無実の大坂同志奪還へ 憎悪露わな検事論告粉砕し 12・22無罪判決かちとろう
無実の大坂同志奪還へ
憎悪露わな検事論告粉砕し
12・22無罪判決かちとろう
1971年11月14日の沖縄返還協定批准阻止の渋谷デモの闘いで「殺人罪」をでっち上げられた大坂正明同志の裁判は、10月26日に弁論と大坂同志の最終意見陳述(本紙3318号に全文掲載)が行われ結審した。大坂同志は不当逮捕・起訴から6年半、国家権力による沖縄闘争弾圧に正面から立ち向かい、非妥協不屈に闘い抜いた。裁判を通じて権力のでっち上げを徹底的に暴いた。大坂同志の無実は完全に明らかである。判決公判は12月22日だ。「パレスチナ連帯、ウクライナ戦争今すぐやめろ、中国侵略戦争阻止、改憲・戦争の岸田打倒」の闘いを激しく推し進めよう。11・19国際反戦大集会・デモの成功の地平に立ち、12・22判決公判に向かって「大坂同志は無実」の声を広げ、大坂同志を絶対に奪還しよう。
違法取り調べで調書ねつ造
検察官は、世界で沸き起こる労働者民衆の反戦決起に恐怖し、渋谷暴動闘争に階級的憎悪を募らせ、「無期懲役」を求刑した。また、裁判が結審したにもかかわらず、裁判所は「罪証隠滅のおそれ」があると言い続けて保釈請求を却下(10月31日)し、無実の大坂同志をいまだに獄に閉じ込めている。反戦闘争に立ち上がる労働者民衆への恫喝(どうかつ)であり、絶対に許せない。
大坂同志に対する「殺人罪」でっち上げは、デモに参加した群馬の学生AR、AO、IT、OTの4人の「大坂が死亡した機動隊員を殴打しているのを見た」という虚偽の供述が証拠とされている。これはデモ隊のリーダーであった星野文昭同志、群馬の学生リーダーだった奥深山幸男同志を「殺人罪」ででっち上げたのと同じ供述調書であり、物的証拠は一切ない。権力は「星野、大坂、奥深山がデモ隊のリーダーである」と狙いを定め、4人にうその供述を強制したのだ。
取調検事・中津川彰は、ARの取調室に親を呼んで殴らせて黙秘をやめさせた。ARは当初黙秘を続けていたが、父親に殴られたことにショックを受け、「供述」に転じた。黙秘権を侵害した中津川の作った「供述調書」に信用性などない。弁論では、親の暴力で黙秘権を侵害したことを「親の愛情」と美化する検事論告を徹底弾劾した。
うその「供述調書」を作成されたAOは「大坂さんとは今日の法廷が初対面」と証言し、ITは「調書は検事の作文」であると法廷で怒りを爆発させた。この真実の証言を無視し、事件から52年後の法廷証言よりも「記憶が鮮明だった事件当時の調書のほうが信用できる」などと言うことは許されない。法廷でも明らかになった違法・不当な拷問的取り調べが、供述がでっち上げであったことを物語っている。
事件当時AR、AO、ITは未成年で、OTは20歳だった。機動隊と衝突し混乱する闘争現場で、闘争経験の浅い少年らが「他人の行動」を事細かに観察して記憶することなど、できるはずもないのだ。検事の論告は、大坂同志の有罪を何一つ立証できなかったことを居直り、「暴力革命を目指しているから社会から隔離しろ」「リーダーだからやっていないはずがない」と主張した。弁論は真実を突きつけ、供述の矛盾を暴いて検事論告を粉砕した。
現場写真が供述のうそ暴く
大坂同志は最終意見陳述で「供述者によって私の人物像が異なり、共通点が全くない」「いったい私は何人存在するのでしょうか」と怒りを込めて述べている。それほどまでに「大坂同志が機動隊員を殴っているのを見た」とする4人の大坂同志に関する識別供述は相互に矛盾している。
そもそも群馬の少年らは、大坂同志と全く面識がない。少年らは皆、取り調べで大坂同志の顔写真を見せられ、名前を教えられて供述を始めた。「リーダーは大坂」と捜査官に教えられ、捜査官の意に沿うようにでっち上げたストーリーで「供述調書」が作られたのだ。そして、警察官が隠し撮りしたデモの写真を示され、写ってもいない大坂同志を無理やり「これが大坂」と言わされた。だから供述は矛盾だらけなのだ。
例えば服の色だ。実は大坂同志の当日の服装について、でっち上げ供述調書には何一つ書かれていない。ただ「大坂を見た」とだけ書かれている。AOとOTは神山交番前のデモ隊を写した写真で黒っぽい服を着た人物を指して「大坂」だと供述した。だがこれはそれぞれ別の人間を指している。さらにARはかつて星野裁判に証人として出廷した際、「大坂は上下とも白っぽい色のスーツを着ていた」と供述し、本法廷でもこれを維持した。これだけで、大坂同志が3人いることになる。本来なら供述相互の食い違いは、信用性がないことの端的な現れと評価すべきである。それを論告は、供述者ごとに異なる供述内容が「相互に補完しあい信用性を高めている」と強弁した。しかし相互に矛盾する証言が「補完しあう」ことなどありえない。供述がでっち上げであることは明らかだ。
