群馬の森 朝鮮人追悼碑撤去許さない 歴史抹殺の暴挙と対決
群馬の森
朝鮮人追悼碑撤去許さない
歴史抹殺の暴挙と対決
1月28日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に「朝鮮人追悼碑撤去を許さない」と怒りに燃える約300人が県内―全国から集まった。改憲・戦争阻止!大行進ぐんまもその怒りと団結して闘いぬいた。
再びの戦争のため
群馬の森は、日清戦争以来の火薬製造を担った旧陸軍岩鼻火薬製造所の爆風よけ防風林の跡地だ。戦争末期には空襲を避けて工場を移転するため、県北部の沼田市などで地下工場建設が始まった。そこで多くの朝鮮人・中国人が強制労働をさせられ死んだことが間組の社史に記されている。
群馬県では、判明しているだけで40の現場で約1万3千人の朝鮮人・中国人が労働を強制された。この事実を掘り起こした故・猪上輝雄氏らは、朝鮮人強制連行・強制労働の実態と戦争責任に迫る現地調査や学習会を行い、1998年9月に「追悼碑を建てる会」を結成し基金を募った。県に建設用地提供を要請し、2001年6月、県議会で自民党を含む全員の賛成で趣旨採択が行われた。幾多の妨害があったが04年4月に「記憶 反省 そして友好」と刻まれた追悼碑の除幕式が行われ、毎年4月に碑前で追悼集会が開かれてきた。
しかし、右翼が追悼碑襲撃を狙って動く中、追悼集会などでの「政治的発言」が問題とされ、14年6月に右翼の設置許可取り消し請願が県議会で採択され、県が設置を不許可とした。「追悼碑を守る会」として訴訟で争ったが、22年に最高裁で敗訴が確定。県は昨年4月、守る会に撤去を命じ、今年1月29日、代執行の暴挙に出たのだ。
「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事」という当然の発言を、県は「政治的」だと問題にしているのだ。ここには日本帝国主義の侵略戦争が引き起こした強制連行・強制労働の歴史を抹殺し、新たな戦争に打って出ようとする国家意志が貫かれている。能登半島地震の被災地を見殺しにして大軍拡に突き進む岸田政権を見れば、それは明らかだ。
泥沼化したウクライナ戦争に参戦し、イスラエルのガザ大虐殺に加担する岸田政権は、再びの中国侵略戦争のために、日帝の戦争犯罪の歴史を記録し新たな戦争を許さないと闘う運動を根絶やしにしようとしている。東京・横網町公園に建つ関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑をめぐる攻防も同じだ。しかし、こんなことは絶対に許してはならない。今こそ巨大な反戦闘争で岸田政権を倒すことが求められている。
闘いは終わらない
大行進ぐんまは県庁前抗議行動、高崎駅街宣をくり広げ、1月21日に高崎デモを行い、群馬の森周辺住宅への全戸ビラ入れをして闘いぬいた。
そして迎えた1月28日、追悼碑の前に集まった人々は、動員された多数の機動隊員、がなり立てる右翼にもひるまず、午後5時半に「公園閉鎖」と退去通告されても出なかった。「鎖で縛って碑を守る」と車2台分のテント・ストーブ・寝袋を持ち込んだ人もいて、碑の前で夜を徹して闘った。
2月、碑が撤去された跡地に地元の中学生が作った「追悼碑レプリカ」が置かれた。闘いは若者たちにも引き継がれている。
(改憲・戦争阻止!大行進ぐんま 田島俊昭)