大坂同志無罪・奪還へ大救援運動を 上 供述調書はねつ造だ 「殴打」のでっち上げは明らか
週刊『前進』04頁(3330号04面01)(2024/02/05)
大坂同志無罪・奪還へ大救援運動を 上
供述調書はねつ造だ
「殴打」のでっち上げは明らか
大坂正明同志は百パーセント無実だ。裁判所が「有罪」にできるような物証・客観的証拠は何一つない。それにもかかわらず、高橋康明裁判長は52年前に検察官がねつ造したデモ参加学生の「供述調書」だけで有罪判決を出したのだ。
そもそも「供述調書」は、警察や検察が被疑者を長時間、密室に閉じ込め、暴力と脅迫、誘導によって作られる。うその自白を引き出すことはでっち上げの常套(じょうとう)手段だ。裁判所が検察官調書しか採用しないなら、裁判は検察官の言うがままに「有罪」を言い渡す場になる。高橋判決は、憲法も法も裁判制度も無視した、非転向で闘う革命家・大坂同志に対するむきだしの国家暴力だ。絶対に許せない。
デモ参加学生4人のうち2人(AO証人とIT証人)は裁判で、「(大坂同志を見たという供述は)取調官によって強制されたもので、実際は見ていない」旨を証言した。AR証人は「大坂を見た」という証言を維持したが、弁護人の反対尋問によって現場写真との食い違いと供述内容の矛盾を暴かれ全面的に破綻した。OT証人は病気入院中で、出廷を拒否した。
こうして、「大坂同志が機動隊を殴打した」ということは完全にでっち上げであることが明らかになった。
ところが判決は、この法廷での証言をなかったことにし、星野裁判での法廷証言も一顧だにせず、52年前に検察官がねつ造した「供述調書」のみで殺人罪を適用し、「懲役20年」という重刑判決を大坂同志に下したのだ。
法廷証言を一切採用せず、検察の調書のみで有罪判決を下すのは、裁判否定以外の何ものでもない。
検察の「立証」破綻させた法廷証言
AO、ITの2証人は以下のように証言している。
AO証人は事件当時、高崎経済大学1年で18歳だった。裁判で「(取調官の側に)ある物語があるのか、思惑があって、そのとおりに話さないと、全て話してないというふうに(思われる)」「(大坂さんについて)本当に申し訳ないですけど、全然知らない人だから話しちゃったのかもしれないです」「大坂さんとは法廷で初めて会いました」「ああいう調書をたくさん作って、いろんな方にご迷惑をおかけしたということも、この場で謝罪したいと思います。(略)なぜ、記憶にないことを話したのかと問われるんですけど、あの取調室の中に一度入ってくださいって言うしかない」などと証言した。
IT証人は事件当時、高崎経済大学2年19歳。裁判で「脅されて脅されて、(略)もうその辺りで、私はもう精神的に折れましたから」「お前がやったんだろうから始まってますからね、最初の段階から。いや、私はやってませんよということからいきましたけれども、10日ぐらい過ぎた後から、もう、間違いなくお前は隠している、うそを言っている。だからお前は(殴打の輪の)中にいたんだ、おまえも殺したんだと。それでずうっと責められましたね」「大坂だろう、大坂だろうというのは一番強く言われましたからね」などと証言した。
OT証人は事件当時、高崎経済大学1年20歳。大坂裁判での証言はないが、星野裁判の控訴審で「警察官の方か検事さんか、一応こうじゃなかったのかという聞き方をされました。それでそうですというような形で調書をとっていたと思いますけれども」「(取り調べは)朝9時ごろから夜の10時、11時ごろだった」と証言している。
ARは、事件当時群馬高専2年の16歳。黙秘していたが、検察官や警察官の前で父親に殴られて供述を始めた。大坂裁判で検察官が立証の柱にしていたが、弁護団の反対尋問によって重大な破綻をきたした(次回に明らかにする)。
高橋裁判長らは、これらの証言を一切無視するというのだ。AO、IT証人らは、11・14沖縄闘争に決起した誇りをもち、しかし逮捕後に警察や検察の暴力に屈してうその供述をしてしまった悔しさ、怒りをこめ、法廷で勇気を振り絞って証言した。彼らの人生をかけた迫真的な真実の証言は、皆の心を打つものだった。ところが裁判官らは、その証言を平気で切り捨てた。こんなものは裁判でも判決でもない。
でっち上げを容認し、労働者民衆の闘いを圧殺しようとする国家権力への怒りを爆発させ、大坂同志救援奪還の大運動をつくりだそう。
大坂同志の「24年を反戦一色に」(本紙前号)の呼びかけに応え、大坂同志奪還闘争と一体で「連帯し、侵略を内乱へ」の巨大な反戦闘争を爆発させよう。