決定的に重要なことは、神山派出所前で、デモ隊を正面から写した「唯一の物証」といえる写真を弁護側証拠として採用させたことだ。小田急線の代々木八幡駅から渋谷に向けて進むデモ隊と、これを阻止しようとした機動隊が衝突したのが、渋谷区の神山派出所前だ。論告は、大坂同志が「デモ隊の先頭から独り飛び出し、機動隊に鉄パイプで殴り掛かった」というAR供述に沿って主張を展開した。この機動隊と対峙(たいじ)する場面の見取図がARのでっち上げ調書に添付されている。そこには「星野、大坂、奥深山」がどの位置にいたのか、はっきりと示されている。だがその見取図と同じ場面の写真のどこにも、大坂同志は写っていない。供述がでたらめであるという動かぬ証拠だ。「供述者たちは、私の実像を全く認識することなく、架空の人物を作り上げた」(大坂同志最終意見陳述)のだ。弁論は真実の力で検事立証の破綻を暴き、大坂同志の無実無罪を宣言した。
沖縄闘争の正義貫き闘おう
最終弁論は、検事が論告で一言も触れなかった渋谷暴動闘争の背景、沖縄返還協定批准阻止闘争の正義を前面に押し出して、本件が沖縄闘争圧殺のためのフレームアップ弾圧であったことを明らかにした。
国体護持のために捨て石とされ、沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなったこと、戦後も米軍統治が続き耐え難い被害が続発したこと、こうした現実を打ち破るために沖縄県民が全島を挙げて復帰闘争に立ち上がったこと、返還協定に沖縄の人々はこぞって反対し全国で闘いが爆発したこと。1971年11月の渋谷暴動闘争とは、こうした沖縄の人々の血叫びに応えるものとして、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げた正義の闘いであった。
政府はこれら民衆の闘いを圧殺するため、集会・デモを全面的に禁止し、全国から1万2千人の機動隊を集めて東京に厳戒態勢を敷いた。大坂同志の闘いは、集会・デモの禁圧を乗り越え、機動隊の壁を突破して渋谷に集まった万余の民衆と合流し、沖縄連帯の声を上げる決定的な闘いだった。
検事は「犯行の動機、目的が反社会的であり、極めて悪質」「再犯のおそれも大きい」と激しい憎悪を吐露し、大坂同志に無期懲役を求刑した。これは世界戦争が開始された中、絶望的危機にある日帝・岸田の労働者階級の闘いに対する恐怖であり、反戦闘争潰しの宣言だ。だからこそ11・14が巨大な沖縄闘争をめぐる国家権力と労働者民衆の闘いであったという政治的背景を一切捨象し、労働者民衆の国家権力に対する実力闘争を口を極めてののしった。イスラエルがガザで行っているジェノサイドを擁護する帝国主義者の論理と全く同じだ。反戦闘争の爆発で弾圧を打ち破ろう。
大坂同志は半世紀を超えて沖縄闘争の正義を貫き、獄外の絶対反戦の闘いと一つになって獄中闘争を闘いぬいている。不撓(ふとう)不屈の闘いへの恐怖こそが、大坂同志を「星野に匹敵するリーダー」「社会から隔離しろ」と検事が叫ぶ根拠だ。
弁論は、本裁判が政治的でっち上げ攻撃であり、沖縄闘争弾圧であると突きつけた。「大坂同志が機動隊を殴っていた」という供述が虚偽であることを暴き、「大坂同志は殴打現場にいなかった」という真実の証言こそ正しいと物証をもって全面的に明らかにした。大坂同志は無実だ。
反戦闘争の爆発で大坂同志奪還へ
裁判は、階級支配の貫徹を目指す支配階級と、弾圧を打ち破り社会変革に向かう労働者階級の力勝負だ。世界戦争情勢の中、民衆の反戦決起を弾圧で潰す意志を論告で示した岸田政権と徹底対決し、闘おう。11・19国際反戦大集会・デモの地平を一層推し進め、反戦闘争の大爆発で12・22判決公判に攻め上ろう。連日、裁判所前で「大坂さんは無実だ」のビラをまき、労働者の団結の力で大坂同志の無罪奪還をかちとろう。
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12・22大坂正明さん裁判判決公判
12月22日(金)午後2時
東京地裁第429号法廷
※傍聴券配布のため、1時間前集合