎮圧し、そして国内の労働者階級と被抑圧人民の不満と激高、階級闘争、革命運動を圧殺するために、ますます反動化し、排外主義をあおり、軍備を拡張し、侵略戦争政策を推し進め、帝国主義国家間の対立を激化させ、ついには世界戦争を爆発させる。これが帝国主義の基本矛盾である。
⑵スターリン主義とは何か
⒜ 帝国主義の基本矛盾の最初の爆発である第1次世界大戦が引き起こした未曽有の惨禍は、全世界に革命情勢を生み出し、1917年ロシア革命をもって帝国主義から社会主義への世界史的過渡期が始まった。だが、ドイツ革命の敗北と世界革命の遅延の中で、革命ロシアと国際共産主義運動のスターリン主義的反革命的変質が引き起こされた。
スターリン主義とは何か。それはスターリン主義を打倒し、のりこえて、17年に開始されたロシア革命―世界革命を完遂する主体的立場からのみ、真にその本質をとらえることができる。革共同はまさにそのような立場から、スターリン主義を以下のようにつかんでいる。
すなわち、スターリン主義は、①資本主義の帝国主義段階において、②世界革命が17年ロシア革命として決定的にきりひらかれ、世界史が世界革命の過渡期の時代に突入したという時点で、③世界革命が主要帝国主義諸国の連続的打倒としてはストレートに実現せず、ロシア革命(革命ロシア)がいったん孤立し包囲され、しかも非常に遅れた農業の圧倒的な旧ロシア帝国主義的物質基盤の上において、〈長期にわたる帝国主義の干渉と反革命軍との内戦による膨大な犠牲を背負ったロシア・プロレタリアート〉が社会主義への過渡期建設を推進しなければならないという折り重なる困難に直面したとき、④この困難を、あくまでもプロレタリア世界革命の完遂のための闘いを堅持し、そのために当面革命ロシアの建設と防衛のために闘うという革命路線を確立し、そのことによってプロレタリアートの革命性を引き出し、強化していくことで打ち破っていくという立場に立つのではなく、それを否定し拒否し、⑤一国社会主義論をもって世界革命を裏切り、ロシア革命自身を裏切って、ロシア一国において勝利した革命の現実的成果による既得権益を保守的に確保しようとした官僚層を反動的に動員しつつ、「一国での社会主義建設」を自己目的化して強行し、革命ロシアの官僚制的・反プロレタリア的変質をおしすすめ、⑥国際共産主義運動そのものを反革命的に変質させたものである、と。
⒝ 重要な点は、このスターリン主義の「勝利」=成立と確立は決して歴史的必然ではなかったということである。
確かに、1920年代においてロシア・プロレタリアートが国際帝国主義の包囲と介入によって過酷な内戦を強いられ、絶望的とも言える困難に直面していたことは事実である。だからこそ革命を究極の勝利まで導く党の役割が決定的なものになっていた。この時に革命党としてのボリシェビキ(共産党)に求められていたことは、世界革命の完遂をめざして立ち上がりプロレタリア独裁をかちとった(ロシア)プロレタリアートの革命性を信頼し、資本家と地主の権力を共に打倒した農民との同盟関係を強化し、全世界の労働者階級人民と被抑圧民族の革命ロシアに対する圧倒的支持を力とし、国際連帯と団結を強化し、帝国主義の危機と世界革命の必然性についての革命的時代認識を鮮明にしてプロレタリアートを鼓舞激励し、その自己解放的な主体性・積極性を引き出しながら、社会主義に向かっての可能な限りの国内建設と世界革命に向かっての闘いを一つのものとして推進していくことであった。
そして実際にレーニンは死ぬまでこの方向に向かって党と労働者階級を導こうとしていたのである。
しかし、スターリンはロシアと世界のプロレタリアートの革命性を信頼せず、革命ロシアが置かれていた困難の前に屈服して世界革命を放棄し、「ロシア一国での社会主義建設」という路線を選択した。このときトロツキーら反対派も、プロレタリアートの革命性にとことん依拠して、一国社会主義路線を選択したスターリンらとの党と国家の指導権をめぐる党内闘争・権力闘争を、世界革命の全命運をかけた闘争として、非妥協的に闘いぬくことができずに敗北した。そのことによってスターリン主義ははじめて成立したのである。
⒞ スターリン主義は矛盾に満ち危機的本質を持ち、その崩壊は不可避である。世界革命を裏切り、帝国主義に本質的に屈服した地点で「一国での社会主義建設」を自己目的化したのがスターリン主義である。それは帝国主義の基本的延命を許し、この延命した帝国主義によるスターリン主義への全面的圧殺の重圧を受け続け、一国社会主義建設の矛盾=国内矛盾を激化させ、それゆえにますます帝国主義に対する反人民的な軍事的対抗に延命の道を求める。
その結果、帝国主義にますます絶好の攻撃材料を与えてさらに巨大な軍事重圧を受け、また帝国主義の基本矛盾の爆発にも巻き込まれながらスターリン主義自身の矛盾をも爆発させ、ついに体制崩壊的危機に至る。世界革命を裏切り、帝国主義の基本的延命を許した上で一国社会主義建設を自己目的化する、ここにスターリン主義の根本矛盾がある。
⑵戦後世界体制の崩壊と米中対立の非和解的激化
⑹ 帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制は、まずスターリン主義の側から決定的な崩壊を開始した(89~91年東欧・ソ連スターリン主義崩壊)。その後、米帝・帝国主義は崩壊したスターリン主義圏をも取り込みながら新自由主義的な延命を続けていったが、スターリン主義の問題が完全に消えてなくなり、17年ロシア革命以前のような「帝国主義の全一的な世界支配」が再確立したわけではなかった。何よりも中国という巨大なスターリン主義国家の存在があり、さらに50年朝鮮戦争以来、米軍=韓国軍と対峙する「軍事国家」として生き延びてきた北朝鮮という存在があった。また「旧ソ連継承国家」=ロシアも米帝・帝国主義の勢力下に「単純に」おさまることをよしとはしなかった。これらの存在は、米帝がソ連崩壊後も世界大的な核を含む巨大な軍事力を維持する口実ともなり、帝国主義とスターリン主義の相互対立=相互依存的な関係は、なおも続くことになった。
その中でとくに中国スターリン主義を「巨大市場」として取り込むことは、新自由主義的なグローバリゼーションをもって過剰資本・過剰生産力のはけ口としていた帝国主義にとって決定的だった。中国スターリン主義の側も、帝国主義の資本・技術を大々的に取り入れ、経済成長を続けることで体制を維持しようとした。こうして米帝および日帝をはじめとする全帝国主義と中国スターリン主義は、相互に経済的関係を深めていったが、こうした関係の継続をもはや成り立たせなくしたのが、2008年のリーマン・ショックを契機とする大恐慌と、米帝の大没落の進行だった。
⑺ 実際に米中の対立・対決は、08年大恐慌後の2010年代から始まり(第2期オバマ政権下での米軍展開の中東からアジアへのシフト)、17~20年トランプ政権下での「貿易戦争」と対中強硬路線への全面的転換を経て、21年に登場したバイデン政権下で決定的にエスカレートした。
08年大恐慌後の米帝は国内外ともに支配の危機を深めていった。国内では膨大な労働者階級人民が貧困とますます不安定な生活に突き落とされる一方、危機を逆手に取った巨大金融資本や一部のハイテク関連企業はさらに巨額の富を蓄積していった。今日、GAFAM(グーグル=現アルファベット、アップル、フェイスブック=現メタ・プラットフォームズ、アマゾン・ドットコム、マイクロソフト)に半導体のエヌビディアとEVのテスラを加えた「マグニフィセント・セブン」と呼ばれる7社の時価総額は13兆㌦=約1900兆円に達している。こうした経済的現実の上に、「アメリカの分断」と呼ばれる状況が生まれた。
