大坂同志無罪・奪還へ 大救援運動を 下 沖縄闘争の爆発を
大坂同志無罪・奪還へ大救援運動を 下
沖縄闘争の爆発を
渋谷暴動闘争は正義の闘い
無実の大坂正明同志を有罪とした12・22判決の最も悪らつな点は、1971年11・14渋谷暴動闘争の正義性について、全く触れていないことである。
「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線のもと、沖縄返還協定批准阻止を掲げて闘われた11・14渋谷暴動闘争は、70年安保・沖縄闘争の頂点をなす闘いだった。当時、日本帝国主義・佐藤政権は、沖縄の人々の「本土復帰」「基地のない平和な島を返せ」の要求を受け入れるかのようなポーズをとりながら、米軍基地を完全に残したままで施政権のみを日本に返す「ペテン的返還」を画策。69年11月の日米共同声明でこの「72年沖縄返還」の内実が明らかにされると、沖縄の怒りは本土における70年闘争と一体の実力闘争となって爆発し、「返還協定白紙撤回・批准阻止」を掲げる全島ゼネストが71年5・19、11・10の二度にわたって闘われた。11・10県民総決起集会には10万人が結集、集会後のデモは6万人の大暴動闘争となった。
そして、返還協定の国会批准強行が迫る中、この沖縄ゼネストと連帯する本土の青年労働者・学生の渾身(こんしん)の実力決起として、11・14渋谷―11・19日比谷暴動闘争が爆発した。国家権力は11・14当日、都内での集会・デモを禁止し、1万2千人の機動隊で渋谷一帯を武力制圧しようとしたが、大坂同志らはこれを実力で突破して渋谷暴動を闘ったのだ。
大坂同志は裁判の意見陳述で、沖縄闘争の正義を全力で訴えた。さらに、沖縄県祖国復帰協議会の上京団の一員として返還協定批准阻止闘争を闘った平良長政氏は、「県民は基地のない平和な沖縄とか、日本国憲法が適用される沖縄をずっと要求し続けるんですけど......核も基地もあって復帰するという、沖縄県民の要求とは全然違う方向で復帰が決められていくので、県民こぞって反対ということで声をあげました」「(渋谷暴動について)とても頼もしく思いました。沖縄の気持ちというか、志を一緒にして闘ってくれることに本当に尊敬し、敬意を表していました」と証言した。
12・22判決が、裁判の最重要の争点である沖縄闘争に一切触れないのは、触れた途端に国家権力によるでっち上げ弾圧の意図と現実が明らかになるからだ。
大坂同志解放署名を集めよう
大坂同志へのでっち上げ有罪判決に対する怒りは全国で拡大している。大救援運動をつくり出し、大坂同志を絶対に奪還しよう。
第一に、大坂同志は「懲役20年は私への獄死攻撃だ」と捉え、しかしこれにたじろぐことなく、力強く立ち向かっている。この大坂同志の闘いと決意に完全に一つになって固く団結しよう。控訴審闘争を全力で闘い、大坂同志を何としても奪還しよう。
大坂同志は現在74歳。東京拘置所の3畳しかない独房に閉じ込められ、自由を奪われて7年。戦時体制のもとで獄中の非人間的処遇は一層劣悪化している。食事の質が低下し、医療が放棄され、権利が侵害され、監視体制が強化されている。大坂同志の命と健康と権利を絶対に守り抜こう。
大坂同志は「外の闘いを伝えてくれると激励される」と言っている。獄壁を打ち破る面会・手紙で団結しよう。東京拘置所への申し入れや、デモを圧倒的に強化しよう。
第二に、控訴審闘争に何としても勝利することだ。公開の裁判の意義も、真実も踏みにじり、警察・検察のでっち上げを容認する裁判所を人民の力で包囲し弾劾しよう。法廷を「連帯し、侵略を内乱へ」の戦場と化し、国家権力のむき出しの暴力に労働者階級人民の怒りをたたきつけよう。
第三に、反戦闘争・沖縄闘争の巨大な爆発をかちとろう。米日帝国主義の延命をかけた中国侵略戦争―世界戦争への突進の中で、ウクライナ戦争はますます泥沼化し、イスラエル軍のガサ侵攻・虐殺は4カ月を超えて一層激化し、南西諸島のミサイル基地化・軍事要塞(ようさい)化と辺野古新基地建設は沖縄の人々の反対の声を踏みにじって強行されている。大坂同志へのデタラメな判決は、この世界戦争情勢と一体だ。
大坂同志は「この判決を覆すことができる力は、反戦闘争、とりわけ沖縄闘争の勝利、あるいは高揚の中にあると考えています。もちろん裁判だけでなく、社会を変革する力がこの闘いにはあるのです。だから、本土で沖縄闘争を盛り上げていくことです。......半世紀前に私たちが立ち上がった沖縄返還協定反対闘争と、今日の沖縄闘争・反戦闘争は一本につながっています」と訴えている。改憲・戦争阻止!大行進の拡大と一体で、全人民的な大救援・奪還運動をつくり出そう。大坂同志解放署名をあらゆる人々に訴えよう。