団結ひろば 投稿コーナー
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イスラエル擁護講演を弾劾
全学連書記長・京都大学 長江光斗
イスラエルがガザへの侵略・虐殺を再開した12月1日、京都大学では、安倍政権時代の副防衛大臣として戦争国家化を進めてきた中山泰秀によるイスラエル擁護の講演会が行われ、私たちは緊急で弾劾行動を構えた。講演で中山はハマスの蜂起をテロと呼び、「フリーパレスチナと言うな」と主張するビデオを上映し、イスラエルの虐殺を全面的に擁護した。これに対して、講演に参加した学生が「米・イスラエルがやってきたことこそテロじゃないのか」と弾劾すると、公安警察が大学内に導入され、学生を逮捕しようとした。
学生による反戦・パレスチナ連帯の行動に対しては弾圧や逮捕・処分で運動を圧殺する一方、極右政治家のイスラエル擁護は黙認し、反論を許さない京大当局の反動性は明らかだ。京大は、イスラエル軍と一体の研究機関で、パレスチナの民間人を攻撃の標的とする「ダヒヤ・ドクトリン」を開発したテルアビブ大学と協定を結び、パレスチナ人民への抑圧・虐殺に加担している。戦争に協力する大学は粉砕すべきだ。
私たちは、講演会場の内外で、イスラエルによる戦闘再開、中山の講演、そしてイスラエルを支援する岸田政権と京大を徹底弾劾する行動をやりぬいた。学生の暴露によって、京大の戦争協力、そして新たに狙われている学生への処分に対する怒りが広がっている。12月15日の「全国学生反戦集会」にこの力を結集し、岸田政権打倒まで闘う。
互いに心通わせた訪韓闘争
首都圏・学生 福田 薫
訪韓闘争に参加しました。ソウルに到着して早々、解雇撤回を求めるホテル従業員の籠城(ろうじょう)現場に遭遇し、街が労働者の熱気であふれていることに驚きました。
11月11日の労働者大会は広い道路を埋め尽くし、隊列の端が見えないほどでした。5万人の労働者が「ユンソンニョルは退陣せよ!」と叫ぶ光景に、これが軍事独裁政権を倒しパク政権を倒した韓国労働者階級の力かと感動しました。
韓国ではいろいろな労働歌が創作され、歌われていて、集会がとてもにぎやかでした。「本当の社長が出て来い!」と非正規雇用を弾劾するポップ調の歌や、「勝利のその日まで」ストライキで闘うことを誓う歌が印象的でした。
デモ後に交流した学生は、周りの学生を社会主義に組織することの難しさを語っていて、大きな運動があってもやはりそうなのかという驚きと共感を覚えました。社会の矛盾と戦争への怒りを訴えて、学友たちを改良主義ではなく革命的な路線に獲得していくことは、日韓共通の課題です。
大会前に訪問したチョンテイル記念館には、烈士が裁断士の仲間と共に争議を行い、身をていして韓国階級闘争を燃え上がらせた記録が展示されていました。一つの工場から全国・全世界へと団結が拡大していく『共産党宣言』の内容が現実に勝ち取られたのを目の当たりにするようでした。
訪韓闘争全体を通して、韓国で不屈に闘う労働者・学生と心を通わせることができました。彼らとともに侵略戦争を戦うことがあってはなりません。韓国人民は侵略の戦友ではなく革命の同志です。戦争を止める学生運動・労働運動の大爆発へ、今こそ全力で駆け上りましょう!
高槻医療労組の発言に感動
大阪・青年労働者 N・M
全国、全世界から2800人が結集した全国労働者総決起集会は、ガザへの虐殺に対する怒りや職場での闘い、決意が次々と語られ、今後の闘いに空気が入る発言ばかりでした。中でも、各産別からの発言で、高槻医療福祉労働組合委員長の発言に本当に感動し、涙が止まりませんでした。
イスラエル軍の残虐な行為が記されているカルテを隠ぺいするために、そのカルテがある病院を焼き払い、医療関係者や新生児までもが亡くなっているという事実にものすごい怒りを感じました。新しい命、小さな命が一瞬でむごたらしく奪われていることが本当に許せません。
なぜ何の罪もない子どもたちまで殺されなければならないのか。日々、ニュースなどで報道されているのはほんの一部です。SNSでガザの現状の動画や写真を見ていると本当に胸が張り裂けそうになり、同時にイスラエルやこの戦争を支えている帝国主義に怒りが込み上げます。休戦ではなく、今すぐに停戦するべきです。
デモは、今までにない高揚感に包まれながら行えたと思います。沿道から手を振ってくれたり、リズムに合わせて拳を上げる姿が多く、やはり今こそ「反戦」を訴え、立ち上がるしかないと感じました。労働者にはこの社会を変える力がある! 戦争をさせられるのも労働者、しかし戦争を止められるのも労働者だ! ということを街頭や集会、デモを通して伝えていきたいと思います!
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星野文男同志を追悼する
革共同新潟県委員会
10月29日、新潟県委員会の誇るべき労働者同志であり、前県委員長であった星野文男同志が急逝した。享年72。多くの同志、国鉄・JRをはじめ産別、党派を越えて全国の労働者から彼の死への惜別・哀悼のことばをいただいたことに深く感謝します。
星野同志は、70年安保・沖縄闘争の爆発に接し、反戦高協として階級闘争に参加した。卒業とともに国鉄に入社して国労に入るが、その演説する姿は当時の青年労働者のあこがれであったという。革共同結成の原点の一つとなった1957年国鉄新潟闘争について、「伝統を引き継ぐのは俺たちだ。革同(日本共産党など)やカクマルではない」が口癖だった。77年、狭山闘争で逮捕され、革同執行部からの除名処分策動を受けたが、逆に組織拡大のテコとして国労内に拠点をつくっていった。
国鉄分割・民営化に対しては、動労千葉と共にストで反撃を訴え、真っ向から闘い抜いた。自民党と組んで国鉄分割・民営化に率先協力した動労カクマルは、星野同志に憎しみを集中した。カクマル活動家10人が職場に押しかけてきたが、職場の仲間と敢然と打ち破った。星野同志は、1047名解雇撤回を掲げる国労闘争団や動労千葉の物資販売の先頭に立ち、県内の労組を回ってきた。国労新潟駅連合分会長、新潟県支部執行委員として、国労内外に影響を及ぼしてきた。
しかし、国労本部が、2010年4・9政治和解に屈服し、解雇撤回だけではなく、JRとの闘いを放棄した。国労内での格闘のすえ、動労千葉と共に階級的労働運動を推進するために、動労総連合・新潟を15年に結成して初代の執行委員長に就任した。それは、人生をかけた決断・飛躍だった。17年の退職後、動労総連合の闘いにとどまらず、県党のあらゆる闘いの先頭に立ってきた。19年の反原発福島行動のデモで倒れ、その後のリハビリをへて活動に復帰。ウクライナ、ガザ情勢に「世界戦争が始まった」という時代認識に立ち、この間の党内組織問題を「世界戦争情勢だから起こった」と喝破した。11・19労働者集会の大結集に向けて県内を飛び回り、その途中での急逝だった。まだまだこれからだった。
生涯を国鉄労働運動と世界革命にかけた彼の遺志を引き継ぎ、われわれは闘い抜くことを誓う。