この「分断」の本質は、アメリカにおける階級対立の極限的な先鋭化であり、労働運動の高揚や人種差別、性差別の激化などに対するデモの爆発などをもたらしていった。他方でこの「分断」を右から促進し、没落した中間層をはじめとする大衆の現状への不満、絶望、怒りを「アメリカ第一」「アメリカを再び偉大に」という愛国主義的、ファシスト的な現状打破的スローガンで取り込むことで、16年大統領選挙に勝利し、権力を手にしたのがトランプである。アメリカの直接的利益にならないものはすべてぶち壊すという現状破壊の扇動で大衆的支持を得るというヒトラー的な権力者が、帝国主義の基軸国であるアメリカのブルジョアジーの中から登場してきたのである。これこそ米帝の大没落と帝国主義体制自身の最末期的な状況を決定的に示すものだった。
トランプは、移民と共に中国こそアメリカ人の仕事を奪っている元凶だと排外主義をあおり、貿易戦争をしかけ、さらにコロナ危機の原因も中国だと決めつけて、中国との軍事的・イデオロギー的対決を強めた。だが、とことん「アメリカ第一」で突き進み、「北大西洋条約機構(NATO)からの脱退」までほのめかしたトランプの政策は、欧日などの帝国主義の「同盟国」との関係をも揺るがし、また国内の分断と階級闘争をさらに激化させ、一定の再編・再調整が必要となった。ここからトランプ派による連邦議会襲撃事件など内戦的な政治的激突をへて21年1月にバイデン政権が登場したが、このバイデン政権はトランプが始めた中国に対する対決政策をより全面的・本格的に推し進めたのである。
米帝・バイデンは政権発足直後から、中国をロシアなどとともに「専制主義国家」と断定した。ウクライナ戦争を前後する過程で作成した22年の国家安全保障戦略では、中国を「国際秩序を変える意図とそれを実現する経済力、軍事力、技術力を備えた唯一の競争相手」と規定し、中国との対決を「米国にとって最も重大な地政学的難題」とした。米帝は、世界支配を争う「唯一の競争相手」として中国スターリン主義を規定し、「中国を打ち負かす」ことを国家安全保障=戦争政策の中心目標に据えきったのである。そして中国スターリン主義が絶対に譲ることのできない「一つの中国」原則と、これを「承認」「認知」するという米帝自身の1970年代以来の「一つの中国」政策をも踏み破り、台湾への政治的・軍事的介入と武器援助・軍事支援を強化した。そして台湾周辺での米海空軍の作戦行動を増大させ、演習を繰り返し、サイバー戦争を展開し、日本帝国主義を動員して沖縄を含む琉球弧(南西諸島)を武装化し、さらにオーストラリアや東南アジア、NATO諸国まで引き込んですでに中国侵略戦争を具体的に開始している。まさに「力による現状変更」に踏み込んでいるのは米帝自身なのだ。
国家安全保障戦略を見るまでもなく、米帝の中国に対する戦争目的はあくまでも〈米帝の世界支配〉である。米帝の世界支配、米帝を基軸とする帝国主義の世界支配を維持するために、中国のスターリン主義体制を崩壊・転覆させ、中国・アジアを米帝の主導のもとに再支配・再分割するための戦争を準備ししかけるということ、これは正真正銘の米帝による侵略戦争である。そして米帝は事実上、この中国スターリン主義体制を転覆させる侵略戦争(それは核で武装した米帝に次ぐ巨大な軍隊をもつ中国を相手にしたとてつもない戦争であり、世界戦争レベルの戦争となる)に踏み切っているのである。このことが今日の世界戦争情勢の最大の震源地となり、ロシア・ウクライナ、パレスチナ・中東において戦火を噴き上げさせているのだ。
⑶中国スターリン主義の危機と反人民的な軍事対抗
⑻ 米帝の中国侵略戦争への決定的踏み切りに対して、中国スターリン主義は、まさにスターリン主義であるがゆえに、米帝・帝国主義の侵略戦争に反対する労働者階級人民の国際的な反戦闘争を呼びかけたり、中国本土と台湾の労働者人民の団結の強化とそのための具体的行動を行ったりするのではなくて、帝国主義に対する軍事的対抗に走り、そのことが米帝の中国侵略戦争にますます絶好の口実を与えている。
1949年中国革命は本来、帝国主義の世界支配と不可分一体の民族抑圧・植民地支配体制を根底的に覆すプロレタリア世界革命の一環としての民族解放・革命戦争の歴史的勝利として、全世界の被抑圧民族とプロレタリアート人民の希望となり、世界革命を決定的に促進する力をもつべきものだった。しかし、中国革命を指導した中国共産党(21年結成)は20年代後半以降、国際共産主義運動のスターリン主義的変質の決定的影響を受けており、とりわけ30年代中期に党の指導権を掌握した毛沢東のもとで、民族解放・革命戦争と中国革命の勝利は世界革命の究極の勝利に向かう闘いから「切断」されていくこととなった。そして、1世紀近い半植民地状態と、31年「満州事変」から足掛け15年におよぶ日帝の暴虐極まる侵略戦争、さらにその後の米帝の支援を受けた蒋介石・国民党軍との内戦がもたらした荒廃のもとで、圧倒的に遅れた農業が経済の大半を占め工業はごくわずかという基盤の上に、毛沢東式の「一国社会主義」建設を強行しようとしたのである(58~62年「大躍進政策」とその無残な大破産)。その結果、中国の経済・社会は、農民からの収奪を「原資」とする「5カ年計画」を強行した30年代ソ連以上の恐るべき飢餓と荒廃に覆われた。そしてその矛盾を、かつてスターリンがやったように、農民や少数民族への徹底的な抑圧・弾圧、全人民への強権的支配や毛沢東崇拝の「文化大革命」なるものでのりきるということをやったのである。その一方で米帝・帝国主義の包囲に対抗するための核軍事力の形成に国内資源を集中し、さらにはプロレタリア国際主義とは相いれない「一国社会主義」同士の利害対立からソ連との対立(69年には「国境紛争」から核戦争寸前にまで至る)も激化させ、こうした対外的緊張も国内支配のテコとした。
こうして民族解放・革命戦争の勝利から生まれた「新中国」は、「社会主義」でもなんでもないスターリン主義体制として、おぞましい反人民的存在になり果てると共に、その矛盾と危機を極限的に激化させた。この現実を前にして、中国スターリン主義は、ベトナム人民が必死に米帝に対する民族解放・革命戦争(これもスターリン主義によってゆがめられていたが)を戦っている最中の72年、一転して米帝との結託に走った(ニクソン・毛沢東会談)。「反帝国主義・反植民地主義の旗手」という見せかけも捨て去り、ここに「毛沢東主義」は最後的破産を遂げたのである。
この毛沢東主義の破産と76年の毛沢東自身の死後、一定の混乱期を経て党と国家の権力を握った鄧小平は、中国スターリン主義体制の存続・延命の道を「改革・開放」路線、すなわち帝国主義の外資・技術の大々的導入による「市場経済化」「資本主義化」という経済成長路線に定めた。それは89年天安門事件とソ連スターリン主義の崩壊後、先に述べたような帝国主義の新自由主義的グローバリズム的展開と一体となってさらに全面的に推進された。米帝主導の戦後帝国主義世界経済の枠組みである「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」を引き継いで95年に発足した世界貿易機関(WTO)にも、中国は2001年12月に加盟し、文字通り「世界の工場」となって世界中の資本を引き寄せ急成長を続けた。この〈経済成長〉と〈共産党による政治的・イデオロギー的支配の強化〉の組み合わせによって、中国スターリン主義はソ連のように崩壊することなく、「社会主義現代化強国」「中国の特色ある社会主義」の実現へ前進してきたかのように自画自賛し、「中華民族主義」的ナショナリズムの発揚をもって体制強化を図ってきたのが、今日の習近平体制である。
