十亀弘史の革命コラム -10- 言葉を超えた直接の暴力

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週刊『前進』04頁(3315号04面03)(2023/10/16)


十亀弘史の革命コラム -10-
 言葉を超えた直接の暴力

 昭和天皇ヒロヒトの78年前の「終戦の詔書」は、まだ死んでいません。それは、自分がなした戦争は、「帝国の自存と東亜の安定」を願ったものであり、「他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕(ちん)が志にあらず」と宣言しています。侵略戦争などやっていないというのです。後半では、戦後の苦難にあたっては、「激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせ」(西日本新聞による現代語訳)たりしてはならない、と述べています。戦後革命を先回りして禁圧しようというのです。それらの、侵略戦争は正しく、革命は許さない、というのはまさに現在も生き続けている支配階級の意思そのものです。
 それにしても、中国に百万人を超える兵を送り、「殺・掠(略奪)・姦(強姦=ごうかん)」の限りを尽くして2千万人を殺し去った戦争を、「侵略ではない」とする、事実と言葉とのすさまじい乖離(かいり)に肌があわ立ちます。それはもはや言葉を超えた直接の暴力です。
 岸田首相の次の発言にも、同じ暴力性と徹底した欺瞞(ぎまん)が満ちています。先日の国連総会の一般討論演説の中の一節です。「我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱(ぜいじゃく)な人々も安全・安心に住める世界、すなわち、人間の尊厳が守られる世界なのです」。この言葉に接して、岸田の実際の行動を思う時、激しい怒りに駆られなかった人はいないと思います。岸田は全力で戦争準備を進めています。貧しく「脆弱な人々」はすでに凄惨(せいさん)な生活苦を強いられています。人間の命と尊厳を全面的に破壊しているのです。
 ヒロヒトは、1975年には、戦争責任は「文学方面」の問題であり「よくわかりません」、広島への原爆投下は「気の毒であるが、やむを得ない」と居直りました。これを聞いて憤怒にとらわれた茨木のり子は、後に「天皇に対してどんな激烈なことでもやってのけられそうな気がした」(後藤正治『清冽―詩人茨木のり子の肖像』)と述懐しています。
 そうです、私たちは、いま戦争を止めるために、「どんな激烈なこと」をしても、実際に岸田政権を打ち倒さなければなりません。怒りは大きく広がっています。帝国主義を打倒する、力あるデモの秋を切り開きましょう。
 (そがめ・ひろふみ)
2023.10.16

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