だが、中国スターリン主義は帝国主義経済と一体化して「巨大化」してしまったがゆえにその矛盾も巨大化し、実際にはとてつもない危機を抱え込んでしまっているのだ。中国スターリン主義は、決して没落する米帝と対極で「成功した」わけでも、米帝に取って代わる世界の基軸となるような存在になれたわけでもない。帝国主義の世界支配を部分的には覆したが、その根幹部を世界革命によって打倒する闘いを放棄し、帝国主義の基本的な延命と世界支配を前提として、その包囲と重圧のもとでなんとか生き延びようとするスターリン主義とは、そもそも歴史的に有限な存在である。いまや中国スターリン主義はコロナ危機をへて、08年大恐慌以後の投資拡大による過剰な生産力とすさまじい不動産バブルの崩壊によって激しいデフレ圧力にさらされ、そこに米帝の中国侵略戦争政策下での対中国の貿易・投資の大幅な縮小、半導体など高度技術に対する規制などを受けて、決定的な危機を深めている。
このように、実は大没落する米帝以上に深刻な体制崩壊的危機へとますます陥りつつあるのが中国スターリン主義なのである。毛沢東主義の破産、そののりきりをかけた鄧小平以来の資本主義化政策の破産を経て、今や中国スターリン主義は習近平体制下で、スターリン―毛沢東的な個人崇拝の独裁的・強権的支配をも強化しつつ、中華民族主義的ナショナリズム、愛国主義を支配維持のための決定的テコとしている。民族解放・革命戦争の勝利の上に成り立つ中国スターリン主義にとって、帝国主義列強の百年に及ぶ侵略を打ち破った「偉大な党」の賛美は、中国人民をイデオロギー的・政治的に支配し動員する決定的な武器となるのだ。そして、この中国スターリン主義にとって、1949年中国革命の「未完部分」である台湾との「統一」の実現(それは米帝の圧倒的な軍事力の前にどうしても果たせなかったものである)は、ますます絶対に下ろすことができない死活的国家目標である。しかも、この中国スターリン主義が絶対に譲れない核心的利益とする台湾に対して米帝がずかずかと介入し、アメリカの勢力圏のように扱い、台湾を武装させ、事実上の独立への動きを支援するかのように立ち回り、日帝なども動員して台湾周辺での軍事活動を強化しているのである。
危機を深める中国スターリン主義は、スターリン主義として延命しようとする限り、この米帝に対して軍事的対抗を強め、「台湾統一」をますます声高に叫び、愛国主義・民族主義的なナショナリズムを高揚させ、国内の不満を外に向けさせ、習近平体制のもとへの「結束」を図る以外にない。そして米帝は中国スターリン主義がこのような対応に出ることを十分に認識した上で、これを中国の「力による現状変更の試み」であるとか、「台湾海峡の平和と安定を脅かすもの」であるとか大々的に宣伝して、中国侵略戦争を正当化する口実にするのだ。
以上のように米帝の中国侵略戦争とは、米帝の大没落と世界支配の危機からの巻き返しをかけた中国スターリン主義体制転覆のための侵略戦争であり、中国、台湾、アジア全体を再支配し再分割していくための帝国主義的侵略戦争である。そしてこの米帝の侵略戦争は、中国スターリン主義の反人民的な対応、軍事的対抗を引き出し、それを格好の攻撃材料とし餌食にしていくという形で進められていくのである。
ゆえにこの米帝の中国侵略戦争に対する反戦闘争は、反帝国主義・反スターリン主義世界革命の立場を鮮明にしてのみ、真に階級的・大衆的な発展をかちとっていくことができる。すなわち、①帝国主義の侵略と戦争、その世界支配に絶対反対の立場であり、②プロレタリアートと被抑圧民族人民の国際的団結で帝国主義の世界支配を転覆する世界革命を貫徹する立場であり、③世界革命に一国社会主義論をもって敵対する反革命としてのスターリン主義を根本的に打倒する立場である。
⑷中国侵略戦争の要をなす日帝の全面的な動員と参戦
⑼ この米帝の中国侵略戦争において絶対的に不可欠なのが、中国スターリン主義と直接に対峙する日帝の動員と参戦である。2021年4月の米帝バイデンと日帝・菅による日米首脳会談とその声明での「台湾海峡の平和と安定」の明記は、そこに向かっての決定的な踏み込みだった。中国が「国内問題」だとする中国本土と台湾の間の問題に、米帝と日帝が介入することを宣言したのである。さらに翌22年5月の日米会談・日米豪印4カ国(クアッド)会合と同年末の岸田政権による安保3文書、中国侵略戦争に向けた軍事費2倍化の大軍拡計画の「決定」から、沖縄・日本全土で日帝の中国侵略戦争参戦に向けた動きがすさまじい勢いで加速している。南西諸島のますますの軍事要塞化と自衛隊増強、沖縄・日本全土の戦場化を想定したミサイル避難訓練の常態化、地下シェルター建設、住民疎開計画、「台湾有事」を想定した米軍・自衛隊の共同作戦演習の激化、24年2月の日米図上演習での中国=敵国規定、さらには南西諸島での自衛隊用の輸血用血液備蓄計画まで進められている。
すでに米戦略国際問題研究所(CSIS)をはじめとした有力シンクタンク・研究機関などは、「台湾有事」における中国軍との戦闘においては「日本こそが要である」との結論を繰り返し発表し、さらに「中国との戦争は第2次大戦後に米国が経験してきた地域紛争や対ゲリラ戦争とは根本的に異なり、近年にない死傷者が出る」とまで断言して、日帝の動員と参戦の死活的重要性を何度も強調している。このような米帝の中国侵略戦争の構想に日帝が戦争主体として対応するために、憲法9条的制約を踏み超える15年安保戦争法の成立や22年末の安保3文書改定が強行されたのである。
いま日帝経済は「バブル期以来の株高」などと騒がれているが、それは主要には円安による見かけの業績改善、中国侵略戦争情勢での中国からの資金逃避、海外投資家の投機的動きによるものでしかない。日帝の実態は、国内総生産(GDP)は世界4位に転落、円価値は下落、実質賃金は低下し続け、人口減も加速し、財政悪化は止まらず、超低金利も日銀による株保有もやめられず、ハイテクなど「成長産業」での競争からは完全にずり落ちるという状況で、帝国主義として存続できるのかどうかという瀬戸際にある。いまや日帝ブルジョアジーにとって、日米同盟のもとでの中国侵略戦争への参戦と、そこにいたる過程での大軍拡、軍需産業の巨大化、経済の軍事化は、この現実からの脱出をかけた「唯一の活路」となっているのだ。
米帝の「世界帝国」としての延命をかけた中国侵略戦争は、日帝をフルに動員し、沖縄・日本全土を戦場にして前面に立てなければ実行できない。また日帝もこの米帝の中国侵略戦争に積極的・主体的に、自分自身の戦争として参戦することに帝国主義としての存続、延命をかけざるをえない。こうして日米安保同盟は、沖縄・九州―日本全土を一大軍事拠点・基地とする「中国侵略戦争同盟」としての凶暴な姿をますますむき出しにしていく。この中国侵略戦争同盟としての日米安保同盟を粉砕する闘い、沖縄・日本全土における反基地闘争、安保粉砕・日帝打倒の闘いを「連帯し、侵略を内乱へ」の戦略的総路線のもとに闘いぬくことこそが、米帝と全帝国主義の延命をかけた中国侵略戦争―世界戦争を実際に阻止し、反帝・反スターリン主義世界革命の道を切り開く決定的な環をなすのだ。
中国侵略戦争阻止の反戦闘争を以下のスローガンのもとに闘う。
★闘う中国人民・アジア人民と連帯し、米日帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争突入を日帝打倒の革命的内乱に転化せよ!
★中国侵略戦争のための日米安保同盟粉砕! 日帝の参戦阻止! 沖縄の前線基地化・戦場化を絶対に許すな! 沖縄・日本全土の米軍・自衛隊基地、空港・港湾の出撃基地化粉砕!
★日帝打倒を反帝・反スターリン主義のアジア革命―世界革命の突破口に!
―Ⅱ―ウクライナ戦争の階級的本質と労働者階級のとるべき立場
ソ連スターリン主義体制の崩壊とプーチン・ロシア
⑴ 22年2月24日、プーチン・ロシアは、前年秋から国境付近に展開させていた軍をウクライナ領内へ侵攻させ、ウクライナ戦争が始まった。だが、戦争の真の性格は「どちらが先に攻撃したか」ということによってとらえることはできない。ウクライナ戦争を「プーチン・ロシアによる侵略戦争、ウクライナによる防衛戦争」としてとらえ、ウクライナに対する軍事支援を行う米帝・NATOを支持することは、労働者階級の立場とは相いれない。
ウクライナ戦争の本質は何か。ウクライナ、ロシアを含む全世界のプロレタリアートは、この戦争に対していかなる立場をとるべきか。この問題は、国際階級闘争において、決定的な問題である。
⑵ まず1989年から91年にかけての東欧・ソ連スターリン主義の崩壊後、帝国主義が、この旧スターリン主義圏の帝国主義的勢力圏(経済圏としての欧州連合=EU、軍事同盟としてのNATO)への取り込み(米・独を軸とする帝国主義間の争闘戦、再分割戦をはらむ)を進めてきたという問題をとらえなければならない。
この旧ソ連スターリン主義圏の帝国主義の支配下への組み入れは、第2次世界大戦(独ソ戦)前後の過程においてソ連の支配圏に暴力的に包摂されたという歴史的経緯をもつ東欧諸国にとっては、ソ連=スターリニスト政権の支配・抑圧からの「解放」として、「民主化=市場経済化・資本主義化」の過程のように進んだ面がある(実際にはドイツなどEU帝国主義の勢力圏にされたということだが)。だが、旧ソ連・ロシアの場合はそのような単純な「民主化」とか帝国主義体制への「復帰」としては進まなかった。
⑶ ソ連スターリン主義体制の崩壊、解体は第一に、米帝・国際帝国主義による激しい、数十年の長期にわたるすさまじい全面的重圧、とりわけ軍事的重圧へのソ連の「敗北」としてあった。しかし、米帝と対峙しうる巨大な核軍事力が解体されたわけではなく、それを保持したままのロシアを、そのまま帝国主義の体制に組み入れることはできなかった。ソ連・東欧の軍事同盟としてのワルシャワ条約機構は91年に解体されたが、米帝を盟主とするNATOは、ソ連核軍事力を継承したロシアを事実上の仮想敵国とする軍事同盟として維持されたのである。
第二に、それは帝国主義の軍事重圧のもとで、スターリン主義自体の内的矛盾(一国社会主義の破産)が爆発的に進行することで一気に引き起こされたものである。すなわち、17年革命を通して、レーニン的に建設されつつあった社会主義のスターリン主義的な官僚制的変質物としてのスターリン主義国家体制そのものの崩壊としてあった。本来的には、この世界史的事態への対応は、レーニン主義に革命的に回帰し、17年革命とレーニン的建設を引き継ぐロシア・プロレタリア第二革命以外にありえなかった。しかし現実には、帝国主義の重圧に動かされ、スターリン主義的な「社会主義体制」を解体し、「民主的な資本主義国家」に移行するということが、エリツィン体制(91~99年)のもとでストレートにめざされたのである。
旧ソ連スターリン主義のプロレタリア的総括をすり抜けたエリツィンの資本主義化政策は、スターリン主義体制の残存物の上に、一方に資本家を、他方にプロレタリアをつくりだす「資本の原始的蓄積」を強行するという超反動的政策だった。それは民営化による国営企業の私有化・横領・略奪、様々な規制撤廃と価格の自由化、「非効率企業」の大量倒産などによって推進され、労働者人民には未曽有のインフレ、大量失業、飢餓、生活破壊が襲いかかったのである。エリツィン体制は、資本主義化政策の強行が引き起こした社会的大混乱と人民の不満と怒りを強権的に抑え込みながら、オリガルヒ(新興財閥)、金融エリート、超富裕層を形成し、自らの権力基盤としていった。このエリツィンの後継者となったのが、旧ソ連治安組織の国家保安委員会(KGB)出身のプーチンだった。
⑷ 2000年に大統領になったプーチンは、国際的な石油・資源価格の上昇も追い風にして経済成長を実現し、旧ソ連から引き継いだ核軍事力、資源・エネルギー大国、武器輸出大国、さらに穀物輸出大国としての力をもって、「大国ロシアの復活」をアピールし、大ロシア民族主義、愛国主義を鼓吹して国民的支持と独裁的な権力基盤を固めてきた。このプーチン・ロシアにとって、旧ソ連の勢力圏あるいは「領土」だった東欧、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)が次々とEU・NATO勢力圏下に入り、ついに旧ソ連における農業・工業の「大国」だったウクライナまでがNATOに加盟して米欧帝国主義の側に組み込まれることは、絶対に容認できなかった。
だが米欧帝国主義は、そのことを熟知したうえで、ウクライナの親ロシア派政権を転覆する14年2月の「マイダン革命」と称するクーデターを(米帝自身の直接の介入のもとで)成立させた。これに対してプーチンは、ロシア系住民が6割を占め、黒海艦隊の拠点でもあるクリミアを占領・併合した。さらに、同じくロシア系住民が多数を占めるウクライナ東部の分離・独立をめざす親ロシア武装勢力による戦争(ドンバス戦争)を支援した。このプーチン・ロシアに対して、米欧帝国主義は経済制裁を続け、とくに米帝はウクライナに対する様々な武器援助や訓練も含む軍事支援を行ってきたのである。
米帝の中国侵略戦争突入とウクライナ争奪戦の戦争化
⑸ 以上のような関係のもとに、14年以来、ウクライナ争奪をめぐる米欧帝国主義とプーチン・ロシアの政治的・軍事的対立が続いてきたのであるが、それが22年2月に実際に戦争となって爆発した背景には、米帝の中国侵略戦争への突入情勢がある。
21年1月に成立した米帝バイデン政権は、トランプ政権の中国との対決政策をさらにエスカレートさせ、中国侵略戦争を本格的に構えて動き出した。米帝バイデンは中国侵略戦争への突入を前に、中国と接近するプーチン・ロシアの弱体化を狙い、ロシアをウクライナに引き込み、縛りつけようとした。一方プーチン・ロシアは、米帝が中国に対する戦争を構える以上、ウクライナに米帝が直接参戦してくることはないと判断し、まさに「今しかない」としてウクライナ戦争に突入したのである。
プーチン・ロシアは、ウクライナの首都キエフ(キーウ)を「短期決戦」で占領し、(かつてソ連が東欧でたびたび行ったように)ゼレンスキー政権を打倒して親ロシア政権をうち立てようとした。だが、米帝・NATOの全面支援を受けるウクライナ軍はこれを完全に迎え撃つ体制をとり、キエフに迫ったロシア軍は大打撃を受けて敗退した。
だが、いくら米帝・帝国主義の支援があるといっても、ウクライナ軍単独では絶対的戦力差・国力差があるロシアを打ち負かすことはできず、23年夏からの反転攻勢も完全な失敗に終わり、戦争は3年目を迎えて泥沼化の一途をたどっている。今や米欧帝国主義の支援も停滞し、最大の支援国である米帝内ではウクライナ支援をめぐってバイデンとトランプが対立、ゼレンスキー政権は苦境に陥っている。だが、プーチン・ロシアの側でも数十万単位の戦死者・負傷者を出し、著しく戦力・国力を消耗させているのも事実である。砲弾供給を北朝鮮に頼り、少数民族や貧困国から兵士を集め、大統領選では反対派の立候補を阻止したり、ナワリヌイのような政敵をスターリン的手段で「抹殺」したりしなければもたないというのが、プーチン・ロシアの現実なのだ(帝国主義は「ウクライナが負けたらロシアは今度は東欧に攻め込む」などと自分たちの大軍拡を正当化するために吹聴しているが、到底ありえない)。中国侵略戦争突入を前にロシアを弱体化させる(ウクライナ人民の血をもって!)という米帝の「戦略」は、大きくは貫かれているのである。
⑹ このように見てくれば、ウクライナ戦争とは、①米帝・帝国主義による崩壊したスターリン主義体制・旧ソ連圏の帝国主義圏への取り込みが進み、②それがウクライナにまで達したときに米帝・帝国主義とプーチン・ロシアとの対立が非和解的となり、14年以来ウクライナ争奪戦として進行し、③ついにそれが米帝の中国侵略戦争―世界戦争への突入情勢下で、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻をもって全面的な戦争となって爆発したものであると言える。それはゼレンスキー政権を支える米帝・帝国主義と、プーチン・ロシアのどちらがウクライナを分捕り支配するのかをめぐる戦争である。より本質的には、米帝の中国侵略戦争―世界戦争の一部をなすものであり、米帝の中国侵略戦争―世界戦争がウクライナにおいて始まっているということである。ウクライナ反戦闘争を闘うことは、中国侵略戦争の始まりと闘うということだ。
このウクライナ戦争を「プーチン・ロシアが先に侵略した」ということをもって、「プーチンの戦争」と規定し、米帝・帝国主義、NATO諸国と共にゼレンスキー政権(米欧帝国主義と結託するウクライナの腐敗したオリガルヒ、資本家の権力である)の側に立って支持するということ、米欧日帝国主義による武器・弾薬・資金提供に賛成することは、断じて労働者階級の立場ではない。1917年ロシア革命を根本的に否定し、崩壊したスターリン主義体制の上に「ロシア帝国主義」を復活させようとするプーチン・ロシアの立場もとことん反動的であり、反プロレタリア的である。この帝国主義とプーチン・ロシアによるウクライナ争奪・再分割の戦争に対する労働者階級人民の反戦闘争は、反帝・反スターリン主義の立場に立つことによってのみ闘うことができる。
―Ⅲ―10・7パレスチナ蜂起に応え自国政府打倒の内乱的決起を
帝国主義の極限的な抑圧と侵略に対する渾身の蜂起
⑴ 米帝・帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争突入情勢は、帝国主義の世界支配の矛盾の集中点をなしていたパレスチナ・中東において決定的な支配の裂け目を生じさせ、そこからイスラエル「建国」=パレスチナ抹殺攻撃開始以来、80年近く蓄積されてきたパレスチナ人民の巨大な怒りのマグマが、2023年「10・7蜂起」として噴き上がった。
03年イラク侵略戦争以来の米帝の中東支配政策の全面的破産の中で、米帝と中国スターリン主義の対決は中東情勢にも決定的影響を与えてきた。中国スターリン主義は、米帝の世界支配政策の重心が中東から中国へ移動することを牽制(けんせい)するためにも、米帝の中東からの後退の間隙(かんげき)を突く形でイスラエルを含む中東諸国との関係を強化し、ついに23年3月にはイランとサウジアラビアの国交回復を仲介して米帝に激しい衝撃を与えた。またイランもレバノン、シリア、イエメン、そして何よりもイラクへの影響力を強めてきた。これに対して米帝はトランプ―バイデンのまさに両政権を通じて、対中国の対決と侵略戦争政策を強化する一方、中東支配においては、ますますイスラエルの軍事的強化を要に据え、イスラエルの極右シオニスト政権を全面的に支援・擁護し、パレスチナ人民への日常的無法・残虐行為、繰り返しの空爆、文字通りの植民地侵略(「パレスチナ自治区」への入植)の拡大を野放しにしてきたのである。
米帝の中国侵略戦争突入情勢と一体で進んできたイスラエルによるパレスチナ抹殺攻撃のエスカレーション、民族解放・革命戦争を徹底的に裏切った中国スターリン主義の反人民的な中東政策による米帝への対抗、その全矛盾を集中され抹殺されようとするパレスチナ----10・7蜂起は、この極限的民族抑圧、帝国主義とスターリン主義の全反動、全重圧に決死の覚悟で立ち向かい、まさに「血みどろの戦いか、しからずんば無」というパレスチナの青年・革命戦士たちの究極の決断と決起として敢行された。この帝国主義の世界支配の完全打倒までやむことなき民族解放・革命戦争としての10・7蜂起を無条件で支持し、これと連帯することは革命的共産主義者の義務であり、全世界プロレタリアートの革命的解放の不可欠の条件である。
⑵ 10・7蜂起から4カ月以上を経て、イスラエル軍のガザ侵攻とジェノサイドは、米帝はじめ帝国主義諸国の擁護と後押しのもとで激化・拡大の一途をたどり、ついに140万人を超す避難民が身を寄せる最南端ラファへの大虐殺にまで至ろうとしている。この局面で米帝・バイデンは、2月20日の国連安全保障理事会に提出されたラファ地上侵攻回避のための「即時停戦」決議に拒否権を発動し、ラファ大虐殺に事実上のゴーサインを出した。そして日帝を含む全帝国主義が、この侵攻・虐殺の真っただ中でイスラエルを公然と擁護し、さらには国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠金を断つという形で、パレスチナ解放闘争の絞殺者としての正体をあらわにしたのである。
だが、イスラエルと帝国主義のどんな残虐な侵略戦争も、パレスチナ・中東諸国人民の民族解放闘争を根絶することはできず、これに呼応して全世界に広がるパレスチナ連帯闘争の永続的発展を押しとどめることもできない。われわれは帝国主義本国のプロレタリアートとして、また反帝・反スターリン主義を掲げる革命党として、この10・7蜂起を世界戦争の国際的内乱への転化の始まりとして受け止め、これと固く連帯して自国政府=日帝打倒の内乱的決起をもって応えなければならない。
民族解放・革命戦争と反帝・反スターリン主義
⑶ ここであらためて、10・7蜂起を必然化した歴史的背景についてとらえ返し、その民族解放・革命戦争としての本質を明確にさせておきたい。周知の通り、帝国主義のパレスチナへの侵略と植民地支配は、石油資源の確保が帝国主義にとって死活的重要性を持つことが鮮明化した第1次大戦期に本格的に始まった。そしてそれは当初から、ユダヤ人の中の極少数派の潮流だったシオニズムと結びつき、シオニストを帝国主義の先兵とする形で推進された(シオニズム運動は、当初から帝国主義の中東侵略政策と結びつき、帝国主義に全面的に支援されることによって初めて有力な政治運動として成立した)。
その経過は、次のように概観することができる。①イギリス帝国主義のパレスチナ支配(1918年英軍進駐、20年委任統治開始)とユダヤ人入植の推進、②米帝の全面支援による48年イスラエル「建国」とそれを前後するパレスチナ人民への民族浄化(「大破局=ナクバ」と呼ばれる)、③67年第3次中東戦争後のイスラエルによるガザ・ヨルダン川西岸・東エルサレムの占領、およびパレスチナ解放機構(PLO)を結集軸とする武装解放闘争の本格化とその圧殺のための米帝・イスラエルによる一連の侵略戦争(70年ヨルダン内戦、75~76年レバノン内戦、82年レバノン戦争など)、④87年に始まる第1次インティファーダへの反動的圧殺策動としての93年オスロ合意(=PLO指導部の屈服)、⑤イスラエルによる「自治区」への度重なる侵攻と入植地拡大に対する第2次・第3次インティファーダの爆発、その圧殺のための2007年ガザ封鎖と今日まで続く極限的抑圧----。
この百年に及ぶ侵略史の中で、とりわけ米帝の対英仏争闘戦をもはらみながら強行されたイスラエルの「建国」が、米帝を基軸とする戦後帝国主義世界体制の確立、その不可欠の要をなす中東支配の確立にとって決定的な意味をもったこと、同時にそれはナチスの迫害と大虐殺を生き延びたユダヤ人に対する極めてゆがんだ形での帝国主義的戦後処理を意味したこと、しかもそれをソ連スターリン主義が支持したことの歴史的な犯罪性を明記しておかなければならない。そして米帝は、自らがつくり上げた強大な軍事基地国家=イスラエルを先兵として、5次にわたる中東戦争をはじめ数々の侵略戦争を繰り広げ、その力でアラブ諸国を屈服させ、自らの中東への独占的支配を維持してきたのである。
そして決定的なことは、先にも述べた通り、米帝が中国スターリン主義との対決政策にかじを切った2010年代以降、中東からの米軍戦力の撤退とそれを補完するためのイスラエルの軍事的強化を進めたことである。さらにバイデン政権にとっては、中国の「一帯一路」に対抗する「インド・中東・欧州経済回廊(IMEC)」構想の実現のために、イスラエルとサウジアラビアの国交樹立が死活的な外交課題となり、さらには東地中海の天然ガス田開発・パイプライン敷設とその周辺の武装抵抗勢力の一掃が不可欠となっていた。イスラエル・第6次ネタニヤフ政権は、この米帝の動きに呼応して「新中東」構想を掲げ、23年から西岸での入植を激増させ、難民キャンプへの過去20年で最大規模の武力侵攻を開始。パレスチナ「自治区」を解体し、ガザを更地化し、パレスチナの全人民を追放する民族浄化の攻撃を開始していたのである。
10・7蜂起はまさにこの瞬間において、全面的な民族浄化の攻撃を前にしたパレスチナ人民の渾身(こんしん)の歴史的大反撃として敢行され、イスラエルと帝国主義の戦後中東支配にかつてない大打撃を与え、パレスチナ・中東人民の積もりに積もった怒りと民族解放への不屈の決意を全世界に示した。パレスチナを蹂躙(じゅうりん)し続けた侵略者、占領者、虐殺者どもに対して、人民が武器をとって革命戦争に決起するのは当然であり、正当であり、歴史の必然であることを思い知らせたのである。何よりそれは、全世界の人民、とりわけ帝国主義本国のプロレタリアート人民に絶大な衝撃を与え、国際階級闘争の内乱的・実力闘争的発展への巨大な転換をもたらした。この10・7蜂起に対していかなる態度をとるのかが全世界のプロレタリアート人民に問われ、既存のあらゆる政治勢力がふるいにかけられた。10・7蜂起を「ハマスの卑劣なテロ」などとののしるイスラエルと帝国主義の側に立つのか、それとも、10・7蜂起を帝国主義に対する民族解放・革命戦争の爆発として、また帝国主義の侵略・抑圧を許してきてしまった帝国主義本国のプロレタリアートへの糾弾として真正面から受け止め、これと固く連帯して自国政府=帝国主義打倒の闘いに立ち上がるのかが問われているのだ。
スタの裏切り乗り越え
⑷ 民族解放・革命戦争は、本来的にはプロレタリア革命党によって指導され、帝国主義の世界支配と不可分一体の民族抑圧と植民地支配体制の根底的打倒に向かって、帝国主義打倒のプロレタリア世界革命の一環として闘われるべきものである。しかし、先に中国スターリン主義の問題について触れたように、国際共産主義運動のスターリン主義的変質は、創成過程にあった民族解放・革命戦争をもスターリン主義的にゆがめると共に、帝国主義国におけるプロレタリア革命運動においても被抑圧民族人民の民族解放・革命戦争との連帯という契機を決定的に欠落させていくことになった。帝国主義の世界支配によって分裂させられた抑圧民族と被抑圧民族の真の団結をつくりだしていくプロレタリア国際主義は、世界革命を放棄したスターリン主義によって破壊された。
このスターリン主義の裏切りは、とりわけ中東におけるパレスチナ人民の民族解放闘争に壊滅的打撃をもたらした。ソ連スターリン主義は、米帝の中東支配のくさびとして、パレスチナへの凶暴な植民地侵略戦争によって打ち込まれたイスラエルを国家として承認し、ソ連からのユダヤ人追放にも利用するという二重三重に許しがたい裏切りをやったのだ。さらに中国スターリン主義も1992年にイスラエルと国交を結び、経済関係の強化のみならずイスラエルの先端武器技術や治安弾圧システムを導入するなど、まさに極悪のスターリン主義反革命としての正体をさらしてきたのだ。
中東・パレスチナ人民の民族解放闘争は、スターリン主義の裏切り、アラブ民族主義指導部の腐敗、アラブ反動諸国の米帝・イスラエルへの屈服という何重もの困難の中で、ムスリムという歴史的な民族的=宗教的共同体の規範のもとに団結して闘われている。だがその中心に存在し不屈に闘っているのは労働者階級の仲間であり、彼ら彼女らは労働組合的にも組織され、現にパレスチナ労働組合が全世界の労働者にパレスチナ人民の闘いへの連帯を呼びかけ、米帝・イスラエル軍による侵略とジェノサイドを阻止する闘いに加わることを求めている。そして日本の動労千葉を含め全世界の多くの労働者、労働組合がこれに応えている。
反帝・反スターリン主義の革命党は、パレスチナ・中東人民にこそ求められているし、米帝・イスラエルの極限的支配と抑圧、暴虐極まるジェノサイド的侵略を打ち砕く道は、反帝・反スターリン主義世界革命の勝利以外にない。だが最も問われているのは、抑圧と虐殺の元凶である帝国主義の「本国」におけるプロレタリアートの闘いである。反帝・反スターリン主義の世界革命に向かって、闘うパレスチナ人民、被抑圧人民と連帯し、米帝・イスラエルによるジェノサイド、大虐殺(それは全世界の労働者階級人民を「絶滅」する世界戦争・核戦争につながっている!)を実際に止める内乱的闘いを帝国主義国において実現することである。この闘いが真に爆発し、極限状況下で闘うパレスチナ・中東人民に届くとき、帝国主義の世界支配を切り裂いた10・7蜂起の闘いは、反帝・反スターリン主義世界革命の決定的一環をなす民族解放・革命戦争として必ず勝利する。
われわれは、10・7蜂起と断固連帯し、24年1・1政治局アピールのⅢ章「7・7路線の現代的再確立と反帝反スタ世界革命論の深化」の内容を本大会議案の核心にすえ、全面的に実践していくことをあらためて決意する。
―Ⅳ―「連帯し、侵略を内乱へ」貫き反帝・反スタ世界革命勝利へ
世界戦争と対決する革命的共産主義者とその党の任務
米帝・帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争突入情勢とその中で起きているウクライナ戦争、そしてパレスチナ・ガザにおける10・7蜂起と米帝・イスラエル軍による凶悪な侵略戦争、大虐殺と対決する革命的共産主義者とその党の基本的任務は、以下の通りである。
⑴ 第一に、すでに始まっている米日帝をはじめとする全帝国主義による中国侵略戦争・世界戦争の階級的本質を全面的に暴露することである。すなわちこの戦争は、全人類の0・1%にも満たないごく少数のブルジョアジーの特権的利益を保障するための帝国主義の世界支配を永続化し、労働者階級人民からの搾取と収奪を強化し、プロレタリア階級闘争と被抑圧民族人民の解放闘争を圧殺する帝国主義的政治の延長、継続であるということの暴露である。
⑵ 第二に、この中国侵略戦争・世界戦争とそこに向かって激化の一途をたどるウクライナ戦争、米帝・イスラエルのパレスチナ人民虐殺戦争を終わらせるためには、帝国主義の支配をなくす必要があること、そのためには帝国主義国におけるプロレタリア革命と被抑圧国における民族解放闘争(その主要な形態である民族解放・革命戦争)の結合としてのプロレタリア世界革命が必要であることをねばり強く説明し、扇動することである。
帝国主義による世界支配が不可避とする侵略と戦争は、第2次世界大戦以降だけでも数千万人の単位で人民の命を奪い(注)、ウクライナで数十万の死傷者、ガザで多くの子どもを含む3万人もの死者、数万の重傷者を出している。これから中国侵略戦争―世界戦争・核戦争に全面的に突入するならば全人類の破滅にまで至る。このような帝国主義の世界支配を存続させることこそがまったく非現実的である。これに対して、帝国主義と被抑圧民族の労働者階級人民の国際的団結のもとに巨大な革命的大衆的行動によって実現される世界革命は、帝国主義ブルジョアジーの抵抗によって犠牲を伴うのは不可避であるが、その犠牲は現在すでに行われている戦争に比べてもはるかに少なく済み、そして全人類を世界戦争・核戦争の破滅から救い出し、真の恒久平和をもたらすことができる。この世界革命は今こそ現実的である。
⑶ 第三に、この世界革命に敵対し、帝国主義の侵略と戦争に対して帝国主義と同様の反人民的な軍事力(核を含む)を対置し、帝国主義の侵略戦争・世界戦争・核戦争を促進しているスターリン主義の反革命性を暴露し、帝国主義の世界支配を転覆する世界革命を完遂する立場からスターリン主義打倒の必要性を明らかにすることである。
このことに関連して、2001年第6回大会第2報告の以下の結論部分を再確認しておきたい。
「現代世界はたんに帝国主義の時代であるわけではない。それはいったんは1917年革命というプロレタリア革命によって帝国主義支配の鎖の一環が断ち切られ、世界革命の過渡期に突入した世界であり、かつそれがスターリン主義の大反動によって帝国主義とスターリン主義の世界体制へと変質させられた世界なのである。いやそれだけではない。このスターリン主義が20世紀末においてついに歴史的破産をとげ、いまや帝国主義間争闘戦が、この崩壊したスターリン主義体制や残存スターリン主義体制をいかにふたたび帝国主義的勢力圏へととりこむのかということを決定的な突破口として、全世界の再分割戦として展開されようとしている世界なのである。
この意味で、現代のプロレタリア世界革命の戦略は、第一に、ロシアを始めとする崩壊したスターリン主義圏のプロレタリアートの真の解放が、エリツィン=プーチン的な資本主義化政策と対決するのみならず、破産したスターリン主義の歴史的総括を戦略的課題にすることによってのみなしうること、それによって初めて1917年革命を再生させる新しいプロレタリア革命にむかって前進できるということ、第二に、中国を始めとする残存スターリン主義圏の労働者人民はストレートにスターリニスト権力との死闘にうち勝たなければ一切の革命的前進はありえないということ、そして第三に、帝国主義諸国を含む全世界の労働者人民は、そのめざすものは民族解放・革命戦争を含めて本質的に世界革命であり、世界革命の一環としてのみ各国的勝利が可能であること----これらの点から現代世界革命の戦略は反帝・反スターリン主義世界革命戦略をおいてない。まさに、反帝・反スターリン主義世界革命の旗のもと、万国の労働者と被抑圧民族は団結せよ、ということしかないのである」
7・7路線の現代的再確立かちとり反戦闘争の爆発を
⑷ 第四に、帝国主義(日本帝国主義)下における革命的共産主義者と労働者階級は、中国侵略戦争阻止の反戦闘争を「闘う中国・アジア人民、被抑圧民族人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争参戦を内乱に転化せよ」の綱領的・戦略的総路線のもとに組織しなければならない。
そのために本年1・1アピールで提起した「7・7路線、『血債の思想』の現代的再確立」が不可欠である。戦前・戦後を通したスターリン主義の裏切り的指導とそのもとでの階級闘争の敗北の結果、排外主義と侵略戦争に動員され、プロレタリア的階級性と国際主義をゆがめられてきた歴史を自覚的に克服し、プロレタリアートの自己解放闘争の共産主義的普遍性の内部に、被抑圧民族人民の民族解放闘争との連帯・結合・一体化をしっかりと据えつけることである。
日帝の中国侵略戦争の参戦は、プロレタリアートの全面的な動員なくしては絶対にできない。そして帝国主義がプロレタリアートの階級性を解体し侵略戦争に動員していくための最大の武器こそ排外主義、愛国主義、国益主義、祖国防衛主義である。だが本来的・本質的に国際的な単一の階級であり、一切の階級的搾取・支配と共に、それと不可分に結びついた一切の非人間的抑圧とを廃絶することなくして自らを解放することができない存在としてあるプロレタリアートの根源的革命性は、このような帝国主義の排外主義的攻撃を打ち砕く力をもっている。そしてこの自己解放を求めてやまないプロレタリアートの無限の革命性をとことん引き出し、その国際主義的本質を全面的に開花させて、帝国主義の排外主義と侵略戦争の攻撃を根本的に打ち砕くものこそ、7・7自己批判路線であり「血債の思想」であり、それに貫かれた「連帯し、侵略を内乱へ」のスローガンである。
いま米帝と一体となっての日帝の中国侵略戦争への参戦という情勢を前にして、1970年7・7糾弾が、まさに盧溝橋事件33周年集会で在日中国人民から発せられたことをあらためて思い起こさなければならない。7・7自己批判路線の貫徹は、まさに現在の中国侵略戦争情勢においてこそ問われている。今日の中国侵略戦争阻止の闘いにおいて、米帝と日帝の侵略の対象とされている現実の中国人民(中国本土と台湾の両方の)、そしてアジア人民、在日中国・朝鮮・アジア人民の存在と闘いをしっかりと据えなければならない。何よりもアジア唯一の帝国主義としての日帝が中国、朝鮮、アジアで繰り広げた侵略と植民地支配、虐殺、差別・抑圧、強制労働と性奴隷----いま日帝と全右翼反革命勢力が総力をあげて暴力的に抹殺しようとしているこの全歴史(それは現在も続いている)を絶対に繰り返させないという、日本プロレタリアートの階級的自己批判をかけた実践が、今こそ問われていることを強烈に自覚し闘わなければならない。かつて台湾を50年にわたって植民地支配し、中国大陸に百万もの侵略軍を送り込んで延々と侵略・虐殺・略奪を繰り広げた日帝が、再び中国に向かってのミサイル基地、出撃基地を南西諸島・日本全土につくりあげ、大軍拡をやって侵略戦争を構えることなど断じて許してはならないのだ。このように日本プロレタリアートが7・7路線を貫徹し「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いに決起する時、日本と中国―台湾、朝鮮、全アジア人民の巨大な国際連帯が形成され、日本・中国・アジアを反帝・反スターリン主義世界革命の砦(とりで)とすることは絶対に可能となる。
⑸ 第五に、以上のような反帝・反スターリン主義世界革命の綱領的立場から現在の戦争の本質をとらえ、7・7路線の現代的再確立と実践的貫徹の立場に立って、日帝の中国侵略戦争を阻止する反戦闘争を革命的大衆的行動として組織することである。職場、学園、労働組合、大衆的組織における会合、集会、街頭や議会での演説、あらゆる機会をとらえて、今起きている戦争の階級的本質を暴露し、この戦争に対して労働者階級人民がとるべき態度を明らかにし、具体的行動方針を提起し、実行すること。労働者階級人民のほとんどすべてが現在のガザでの虐殺、ウクライナでの戦争を即座に終わらせたいと思っており、また日帝政府の大軍拡と沖縄・日本全土での基地の強化と戦争訓練に反対したいと思っている。この大衆に示すべき具体的行動方針は何よりもデモンストレーションの組織化である。すべての巨大な革命的大衆行動、そして革命そのものはデモ(そしてストライキ)から始まる。これは世界史的真実である。日帝国家権力は、何ゆえにあれほどまでに反戦デモを恐れるのかということである。
大衆的な反戦デモをまさに「大行進」として実現することをめざして、動労千葉を先頭とする階級的労働運動の発展を土台として結成された「改憲・戦争阻止!大行進運動」は、「戦争絶対反対」という労働者階級人民大衆の最も普遍的な意思をストレートに貫く大衆的な運動体、闘争機関として、全国各地区でますます本格的に発展しようとしている。世界戦争がいよいよ開始され、日帝が中国侵略戦争に参戦するという情勢を前に、あらゆる組織が「戦争絶対反対」ということを下ろしている中で、大行進運動は全労働者階級人民大衆を組織する無限の可能性をもっている。この大行進運動の発展を呼びかけ労組、呼びかけ人の人々と共に全力でかちとろう。
今こそ階級的労働運動の全面的発展を
⑹ 帝国主義の侵略と戦争の攻撃は、労働者階級への最大の階級的攻撃であり階級戦争である。反戦闘争を軸とする階級的労働運動は今こそその力を全面的に発揮し、爆発的な発展をかちとらなければならない。10・7蜂起に応える反戦闘争への総決起の中でかちとった11・19労働者集会はその巨大な可能性を示した。
戦後日本労働運動の出発点は、戦犯追放=戦争責任追及、二度と戦争を繰り返させないということと飢餓賃金打破であり、そして「人民政府樹立」を掲げ、本気で革命をめざしていた。また敗戦直後、旧植民地人民の在日朝鮮・中国人民が真っ先に決起したことが、日本プロレタリアートの戦後革命的決起の突破口を開いたのであり、そこには国際的階級的団結の萌芽(ほうが)があった。
戦後革命期の日本労働運動は46年5月復活メーデー・食糧メーデー、10月産別闘争から47年2・1ゼネストへ怒濤(どとう)のように大高揚していったが、日本共産党スターリン主義の裏切り的指導によって2・1ゼネスト挫折の大打撃を受けた。それでも日本プロレタリアートは繰り返し闘いに立ち上がるが、50年朝鮮戦争を前にした米日帝のレッドパージ弾圧に対する日本共産党スターリン主義の壊滅的屈服とその後の軍事冒険主義、さらに議会主義への転換というジグザグ、朝鮮戦争特需景気の中での総評・社民勢力の体制内化の深まりによって、戦後革命の波は完全に終息させられた。その後もスターリン主義と総評・社民の「指導」によって日本の労働運動は徹底的にゆがめられ続け、右傾化を続けたが、国鉄、全逓、教労、民間など現場に残る戦闘的労働運動と反スターリン主義・革命的共産主義運動の結合から、スターリン主義と社民をのりこえる階級的労働運動の真の発展と本格的なプロレタリア革命党の建設が始まった(62年3全総)。
この闘いは70年決戦、7・7自己批判、対カクマル=対権力の内戦的闘争という鉄火の試練をへて、動労千葉を先頭に国鉄分割・民営化―総評解散・連合結成、新自由主義反革命に立ち向かい、そして今日の日帝の中国侵略戦争突入という決定的情勢において、そして連合の崩壊が自民党・経団連・日帝ブルジョアジーとの一体化=正真正銘の産業報国会化に行き着いている中で、自国政府の戦争に反対し、階級的原則を貫き、帝国主義を打倒する階級的労働運動の結集軸をつくりあげるところに到達したのである。それが昨年11・19労働者集会(「11月労働者集会運動」)である。
動労千葉、関生支部、港合同という、資本・権力の労組破壊と必死に闘いながらスターリン主義と社民に指導された戦後労働運動の限界をのりこえようとしてきた3労組が呼びかける11月労働者集会の中に、戦後79年の日本労働運動の最高・最良のものが凝縮され、日本プロレタリアートの本来の戦闘性・革命性が示されている。しかもそれは、2003年イラク侵略戦争の中で始まった韓国・民主労総、米・国際港湾倉庫労組(ILWU)ローカル10との日韓米国際連帯を中国侵略戦争―世界戦争突入情勢においてますます決定的に発展させている。そしてこの11月労働者集会が、改憲・戦争阻止!大行進運動をつくりだしたのだ。
戦争の時代においては挙国一致が叫ばれ、階級対立は突然消滅したかのようにされ、階級闘争は全面的に否定される。しかし、帝国主義戦争とは帝国主義がもはやどうにもならない矛盾に陥り、危機を深め、労働者階級の生活や諸権利を根こそぎに破壊し、階級対立が極限的に激化していくときに爆発する。帝国主義戦争においてこそ階級対立の非和解性が最も鋭くあらわされるのだ。
帝国主義戦争においては、労働者階級人民には実際には次のような選択が突きつけられる。すなわち「飢えに苦しみ、他人(支配階級)のために、縁もゆかりもない利益(ブルジョアジーの利益)のために、殺りくさせられるか、それとも社会主義のために、人類の十分の九の利益のために、大きな犠牲を払うか」(レーニン「戦争問題に対する原則的立場」)という選択である。このことを徹底的に鮮明にさせた戦時における階級闘争・階級戦争を闘うスローガンが「帝国主義戦争の内乱への転化」であり、今日の帝国主義国においては「連帯し、侵略を内乱へ」である。日帝の中国侵略戦争参戦情勢下で階級的労働運動を貫徹するということは、この「連帯し、侵略を内乱へ」の貫徹以外にありえない。
全戦線の闘い
⑺ 学生運動
学生戦線は、反戦闘争、反戦デモの大衆的実力闘争的発展を切り開く先頭に立ち、すでに労働者階級人民全体を鼓舞し、決起させる決定的役割を果たしている。この全学連部隊を3桁の規模でつくりだすことは、必ずや日本における反戦闘争、階級闘争の質的転換をもたらす。
⑻ 排外主義・差別主義との闘い 民族抑圧やあらゆる社会的差別は階級社会と共に生まれ、最後の階級社会である資本主義の没落期、帝国主義の時代に最も激化する。今日の民族抑圧と排外主義、女性差別、部落差別、障害者差別、あらゆる差別は、没落し、腐敗と反動を極め、戦争に向かう帝国主義が、その支配を維持し、プロレタリアート人民の階級的団結と反乱を阻止するために意図的につくりだしているものである。帝国主義の戦争と排外主義・差別主義の激化は一体である。
26全総以降の女性解放闘争の前進、そして7・7路線の現代的再確立は、この帝国主義の絶望的危機と侵略戦争への突入情勢がつくりだし激化させている排外主義、あらゆる抑圧・差別の攻撃、これへのプロレタリアートの動員攻撃との対決の死活性を明確にしている。清水丈夫選集第3巻所収の論文「内外情勢の現段階とわれわれの戦略・戦術的任務について」などでの再武装も含め、女性解放、入管闘争、部落解放闘争、障害者解放闘争をはじめ全戦線の闘いを、「連帯し、侵略を内乱へ」の戦略的総路線のもとに今こそ地区党の正面課題に据えて組織しよう。
反弾圧闘争の重要性
⑼ 自国帝国主義打倒をかけた反戦闘争は、国家権力の治安弾圧攻撃との激突となるのであり、カクマルや天皇制右翼などの民間反革命の襲撃も含めて、党絶滅攻撃を粉砕する闘いと一体である。国家権力の弾圧との闘いの核心は、完全黙秘・非転向の闘いである。革共同は、破防法攻撃、71年渋谷暴動闘争に決起した星野文昭同志に対する死刑求刑・無期攻撃、大坂正明同志に対する46年にわたるでっち上げ指名手配と一審懲役20年判決の攻撃、迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧をはじめ、日帝国家権力のありとあらゆる弾圧、プロレタリア暴力革命の思想と運動を放棄させて権力万能神話のもとに屈服させる転向攻撃、組織の絶滅と日和見主義的変質を狙う攻撃と真正面から対決し、これを打ち破って勝利してきた日本革命運動史上唯一の革命党である。この勝利を保障してきたのは、マルクス主義と反帝・反スターリン主義世界革命の思想・綱領・路線への確信であり、7・7自己批判貫徹の立場であり、労働者階級への無限の信頼である。世界戦争が始まり、日帝が中国侵略戦争に参戦する時代に革共同が「連帯し、侵略を内乱へ」のスローガンを掲げて闘いぬくことができるのは、70年決戦以来の半世紀以上に及ぶ日帝国家権力の弾圧および史上最凶悪の反革命・カクマルとの内乱的死闘を闘いぬいてきたからこそである。星野文昭同志の闘いと精神を継承し、爆取弾圧粉砕の獄中闘争を貫徹する須賀武敏同志、そして懲役20年のでっち上げ極反動判決と対決し、71年渋谷暴動闘争の階級的正義を貫いて沖縄闘争・反戦闘争の爆発を訴える大坂正明同志を、党と日本プロレタリアートの誇りとして絶対に守り抜き、奪還する闘いを「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いの核心に据えよう。
いま、革共同に求められる飛躍と変革の課題は何か?
⑽ 党建設について。24年1・1アピール第Ⅴ章の内容を確認する。
そのうえで、「帝国主義戦争の内乱への転化」「闘う中国・アジア人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争参戦を内乱に転化せよ」のスローガンを、口先ではなく、これから本格的・全面的に実践するということは、党のさらなる根本的変革・飛躍が要求される。この党の変革の問題について真正面から向き合うべく、レーニン「戦争問題に対する原則的立場」(国民文庫『社会主義と戦争』所収)から以下抜粋し、差し迫ったわが党の実践的課題として確認したい。
▽「祖国防衛の拒否を宣言することは、すでにそれ自体としても、このようなことを宣言する党の革命的意識に対しても、革命的行動力に対しても、非常に高度な要求がつきつけられるような仕事である」
▽「これらの要求を意識することなしに、それについて説明を与えることなしに、党のすべての宣伝、扇動、組織を、つまりすべての活動を根本的に変更し『更新』(K・リープクネヒトの表現を借りて言えば)し、それを最高の革命的任務に適応させることなしに、祖国防衛の拒否ということをまったく単純に宣言するならば、このような宣言は空文句に変わってしまう。
祖国防衛の拒否ということを、真剣に受け入れ、本当に実現すべき政治的スローガンとして取り扱うならば、本来、このことは何を意味するかということを、本当にもっと注意深く考えてみよう」
▽「われわれは、いくつかの交戦国の経験からして、いまの戦争において祖国防衛を拒否することが、現実に何を意味しているかを、まったく明確に知っている。それは、いまのブルジョア社会のすべての基礎を否定し、たんに理論上だけでなく、たんに『一般的』にだけでなく、実践的に、直接に、ただちにいまのブルジョア制度の土台を掘り崩すことを意味している。次のような条件があってはじめて、われわれがこれをなしうるということは、明らかではあるまいか。すなわち、資本主義はすでに社会主義へ転化するのに十分なほど成熟しているという、きわめて堅固な社会主義信念をわれわれが持っているばかりでなく、われわれが、実践的に、直接に、ただちにこの社会主義的変革、すなわち社会主義革命を実現可能とみなしているという条件である。
しかし、祖国防衛の拒否ということが論じられている場合、このことは、ほとんどいつも無視されている。せいぜいのところ、資本主義は社会主義へ転化するにたるほど成熟しているということを認める用意があるだけで、直接当面の社会主義革命の精神に立って、党の活動全体をただちに根本的に変えることについては耳をかそうとしないのである」
▽「祖国防衛と国内平和の政策には、何が対置されているのであろうか? 革命的反戦闘争であり、『革命的大衆行動』である。革命的大衆闘争の目標とは何か?......いま問題にしているのは、資本主義(あるいは帝国主義)に社会主義を一般的に対置するということではなく、具体的な悪、すなわちいまの物価騰貴、いまの戦争の危険、あるいはいまの戦争に反対する具体的な『革命的大衆闘争』の具体的な目標である」
▽「党は革命的大衆闘争を『承認』してきた。これはすばらしい。しかし、なにかそういうことをやる能力が党にあるだろうか? 党は、そういうことをする準備をしているのか? 党は、これらの問題を研究しているのか? 党は、しかるべき資料を集めているのか? 党は、しかるべき機関と組織をつくっているのか? 党は、人民のなかで、人民とともに、しかるべき問題を討論しているのか」
第1次帝国主義世界戦争の最中において、レーニンが党に問うたこれらの課題こそ、まさにいま革共同に求められている変革・飛躍の課題である。ここで問われている課題を、プロレタリアートの根源的な革命性に徹底的に依拠し、かつそれを徹底的に引き出しながら、断固としてなしとげなければならない。
(注) 米ブラウン大学ワトソン研究所の発表によると、01年9・11以降のアメリカの戦争による直接・間接の死者数は450万人以上。